表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
骨まで喰われた俺が、世界ごと灰にするまで  作者: 灰原 健(はいばら けん)@『骨灰』金曜夕方から開幕!


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/48

第39話:中継点の影

 十六層から、沼地帯の色が変わった。


 水が黒くなっていた。


 十一層から十五層までは茶色みがかった濁り水だったが、十六層の水は底が見えないほど黒い。腐敗の匂いが濃い。水面に泡が浮いていた。腐敗ガスだ。


「近づくな。水に触れるな」と俺は言った。


「飲んだらどうなる?」とリアが言った。


「試さなくていい」


「試す気はないけど……なんか怖い」


「怖くていい。正しい感覚だ」


 ドラが鼻を押さえるような仕草をした。「匂いがきつい。腐敗臭が嗅覚を狂わせる。十五層より感知精度が落ちる」


「リア、風の感知に頼る場面が増える。頼んでいいか」


 リアが目を閉じた。少しの間、息を整えた。


「……空気の流れは読める。水の匂いが強くても、動くものが作る風は感じられる」


「それで十分だ」


-----


 十六層の中継点には、先客がいた。


 今まで通った中継点はほぼ《灰燼》だけが使っていた。それが当たり前になっていたが、ここは違った。


 壁際に一人。焚き火も起こさず、荷物を背にして座っていた。


 狐の耳と尻尾。獣人族の男だ。三十代半ばくらい。顔に細い傷跡が一本走っている。目が細い。俺たちが入ってきても、ほとんど動じなかった。


 ただ、こちらを見た。


「子供が四人か。珍しいな」


 低い声だった。警戒はしていない。ただ観察している目だった。


「Cランクだ」と俺は言った。


「知ってる。《灰燼》だろ」


 俺は少し止まった。


「……知っているのか」


「ダンジョン内で噂になってる。子供四人のパーティが十五層のボスを倒したって。俺は情報を売る商売をしてるんでね、耳に入ってくる」


 男が立ち上がった。背が高い。俺より頭一つ以上でかい。


「ジンだ。ソロで潜ってる。Bランク」


「ケンジだ」


「知ってる」


 ジンが口の端を少し上げた。嘲笑ではない。面白がっている目だった。


「外で《灰燼》の名前を聞いた時は冗談かと思ったがな。実際に見ると——なるほど、本物の目をしてる」


「情報を売ると言ったな」


「ああ。買うか?」


「何を持っている」


「色々ある。ただ——お前らに一番興味ありそうなのは、ヴォルテクスの話だ」


 俺はジンを見た。


 ドラが俺の横で、ぴくりと耳を動かした。


「……続けろ」


「数日前、十四層の中継点で奇妙な二人組を見た。冒険者の格好をしていたが、匂いが違った。戦いの匂いじゃない。狩りの匂いだ。獲物を探している奴らの匂い」


「特徴は」


「一人は三十代の人間の男。剣使い。目に感情がない。もう一人は二十代の若い男。魔法使いらしい。軽口が多かった。二人とも——革鎧の内側に、翼と爪の紋章を隠していた」


 ヴォルテクスだ。


「確認したのか」


「確認できる距離にいた。俺は情報屋だ。見ることが仕事でね」


「今どこにいる」


「十四層か十五層をうろついてると思う。お前らが使う中継点を調べているような動きだった。ただし数日前の話だ。今はわからない」


 俺は少し考えた。


「情報料はいくらだ」


「銀貨十枚。ダンジョン内の情報は高い。地上の相場より上乗せさせてもらう」


「払う」


 収納袋から銀貨を出した。


 ジンが受け取って枚数を確認した。「正直な奴だ。少なくして来るかと思ったが」


「必要な情報には正当な対価を払う」


「気に入った」


 ジンが再び壁際に座った。「もう一つサービスで言っておく。あの二人、お前らのことを知っていた。子供四人、黒炎使い——そう言っていた。ターゲットはお前らだ」


-----


 中継点の奥に陣を取った。ジンから離れた場所で、四人を囲んだ。


「来ると思っていた」と俺は言った。


「カルタで逃がした連中が報告したのか」とドラが言った。


「そうだろうな。ダンジョンに入ったことも把握されている。あの二人組は偵察兼先行部隊だろう。本命は別にいる可能性がある」


「どうする」


「待ちたくはない。先手を取る。向こうがこちらを探しているなら、俺たちから動いた方が場所を選べる」


「十四層か十五層に戻るのか」


「戻る。中継点ではなく通路の中で仕掛ける。狭い場所なら魔法の範囲が制限される」


「リアは遠距離が使いにくくなるけど……」とリアが言った。


「近距離の練習がある。短刀も使える。通路の幅によっては壁を使った動きができる」


「わかった。やってみる」


「エリス、相手には魔法使いがいる。光の障壁をすぐに張れるか」


「……二秒あれば張れる」


「わかった」


-----


 十五層に戻った。


 呪印を広げた。


 五十メートル。


 いる。二つの気配が通路の途中で止まっていた。


「右の分岐路の先だ。三十メートル」と俺は小声で言った。


「匂いがする」とドラが小声で言った。「……人間二人。戦いの前の匂いだ。こちらに気づいてる」


「向こうも感知している。先手を打つ。行くぞ」


 俺が先頭に出た。分岐路の角を曲がった。


 いた。


 二人。


 一人は三十代の人間の男だった。短く刈り込んだ黒髪。無駄のない体型。腰に長剣。目に——感情がない。


 もう一人は二十代前半の若い男だった。茶色い短髪。細身。右手に魔法石の杖。唇が薄く笑っていた。


「早いな。そっちから来るとは思わなかった」


 若い方——カインが言った。


「探すより来させた方が早い」


「賢いじゃないか。子供なのに」


「子供だと思っているなら、それは間違いだ」


 レオンが剣を抜いた。音がなかった。静かに、自然に、剣が手の中にあった。


「ヴォルテクスの構成員だな」と俺は言った。


 レオンは何も言わなかった。


「エリスを狙いに来たのか」


「さあな」とカインが笑った。「俺たちはただの冒険者だぞ?」


「翼と爪の紋章を内側に隠している冒険者が、子供を探してダンジョンに潜る理由はない」


 カインの笑みが少し変わった。「……なるほど。情報屋と話したのか。あの狐野郎かな」


「関係ない。お前たちの目的を聞いている」


 カインが杖を構えた。「——話す気はないな」


 赤い魔力が杖に集まった。


「エリス!」


「張る——!」


 白い光が四人を包んだ。


 カインの火球が障壁に当たって弾けた。


 その瞬間——レオンが動いた。速い。


 俺はレオンの剣を右腕で受けた。黒炎を右腕に集めていた。


 ガンッ——剣が黒炎に触れた瞬間、鍔元から刃が弾かれた。


 レオンの目が、初めて動いた。驚いていた。


「黒炎が剣を弾く、知らなかったか」


「……なるほど」


 レオンが後退して剣を構え直した。


 ドラが右から回り込んでいた。レオンの死角に入った。


 レオンが気づいて振り返った。


 その隙に——俺は右手の形を作った。親指を立て、人差し指を前に伸ばした。


 《黒炎弾》。レオンの肩に向けて放った。


 ズドッ——。


 右肩に当たった。革鎧が焼けた。レオンが後退した。右腕の力が抜けた。剣が床に落ちた。


「——ッ」


 レオンが剣を左手で拾った。利き手じゃない方で構え直した。


 その時——カインが後退していた。


「レオン、退くぞ」


 レオンがこちらを見た。感情のない目だったが——何かを読んでいた。


「お前たちは、ここで死なせるには惜しい相手だ」


 レオンが初めて口を開いた。低い声だった。


「また会う」


 カインが壁に手をついた。魔法陣が光った。


 転移だ。二人の姿が、消えた。


-----


 静寂。


「……逃げた」とドラが言った。


「転移魔法か。想定外だ」


「追えないな」


「追わない。ただ——」


 俺は二人がいた場所を見た。


「レオンという男、強い。黒炎弾を食らって剣を落とした後、即座に左手で拾い直した。ヴォルテクスの中でも上位の実力者だ」


「私は爆破矢を使えなかった」とリアが言った。「タイミングが掴めなくて」


「あの状況で使えば俺かドラに当たっていた可能性があった。判断は正しい」


「……でも、悔しい」


「悔しいのはいいことだ。次に活かせ」


 エリスが「あの二人、また来ると思う?」と言った。


「来る。ただしダンジョン内では転移魔法があれば追えない。地上に出た時に待ち構える可能性の方が高い」


「地上に出た時が危ない?」


「そうだ。ただしすぐには出ない。まだ深く潜る」


「準備って何を」とリアが言った。


「強くなること。それだけだ」


-----


 十六層の中継点に戻った時、ジンがまだいた。


「生きて帰ってきたか」


「撃退した。逃がしたが」


「そうか。あの二人、転移魔法を持っていたろ?」


「知っていたなら先に言え」


「銀貨十枚の中に含めていたつもりだったが——言い忘れたな。次は追加で取る」


 俺はジンを見た。情報の質は確かだった。


「一つ聞く。ヴォルテクスの規模を、どのくらい把握している」


 ジンが少し間を置いた。


「……王都で活動している部隊だけで五十人以上。地方も合わせれば数百。最近、王都周辺の動きが活発になっている。何かを待っているような動きだ」


「何を待っている」


「わからない。でも——でかい何かだ。俺の勘だがな」


 俺は黙った。


「情報料はいくらだ」


「今の話は無料にしておく。お前らが面白そうだから」


「……理由になっていない」


「情報屋は人に投資することもある。将来、もっと高く売れる情報を持ってきてくれそうな奴にはな。《灰燼》が深く潜るほど、俺の情報の価値も上がる。そういうことだ」


 信用はしない。でも利害は一致している。


「わかった。また情報があれば話す」


「そうしてくれ」


 ジンが荷物を背負った。「俺は先に進む。邪魔したな」


 通路の先に消えていった。


 ドラが「……信用できるか」と言った。


「今は利害が一致しているだけだ。信用とは別だ」


「同意する」


 リアが「なんかすごい人と知り合いになったね」と言った。


「便利な情報源だ。使えるうちは使う」


「ケンジって打算的だよね」


「悪いか」


「……悪くないけど。たまにびっくりする」


 エリスが「でもジンさん、悪い人じゃない気がした」と言った。


「今のところはな」


「ケンジが認めるなら、たぶん大丈夫だよ」


 俺は何も言わなかった。


-----


 夜営しながら、俺は自分の手を見た。


 少し大きくなっていた。


 ダンジョンに入る前——十一歳の時の手と、今の手は違う。筋がついていた。指の皮が厚くなっていた。黒炎弾の練習で焼けた跡が、薄い痕になって残っていた。


 リアを見た。


 背が少し伸びていた。顔つきが変わっていた。子供っぽさが削られて、綺麗めになっていた。それでも笑う時は笑う。それは変わっていない。


 エリスを見た。


 角を隠す帽子が、少し小さくなっていた。体が成長していた。魔法を使う時の目が、入った頃より深くなっていた。


 ドラは——もともと十九歳だ。でもダンジョンに入ってから、また別の強さが加わっていた。


 俺たちは確かに、成長していた。


 呪印が、静かに脈を打っていた。


 ヴォルテクスが追ってきた。レオンという男が、また来る。


 でも——今の俺たちは、もう逃げるだけじゃない。


 まだ先がある。


 深く。


 もっと深く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ