33 悩ましい思い
結局その日は、昨夜の話をそれ以上することはなかった。
リュスに「まだ明晰夢を見るのか」と尋ねられ、「いえ、夢も見ずぐっすりと眠れました」と答えたことで話は終わる。
昨夜、リュスはカーテンについても「明日話そう」と言っていた。それがこれのことだったのかと思うと何だか違う気もしたが、令嬢らしからぬ行動を取ってしまったシエルとしては、できれば是非大目に見てもらった上で忘れてもらいたいと願っている。
昨夜までは興奮状態にあったから起こせた行動だ。冷静に振り返ってみれば、夜着に火かき棒を持って走り回っているところを、リュスだけでなく衛兵たちにも見られているのだ。
リュスは笑って流してくれたが、他の人間の目にはさぞや奇妙に映ったことだろう。恥ずかしすぎて、居た堪れない気持ちで一杯だ。
それでもまだ、刺客を撃退した時の騒動で辛うじて誤魔化せた……と信じるしかなかった。
(と、とりあえず何か別の話題に切り替えよう……)
これまでの晩餐での会話といえば、リュスがぽつりぽつりと質問をして、シエルがそれに答える形が大半。互いに弁が立つとはお世辞にもとても言えず、会話を膨らませることなど無理難題としか思えない。
時折、見かねたクラウスが先程のように助け舟を出してくれることはあった。だが、頻度は低い。そうしょっちゅう主人夫婦の会話に割り込むべきではないと思っているのか、沈黙が辛く感じるほどになるまではクラウスも介入してくれないのだ。
(話題、話題……そ、そうだわ!)
収穫祭とは、一体どういったものなのか。
尋ねようとしたところで、兵が「お食事中申し訳ございません。捕虜の件で――」と声をリュスに声をかける。
(やっと話題を振れると思ったのに……)
リュスとの会話はいつも気不味いものだが、沈黙もまた気不味い。だからリュスが仕事で中断されたら、本来であればホッとする筈なのだ。
なのに何故か、シエルは会話が途切れてしまったことを残念に思ってしまっていた。
もしかして、他愛もない会話であればリュスにも昨夜のような笑顔を見せてくれるのではないか。そんな高望みを、どこかで期待してしまっていたのかもしれない。
直後、シエルはハッと気付く。以前、シエルに何か欲しいものはないかとリュスが尋ねた際、シエルはリュスの笑顔が見たいと答えたことがあった。
(もしかして……昨夜の笑顔は、刺客を退けたご褒美に笑顔を見せて下さったものだったのかしら?)
確かにそう考えれば、日頃一切笑わないリュスが笑ったことへの説明もつく。シエルには笑われるほどの面白味もないのは、自分でもよく分かっていた。
リュスの足許に膝を付き小声でやり取りをしていた兵が、一礼すると立ち上がった。
リュスも同様に立ち上がると、涼しげな目でシエルに一瞥をくれる。
「済まないが、仕事が入った」
「は、はいっ」
シエルに「しっかりと食べるように」と言い残すと、リュスは姿勢良く立ち上がり、颯爽と広間から出て行ってしまった。
確か、先程の兵は「捕虜」と言っていた筈だ。恐らくは、昨夜無傷で捕らえられた刺客のことを言っているのだろう。
ふと、気になる。
(城壁から落ちた人は、見つかったのかしら……?)
刺客が三人いたことは、最初から歩廊で警戒していた衛兵であれば見て知っている筈だ。だから「刺客が三人いる」というシエルの話が嘘でないことは、少し確認すれば分かる筈――だが。
明晰夢の中で彼らが言っていた言葉が、どうしても気になって仕方ないのだ。
『王子殿下』と彼らが呼ぶ人物は、本当にシエルの予想している隣国ルヴァニトの王子のことなのか。
彼らは、昨日シエルを見て確かに言った。「この目じゃないか」と。この言葉は、恐らく近くにいたリュスも聞いていた筈だ。
この目。どう考えても、シエルの目のことを言っていた。だからこそ彼らはシエルと拐かそうとしたのだろうから。
(でも……一体何故?)
シエルは不安を隠し得なかった。
シエルは生まれも育ちもヤーバルツ王国で、他国との関わりなど一切ない。父は古い家系の貴族の出身だったし、母だってそうだ。叔母であるブランデンブルグ夫人だって、万が一ルヴァニトと関係があったとしたら、あの全てにおいて敏感なブランデンブルグの叔父が娶る筈もない。
だとしたら――この目に何か希少性があるのか。そうであれば、多少は理解もできる。
だが、何故それがルヴァニトかはたまたどこかの王子が必要とするのか、理由がさっぱり分からないのだ。この目には、色が左右で違うということ以外、取り立てて特別なことは何もないのだから。
だが、問題は別にある。
狙われていたのが、本当に名義上リュスの妻であるシエルであった場合だ。
万が一相手にシエルの存在がこの地にあると知られたら、非常に拙いことになる。
仮にリュスを殺してでも手に入れたいと願うほどの何かがシエルの目にあるのならば、シエルがアルバインにしがみついている限り、他国は抗争を仕掛け続けるのではないか。紛争の原因がシエルにあるなら、この地の役に立ちたいというシエルの願いとはかけ離れたものになってしまう。
……シエルの心を解放してくれたアルバインには、恩しかない。恩を仇で返すなど、あってはならないことだ。
(争いの種が、この瞳にあるのならば……)
アルバインを守るには、シエルから早々と離婚を切り出し、アルバインの地から離れるのが一番だ。それしか解決法はない。
だが、ここを離れたとして、どこに行けばいいのか。どこに行ったところでシエルが狙われるのならば、シエルの周りに人を寄せ付けてはならないだろう。
アルバインから、離れたくはない。できることならこの地で骨を埋めたいと思うほどには、シエルはアルバインを愛している。
でも、だからこそ離れなければならない。
するとやはり、「いつどうやって離婚を切り出すか」の話に戻ってしまうのだ。
……二人きりになった時に切り出すしかない。収穫祭でならば、二人きりで会話を交す機会もあるのではないか。
(でも……まだ敵国にこの目の持ち主がアルバインにいると知れてしまった訳じゃないわ)
三人目の刺客が捕まってさえいてくれれば、情報は外に漏れることはない。だったらまだもう少しだけ、名義上だけとはいえ、リュスの妻として過ごしても問題ないのではないか。
我ながら狡い考えだとは分かっていても、簡単に決断できないのだ。
(離婚の話だけを切り出すか、それともいっそのこと全てをお話ししてしまった方が、リュス様も『アルバインの民を守る』という大義名分ができて離婚しやすくなるのでは……?)
ぐるぐると考えても、答えは出ない。
(……覚悟を決めるのよ、シエル)
シエルは自分に言い聞かせた。
三人目の刺客がもし逃げ延びてしまっていたら、その時は収穫祭でいつ離婚をしてもらえるか尋ねよう。
もし刺客が捕らえられていたら、その時はもう少しだけ――。
そうだ、と思いつく。
夢見の巫女の指輪に願ったら、もしかしてまた明晰夢を見せてくれるのではないか。
シエルがどうすべきか、指輪が導いてくれるかもしれない。それはとてもいい考えに思えた。
(うん! 今夜、祈ってみよう……!)
自分の指にはめられた指輪に、そっと触れる。指輪からは、ひんやりとした金属の温度だけが伝わってきていた。
来週月曜日は祝日の為、次話は来週水曜日に投稿します。




