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骨まで喰われた俺が、世界ごと灰にするまで  作者: 灰原 健(はいばら けん)@『骨灰』金曜夕方から開幕!


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第40話:霧刃の同じ弓使い

 十七層に入ると、沼地帯の霧が薄くなっていた。


 代わりに、水位が増していた。


 膝まで水に浸かる場所が増えた。足元が見えない。泥と水の境目がわからない。一歩踏み込むたびに深さが変わる。


 リアが「これ、思ったより怖い」と言った。


「足元が見えないのが一番厄介だ。焦らず踏み込め」


「わかってる。でも踏んだ瞬間に膝まで沈むとびっくりする」


「慣れる」


「ドラもそう言う」


「事実だから」


 エリスが「岩盤を広範囲に浮かせれば足場ができる……けど魔力の消耗が大きいかな」と言った。


「戦闘前に温存しろ。歩く分には浸かりながら進む。戦闘になった時だけ使え」


「わかった」


 ドラが水の中で静かに足を進めながら「匂いが変わってきた。水中に何かいる」と言った。


「どのくらいの深さだ」


「……水中深く。底の方だ。ただ——動いている」


「近づいてくるか」


「今は様子を見ている感じだ。俺たちが気になっているが、まだ動いていない」


「刺激するな。静かに通り抜ける」


-----


 十七層を数十日かけて抜けた。層が深くなるたびに広くなっている気がする。


 十八層は水位が下がっていた。


 沼地帯の終わりが近い感触がした。水の色が黒から茶色に戻っていた。足元に泥が増えて、水が減っていた。


 戦闘も十七層より楽だった。水中の魔物が少なくなって、地上型の魔物が増えた。


 リアの風感知が、ここへ来て一段と精度が上がっていた。


 目を閉じなくても感知できるようになっていた。歩きながら、戦いながら、空気の流れを読んでいた。


「ケンジ、左後方に何かいる。まだ遠い」


「どのくらいだ」


「七十メートルくらい。小さい。でも複数、七、八匹かな」


 俺は呪印を広げた。確かにいる。リアの言う距離とほぼ一致していた。


「正確になったな」


「最近、目を閉じなくてもわかるようになってきた。なんか——常に風が見えてる感じ」


「それが本来の風属性の感知だ」


「本来の、って?」


「意識して使う段階から、無意識に使える段階に変わった。次は精度と範囲を上げることだ」


 リアが少し考えた。「……範囲を上げるには?」


「風を送って、返ってくる流れを読む。エコーロケーションに近い」


「えこー……なに?」


「コウモリが暗闇で壁を感知する方法だ。音を飛ばして跳ね返りで位置を掴む。それを風でやる」


「それ、できるの?」


「今のお前なら可能性がある。試してみろ」


-----


 十八層の中継点に着いた時、また先客がいた。


 今度は二人組だった。


 一人は二十代後半の人間の男だった。片手剣を背負っている。顎に薄い無精髭。目が穏やかだった。


 もう一人は——エルフの女だった。


 背が高い。肩まで下ろした金髪。尖った耳。腰に弓を提げていた。二十代半ばくらい。こちらを見た目が鋭かったが、敵意はない。


 ただ——リアを見た瞬間、その目が少し変わった。


 値踏みするような目だった。でも悪意ではない。


「Cランクの《灰燼》か」


 男の方が先に口を開いた。穏やかな声だった。「噂は聞いてる。俺はセイン。こっちはフィア。《霧刃》ってパーティだ。Bランクだ」


「ケンジだ」


「知ってる。ジンから聞いた。あの狐、ダンジョン中に情報を売り歩いてる」


 フィアがリアを見ていた。


「あなた、弓使い?」


 リアが少し緊張した様子で「そう。風魔法も使う」と答えた。


「その弓の持ち方——右手の引き方が独特ね。人差し指と中指を両方使ってる」


「最近こうしてる。複数本射る時に指に負荷がかかるから」


 フィアの目が細くなった。「……複数本を同時に?」


「三本まで射てる。タイミングが合えば四本もいける」


「見せてもらえる?」


 リアが俺を見た。


 俺は頷いた。


 リアが弓を構えた。矢を三本同時につがえた。引き絞った。


 ヒュッヒュッヒュッ——三本が、中継点の奥の壁に向かって飛んだ。三点が、ほぼ等間隔に並んで刺さった。


 フィアが壁に歩み寄った。三本の矢を確認した。


「……精度がある。ただし三本目が少し左に逸れてる」


「わかってる。中指の力が弱い。練習してる」


「中指じゃなくて——引いた後に手首が微妙に回ってる。そこを直せば三本目も揃う」


 リアが少し目を丸くした。「手首が回ってた?」


「三本目を射つ直前に、無意識に締めてる。意識して平行を保て」


 リアがもう一度試した。


 三本。


 三本目が、さっきより右に寄った。


「……直った」


 フィアが小さく頷いた。「筋はいい。風魔法で矢を変化させる発想も面白い。教えてもらった師匠は?」


「いない。ケンジと二人で試行錯誤した」


 フィアがケンジを見た。「弓使いではないのに、複数射の手首の問題は気づかなかったのか」


「気づいていなかった」と俺は言った。「指摘してくれて助かった」


「……正直な奴ね」


 セインが「フィアは弓に関しては厳しいから、褒められたと思っていいぞ」と言った。


「筋がいいと言っただけ」とフィアが言った。


「フィアがそれを言ったら十分褒めてるな」


 フィアが「うるさい」と言った。でも口の端が少し上がっていた。


-----


 その夜、フィアとリアが並んで壁際に座っていた。


 フィアがリアの弓を手に取って、弦の張りを確かめていた。


「この弓、いい素材を使ってる。王都で買ったのか」


「ケンジが選んでくれた」


「弓を選ぶ目がある。弓使いじゃないのに」


「本で読んだって言ってた。なんでも本で読む」


 フィアが少し笑った。「面白いリーダーね」


「そう。変だけど——頼りになる」


「変で頼りになる、か。いいパーティね」


 リアが「フィアさんはどのくらいダンジョンに潜ってるの?」と聞いた。


「セインと組んで数年以上。今は二十二層まで来てる」


「二十二層……すごい」


「お前たちもそのうち追いつく。速度が早い」


「でも私たち、まだ十八層だよ」


「十八層が低いとは思わない。ただ——」


 フィアがリアを見た。「一つ聞いていいか。風の感知、どこまでできる?」


「今は七十メートルくらい。ちゃんと使えるのが。もっと遠くもなんとなくわかる感じはあるけど、まだ曖昧で」


「七十メートルを安定して感知できるなら十分だ。エルフの弓使いでも、風感知を実用レベルで使えるのは少ない。人間なら尚更だ」


「そうなの?」


「風属性を持っていても、感知に使う発想がない奴が多い。戦闘魔法として使うことしか考えない。感知に転用したのは誰の発想だ」


「……ケンジに言われてやってみたら、自然にできるようになった感じ。最初は全然だったけど」


「そのリーダー、弓は知らなくても魔法の応用には長けているな」


「そう思う。なんか——頭の中に知識がいっぱいあって、繋げるのが上手いんだと思う」


-----


 翌朝、出発前にフィアが俺に近づいてきた。


「一つ教えておく」


「何だ」


「十九層から二十層にかけて、《腐敗蜘蛛》が大量発生している。網が通路を塞いでいる場所がある。火属性で焼けるが——その煙が毒性を持つ。吸うと視界が歪む。注意しろ」


「情報料はいくらだ」


 フィアが少し目を丸くした。「……無料だ」


「理由は」


「リアが筋のいい弓使いだから。それだけだ」


 俺は少し間を置いた。


「……ありがとう」


「礼はいい。また会ったら話す」


 セインが「フィアがこんなに話すのは珍しい。よっぽど気に入ったんだろう」と小声で言った。


「聞こえてる」とフィアが言った。


 《霧刃》の二人が先に出発した。


 リアがその背中を見ていた。


「フィアさん、いい人だったね」


「情報をもらった。助かった」


「それだけじゃなくて——同じ弓使いとして、ちゃんと見てくれた気がして。嬉しかった」


 俺はリアを見た。


「お前の腕が認められた。それは当然だ」


「ケンジに言われると、なんか照れる」


「事実を言っている」


「それが照れるんだって」


 ドラが「行くぞ」と言った。


「行く」


-----


 十九層は、フィアの言った通りだった。


 巨大な蜘蛛の巣が、通路を塞いでいた。


 白い糸が幾重にも張られていた。指で触れると、強い粘着力がある。一度はまれば人間の力では引き剥がせない。


「焼けば通れるが煙が出る」


「焼かずに切れないかな」とリアが言った。


「糸の密度が高い。短刀では時間がかかる。でも——」


 俺は糸を見た。


「黒炎弾なら焼かずに切断できるかもしれない。試す」


 親指を立てた。人差し指を前に伸ばした。


 黒炎を絞り込んだ。できるだけ細く、鋭く。


 放った。


 糸が一本、すっと切れた。煙は出なかった。


「焼くのではなく切断した。黒炎の密度を上げれば、熱より衝撃で断ち切れる」


「それ、いつ気づいたの」


「今気づいた」


 リアが「……またその場で気づくやつだ」と言った。


「問題があれば考える。考えれば気づく」


「それができるのがすごいんだけど」


 俺は糸を一本ずつ、黒炎弾で切り払った。


 煙は出なかった。道が開けた。


「進める」


 四人で、開けた道を進んだ。


-----


 二十層の手前、中継点で一晩休んだ。


 次は二十層——《腐敗の女王》がいる層だ。


 沼地帯の最終ボス。設定資料で確認していた。腐敗魔法で周囲を汚染する女王型の魔物。


「ボスだ」と俺は言った。


「そうだね」とエリスが言った。「また全員で連携して倒す感じ?」


「そうなる。ただし今回は腐敗魔法という未知の属性がある。エリスの光障壁が対策になるかどうかわからない」


「試してみないとわからないね」


「ああ。ただしダメだった時のために退路を確保しておく。戦えないと判断したら即座に退く」


「ケンジが即座に退く判断できる?」


 少し間があった。


「……できる。今は」


 エリスが「今は、か」と言った。少し笑っていた。


「前はできなかったのか」


「カルタの倉庫の時はできなかった」


 俺は焚き火を見た。


「あの時より制御できている。腐敗魔法に呑まれても、呪印に呑まれるよりはマシだ」


「……それはそうだけど、笑えない例えだね」


「笑えなくていい。事実だから」


 リアが「ケンジ、最近自分のことちゃんと話すようになったね」と言った。


「そうか」


「昔はもっと何も言わなかった。ランテにいた頃とか」


「……お前と長い時間一緒にいるからかもしれない」


 リアが少し止まった。


「……今、すごくいいこと言った」


「事実を言っただけだ」


「それが嬉しいんだって」


 ドラが「寝ろ。明日ボスだ」と言った。


「そうだね」とエリスが笑った。


 焚き火が揺れた。


 二十層。


 沼地帯の最後だ。

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