第38話:毒霧の王と黒炎弾
霧の向こうで、二つの目が光っていた。
黄色い。縦に細長い瞳孔。
動いていなかった。
俺たちを見ていた。
品定めするように。
「でかい……」
リアが小声で言った。
声を出すなと言いたかったが——実際に見えてからわかることがある。声が出るのは仕方ない。
《ヴァイパーキング》。
霧の中で、その全体像がゆっくりと見えてきた。
全長十メートルを超える。体の太さが俺の胴回りの三倍はある。全身が青黒い鱗で覆われていた。頭部だけが異様に大きい。顎が広い。牙が見えた。
そして——喉元が、膨らんでいた。
「霧を出す。エリス、障壁を厚くしろ」
「今から——!」
白い光が強くなった。
次の瞬間——《ヴァイパーキング》の顎が大きく開いた。
黄色い霧が、爆発するように広がった。
エリスの障壁に触れた瞬間、シュウウ——という音がして、霧が消えていった。
でも量が多かった。
障壁の端から、わずかに霧が滲んでいた。
「エリス、右端が薄い!」
「わかった——!」
エリスが右手を向けて魔力を補強した。
滲みが止まった。
「いける?」
「……いける。でも消耗が思ったより速い。長くは張れない」
「どのくらいだ」
「……十分か、十五分。それ以上は魔力が切れる」
「十分で終わらせる」
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《ヴァイパーキング》が動いた。
素早かった。
全長十メートルの巨体が、音もなく滑るように接近してきた。
頭を振った。
俺は右に跳んだ。地面を削る牙の音が耳のすぐそばで聞こえた。
速い。
近づきすぎると死ぬ。でも遠すぎると有効打が出せない。
距離の判断が難しい。
「ドラ!側面を!」
「行く——!」
ドラが《ヴァイパーキング》の右側面に回り込んだ。鱗の継ぎ目を双剣で叩く。
ガンッ。
火花が散った。弾かれた。
「硬い!継ぎ目も硬い!」
「腹か喉を狙え。鱗が薄い部分を探せ」
「腹は地面についてる。喉は——頭が高すぎて届かない」
《ヴァイパーキング》が頭を持ち上げた。俺たちを見下ろす形になった。
喉が晒された。
でも高さが三メートル以上ある。ドラの跳躍でギリギリ届くかどうかだ。
「リア、喉を狙えるか」
「霧で見にくい……でも——」
リアが目を閉じた。
障壁の中でも空気は動いている。《ヴァイパーキング》の巨体が動くたびに、空気が押される。その流れが——喉の位置を教えていた。
「見えてる。風で感じてる」
「射て」
「ウィンドアロー——!」
矢が飛んだ。
霧の中を、風に乗って加速した矢が進んだ。
《ヴァイパーキング》の喉に——刺さった。
深くはない。鱗が薄いとはいえ、矢一本では届かない。
でも——《ヴァイパーキング》の動きが一瞬止まった。
そこだ。
俺は右手の形を作った。
親指を立てた。人差し指を前に伸ばした。
黒炎を指先に集めた。
弾丸の形に凝縮させた。
昨日の練習の中で一番絞り込んだ形を思い出した。密度を上げる。押し込む。
放った——《黒炎弾》。
黒い弾が飛んだ。
リアの矢が作った傷口——喉の薄い鱗——に向かって。
ズドッ。
《ヴァイパーキング》の喉に穴が開いた。
傷口から黒い炎が滲み出た。
《ヴァイパーキング》が頭を下げた。
痛みだ。
「ドラ!今!」
「——ッ、行く!!」
ドラが地面を蹴った。
土属性の身体強化を脚に集中させた。跳躍が今まで見た中で一番高かった。
《ヴァイパーキング》の喉——俺の黒炎弾が作った傷口——に向かって双剣を叩き込んだ。
ザシュッ。
今度は弾かれなかった。
一本が、深く入った。
「もう一本——!」
ドラが引き直して同じ場所に叩き込んだ。
ズガッ。
さらに深く入った。
《ヴァイパーキング》が大きく頭を振った。ドラが振り落とされた。
「ドラ!」
ドラが宙を回転して受け身を取った。泥に着地。問題ない。
「エリス、障壁はどうだ!」
「……あと五分くらい!」
「わかった。リア、傷口をもう一度狙え。《ヴァイパーキング》が体勢を立て直す前に!」
「狙ってる——!」
《ヴァイパーキング》が再び霧を吐いた。
障壁に当たった。シュウウ——。
でも障壁は保っていた。
その隙間に——リアが射た。
風魔法で加速した矢が、傷口に向かって飛んだ。
刺さった。
深く。
《ヴァイパーキング》が動きを止めた。
俺はもう一度、右手の形を作った。
今度はもっと絞る。昨日練習した中で最も密度が高い形。
「……《黒炎弾》」
放った。
黒い弾が傷口に向かって飛んだ。
ズドォッ——。
《ヴァイパーキング》の喉の奥まで、黒炎が食い込んだ。
内部から燃え広がる感触があった。
《ヴァイパーキング》の動きが、完全に止まった。
頭が——ゆっくりと、地面に落ちた。
巨体が、ゆっくりと横倒しになった。
地響きがした。
霧が散った。
静寂。
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エリスが障壁を解いた。
どっ、と疲れが出た顔をしていた。膝をついた。
「エリス!」
リアが駆け寄った。
「平気……ちょっと魔力が空になっただけ。倒れてない」
「十分ちょうどだったな」と俺は言った。
「むしろ少し余ったよ……気合で持たせた」
「無理をさせた。次からは事前に余裕を多く見る」
「ケンジのせいじゃない。私が練習不足だっただけ」
「両方だ」
エリスが少し笑った。「……折半ね」
ドラが《ヴァイパーキング》の傍に立っていた。「……でかかった。今まで戦った中で一番でかい」
「ああ」
「ケンジの黒炎弾、あれが決め手になった。二発目で喉の奥まで届いた」
「練習の成果だ」
「名前は決めたのか。さっき呟いてた」
「《黒炎弾》だ」
「黒炎弾……」
ドラが繰り返した。
「いい名前だ。シンプルで、わかりやすい」
「お前が言うなら悪くないんだろう」
「俺は名前の良し悪しはわからんが——お前が決めた名前なら合ってると思う」
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素材の回収を始めた時、ドラが「これ」と言った。
《ヴァイパーキング》の頭部——砕けた牙の根元に、何かが絡まっていた。
取り出した。
細い腕輪だった。
金属ではない。何か硬い素材でできていたが、軽かった。黒みがかった色。表面に細かい紋様が刻まれていた。
俺はその腕輪を手に取った。
瞬間——呪印が反応した。
じくり、と熱を持った。
腕輪が、呪印に応えるような感触があった。
「これ……何?」とリアが言った。
「わからない。でも——呪印が反応している」
「危なくないの?」
「今すぐ何かが起きるわけじゃない。ただ、普通の魔道具じゃない。呪印と同じ系統の何かだ」
エリスが「……呪印が反応してるって、どういうこと?」と言った。
「わからない。ただ——この感触は呪印と同じ系統の何かだ。喰う、という感覚に近い。腕輪が、俺の呪印の熱に応えている」
「危なくないの?」とリアが言った。
「今すぐ何かが起きるわけじゃない。でも捨てるのはもったいない。つけてみる」
腕輪を左手首にはめた。
じくり——と、呪印の熱が少し動いた。
腕輪が体温を帯びた。
それだけだった。今はまだ、それ以上の変化はない。
「何か変わった?」とエリスが言った。
「わからない。ただ——反応している。探っていく」
「名前は?」
俺は腕輪を見た。
「……まだない。わかってからつける」
腕輪を収納袋には入れず、そのまま左手首につけておくことにした。
「……なんか、どんどん面白いものが出てくるね、ダンジョンって」
「深くなるほど出やすくなる。《鋼牙》のガロもそう言っていた」
「じゃあもっと深い層には……」
「もっといいものがある可能性がある」
リアが目を輝かせた。「頑張る理由が増えた」
「戦力強化が理由じゃないのか」
「そっちも理由だけど、ちょっとわくわくする気持ちもあっていいじゃない」
俺は少し黙った。
「……悪くない」
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十五層の中継点は、今まで見た中で一番広かった。
天井が高く、水場も大きい。先人が置いていった道具も多かった。
全員で中継点に腰を下ろした。
エリスがゆっくりと魔力を回復させていた。目を閉じて、呼吸を整えていた。
リアがドラの隣で新しい弓弦の張り替えをしていた。三本同時射で酷使したのか、弦が少し伸びていた。
「ドラ」と俺は言った。
「何だ」
「今日の跳躍。今まで見た中で一番高かった。脚に身体強化を集中させていたのか」
「ああ。爪の時と同じ要領でやってみた。意識して脚に集めたら——跳べた」
「届くかどうかギリギリだったが、届いた」
「お前の黒炎弾が先に傷口を作っていてくれたから、剣が入った。あれがなければ弾かれていた」
「連携だ」
「ああ」
ドラが少し間を置いた。
「……ケンジ。黒炎弾、あれを撃つ時の顔が初めて見る顔だった」
「どんな顔だ」
「……楽しそうだった」
俺は少し止まった。
「そうだったか」
「意識してなかったか」
「……してなかった」
「悪いことじゃない」とドラが言った。「戦い方が自分のものになってきた証拠だ」
リアが「私も気づいてた」と言った。「黒炎弾を撃つ時、ケンジの目が少し違う。集中してる目だけど——少しだけ、楽しそう」
エリスが目を開けずに「私も思ってた」と言った。
三対一だ。
「……そうかもしれない」
俺は右手を見た。
人差し指の先端が、まだ少し黒ずんでいた。
楽しい、というのが正しいかどうかわからない。
でも——自分の手から生まれた技が、思い通りに飛んだ時の感触は、確かに何かが満たされる感じがあった。
前世のサラリーマン時代には、なかった感覚だ。
「十六層は明日入る。今夜は休め」
「はーい」とリアが言った。
「うん」とエリスが言った。
「ああ」とドラが言った。
焚き火が揺れた。
十五層まで来た。
まだ先は長い。
でも——黒炎弾という名前がついた。
俺自身の技に、初めて名前がついた。
それだけで、今夜は少し、気分が違った。




