第46話:ヴァルト、再び
二十六層に入ると、木の密度がさらに増した。
幹と幹の間隔が狭くなって、視界が悪い。リアの風感知がなければ五メートル先の魔物も見逃すような濃さだった。
魔物も変わっていた。
これまでの《樹上猿》や《鱗走竜》のような単体の魔物より、群れで動くものが増えていた。《岩角鹿》——岩のような角を持つ鹿型の魔物が五から十頭の群れで動いていた。体長二メートル。角の一撃は岩を砕く。
そして《天蛇》——木から木へと移動しながら攻撃する全長六メートルの蛇型の魔物。地上から狙うことが難しい。
「上から来る」とリアが言った。
「どこだ」
「真上——三十メートル先の木から、こっちに向かってる」
俺は上を見た。木の枝の間を、何かが滑るように移動していた。《天蛇》だ。
「エリス、上に向けて風の壁を作れるか。土じゃなくて風で」
「風を壁にする……やってみる」
エリスが右手を上に向けた。風属性の魔力を集めた。薄い風の膜を展開した。
「できた。でも持続が難しい。十秒くらいが限界かも」
「十秒でいい。リア、《天蛇》が下に来た瞬間を射て」
「わかった」
《天蛇》が木から飛び降りてきた。
エリスの風の膜に触れた瞬間、動きが乱れた。
その一瞬——リアが三本同時に矢を放った。
三本全部が《天蛇》の頭部に集中した。
落ちた。
「風の壁、使えた!」とエリスが言った。
「十秒では戦闘には短い。延ばせるか」
「練習すれば……水属性の壁を作る感触と似てるから、混ぜたら長く保てるかもしれない。水と風の複合で壁にする」
「《霧刃》のパーティ名と同じだな」
「あ、ほんとだ。フィアさんたち、これを使ってるのかな」
「可能性はある。次に会ったら聞いてみろ」
「うん!」
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二十七層は足場が複雑だった。
根が地面の上に大きく張り出していて、それ自体が壁や橋のようになっていた。高低差がある。地面レベルで戦うのが困難な場所もあった。
ドラの身体強化が、ここで本格的に活きた。
根の上を走る。根から根へ跳ぶ。腕の力だけで根を掴んで移動する。地上での戦闘よりも、立体的な動きが求められた。
「ドラ、身体強化の精度が上がったな」
戦闘の後、俺は言った。
「意識して脚と腕を切り替えるのが自然にできてきた。根の上を走る時は足裏に集中して、跳んでいる間に腕に切り替える」
「切り替えの速さはどのくらいだ」
「コンマ一秒くらいには切り替えられる。もっと速くできる気がする」
「この環境が一番練習になる」
「ああ」
ドラが少し間を置いた。
「ケンジ」
「何だ」
「ハウリングを試した」
俺は止まった。
「いつだ」
「二十七層で大型の《岩角鹿》の群れに囲まれた時。八頭いた。そのままでは捌けないと思って——咆哮を出した」
「結果は」
「……出た。いつもより大きい声が、自然に出た。《岩角鹿》の前列三頭が、一瞬動きを止めた」
「どのくらい止まった」
「二秒ほどだ。でもその二秒で崩せた」
俺はドラを見た。
「意識的に出せるようになれば使い方が広がる」
「声が出た後、体が軽かった。身体強化が一瞬上がった感触があった」
「咆哮と身体強化が繋がっている可能性があるな」
「ああ」
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二十八層に入った時、空気が変わった。
今までの山林地帯と同じはずなのに——重さが違った。
俺は呪印を広げた。
でかい。
遠くに、今まで感じたことのない重さの気配があった。
「ドラ、何の匂いだ」
「……竜だ。でも《山林の古竜》とは違う。もっと速い。動きが速い竜の匂いだ。匂いがすごい速さで近づいてきている」
「二十五層のボスより速い竜型か」
「どう対処する」
「速い相手は——ドラの身体強化とリアの風感知を使う。俺の黒炎弾・旋が有効なはずだ。遠距離から精度を上げて狙える」
「エリスは」
「速い相手に対しては足場操作で動きを制限する。固定できれば後が楽になる」
「わかった」
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木々の間から現れた。
全長八メートル。《山林の古竜》より小さい。でも——最初の一歩を見た瞬間にわかった。
速い。
体が細い。足が長い。尾が長くてバランスを取っている。走ることに特化した体型だ。
翼もない。飛ばない。代わりに地上での速さに全振りしている。
「来る——」
俺が言い終わる前に動いた。
速い。
予測より二倍以上速かった。
「散開——!!」
四人が別々に飛んだ。
竜が俺のいた場所を通り過ぎた。
木が薙ぎ倒された。幹が圧力で折れた。
「速すぎる……!」とリアが叫んだ。
「リア、動きを追えるか!」
「やってみる——!」
リアが目を閉じた。
竜が回り込んでいる。木々の間を縫いながら、次の突進の角度を変えていた。
「右から来る——!みんな左に飛んで!」
全員が左に飛んだ。
竜が右から突進してきた。
リアの予測通りだった。
「よし。先読みができる。リア、続けて動きを読め」
「わかった!でも速い——感知が追いつくかどうかギリギリ!」
「それでいい。エリス、足元を固めろ。竜が通った後の地面を岩盤で盛り上げる。次の突進コースに障害物を作れ」
「わかった——!」
エリスが地面に魔力を流した。
竜が次の突進に向けて体勢を整えた。
その直前——地面が盛り上がった。
突進コース上に、岩盤が突き出した。
竜が岩に前足を取られた。
速度が崩れた。
「今だ——!!」
俺は右手の形を作った。
親指を立てた。人差し指と中指を伸ばした。
《黒炎弾・旋》
竜の右目に向けて——螺旋を描きながら放った。
ズドォッ——
直撃した。
竜が頭を振った。
ドラが動いた。
「ハウリング——!!」
ドラが咆哮した。
今まで聞いたことのない声だった。
ただの咆哮ではなく、魔力が乗っていた。
竜の動きが、三秒止まった。
その三秒で——ドラが双剣を竜の首の付け根に叩き込んだ。
入った。深く。
「リア!!」
「撃つ——!!」
エリスが《溶岩弾》を傷口に向けて放った。
ドシュッ——。
溶岩が傷口に流れ込んだ。
竜の動きが大きく乱れた。
リアの矢が傷口を深く貫き、竜が倒れた。
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全員が息を切らしていた。
今まで戦ってきた中で、最も素早い相手だった。
「……倒した」とドラが言った。
「ドラのハウリング、すごかった」とリアが言った。「あの声で三秒止まった」
「魔力を乗せた。初めてちゃんと乗せられた気がする」
「さっきの一回目より明らかに違った」
「ケンジが身体強化と繋がっていると言ったから——咆哮の瞬間に、全身の魔力を声に集めてみた」
「きっとそれが強化ハウリングの方向性だ」
エリスが「《溶岩弾》も当たった!」と言った。「さっきより精度が上がってる気がする」
「コントロールが安定してきたな」
「うん。感触がつかめてきた——」
エリスが少し顔を曇らせた。
「でも、今日はもう魔力が……かなり使った」
「中継点まで持つか」
「持つ。でも戦闘は無理かな」
「わかった。俺とドラで守る」
素材の回収を始めた。
竜の鱗は《山林の古竜》より薄かったが、代わりに靭やかだった。曲がるのに切れない。防具の素材として優れている。
「これ、防具にできそう」とリアが言った。
「地上に出たら職人に持ち込む」
「リアの防具、今ので作ったらいいんじゃないかな」とエリスが言った。「近接もやってるし、防御力が必要になってきてると思う」
「私、防具ってそんなに着てないから動きやすいんだけど——」
「着てないから怪我が増える」とドラが言った。
「……そうかな」
「今日も掠めた場所があった」
「えっ見てたの」
「見てる」
リアが少し黙った。「……わかった。地上で作る」
中継点に向かって歩いていた時だった。
ドラが立ち止まった。
鼻が、わずかに動いた。
「……何かいる」
低い声だった。
「魔物か」
「違う。人間の——いや、人の匂いだ。でも……おかしい。匂いが薄い。消えている。消そうとしている」
「気配はあるか」
俺は呪印を広げた。
感知しようとした。
なかった。
五十メートル圏内に人の気配がなかった。
「気配は感じない。でもドラが匂いを——」
「来る」
ドラが言い切った瞬間だった。
暗闇から、何かが飛んできた。
細い。小さい。
針だ。
「——ッ!!」
俺はリアを突き飛ばした。
針がリアのいた場所を通り過ぎた。
ドラが双剣を抜いた。
エリスが光の障壁を——張ろうとした。
でも魔力が残っていなかった。
「エリス、無理するな!!」
「わかってる——でも——!」
薄い光の膜だけ展開した。
その時——中継点の入口から、人影が入ってきた。
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三人だった。
中央に立つ男を見た瞬間、俺は止まった。
記憶にある顔だった。
かつて、俺が十歳だった頃。
村の近くの森で、俺たちの前に現れた男。
俺を「見逃した」男。
あの顔だ。
三十代後半。体格がいい。腰に大剣を提げている。目が——変わっていなかった。冷静で、何も見逃さない目だ。
左にいるのは、影に溶け込むような動きで移動している女だった。二十代。細身。両手に小さな刃。さっきの針を投げたのはこの女だろう。
右にいるのは、全身を覆う重い鎧を着た大柄な男だった。四十代。鎧が黒い。
男が、口の端を上げた。
「久しぶりだな、ケンジ。大きくなった」
ヴォルテクス。あの時の——幹部だ。
「……ヴァルトか。俺の名前を覚えているなら、あれから調べたか」と俺は言った。
「ああ。《灰燼》のリーダー、ケンジ。Cランク。随分有名になったようだな」
ヴァルトが剣に手をかけた。「レオン、カイン」
さらに二人が出てきた。
以前ダンジョン内で遭遇した二人だ。レオンの右肩に、以前の戦いでついた焦げた跡が鎧越しに歪みとして残っていた。
「また会ったな、子供。ずいぶん消耗してるようだな」
カインが軽口を叩いた。
「見ていたか」
「この層に入ってから、ずっとな」
つまり——竜との戦闘も全部見ていた。
一番消耗している瞬間を選んで来た。
俺は正面のヴァルトを見た。
「エリスを狙いに来たのか」
「……殺すな、連れてこいとも言われているな」
エリスが、俺の後ろで息を呑んだ。
「ケンジ」とエリスが小声で言った。
「なんだ?」
「私を——私を使えば、向こうは攻撃を躊躇う。だから——」
「するな」と俺は言った。
「でも——」
「お前は仲間だ。盾にしない。絶対に」
エリスが、黙った。
ヴァルトが「ほう」と言った。「随分信頼されているな、お嬢さん」
エリスは何も言わなかった。
「ドラ、あの影に溶け込む女を警戒しろ。気配を消せる。近距離の暗殺者だ」
「匂いは追える」
「リア、エリスの傍を離れるな」
「わかった」
俺はヴァルトを見た。
「五対四。数で負けている。消耗もしている」
「わかってる」とヴァルトが言った。「だから今夜にした」
「それで——俺たちが負けると思うか」
ヴァルトが少し考えてから言った。「……油断はしない。だから俺が来た。見極めに来た」
「見極めた結果は」
「まだだ」
ヴァルトが剣を抜いた。
音がなかった。静かに、自然に、剣が手の中にあった。
「来い、ケンジ。お前の成長を見せてもらう」
五人が、一斉に動いた。




