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骨まで喰われた俺が、世界ごと灰にするまで  作者: 灰原 健(はいばら けん)@『骨灰』金曜夕方から開幕!


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第35話:十層の古熊

 七層に入ってから、リアの様子が少しずつ変わっていた。


 戦闘中、矢を放つ前に一瞬だけ目を閉じる癖がついた。


 最初に気づいたのはドラだった。


「リア。目を閉じる理由があるのか」


「……なんとなく、なんだけど」


 リアが少し考えながら言った。


「風の流れが——わかる気がするんだよね。閉じると、なんか聞こえる気がして」


「聞こえる?」


「音じゃなくて……空気の動きが、肌でわかる感じ。あっちに何かいると、こっちの空気が押されてる気がする」


 俺はリアを見た。


「それを意識的にやれるか」


「わからない。なんとなくそう感じるだけで、ちゃんと使えてるかどうか……」


「使えてる。七層に入ってから、お前は先に動いていることが多い。俺や ドラの指示を待たず、射てるポジションに自然と移動している」


 リアが少し目を丸くした。


「……気づいてなかった」


「体が先に感知している。意識すれば精度が上がる。次の戦闘で試してみろ」


-----


 試す機会はすぐに来た。


 七層の通路で、前方から大型の気配が近づいてきた。


 ドラが「《岩蜥蜴》の大型種だ。一匹。でかい」と言った。


 俺は呪印を広げた。確かに大きい。六層の《影蝙蝠》とは重さが違う。


 俺がリアに目で合図した。


 リアが目を閉じた。


 数秒後——リアが右に三歩動いた。


 通路の右側、少し引っ込んだ壁の陰に入った。


 俺は何も言っていなかった。


 十秒後、《岩蜥蜴》が曲がり角から現れた。


 全長二メートル半。六層の《洞窟蜥蜴》より一回り大きい。体表が岩のように固い。


 俺とドラが正面に出た。


 《岩蜥蜴》の意識が俺たちに向いた。


 その瞬間——リアが壁の陰から弦を引いた。


 ウィンドアロー。


 矢が側面の柔らかい部分——前足の付け根に吸い込まれた。


 《岩蜥蜴》がバランスを崩した。


 ドラが首の付け根に双剣を叩き込んだ。


 倒れた。


「……やった」


 リアが呟いた。


「位置が完璧だった。どうやって決めた」


「空気が……《岩蜥蜴》が来る前から、あの角の方向から押されてる感じがした。だから曲がり角から出てきた時に側面が取れる位置を選んだんだけど」


「それが風属性の感知だ。磨け」


 リアが「……うん」と言った。でも目が笑っていた。嬉しそうだった。


-----


 八層で、リアとエリスの連携が生まれた。


 きっかけは偶然だった。


 八層の中継点で、リアがウィンドアローの練習をしていた。矢に風魔法を乗せる角度と量を変えながら、岩の壁に向かって射っていた。


 その横でエリスが火属性の出力調整をしていた。小さな炎を指先で操って、大きくしたり小さくしたりしていた。


「ねえ、エリス。その炎って、矢の先につけられる?」


 エリスが手を止めた。「……矢の先に?」


「ウィンドアローで矢を加速させて、先端に炎をつけたら——着弾した時に爆発しないかな」


 エリスが少し考えた。「……やってみる。でも炎が風圧で消えないかな」


「だから小さくしてつけるんじゃなくて——矢の先に魔力だけを染み込ませて、着弾の衝撃で発火させるのはどう?」


「……着弾の衝撃で発火か」


 エリスが目を細めた。「それ、できるかもしれない。やってみていい?」


「一緒にやってみよう」


 二人が試行錯誤を始めた。


 最初の十本は失敗した。矢が飛んでいる途中で発火したり、着弾しても何も起きなかったり。


 十一本目。


 リアが矢を射た。エリスが矢の先に込めた火属性の魔力を、着弾の瞬間に解放した。


 ドンッ——。


 鈍い炸裂音がした。岩の壁に黒い焦げ跡が広がった。


「……できた!」


 リアが叫んだ。


「できた……!」


 エリスも叫んだ。


 二人が顔を見合わせて笑った。


 俺はその様子を見ていた。


 ドラが隣で「あの二人、最近連携の練習を自分たちでやってるな」と言った。


「ああ」


「良いことか」


「当然いいことだ。俺が指示しなくても動けるようになる方がいい」


「……ケンジは、全員が自分なしで動けることを望んでるのか」


 俺は少し考えた。


「俺が動けない状況になった時のためだ。全員がそれぞれの判断で動けれれば、俺が倒れても戦える」


 ドラが「……お前が倒れることを想定しているのか」と言った。


「常に想定している。油断より備えの方がいい」


「そういう発想が——前世の名残か」


「かもしれない」


 ドラが「俺はケンジが倒れることを想定したくないが」と言った。「でも備えておくことは否定しない」


「それでいい」


-----


 九層で、《爆発蛙》の群れに遭遇した。


 体長三十センチほどの蛙だ。自爆する。体内に可燃性のガスを溜めていて、興奮すると爆発する。俺たちが近づいただけで誘爆する可能性があった。


「近づけない」とリアが言った。「矢で射ってもガスに引火して連鎖爆発する」


「群れの数は」と俺が聞いた。


「二十匹以上」とドラが言った。「でも——匂いが一か所に集まってる。広がっていない」


「エリス、水属性で群れ全体を濡らせるか。ガスを湿らせれば引火しにくくなるかもしれない」


「広範囲に……やってみる」


 エリスが両手を前に出した。青い魔力が広がった。


 水の膜が空中に広がって、群れの上から降り注いだ。


 《爆発蛙》たちがびしょ濡れになった。


「リア」


「わかった——《爆発蛙》、矢で一匹ずつ射つ?」


「いや。濡れて動きが鈍くなっている。ドラと俺で踏みつぶす。音を出さず、ガスを出す前に潰す」


「……えっ」


「行くぞ、ドラ」


「ああ」


 二人で静かに踏み込んだ。


 リアが「……なんかすごく直接的な倒し方だな」と呟いた。


 エリスが「でも確かに一番確実かも……」と言った。


-----


 十層の入口に着いた時、空気が変わった。


 今まで感じたことのない重さがあった。


 ドラの鼻がひくついた。「……でかい。すごくでかい。岩砕き熊と同じ匂いだが——桁が違う」


「《古代洞窟熊》だ。十層のボスだ」


 ガロから聞いていた。カルタの山道で俺たちが倒した《岩砕き熊》の、遥か上位種。この層に一体だけいる。体長四メートルを超える。全身の毛が鉄のように硬化している。岩を砕くどころか、岩盤ごと抉る。


「勝てるか」とドラが言った。


「勝てる。方法を考える」


「毛が鉄みたいに硬いなら、剣が通らないぞ」


「剣を通す必要はない。黒炎は通る」


「俺はどうする」


「隙を作る役に回ってもらう。正面から斬りかかって注意を引く。ただし距離は詰めすぎるな。一撃が当たれば骨が砕ける」


「わかった」


「エリス、足場の操作は頼む。ただし前回より相手が重い。地盤を波打たせても、完全に止まらない可能性がある。二秒あれば十分だ」


「……わかった。一回で決めるつもりでやる」


「リア。毛が硬くて矢が通らない可能性がある。ただし目、鼻の穴、口の中——柔らかい部位を狙え。《岩砕き熊》の時と同じだ」


「射角が難しいけど——やる」


-----


 十層の最奥の空間は、今まで見た中で一番広かった。


 天井が高い。洞窟の中というよりは、巨大な地下空間だった。


 そして——いた。


 《古代洞窟熊》。


 でかい。


 全長四メートルを優に超えていた。全身の毛が鈍く光っていた。金属の光沢だった。爪が長い。足跡の一つ一つが、石畳に深く刻まれた。


 こちらを見た。


 目が黄色く光っていた。


 それだけで——圧がある。


「来る前に仕掛ける」


 俺が前に出た瞬間、《古代洞窟熊》が動いた。


 速い。あの巨体でこの速さか。


 前足が振り下ろされた。


 俺は右に跳んだ。風圧だけで体が揺れた。


 床が抉れた。石畳が砕けた。石の破片が飛んだ。


「ドラ!左から!」


「行く——!」


 ドラが《古代洞窟熊》の左前足に向かって双剣で斬りかかった。


 ガンッ。


 火花が散った。刃が弾かれた。


「硬い!」


「わかった。引いてくれ!」


 ドラが後退した。


 《古代洞窟熊》の意識がドラを追った。


 その隙に——俺は正面から突っ込んだ。


 呪印を解放した。黒炎が全身を包む。全身強化。速度が跳ね上がる。


 《古代洞窟熊》の腹の下を潜り抜けた。


 腹に黒炎を叩き込んだ。


 ジジジジジ——。


 毛が燃えた。でも肌まで届かない。毛の層が厚すぎる。


 まずい。


「エリス!今じゃない!まだ待て!」


「わかった!」


 俺は《古代洞窟熊》の後脚の付け根に張り付いた。


 同じ場所に黒炎を押し込み続けた。


 毛が燃える。その下の皮膚が焦げ始める。


 《古代洞窟熊》が後脚を振った。俺が弾き飛ばされた。


 壁に背中から激突した。


「ケンジ!」


 リアの声。


 痛い。でも動ける。


「問題ない——エリス、右前足!」


 エリスがすでに手をついていた。


「《地脈震》——!」


 右前足の足元が波打った。


 《古代洞窟熊》の重心が右に崩れた。


 頭が下がった。


 俺は立ち上がりながら呪印を絞った。


 黒炎を両腕に集中させた。右腕と左腕に、今まで以上の密度で。


 《古代洞窟熊》の頭部——目と鼻の間の部分——に向かって、両腕を叩き込んだ。


 ドゴォッ。


 今まで聞いたことのない音がした。


 黒炎が《古代洞窟熊》の顔面に食い込んだ。毛が、皮が、その下の肉が——黒炎に喰われていく。


「リア!今!」


「撃つ——!!」


 ウィンドアロー。


 加速した矢が、俺の黒炎が作った焦げ穴——鼻の奥——に向かって飛んだ。


 深く入った。


 《古代洞窟熊》が後ろ足で立ち上がった。


 高い。天井に届きそうな高さだ。


 そのまま——倒れた。


 地響きが、洞窟全体に響いた。


 石畳にひびが入った。


 動かなくなった。


-----


 静寂。


 俺は肩で息をしていた。


 背中が痛い。壁に叩きつけられた衝撃が残っていた。


「ケンジ、大丈夫?」


 エリスが駆け寄ってきた。


「問題ない。打ち身だ」


「嘘つかないで。顔が少し歪んでる」


「……少し痛い。それだけだ」


「座って」


「まだ確認が——」


「座って」


 エリスが有無を言わせない声で言った。


 俺は座って、エリスの回復魔法を受けた。


 ドラが《古代洞窟熊》に近づいて確認する。「……死んでいる。間違いない」


「リアの矢が決め手だった。鼻の奥まで届いた」


 リアが弓を下ろしながら「……届いた時、自分でも信じられなかった」と言った。


「届くと思って射ったのか」


「半分は……あの角度、普通は無理だと思った。でも空気の流れが見えた気がして——ケンジが作った黒炎の熱で空気が動いていて、矢がそこに乗れると思った」


「風で矢の軌道を変えたのか」


「……意識してたわけじゃないけど、たぶんそう」


 俺はリアを見た。


「それは技術だ。次は意識してやれ」


 リアが「……うん」と言った。でも声が少し震えていた。


「怖かったか」


「……すごく。でかすぎて」


「そうだろうな。俺も少し怖かった」


「ケンジが?」


「あの速さは想定より速かった。壁に叩きつけられた時、一瞬判断が遅れた」


 リアが「それを素直に言うんだね」と言った。


「事実だから言う」


「……なんか、嬉しい」


「何がだ」


「ケンジも怖いって思うんだな、って」


-----


 《古代洞窟熊》の素材を回収し始めた時、ドラが「これ——」と言った。


 《古代洞窟熊》の首の後ろに、何かが絡まっていた。


 毛の中に埋もれていた。取り出すと——小さな袋だった。


 見た目は普通の革袋だ。手のひらに乗るくらいの大きさ。でも——口を開けた瞬間、中が異様に深かった。


「何これ」


 リアが覗き込んだ。


「試しに石を入れてみる」


 ドラが近くの石を拾って、袋の口に入れた。


 すっと入った。重さが増えない。


 もう一つ。もう一つ。


 十個入れても、袋は膨らまなかった。重さも変わらなかった。


「収納魔道具だ」


 俺は言った。


「収納魔道具?」


「魔力で内部空間を拡張している袋だ。どのくらい入るかはわからないが——今まで荷物を背負って潜っていた分が、全部これに入るかもしれない」


「それ、すごい……!」


 エリスが目を輝かせた。


「荷物の重さがなくなれば、戦闘の動きが変わる。食料も多く持ち込める。長期潜行が楽になる」


「ボスのレアドロップってこういうものなんだね」


「深い層のボスから出るものは価値が高い。ガロが言っていた通りだ」


 リアが「じゃあもっと深い層のボスからはもっとすごいものが出るの?」と言った。


「可能性はある」


「……楽しみになってきた」


 ドラが「戦闘も大変になるがな」と言った。


「それも込みで楽しみ」


 エリスが「私も」と笑った。


-----


 十層の中継点で一晩休んだ翌朝——俺たちは十一層への階段に立った。


 ここから、環境が変わる。


 階段を降りた瞬間から、空気の質が違った。


 湿気が跳ね上がった。


 土の匂いと、水の匂いが混ざった、濃い空気だった。


 天井が——消えた。


 上を見上げた。


 暗い。でも、天井が見えない。


 霧がかかっていた。


「……なにこれ、広い」


 リアが言った。


 正面に広大な空間が広がっていた。足元は石畳ではなく、黒い泥だった。水が溜まっている場所がある。枯れ木のような形の植物が、至る所に生えていた。


 沼だった。


 《アルテア深層迷宮》十一層——地下沼地帯。


「ドラ、匂いは」


 ドラが鼻を動かした。


 一秒。


 二秒。


「……複雑だ。水の匂い、泥の匂い、腐敗の匂い、それから——複数の魔物の匂いが混ざってる。分離できない」


「やはりか」


「ケンジの感知は」


 俺は呪印を広げた。


 感知が——霧に邪魔された。


 気配が滲んでいる。洞窟の時のように輪郭がはっきりしない。どこに何がいるか、掴みにくい。


「精度が落ちる。半径三十メートルがやっとだ」


「俺も同じだ」


 リアが目を閉じた。


 風を読んでいる。


 十秒ほどして、口を開いた。


「……右前方に何かいる。大きいもの。あと、左側に小さいのが複数。空気の揺れ方が違う」


「リア、どのくらいの距離だ」


「右前方は……五十メートルくらい。左は三十メートルくらいかな。なんとなくだけど」


 俺はドラを見た。


「俺の感知とほぼ一致する。リアの風の感知が、ここでは一番使える可能性がある」


「私が索敵役?」


「補助だ。でも重要な補助だ」


 リアが少し背筋を伸ばした。


 エリスが「十一層、なんか雰囲気が全然違うね」と言った。


「洞窟じゃなくなった。戦い方を全部見直す」


「怖いより……なんか、わくわくする」


「……そうか」


「ダメ?」


「悪くない」


 俺は沼地帯を見渡した。


 霧の向こうに、何かがいる。


 広大な空間。見通せない霧。足元の泥。


 洞窟とはまるで別の戦場だ。


 でも——呪印が低く燃えた。


 まだ先がある。


 十一層。


 始まった。

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