第43話:魔法の楽しさ
二十三層に入ると、木の密度が増した。
幹が太くなっていた。二十一層の木も十分大きかったが、二十三層の木は幹が十メートルを超えるものが出てきた。根が地面の上に這い出していた。複雑に絡み合って、地面そのものが根の層になっているような場所もあった。
足場が悪い。
「根に気をつけろ。踏み込む前に確認しろ」
「わかってる……でも多すぎる」
リアが根を跨ぎながら言った。
「ドラ、ここでの匂いの感知はどうだ」
「問題ない。緑の匂いに慣れてきた。魔物の匂いを分離できる」
「リア、風感知は」
「むしろ上の層より使いやすい。木が多い分、風が複雑に動いてるから——何かが動いた時に、はっきり乱れる」
「わかった。引き続き頼む」
エリスが木の幹を見上げながら「この木、どのくらい生きてるんだろう」と言った。
「地下で光もないのに成長しているとしたら——ダンジョン自体の魔力を吸っているのかもしれない」
「ダンジョンの魔力を?」
「地下にこれだけ複雑な生態系が存在しているのは、通常ではあり得ない。魔力が栄養になっているとしたら説明がつく」
「……なんかロマンがある話だね」とエリスが言った。「ダンジョンがずっと生き続けてて、その中で木が育って、魔物が生まれて」
「ロマンかどうかはわからないが、合理的な仮説だ」
「ケンジって合理的な話に持っていくよね、いつも」
「事実に基づいて考えるからだ」
「でもさっき『かもしれない』って言ったじゃない。それって仮説であって事実じゃない」
俺は少し止まった。
「……そうだな」
「たまには『ロマンがある』って言ってみて」
「……」
「言えない?」
「難しい」
エリスが笑った。「そう思えるようになったらケンジも変わったってことだね。楽しみにしてる」
「変わるかどうかわからない」
「私は変わると思う」
「根拠は」
「感覚」
「……根拠になっていない」
「感覚は大事だよ」
ドラが「そういうものだ」と言った。
リアが「珍しくドラとエリスが同じ意見だ」と言った。
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二十三層の魔物は、今まで以上に多様だった。
木の上から奇襲する《樹上猿》の大型種——《銀毛猿》は体長三メートルを超えていた。一匹で複数を相手にできる実力がある。
地面を走る四足歩行の《刃牙竜》——二メートルほどの体型だが、顎の力が桁違いだった。前足の爪も鋭い。速い。
そして——木の影に隠れる《迷彩蜥蜴》。体表が木の皮そっくりの模様に変化する。静止していると完全に見えない。
「《迷彩蜥蜴》が一番厄介だ」とドラが言った。「匂いは感じる。でも見えないから位置が正確に掴めない」
「リア、風感知で動きを追えるか」
「静止している時は難しい。でも——動こうとした瞬間に、空気が乱れる。そこを捉えられれば」
「攻撃は俺が先に仕掛ける。俺の黒炎弾で場所を絞る。動いたところをリアが射て」
「わかった」
「エリス、足場管理と後衛防御を頼む。《迷彩蜥蜴》が複数いた時のために光の障壁を準備しておけ」
「うん。あと——試したいことがある」
「何だ」
「《迷彩蜥蜴》って、体表を変化させるってことは——土属性の魔力を体内に持ってるかもしれない。そうだとしたら、土魔法で感知できるかも」
「どういう原理だ」
「岩盤に魔力を通すと、岩の中に何があるかわかる感じがした。同じように、土属性の魔力を持つ生き物は——土魔法を流すと、位置が浮かび上がるかもしれない」
俺はエリスを見た。
「理論は面白い。ただし確認できていない」
「だから試したい。安全な状況で」
「やってみる価値はある。ただし中継点で実験してからにしろ。戦闘中に未確認の技を使うな」
「わかった。次の中継点で試す」
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中継点に着いてすぐ、エリスが地面に手をついた。
土魔法を流した。
俺たちには見えない何かを探している目だった。
「……感じた。ドラ、そこに立ってみて。ちょっと離れた場所に」
ドラが十メートル先に移動した。
「感じる?」とエリスが聞いた。
「試してみる」
エリスが目を閉じた。土魔法を薄く広げた。
十秒。
「……あそこにいる。土の上に何かがいる感触がする」
「ドラの位置は」
「あそこ。木の隣」
「正確だ」
エリスが目を開けた。「できた……!だけど——感知できる範囲が狭い。土と接触していない場所はわからないし、木の上にいたら感知できない」
「でも地面にいる魔物なら把握できる」
「うん。《迷彩蜥蜴》が地面を移動している時なら、土の上にいるから感知できるはず」
「それは使える。練習を続けろ」
「うん!」
エリスの目が輝いていた。新しいことができた時の顔だ。ダンジョンに入ってから、こういう顔が増えた。
「ねえケンジ」とエリスが言った。
「何だ」
「私、入った頃より魔法が面白くなってきた。最初は制御が難しくて怖かったんだけど——今は、どこまでできるかを試すのが楽しくなってきた」
「成長の証だ」
「前は制御できないのが怖かった。でも今は、制御できない部分を少しずつ削っていく感じが好きになってきたって言うか……うまく言えないけど」
「わかる」
「ケンジもそういう感覚ある?」
「黒炎弾の密度を上げていく練習をしている時、似たような感触がある」
「そうなんだ。……なんか、嬉しい。ケンジと同じ感覚があるって」
「同じかどうかはわからない。でも近いものはあると思う」
エリスが「近いもの、か」と言った。少し考えるような顔をした。「……近いものがあるだけで、十分だよ」
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二十四層に入ってすぐ、《溶鉄竜》に遭遇した。
体長五メートルの四足歩行。全身が赤みがかった鱗だった。《鱗走竜》に似ているが、一回り大きい。口元が常に高温で熱を帯びていた。炎だけでなく、高熱の液体を吐く。
「溶岩を吐く。《鱗走竜》の上位種だ」
「前回の《鱗走竜》より厄介そう……」とエリスが言った。
「炎より溶岩は冷めにくい。触れれば深刻な火傷になる。距離を取ることが最優先だ」
「でも距離を取ると私の魔法の範囲が……」
「エリスは後方支援に徹しろ。足場操作と障壁。攻撃は俺とドラとリアで対処する」
「わかった。でも——一つ試してもいい?」
「何だ」
「《溶鉄竜》の足元の岩を操作する。岩を持ち上げて、《溶鉄竜》が吐いた溶岩に当てる。そうすれば溶岩が岩に当たって冷えながら広がるより、固まる。岩盾みたいになるかもしれない」
俺は少し考えた。
「やってみる価値がある。ただし失敗した時のために障壁も準備しておけ」
「両方同時にやる。障壁を薄く張りながら、岩を操作する」
「できるか」
「……最近、二つ同時にやる練習をしてた。できると思う」
「わかった。任せる」
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戦闘が始まった。
《溶鉄竜》が俺たちを見た瞬間、口元が赤く光り始めた。
「来る——!」
エリスが両手を広げた。
片手で薄い光の障壁を前方に張った。
もう片手で地面の岩盤に魔力を通した。
「……来い」
《溶鉄竜》が溶岩を吐いた。
オレンジ色の液体が飛んできた。
次の瞬間、エリスが岩盤を引き上げた。
地面から岩の塊が持ち上がって、溶岩の軌道上に割り込んだ。
溶岩が岩に当たった。
ジュウウウ——という音がした。
溶岩が岩に絡みついて、固まり始めた。
「できてる!でも重い……!」
「障壁は!」
「張ってる——両方、ギリギリだけど!」
ドラが左側から《溶鉄竜》の脚に切り込んだ。
俺は右側から黒炎弾を放った。
側腹部に当たった。鱗が焼けた。
《溶鉄竜》が振り返った。俺に向かって溶岩を吐いた。
「ケンジ——!」
「避ける!」
横に跳んだ。溶岩が足元をかすめた。
石畳が溶けた。
熱い。かなり熱い。
「リア、喉!」
「風の流れを追ってる——今!」
ウィンドアローが飛んだ。
《溶鉄竜》が次の溶岩を吐こうとした、その口の中に矢が入った。
《溶鉄竜》が身をよじった。口の中で矢が燃えたが——効いた。動きが乱れた。
「エリス、足場!今すぐ!」
「——《地脈震》!」
《溶鉄竜》の四本脚の足元が波打った。
巨体がよろめいた。頭が下がった。
「ドラ!」
「行く——!!」
ドラが地面を蹴った。脚に土属性の身体強化を全力で集中させた。
今まで見た中で最高の跳躍だった。
《溶鉄竜》の首の付け根——鱗が薄い部分——に向かって双剣を叩き込んだ。
ザシュッ——両方が入った。
「——ッ」
《溶鉄竜》が吼えた。
着地したドラに向かって体を傾けた。
「ドラ、離れろ!」
ドラが後退した。
俺は《溶鉄竜》の傷口に向けて黒炎弾を集中させた。
三連続で放った。
ズドッ、ズドッ、ズドッ——。
傷口が広がった。黒炎が内部に食い込んだ。
《溶鉄竜》の動きが止まった。
ゆっくりと、倒れた。
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静寂。
全員が息を整えた。
「……エリス」と俺は言った。
「な、なに?」
「障壁と岩操作を同時にやりながら、《地脈震》まで使った。三つ同時だ」
「……気づいたらやってた」
「できたのか」
「できた。ギリギリだったけど——できた。なんか——極限まで集中したら、三つが一つの流れになった感じがした」
「それが魔法使いの本来の状態だ。属性をバラバラに意識するのではなく、全部が一つの流れになる」
「そんな状態、あるの?」
「魔力の扱いが上達すると、意識しなくても複数の魔法が同時に動くようになると聞いた。お前が今感じたのは、その入口だと思う」
エリスが少し沈黙した。
「……ケンジって、どこでそういうこと知るの?」
「本と、経験だ」
「本、か。いっぱい読んだんだね」
「前世も含めれば三十年以上読み続けてきた」
「私も本、もっと読もうかな」
「お前は経験から学ぶ方が向いている。感覚派だ」
「感覚派……私が?」
「ああ。今の三つ同時も、理論で組み立てたわけじゃなく、感覚で動いた。それがお前の強みだ」
エリスが「……ちょっと意外だった」と言った。「ケンジは私のことを理論派だと思ってるかと」
「どうしてそう思う」
「なんか、色々考えながら魔法を試してるから」
「考えることと感覚派は矛盾しない。考えた後、最終的に体が先に動くのが感覚派だ」
エリスがしばらく黙った。それからゆっくりと、笑った。
「……ケンジって、ちゃんと私のことを見てくれてるんだね」
「全員見ている。戦略に必要だから」
「それだけじゃないと思う」
「……」
「思うんだけど」
俺は何も言わなかった。
エリスが「ありがとう」と言った。
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《溶鉄竜》の素材を回収しながら、エリスが足元の岩を見ていた。
「ねえ、この岩——溶岩が当たって固まった部分、すごく面白い形になってる」
確かに、さっきエリスが操作した岩に溶岩が固まって、凸凹した黒い塊になっていた。
「それが何だ」
「土と火が合わさったら、こういうものができるんだって思って。溶岩って、土が溶けたものだよね」
「そうだ。高温で岩盤が溶けたものだ」
「じゃあ——私が土属性で岩を操作して、その岩を火属性で溶かして飛ばしたら……すごく硬くて熱い弾が作れない?」
俺は少し止まった。
「土塊を火で溶かして飛ばす。《溶岩弾》か」
「《溶岩弾》!そう、そんな感じ」
「試したことはあるか」
「ない。でも——土と火を別々に動かせるようになってきたから、合わせる感触がある気がして」
「理論上は可能だ。土と火の複合魔法の一種だ。ただし岩を溶かすだけの火力が必要になる。エリスの魔力量なら届く可能性がある」
「やってみたい!」
「二十五層を抜けてからにしろ。今は体力と魔力を温存する」
「……わかった。でも中継点で少しだけ試してもいい?」
「少しだけなら」
「やった」
エリスが拳を小さく握った。子供みたいな喜び方だった。
でも——これが、エリスだ、と俺は思った。
感情を隠していた頃のエリスとは、全然違う。
こういう顔を見られるようになったのは——旅を続けてきた結果だ。
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二十五層への入口が見えてきた時、空気が重くなった。
緑の匂いの中に、別の匂いが混じり始めた。
「ドラ、何の匂いだ」
「……竜だ。今まで嗅いだことのない竜の匂い。ただし《鱗走竜》や《溶鉄竜》とは違う。もっと古い。もっとでかい」
「《山林の古竜》だ」
「古竜……」とエリスが呟いた。「古竜って——竜の中でも特別な存在だよね」
「そうだ。長い年月を生きた竜は独自の魔力を蓄える。属性が混合してくる。《山林の古竜》は風と土の複合属性を持つと聞いた」
「複合属性の敵……私と同じようなことを使ってくる可能性があるってこと?」
「可能性はある」
「それ、戦いにくいね……」
「戦いにくい。だから俺が正面で引きつける。全員の動きを変える」
「ケンジが正面って……また無茶するの?」
「必要な無茶だ」
「カルタの倉庫と同じこと言ってる」
「あの時と今とでは実力が違う」
「それはそうだけど」エリスが少し唇を結んだ。「……怪我しないで」
「努力する」
「努力じゃなくて、しないで」
「断言はできない」
「ケンジ」
「なんだ」
「全員で帰ること。それだけは守って」
俺は少し間を置いた。
「……守る」
エリスが頷いた。
リアが「私からも同じ」と言った。
ドラが「俺もだ」と言った。
俺は前を向いた。
二十五層への階段が、目の前にあった。
白い天井の光が、階段の下まで届いていた。
その先に——古竜がいる。
「行くか」
「行く」とドラが言った。
「行く」とリアが言った。
「……行く」とエリスが言った。少し声が震えていたが、足は止まらなかった。
四人で、階段を降りた。
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