第31話:一層目の洗礼
一層目に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
地上の湿気とは違う。閉じた空間の、重い空気だ。天井が高い。石造りの壁が続いている。でも——自然にできた洞窟ではない。整然としすぎている。誰かが、あるいは何かが作った空間だ。
魔法石が壁に埋まっていて、薄い光を放っていた。暗いが、何も見えないほどではない。
「空気が違う」
リアが言った。
「慣れろ。地上と同じ感覚で動くな」
「どう違う?」
「音の反響が変わる。遠くの気配を掴みにくい。天井があるから視界の上下が狭い。慣れるまで少し時間がかかる」
ドラが鼻を動かした。「……魔物の匂いがする。複数。前方三十メートルほど」
「種類は」
「嗅いだことがない。でも——小さい。一匹ずつは弱そうだ」
「群れの数は」
「……五から八」
ガロが「《洞窟蜥蜴》だな」と言った。「一層目の定番だ。俊敏だが、一撃は弱い。群れるのが厄介なだけで、連携が取れているわけじゃない。ばらけて処理すれば楽だ」
「了解」
俺は後ろを振り返った。
「戦い方は変えない。ただし天井が低い場所では跳躍しすぎるな。エリスは魔法の範囲に気をつけろ。反響で自分たちに当たる可能性がある」
「わかった」
「ドラは先行せずに俺と並んで前に出る。リアは距離を取れる場所を確保してから射て」
「わかった」
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前方の通路が広がった。
そこにいた。
《洞窟蜥蜴》——体長は六十センチほど。灰色の鱗。四本足で素早く動く。尻尾が長い。目が大きくて、暗所でも見えているのがわかった。
八匹いた。
一斉にこちらを向いた。
俺が一歩踏み出した。
先頭の一匹が飛びかかってくる。速い。
でも——見えた。
右腕で弾いた。呪印は解放しない。素手で十分だ。
《洞窟蜥蜴》が壁に叩きつけられた。動かない。
二匹目が尻尾で薙ぎ払ってくる。俺は跳んで避けた。天井まで距離があるのを確認してから跳んでいた。
着地と同時に、三匹目の頭を踏んだ。
ドラが右側の三匹に向かっていた。双剣が光る。三匹が、ほぼ同時に倒れた。
「リア」
「撃ってる」
ヒュッ、ヒュッ——。
残りの二匹が、矢を受けて動きを止めた。
静寂。
全部で十秒もかかっていない。
「……速いな」
ガロが呟いた。
「一層は慣らしだ。まだ動きが固い」
「固い、ね」
ミナが静かに言った。「ケンジさんは地上と同じ動きをしていた。でも——天井と壁を使っていない。ダンジョンでは閉所を活かした戦い方がある」
「教えてもらえるか」
「できる範囲で」
「頼む」
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一層を抜けるのに半日かかった。
広い空間が続いて、途中に分岐がある。どちらに進むべきか——ガロが「右だ。ダンジョンの構造は基本的に時計回りに進む」と教えてくれた。
「なぜ時計回りだ」
「最初に潜った先人たちがそう調べた。全てのダンジョンがそうとは限らないが、《アルテア深層》はそうだ」
「マッピングはしているか」
「してる。写しをやろうか」
「もらう」
ガロが一層から三層までの地図を俺に渡した。手書きだが、正確そうだった。
「一層は広くない。難しいのは二層からだ。魔物の種類が増える。《洞窟蜥蜴》の上位種も出る」
「上位種は何が違う」
「酸を吐く。目に入ると厄介だ。視覚を潰された状態で戦うことになる」
「対策は」
「近づけるな。距離を保て。あとは——」
ガロが少し言い淀んだ。
「エリスの全属性魔法、使えるか。光属性」
「使えます」
「光属性を目の前に展開すると、酸が反応して無力化できる。方法として知っておいた方がいい」
エリスが「試してみる」と言った。
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一層の最奥に、《中継点》があった。
石造りの広い空間。魔物の気配が完全に消えた。
壁際に簡易な棚が作られていて、先人たちが置いていった道具や食料が残っていた。水場もある。岩の割れ目から清水が湧いていた。
「ここで休憩だ」
ガロが荷物を下ろした。
俺たちも荷物を下ろした。
リアが壁にもたれて「ふう」と言った。「地上と全然違う」
「何が一番違う」
「緊張感が抜けない。常に警戒してないといけない感じ」
「それが正しい。慣れても油断するな」
「わかってる。でも——疲れる」
「慣れたら疲れが減る」
「慣れるのにどのくらいかかる?」
「お前次第だ」
リアが「それドラの言い方に似てきてる」と言った。
ドラが「悪くない」と言った。
エリスが水を飲みながら「ねえ、ダンジョンって食料どうするの。持ち込んだ分だけ?」と言った。
「ガロが言っていた通り、魔物の肉は食えるものが多い。ただ確認が必要だ。最初のうちは持ち込んだ食料を優先しろ。慣れてから現地調達を始める」
「何で判断するの、食べられるかどうか」
「匂いと内臓の色だ。獣人はわかるだろう」
ドラが「大体わかる」と言った。「《洞窟蜥蜴》は食える。焼けば問題ない」
「本当に?」と リアが少し引いた顔で言った。
「非常食だ。今日は持ち込んだもので食え」
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二層に入ったのは翌朝だった。
一層より天井が低くなっていた。幅も狭い。
ドラが「匂いが変わった」と言った。「酸っぱい匂いがする。《洞窟蜥蜴》の上位種だ。《毒霧蜥蜴》という名前だとガロが昨夜言っていた」
「距離は」
「五十メートル先。でも通路が曲がってるから、見えてからでは遅い可能性がある」
「エリスが先行して光属性を展開できるか」
「試してみる。ただし実戦で使ったことはない」
「試す機会だ」
エリスが前に出た。
白い魔力が両手に集まった。柔らかい光だった。
「……どのくらいの範囲にすればいい?」
「前方三メートルを覆う薄い膜を張れるか。ドームじゃなくて、盾のように」
「やってみる」
白い光が、前方に広がった。
薄い幕のような光が、俺たちの前に漂った。
「できた……かな」
「そのまま保て」
通路の曲がり角を曲がった。
そこにいた。
《毒霧蜥蜴》——《洞窟蜥蜴》より一回り大きい。体の色が緑がかっている。喉元が膨らんでいた。
四匹。
一斉に喉を膨らませた。
酸の霧が噴射された。
光の幕に触れた瞬間——シュッ、という音がして、霧が消えた。
「——効いた!」
エリスが言った。
「そのまま維持しろ。ドラ、左の二匹」
「行く」
ドラが横から回り込んだ。双剣が光った。
俺は残りの二匹に向かった。
一匹目が再び霧を噴こうとした。俺は顎を掴んで上に向けた。霧が天井に当たった。天井の石が溶けた。
二匹目を蹴り飛ばした。
壁に激突した。
リアが仕上げの矢を射た。
「全部か」
「全部」
エリスがほっと息を吐いた。光の幕が消えた。
「……うまくいった」
「うまくいった。ただし維持するのに集中しすぎていた。次はもう少し余裕を持って展開しろ。自分が攻撃できる状態で維持できるのが理想だ」
「難しい……」
「難しくなければ鍛える意味がない」
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三層に着いたのは、潜行開始から三日目だった。
《鋼牙》と並んで中継点に入った。
ガロが「ここまでで今日は止める。五層への道筋を明日確認する」と言った。
「了解」
「……お前たちの成長速度、普通じゃないな」
ガロが俺に言った。
「ダンジョンが合っているのかもしれない」
「合ってる、じゃないな。地上より死が近い環境の方が、お前たちは本領が出る」
俺は少し考えた。
「……そうかもしれない」
「全員がそうだ。四人とも、地上にいた時より目が違う」
「悪い意味か」
「いや」
ガロが焚き火の火を起こしながら言った。
「——本物になっていく目だ。俺たちも最初の頃、こういう目だった」
俺は何も言わなかった。
三層の中継点は広かった。
水場がある。天井から光の石が光を放っている。
リアがドラに近接の型を習っていた。包帯の腕で、痛そうにしながら。
エリスが光属性の魔法を繰り返し展開していた。薄く、広く。何度も何度も。
ドラが型を教えながら、時々ゴッツと目が合って、小さく頷いていた。
あのゴッツという男は、無口だが嗅覚が鋭い。ドラとの間に、言葉を使わない何かがある。
俺は地図を広げた。
三層まで来た。
五層まで、あと二層。
それ以降は——俺たちだけで進む。
呪印が、奥の方で低く燃えていた。
まだ先がある。
深く。
もっと深く。




