30 撃退
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長らくお休みしてすみませんでした!
シエルはその瞬間を見ていなかった。
見たのは、シエルを肩に担ぎ上げた黒装束の男が背中を向けた時には目前まで迫っていた、リュスのゾクッとするほどに鬼気迫る鋭い眼差しだけだ。
シエルがリュスの逞しい腕の中に連れ戻されるのと、シエルを抱えていた男が血飛沫を撒き散らしながら崩れ落ちるのとが、ほぼ同時だった。
何が起きているのか分からず、ただひたすら目を瞠る。
援護していたもうひとりの黒装束の男は、全方向を衛兵に取り囲まれ身動きが取れなくなっていた。
いくら手練といえど、多勢に無勢なのだろう。男の手にあった剣が槍によって弾かれると、衛兵たちが一斉に飛びかかり、男を捕らえた。
リュスにひと突きされた男はすでに絶命したらしく、衛兵たちが手足を持ってどこかへと運んでいく。
兵たちの足音と甲冑が擦れる金属音で、辺りは異様な雰囲気となっていた。完全に呑まれていたシエルはリュスの肩の上でただ固まるばかりだったが、ふと気付く。
「リュ、リュス様、あの……っ」
すぐ傍にあるリュスの紫眼が、シエルをじろりと見上げた。苛ついているのだというのが、こめかみに浮き出た青筋を見て分かる。
だが、どんなに叱られようが、これは伝えねばならない。
意を決して伝えた。
「じょ、城壁の外に落ちた人が、ひとりいるんです……!」
「――なんだと?」
「黒装束の人は、全部で三人いました……っ」
シエルの言葉を聞いた途端、リュスが声を張る。
「刺客は全部で三人! ひとりは城壁の外に落ちた! 速やかに確認せよ!」
「はっ!」
なんと、シエルの言葉を疑わずに聞いてくれた。驚きのあまり、目を見開きリュスを見ていると。
「……何故そのような顔をして俺を見る」
不満げな様子で問われた。
「えっ、いえ、すぐに信じていただけるとは思っておらず……っ」
リュスは無言のまま「……フーッ」と息を長く吐くと、肩からシエルをそっと降ろす。目の前に立たせると、何故かそのままスッと膝を突いてしまった。
「えっ!? リュ、リュス様、何を!?」
リュスが、シエルの右手を下から支えるように軽く掴む。先程よりも幾分か穏やかな顔つきで見上げた。
(ど、どうしたのかしら……!? どうしよう、全く意味が分からない……!)
周りの兵たちも、驚いたようにシエルたちを見ている。
「……ただの夢の話だと信じず、申し訳なかった」
「え……っ」
まさかリュスの口から謝罪の言葉が出てくるとは思ってもいなくて、一瞬で頭が真っ白になってしまった。
「一応警戒はするよう兵たちに伝えていたが、本当に刺客が現れるとは信じていなかった」
「は、はい」
確かに、今思えば明晰夢の時は歩廊の衛兵が倒れても、兵舎からも主塔からも応援は駆けつけなかった。だが、今回は違った。騒ぎを聞きつけ、すぐに兵たちが集まってきた。警備にあたる人数を増やすよう、予め指示をしていたのだろう。
信じてもらえていなかったことについては、リュスの指示により軟禁されてしまったことから、理解はしていた。
そもそも、自分とリュスとの間に信頼関係など存在する筈がないのだ。
顔を合わせるのは晩餐の時のみで、それも時折。夫婦というよりも押し付けられた客人といった立場にあるシエルの言葉を素直に信じるほど、リュスは愚かではない。
元々リュスを半分騙したような形でシエルを押し付けてきたブランデンブルグの娘だ。信じてもらえると考えてしまったシエルの方が、明らかにおかしかったのだ。
そのことに、ようやく気付いた。信用ならない家の小娘の夢の話など、最初から相手にできる訳がなかったのだと。
(……だけど、それでも警備を増やしてくれたんだわ)
もしかしたら、シエルの予言めいた言葉に不快感を覚えたからなのかもしれない。それでも、小娘の言うことだと一蹴せず、覚えていてくれた。そのことが、ただ有り難い。
「……リュス様がご無事でなによりです」
明晰夢は覆った。きっと、もうあの夢を見ることは二度とない。
悪夢の終わりを知ったシエルは、自然と微笑んでいた。肩の力が抜けたのだ。
安堵と共に、かくり、と膝が崩れ落ちる。
「――シエル!」
リュスが慌てた様子で受け止めた。さっと横抱きにすると、シエルなど持っていないかのように苦もなく立ち上がる。
シエルは慌てると、リュスの腕の中で縮こまった。また迷惑をかけてしまった。
「も、申し訳ございません……! 大丈夫ですから、あの、降ろして下さい……っ」
降りようと思い起き上がろうとしても、リュスはそれを許さなかった。
「あ、あの、リュス様っ!?」
すると、眉間に皺を寄せたリュスがボソリと言う。
「……恐ろしかっただろう。すまなかった」
またもや謝られ、どう反応したものかと困惑した。うまい言葉が思いつかず、ふるふると首を横に振る。
胸を張って姿勢よく立つリュスの頭の後ろには、月が煌めいていた。いつも表情は厳しいが、やはり美しい人だな、と思わず見惚れる。
と、リュスがこれまでよりも小さな声で言った。
「……部屋にいた時、突然指輪が光り出した」
「えっ?」
驚くシエルを見て、リュスが気難しそうな表情になる。
「急げと言われているように幾度も点滅し、これは只事ではないと思い露台に出ると、歩廊が騒ぎになっているのが見えた」
ということは、指輪が光ったのはシエルがひとり目を叩き落とした後だろうか。
ハッと気付く。恐らくは、そこが分岐点だったのかもしれない。シエルが城内への侵入を防いだことから、未来が変わったのだ。
(分岐点に差し掛かって、エーデル・アルバイン様がリュス様にそれを知らせた……ということ?)
いや、それとも、未来が変わったことを指輪が感知し、繰り返す明晰夢の終わりの合図を出したのかもしれない。などと考えていると。
リュスが、呟きのような声で言った。
「……驚いたぞ」
「それは……そうですよね」
他に適切な返事が思いつかず、相槌を打つ。リュス自身は、指輪に不思議な力があるとはこれっぽっちも信じていなかっただろう。それが唐突に光ったのなら、驚くのも道理だ。
リュスが苦そうな顔になる。
「だが、そこまではまだよかった」
「はい……?」
まだよかった、ということは、その後のことに問題があるらしい。
(その後のこと……? あ、刺客がリュス様を狙ってきたことかしら?)
突然刺客が襲ってきたのだ。それも、リュスを殺す気なのは彼らの言葉からも明白だ。どこから寄越された刺客なのかは現時点では不明だが、隣国ルヴァニトの可能性が高い。以前見た明晰夢で「王子殿下が」と口にしていたからだ。
だとすると。
もしこれが国家間の争いから派生したものだとすると、国に報告を上げる必要もあるのかもしれない。生け捕りされた刺客がどこまで話すかにもよるのだろうが、ただの地方の小競り合いで済む話ではなくなるのでは、という予感がしていた。
(これで終わり――に、ならない?)
今回リュスの命は救えたが、誰かがアルバインを狙っているのは確かだ。
(そうだわ。あの人たちは、何かを探しているようだった……)
ここでようやく、刺客が口にしていた言葉を思い出す。
「この目じゃないか」、と言ってはいなかったか。
(この目……。私の虹彩異色の目のこと……?)
リュスの腕の中ということも忘れ、考えながら首を傾げていると。
これまでよりも大分低い声が、頭上から降ってきた。
「……自分の妻が火かき棒を持って走っている姿を見ることになるとは、思わなかった」
ギクリとした。
「……は、はい……」
「しかも、刺客に向かって立ち塞がるなどといった行動を取るとは、思いもしなかった」
シエルは黙った。黙り込むしかなかったのだ。
リュスの低い声は、続く。
「……その時の俺の焦りが分かるか、シエル」
「し、進路を邪魔したことは大変申し訳なく……」
「違う、そうではない」
はあ、とリュスが溜息と共に項垂れた。くるりと居館の方に向き直る。
「……もう夜中だ。話は明日にしよう」
「は、はい」
と、リュスの歩がぴたりと止まった。前方を、残された片目で驚いたように見つめている。
(どうされたのかしら?)
目線の先を追うと。
シエルの居室がある露台から、カーテンの縄がひらひらと風に舞っていた。
次話は木曜日に投稿します。




