第9話:黒炎が森を染める朝
お疲れ様です、1日2回更新の4日目(夜の部)です!
着弾した地面が黒く爆ぜて、土と焦げた草が舞い上がる。男が衝撃で吹き飛び、三メートル先の木の幹に背中から叩きつけられた。ぐ、という短い声を残して、そのまま崩れ落ちる。動かない。気絶している。
「退け!」
傷跡の男が叫んだ。
残り二人と男が一斉に距離を取る。
俺は右手を見た。まだ黒炎が揺れている。でも、さっきより不安定になってきた。燃料が切れかけている感覚。感情を燃料にしているなら、冷静になるほど炎が細くなる。
考えるな。
感情を保て。冷静に、でも炎だけは保て。
矛盾した命令を自分に出しながら、俺は右手の炎を絞る。細く、鋭く。
「……お前、魔力がないはずだ」
傷跡の男が言った。「測定で確認されてる。この村の魔力ゼロの子供。それがお前だろ。なのになぜ——」
「魔法じゃない」
俺は言った。それだけだ。詳細を語る気はない。
男の目が、細くなった。
その隙に——残り二人が動いた。
「雷よ、束ねて走れ——《チェインボルト》!」
一人が詠唱した。声に魔力が乗る独特の響きがある。
バリバリバリッ、という乾いた音と共に、男の手から電撃の束が迸った。
俺は跳んだ。
間に合わなかった。
電撃の端が左腕を掠める。しびれが走って、一瞬だけ左手の感覚が消えた。
「くっ——」
着地した瞬間、もう一人が既に詠唱を始めている。連続で来る。二人で交互に撃ち続ける戦法——一人では出せない継続火力だ。
まずい。このままじゃ消耗戦になる。
遠距離から削るより、懐に入る。
右手の黒炎を二人の間の地面に叩きつけた。
ドゥンッ——と地鳴りのような音が響いた。
黒炎が地面を這って広がり、詠唱中の男の足元に触れた瞬間、男の体から滲んでいた魔力の光がじゅっと音を立てて消えた。詠唱が崩れる。
「なんだ——魔力が、喰われた!?」
男が叫んだ。
俺も、驚いていた。
詠唱中の魔力を直接喰らうのは初めてだ。黒炎が魔法陣だけでなく、魔力そのものに干渉できる——今、それがわかった。
そこだ。
俺は呪印を足に全力で流した。一気に加速する。詠唱が崩れた右側の男の懐に飛び込んで、鳩尾に呪印を纏わせた拳を叩き込む。
ごぐっ、という音がして、男が折れ曲がった。そのまま前のめりに倒れて、地面に顔を打ちつける。気絶した。
残り一人——電撃使いが再び詠唱を始めかけた。
「雷よ——」
俺は黒炎を絞って、指先ほどの細い線にした。それを詠唱中の男の胸元に向けて撃ち込む。
パンッ、という乾いた音と共に男の魔力の光が弾けた。詠唱が完全に潰れる。
男が「あ——」と間抜けな声を出した。
俺はその腹に蹴りを入れた。男が吹き飛んで、地面を転がる。うめき声を上げているが、立ち上がれない。戦闘不能だ。
三人、倒した。
俺は息を整えながら、残った傷跡の男を見た。
男は——動いていなかった。
剣を抜いてもいない。
腕を組んで、少し離れた木の幹に背をもたれて——俺を見ていた。
最初から、観戦していたかのように。
「……なんで動かなかった」
俺は聞いた。
男が薄く笑う。
「動く必要がなかった」
「どういう意味だ」
「お前を試していた」
男はゆっくりと木の幹から背を離した。倒れた三人を順番に一瞥して、軽くため息をつく。
「魔法でも魔力でもない何かを使う。それが魔力を喰らう性質を持っている。魔力ゼロの子供が、ここまでやれる」
男が俺を見た。値踏みする目だ。品定めをするような、冷たい目。
「十分な情報が取れた。今日はここまでだ」
「……俺を殺さないのか」
「殺す必要がない。今は」
男がしゃがんで、気絶した仲間の一人を肩に担いだ。
「お前は今日、俺に勝てなかった。わかってるだろ」
俺は何も言わなかった。
わかっていた。
男が動かなかったから、三人倒せた。男が本気を出していたら——俺は今頃地面に転がっていた。
「強くなれ」
男が言った。
「……なんでお前にそんなことを言われなきゃならない」
「次に会うときは本気で相手をしてやる。今日みたいな出来では——つまらない」
男は残りの二人のところへ歩いていき、一人の腕を掴んで引きずり始めた。もう一人は自力で膝をついて立ち上がりかけていた。完全には気絶していなかったようだ。
去り際、男は振り返らずに言った。
「俺の名前はヴァルトだ。覚えておけ」
三人がゆっくりと、森の奥へ消えていく。
足音が、完全に聞こえなくなった。
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静寂が戻った。
俺は森の中に一人で立っていた。
右手の炎を消した。すっと、熱が引いた。
周囲を確認した。木の根が三本、黒く焦げていた。地面の焦げ跡は直径四メートルほど。黒炎の着弾痕が二箇所残っている。前回より制御は荒かった。
俺は自分の左腕を見た。電撃を掠めた跡が、赤くなっていた。しびれはまだ残っている。
男の言葉が、頭の中で繰り返された。
——今日みたいな出来では、つまらない。
屈辱だった。
戦って、三人倒して、それでも——俺は「見逃された」だけだった。男にとって俺は、脅威ですらなかった。情報収集の対象だった。
俺は奥歯を噛んだ。
あの男に勝てるようになるには、今のままでは足りない。呪印の制御が荒すぎる。黒炎の精度が低い。身体強化だけでは経験値の差を埋めきれない。
もっと強くならなければ。
村にいる間に積める経験値には、もう限界がある。
それも——今日でわかった。
ただ——もう一つ、気になることがあった。
俺は自分の右手を見た。
さっきまで黒炎が燃えていた手。今は何も残っていない。普通の手だ。
あの炎は、初めてだった。あれだけの規模で、あれだけの威力で出たのは。それに魔力そのものに干渉できることもわかった。
感情の振れ幅が大きかったからか。
ショーの顔を思い出したとき——あの瞬間に、何かが変わった。
呪印の奥に、まだ深い層がある。俺はまだ、その全貌を見ていない。
脇腹を押さえた。痛みがある。肋骨にひびが入っている感覚はそのままだ。
まあ、動けるうちはいい。
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廃屋に戻ると、リアとエリスが入り口で待っていた。
エリスが俺を見た瞬間、駆け寄ってきた。
「怪我してる!」
「問題ない」
「問題あるでしょ、血出てる」
脇腹を見ると、服が少し赤くなっていた。剣の腹で叩かれたと思っていたが、端が掠ったのかもしれない。
エリスが俺の服の裾を引っ張った。「見せて」
「いい」
「見せてって言ってるの」
リアが腕を組んで俺を見ていた。「素直に見せなさい」
二人に挟まれると、なんとなく反論しにくい雰囲気になる。
俺は渋々服の裾をめくった。脇腹に、細い切り傷と広い打撲の跡があった。
エリスが傷を見て、眉をひそめた。それから手のひらを傷の上にかざした。
紫の光が、薄く滲んだ。
「……エリス」
「魔法の練習」
「制御が」
「ちょっとだけ。ちょっとだけだから」
エリスが集中した顔をした。
紫の光が、傷口に触れた。
熱くも冷たくもない、不思議な感覚があった。痛みが、少し和らいだ。
完全には治っていない。でも確かに、効いていた。
「……できた」
エリスが息を吐いた。少し疲れた顔をしている。魔力を使い慣れていないから、負担がかかるのだろう。
「ありがとう」
俺が言うと、エリスが顔を上げた。少し驚いた顔をした。
「……ケンジが素直にお礼言った」
「言う必要があるときは言う」
「珍しい」
「珍しくない」
リアが噴き出した。
俺は服の裾を戻した。
しばらく三人とも黙っていた。
森の方角から、風が吹いてきた。焦げた木の匂いが、かすかに混じっていた。
「ケンジ」
リアが言った。
「なんだ」
「……村、出る準備した方がいいね」
俺は頷いた。
「ああ」
エリスが黙って俺たちを見ていた。帽子の鍔を両手で押さえながら。
「……ごめん」
エリスが小さく言った。
「何が」
「私のせいで、みんなが——」
「エリスのせいじゃない」
俺は遮った。
エリスが俺を見た。
「悪いのは、お前を追いかけてくる連中だ。お前が謝ることは何もない」
エリスが唇を噛んだ。泣きそうな顔をしていた。
リアがエリスの頭に手を置いた。「ケンジの言う通り。あんたのせいじゃない」
エリスがうつむいた。
泣かなかった。でも、肩が少し震えていた。
俺は二人から視線を外して、村の方を見た。
村を出る。
そのためにはまず、母親に別れを告げなければならない。
それが——今、一番重かった。
呪印が胸の奥で静かに鳴っていた。
さっきの黒炎の余熱が、まだどこかに残っているような気がした。
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