第二章:叩きつけられる響き、あるいは虚空の嘔吐
それから数年後、平吉は別の長屋でさらなる怪異に見舞われた。
その長屋の「弐の部屋」で、首を括って果てた男があった。男は深夜、暗い土間に鴨居から縄を下げ、自らの重みで絶命した。その夜以来、男が果てた刻限になると、部屋の前で「ドサッ」という、重い肉塊が地面に叩きつけられる音が響くようになったのである。
血気盛んだった平吉は、二人の友を誘い、その正体を見極めようと件の部屋の前に陣取った。
刻限は草木も眠る丑三つ時。
不意に、誰もいないはずの弐の部屋の戸が、ギィ……と音を立てて開いた。
月明かりが差し込む土間には、人影などどこにもない。しかし、戸はゆっくりと、何者かが外へ出たかのように動き、再び閉まったのである。
「来るぞ」
誰かが息を呑んだ。
その直後である。平吉たちの目の前の空間から、凄まじい風圧が吹き抜けた。
――ドォンッ。
空から重い「何か」が墜落したような、鈍く重い衝撃音が足元に響き渡った。
それと同時に、生暖かい、鉄錆の臭いのする液体が、平吉の顔、腕、着物にべったりと張り付いた。
「うわっ!」
思わず叫んで顔を拭ったが、手には何もついていない。濡れてもいなければ、血の跡もない。しかし、身体は確かに「死の重み」を浴びた感触を記憶していた。
次の瞬間、平吉は割れるような頭痛に襲われ、胃の底からせり上がる凄まじい不快感に、その場に膝をついて激しく嘔吐した。傍らを見れば、共にいた友二人も、顔を土色に変えて同じように吐き戻している。
それは、目に見えぬ「死の痕跡」を浴びせられた、生者の身体の拒絶反応であった。
三人はその後、三日三晩、死の淵を彷徨うような高熱にうなされた。
不思議なことに、平吉たちが「浴びて」以来、その長屋で叩きつけられる音が響くことはなくなったという。
幽霊とは、あるいは呪いとは、誰かがその「重み」を肩代わりしてやることで、ようやく霧散するものなのかも知れない。
平吉は今、江戸の平穏な暮らしの中にいる。
だが、時折、夜道で後ろから風が吹くと、あの「生暖かい、べっとりとした感触」が頬をなでるような気がして、激しい吐き気に襲われるという。
今、あなたの足元で聞こえた、その小さな音――。
それは単なる家鳴りでしょうか。
それとも、あなたが知らぬ間に「受け止めて」しまった、誰かの絶望の重みでしょうか。




