32 誘い
晩餐の時間になり、シエルはようやくあの出来事以降、リュスと顔を合わせた。
「ゆっくり休めたか?」
「は、はい、お陰様で……!」
「それはよかった」
リュスはそう言うと、まだ料理が運ばれていない食卓の上に少し身を乗り出し、じっとシエルを見つめる。
相変わらずリュスの視線は真っ直ぐだ。恐らくはリュスの癖なのだろうが、シエルに対する感情など客人に対するものでしかないと分かってはいても、ついどきりとしてしまう。
形だけとはいえ、この軍神のような美丈夫の青年がシエルの夫なのだ。あまりにも不釣り合い過ぎて、自分のような人間が一時的とはいえ隣にいていいのだろうかと思ってしまう。
給仕の者が、リュスの前に果実酒を、シエルの前に果汁入りの水を置いた。シエルはグラスを手に取ると、少しだけ口に含む。冷たくて美味しく感じるのは、少し緊張しているせいもあるのかもしれなかった。
リュスが果実酒をクイッと飲む姿を、ぼんやりと見つめる。
一体いつまで彼の隣にいることを許されるのだろうか、と考えた。
できることなら、まだもう少しここにいたい。だけど、今回の明晰夢に関わった事件が終わったことで、恐らくシエルは役目を終えた筈だ。
用済みの人間は、さっさと舞台から捌けるべきだろう。分かってはいる。でも――まだシエルには居心地のいいこの地から去る覚悟ができてはいなかった。あまりにも、アルバインの人たちの心が温かすぎて。
もしかしたら、先が見えない状態にいるから覚悟ができないのかもしれない。ならば予めリュスの考えをきちんと聞き、去る時期を明確しておけばいいのでは、とシエルは考え始めていた。
だが、どう切り出したらいいかが分からない。資金援助を受けた側のリュスからは、なかなか離縁は言い出しにくいのは承知している。シエルの方から聞かない限り、実は心優しいこの夫はシエルをいつまでも客人として置いてしまうのではないか。
(でも、リュス様には跡継ぎがいらっしゃらない……。私と夫婦の営みをされないと宣言されている以上、私が妻として長く居座れば居座るほど、アルバインにとっては不利となるわ)
貴族の婚姻が、愛だの恋だので動くようなものではないことくらい、シエルはよく理解している。だからこそ、シエルには王家の命によりニールという婚約者が定められていたのだから。
ニールとアリエスが恋に落ち結婚に至ることになったのは、貴族の婚姻の中では珍しい部類に入るのだろう。他の例を知らないので絶対とは言えないが、婚姻は結局は家と家との繋がりを考慮して結ばれるものなのだろうから。
リュスはシエルと子を成すことを望んではいないのは明白だ。最初に明言しているし、形式上夫婦となった後も、シエルに妻としての役目を求めてきたことは一度もない。
そして、シエルがリュスの子供を生まないのなら、シエルの存在意義はもうここにはない。
エリザやクラウスは優しいから、シエルとリュスが本当の夫婦となることを望んでくれているのだと思う。となると、二人が聞いている場で切り出しても、リュスとしても答えにくいだろう。特にクラウスは弁が立つから、余計だ。
いつまでもアルバインの地に自分が居座っては、誰の為にもならない。ならば何とかしてシエルからリュスにこの話を切り出すしかない。だが、それが難しい。
(となると、二人きりになる時を見計らって聞くしかない……?)
これまで二人きりになる機会など、たった一度しかなかった。ならば、まずは二人きりとなれるように仕向けるのが先決だろうか。
シエルが自分の考えに耽っていると。
果実酒が入ったグラスを置いたリュスが、口を開いた。
「早速だが、先に話をしていいだろうか?」
「は、はい」
勿論、シエルに異論はない。小さく頷いて見せると、リュスが指にはめている金色の指輪にもう片方の手の指で触れた。
「――指輪について、調べてみた」
「……何かお分かりになったのですか?」
リュスは、器用に肩を竦める。
「これまで聞いたことばかりだった。この指輪はアルバインの祖であるエーデル・アルバインに縁のある指輪であること。辺境伯となる者とその妻の指にはめるものであること、程度だ」
「文献などは残されていないのですか?」
すると、リュスが苦々しい表情に変わった。
「代々、指輪の由来については親から子へと口伝するものなのだ、と昔父から聞かされたことはある。だが、それは婚約若しくは婚姻を結ぶ際に指輪の受け渡しと同時に引き継がれる、と言われた。引き渡す方の病などの都合で、婚約してすぐに伝えることも過去にはあったようだが、俺の時は両親とも健在だったからな」
「あ……」
リュスの両親は、十年前の魔物の襲撃の際に命を落としている。その時リュスはまだ十六歳だったから、確かに聞くのには早い時期だったのかもしれない。
つまり、リュスは聞きたくとも聞けなかったのだ。口伝のみであり、祖父母も既に他界していた以上、本来ならば語られる筈だった内容は語られないまま永遠に失われてしまったということだ。
「もしかしたら、そこに何かしらの情報があったのかもしれないが。今となってはもう調べようがない」
リュスの口調は淡々としていたが、悔しさはあるだろう。
「そう……ですか」
他の言葉が、思いつかなかった。誰ひとりとしてリュスの両親の突然の死を予見していなかった状態で、事前に伝えておこうという話になる筈もない。だがそれに関して「残念でした」などといった軽い言葉は、間違っても口に出せなかった。一番惜しんでいるのは、リュスに違いないのだから。
ふと、気付く。先程リュスは、「俺の時は両親とも健在だったから」と言っていた。つまり――以前は婚約者がいた、という意味になる。
「あの……婚約者様がご両親から何か伺っていた、とかは……」
途端、リュスの眉がピクッと反応した。口を真横にきつく結び、何かを思案するように目線を食卓に落としている。
(え、まさか聞いてはいけなかったことなのかしら……?)
考えてみれば、リュスの現在の年齢は二十五歳。結婚適齢期は過ぎようという年齢だからこそ、クラウスが暗躍しブランデンブルグ家との婚姻を推し進めたのだと思う。だけど、十年前の時点で婚約者がいたのならば、この十年の間に二人の間に何かが起き、婚約解消となってしまったのではと考えた方が筋が通る。
(深く考えずに、私ってば……!)
謝った方がいいのだろうか。だが、それこそ何と謝ればいいのか分からない。リュスも黙ったままで、沈黙が辛くてシエルも俯いてしまったその時。
広間に、クラウスの明るい声が響いた。
「あーっとリュス様! シエル様にお尋ねすべきことを忘れてますよ!?」
「……尋ねること、ですか?」
助かった、と内心ホッとしながら、リュスの後ろに控えていたクラウスを見上げる。リュスも同様に、クラウスを振り返っていた。
「リュス様は、これまでシエル様の言葉を真摯に聞かなかったことをとても反省されたのです!」
ね、リュス様? とにこやかにリュスに笑いかけるクラウス。リュスは機嫌の悪そうな顔で、それでも頷いてみせる。
(クラウスさんの心臓は、きっと鋼でできているに違いないわ……)
クラウスの心臓のほんの一欠片でも自分に分けてもらえたら、シエルも少しはクラウスのように明るくなれるのだろうか、なんてことを考えてしまった。
「ですので、僭越ながら私がリュス様に提案させていただいたのです!」
楽しそうに胸を反らせるクラウス。
「提案……ですか?」
「はい! さ、リュス様、この先はご自身で仰って下さい」
笑顔のクラウスに促され、リュスが渋々といった様子でシエルを見た。
表情を見る限り、怒ってはいないようだ。
(とりあえず、婚約者のことはもう聞くのはやめよう……)
シエルは密かに心に誓った。
「シエル」
「は、はい!」
シエルは慌てて姿勢を正す。
「……クラウスに、シエルはこれまで一度も町へ降りていないと聞いた」
「は、はい……」
それは、城から外へ出てはいけないものだと思っているからだが、もしかして出たいと言ったら出られたのだろうか。
「今度、町では秋の収穫祭が開かれる」
「収穫祭……」
リュスが何を聞こうとしているのかが、さっぱり分からない。シエルはただオウム返しすることしかできなかった。
リュスが、紫色の瞳をシエルに向ける。
「収穫祭に、共に行かないか」
「え……っ、い、いいのですか……!?」
町がどんな所なのか、興味はあったのだ。
「シエルがよければ」
「ぜ、是非行きたいです!」
思わず大きな声を出すと、リュスは目を少し見開いた後――口の端を少しだけ上げた。
次話は水曜日に投稿予定です。




