第37話:泥と血と成長
十二層に入った頃から、全員の動きが削ぎ落とされていった。
余計な動作が消えた。判断が速くなった。指示を出す前に動いている場面が増えた。
沼地帯の戦闘は消耗が大きい。足場が悪い。視界が狭い。一戦ごとに体力と魔力をじわじわと削られる。
その苦戦する戦闘がそれぞれを鍛えていた。
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十二層で《沼ガエル》の大群に囲まれた時のことだった。
三十匹以上。四方向からだった。
「散開するな。固まれ。エリス、後方の足場を固めて退路を確保しろ。リア、上を取れるか」
「あの岩の上に行けるかも」
三メートルほどの高さの岩が左手にあった。
「行け。上から全体を見ろ」
リアが岩に飛びついた。一度滑ったが、指で割れ目を掴んで登り切った。
「上に着いた!全体が見える。塊になってる場所と、バラけてる場所がある」
「塊から崩す。エリス、中心に《地脈震》」
「水が多くて小さくしかできないけど——」
「一瞬だけ動きを乱せれば十分だ」
ぐぷっという音がして、泥が波打った。《沼ガエル》の塊が崩れた。
「リア、今!」
上から矢が三本、同時に降ってきた。
バラけた《沼ガエル》に、三本が別々の角度で刺さった。
「三本同時に射てた……!」
「続けろ。俺とドラが動く」
俺は左側の群れに向かった。黒炎を指先に集めた。細く、鋭く。一匹ずつ急所を突く。
右側でドラが動いていた。双剣ではなく——素手だった。
爪で《沼ガエル》の腹を一突きして仕留めていた。双剣を抜くより速かった。
「ドラ、素手か」
「泥で剣を抜くのが遅れた。それなら爪の方が速い」
ドラの右手の爪が、普段より長く、鋭く伸びていた。
「土属性の強化を爪にかけたのか」
「……意識してなかった。気づいたらこうなってた」
「それが爪牙流の根本だろう」
「師匠に言われたが、できた試しがなかった」
「今日できた」
ドラが自分の手を見た。「……できた、な」
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十三層は水位が高かった。
通路の一部が完全に水没していた。膝上まで浸かりながら進む場面が増えた。
そこでエリスが試みた。
「水の中の岩、動かせるか試してみる」
水の中に手を入れた。目を閉じた。魔力が水を通じて、水底の岩に届いていく。水は土より魔力を遠くへ運んだ。水が媒介になる感触があった。
三十秒。
水底の岩がゆっくりと動いた。水面が盛り上がり、岩が浮かび上がってきた。
「……できた」
「水中の岩を持ち上げた。深さはどのくらいまでいける」
「今のは一メートルくらい。もっと深いとわからないけど——水が媒介だから、土より遠くに届く気がする」
「《沼竜》の縄張りは水深三メートル以上だった。届くか」
「試してみないと。でも——やってみたい」
「十四層に戻る前に試す機会を作る」
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十四層は今まで最も消耗した層だった。
《腐泥蛇》が大量に出た。体長一メートルの蛇。噛まれると傷口が腐敗する毒を持ち、死体に近づくと毒ガスが出た。
俺たちは徹底的に距離を取り続けた。
リアが遠距離から仕留める。届かない距離は爆破矢で処理する。近づいてきたものをドラと俺が対処する。エリスが足場を管理して囲まれる前に退路を確保する。
十四層を抜けた夜、中継点で全員が無言で座り込んだ。
しばらく誰も喋らなかった。
「……疲れた」とリアが言った。
「ああ」
「ケンジが同意するの珍しい」
「疲れた時は疲れたと言う」
リアが小さく笑った。
「一日休む。魔力の回復を優先する」とドラが言った。
「俺もそう思っていた。ただしその前に——やることがある」
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翌朝早く、十一層に戻った。
《沼竜》の縄張りまで慎重に近づいた。
水面は静かだった。霧が漂っている。気配はある。水底で動いている。
「エリス、水底に届くか」
エリスが水際にしゃがんだ。両手を水に入れた。目を閉じた。
長い時間がかかった。
一分。
二分。
エリスの眉が少し寄った。集中している顔だった。
「……届く。三メートル以上先まで。水が運んでくれてる」
「《沼竜》の足元の岩盤がわかるか」
「……わかる。大きい岩盤が——その上に《沼竜》がいる」
「その岩盤を、水中で波打たせられるか。崩すんじゃない。バランスを崩させるだけでいい」
「……やってみる」
水面が、ごぼごぼと音を立てた。
水底から振動が伝わってきた。
次の瞬間——水面が大きく盛り上がった。
《沼竜》が水中から飛び出した。
体勢が崩れていた。
水上に体が晒された。
「今だ!」
俺は右手の形を変えた。
親指を立てた。人差し指を真っ直ぐ前に伸ばした。
前世の記憶の中にある形——拳銃の構え。
人差し指の先端に、黒炎を凝縮させた。
豆粒ではない。
弾丸ほどの大きさに絞り込んだ。
黒炎が指先で震えた。
押し込む——。
放った。
黒い弾が飛んだ。
《沼竜》の頭部——目と目の間に、吸い込まれた。
ズドッ、という音がした。
《沼竜》の頭が後ろに弾かれた。
「ドラ!」
「行く——!」
ドラが水面を蹴った。踏み込みが浅い場所を選んで跳び、《沼竜》の首の付け根に向かって双剣を叩き込んだ。
ガンッ。
一本が弾かれた。でも——ケンジの黒炎が作った焦げ目の近く、鱗が薄くなっている部分に、もう一本が入った。
「リア!」
「撃つ——!!」
ウィンドアロー。
矢がドラの剣が作った傷口に向かって飛んだ。
刺さった。
《沼竜》が水面で暴れた。
水が飛び散った。全員がびしょ濡れになった。
でも——動きが遅くなっていた。
「エリス、もう一度!岩盤を引き上げろ。《沼竜》を水から出させる!」
「……っ、いくよ!」
水底から岩盤が持ち上がってきた。
《沼竜》の体が水上に完全に晒された。
俺は再び右手の形を作った。
親指を立てて、人差し指を前へ。
今度はもっと絞った。
もっと密度を上げた。
放った。
黒い弾が、さっきより速く飛んだ。
同じ傷口に、直撃した。
《沼竜》の動きが止まった。
ゆっくりと——水面に倒れた。
波が広がった。
静寂。
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「……やった」
リアが呟いた。
「やった」とドラが言った。
「やった……!」
エリスが水際に座り込んだ。魔力を使い切った顔だった。
「エリス、大丈夫か」
「……平気。ちょっと待って」
俺はエリスの隣に座った。
右手を見た。
人差し指の先端が、少し黒ずんでいた。
黒炎を凝縮させた時の跡だ。
拳銃。
前世で使ったことはなかった。でも見たことはある。形を知っていた。親指と人差し指で作る形——子供の頃に真似して遊んだ記憶が、三つの人生の奥底にあった。
それをイメージした。
そうしたら——黒炎が、弾丸の形になった。
「ケンジ」
リアが横に来た。「今の、遠くに飛ばしたね。今まで地面に当てるだけだったのに」
「形を変えた。絞り込んで、指の先から飛ばした」
「どんなイメージ?」
「……前世の武器のイメージだ。銃っていうものだ」
「銃?」
「ああ。親指と人差し指でこういう形を作る」
俺は右手で形を作った。
リアが真似した。「こう?」
「そうだ」
「……なんかかっこいい」
「見た目じゃなく機能だ」
「わかってるけど、かっこいいものはかっこいい」
俺は少し黙った。
「……そうかもしれない」
エリスが「私も見たい」と言った。
「後で見せる。今は休め」
「うん」
ドラが《沼竜》の素材を回収し始めた。「これ、いい鱗が取れる。収納袋に入るな」
「全部回収しろ。売れば資金になる。深層の素材は地上で高く売れる」
「ああ」
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一日の休養を取ってから、十五層への階段に立った。
黒炎の射出を、休養中ずっと練習していた。
拳銃の形で放つ。絞り込む。速くする。
百回以上は試した。
指先の制御が、確実に上がっていた。
ただし——距離と威力はまだ足りない。《沼竜》には通じたが、より硬い相手、より速い相手には届かない可能性がある。
まだ荒削りだ。
でも——形が見えてきた。
「十五層だ」と俺は言った。
「《ヴァイパーキング》がいる層だね」とエリスが言った。
「毒蛇。毒霧を広範囲に展開する。エリスの光障壁が主な対策になる」
「練習してきた。でも実戦では使ったことがない」
「今日使う機会になるかもしれない。準備しておけ」
「わかった」
「リア、霧の中では目が使えなくなる可能性がある。風の感知に頼れ」
「うん。十一層から鍛えてきたから——たぶん大丈夫」
「たぶんじゃなく、できる」
リアが「……できる」と言い直した。少し背筋が伸びた。
「ドラ、毒の匂いが嗅覚を殺す可能性がある。感じたら即座に教えろ。俺の感知に切り替える」
「わかった」
四人で、階段を降りた。
空気が変わった。
黄みがかった霧が漂い始めた。
毒の匂いだ。
ドラが「匂いが濃い。近い」と言った。
俺は呪印を広げた。
巨大な気配がある。
蛇だ。
長い。とても長い。
「エリス、障壁を張れ。今すぐ」
「——張るよ!」
白い光が、四人の周囲を薄く包んだ。
霧が光に触れた。
シュッ——。
消えた。
「効いてる……!」
「そのまま維持しろ。絶対に切らすな」
「わかった。切らさない」
前方の霧の中に——何かが動いた。
光が、霧の向こうで揺れた。
二つの光。
目だった。
《ヴァイパーキング》の目が、こちらを捉えていた。
俺は右手の形を作った。
親指を立てた。人差し指を前に伸ばした。
黒炎が、指先で震えた。
来い。




