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骨まで喰われた俺が、世界ごと灰にするまで  作者: 灰原 健(はいばら けん)@『骨灰』金曜夕方から開幕!


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第28話:焦げた袖

 宿に戻ったのは、夜が深くなってからだった。


 部屋に入って、ドラが扉を閉めた。


 誰も何も言わなかった。


 俺はリアの向かいに座った。


「腕を出せ」


「だから平気だって——」


「出せ」


 リアが黙って両腕を前に出した。


 袖が焼け落ちていた。露わになった腕の皮膚が、赤く腫れ上がっていた。右腕は一部、水ぶくれになっていた。


 ドラが水を持ってきた。エリスが薬草の束を荷物から引っ張り出した。


「これ、傷に使える?」


 エリスがドラに聞いた。


「薬草だな。潰して塗れば炎症を抑えられる」


「やる」


 エリスが薬草を布の上で潰し始めた。


 その手が途中で止まった。


「……待って。魔法で治せるかもしれない」


 エリスがリアの腕に手をかざした。白い光が手の平に集まった。光属性の治癒魔法だ。


 でも。


 光がリアの腕に触れた瞬間、弾かれた。


 火傷は少しも変わらなかった。


「……なんで」


 エリスが目を細めた。


「呪印の炎でできた傷だ。普通の魔法は通らない」


 俺は静かに言った。


「呪印は魔力を喰う。治癒魔法の魔力ごと弾き返す」


「じゃあ——治せないの?」


「薬草と時間で治すしかない」


 エリスが唇を噛んだ。


 もう一度、今度は魔力を強く押し込もうとした。白い光が大きくなった。


 また弾かれた。


「エリス、やめろ。魔力を無駄に使うな」


「でも——私が治せれば——」


「治せない。それが呪印だ」


 エリスが手を下ろした。


 俺はリアの右腕を水で冷やしながら、何も言わなかった。


 リアも何も言わなかった。


 ドラが「俺が巻く」と言って、エリスが潰した薬草を布に広げて、リアの腕に慎重に当てた。


 リアが少し顔をしかめた。


「痛いか」


「……少し」


「我慢しろ」


「してる」


 ドラが布をゆっくりと巻いていく。手つきが丁寧だった。荒っぽい見た目に似合わず、こういう時のドラは静かだった。


 エリスがリアの手の傍に座って、何も言わずに布を押さえていた。


 それ以上、誰も何も言わなかった。


-----


 リアの腕の手当てが終わってから、俺は窓際に立った。


 街の北側を見た。


 倉庫の方角から、薄く煙が上がっていた。エリスが消したはずだが、どこかまだ燻っているのかもしれない。あるいは、別の何かが燃えているのか。


「ケンジ」


 ドラが俺の隣に立った。


「何だ」


「今夜のことを整理したい」


「ああ」


「中間管理者の二人は逃げた。ヴォルテクスに今夜の話が伝わる。俺たちがカルタにいること、子供のパーティであること、それから——」


 ドラが少し間を置いた。


「呪印のことも、伝わる可能性がある」


 俺は黙っていた。


「どうする」


「カルタを出る。予定を早める」


「王都に向かうか」


「ああ。ただし今夜じゃない。夜中に街を出れば怪しまれる。明朝、普通に出発する。ヴォルテクスが動くとしても、情報が伝わって指示が下りるまでに時間がかかる。その隙に距離を稼ぐ」


 ドラが「……よく考えてるな」と言った。


「考えていないと死ぬ」


「それもそうだ」


 エリスが布団の端に座って、膝を抱えていた。


「……また逃げることになっちゃった」


 静かな声だった。


「逃げるわけじゃない」


「でも、私のせいで——」


「違う」


 俺はエリスを見た。


「今夜のことは俺のせいだ。制御できなかった。それだけだ」


「ケンジが悪いわけでも——」


「悪い悪くないの話じゃない。制御できなかったのは事実だ。次は制御する。それだけでいい」


 エリスが黙った。


 しばらくして、小さく頷いた。


 リアが俺を見ていた。


 何かを言いたそうな顔だったが、何も言わなかった。


-----


 その夜、俺は眠れなかった。


 天井を見ながら、今夜のことを反芻していた。


 人喰いの音を聞いた瞬間に——制御が飛んだ。


 一度目の転生。生きたまま喰われた記憶。


 あの感覚が引き金になることはわかっていた。いつかトリガーになると思っていた。でも実際に引かれた時、俺には何もできなかった。


 リアの腕が焼けた。


 俺がやった。


 助けに来た側の人間が——仲間を傷つけた。


 それが、今夜一番まずいことだった。ヴォルテクスに情報が漏れたことよりも。中間管理者を逃がしたことよりも。


 俺は右腕を見た。


 何も残っていない。黒炎はとっくに消えている。


 でも腕の奥の、呪印の熱は——まだそこにあった。


 怒りが燃料だと、呪印は正直に教えてくれる。


 問題は——その燃料が、俺の意志とは関係なく燃え上がることだ。


 制御する方法を、見つけなければならない。


 でも今は、わからない。


-----


 翌朝。


 四人で朝食を取って、荷物をまとめた。


 リアの腕には白い布が巻かれていた。動かすのに少し不自由そうだったが、文句は言わなかった。


 宿を出る前に、ドラが言った。


「ギルドには寄らなくていいのか。Dランクになったばかりだ」


「今は動くことが優先だ。カルタを出た後、次の街で活動を再開する」


「わかった」


 四人で宿を出た。


 城門に向かって歩く。朝の市場が動き始めていた。昨夜のざわめきは、もう表には出ていない。


 城門の前を通り過ぎる時、ドラが鼻を動かした。


「……ヴォルテクス、血の匂いはしない。今のところ」


「今のところ、だ」


「わかってる」


 城門をくぐった。


 街道が伸びている。王都アルテアまで、約十日。


 俺は振り返らなかった。


-----


 街道を一時間ほど進んだところで、後ろから声がかかった。


「おい、《灰燼》」


 振り返ると、ガロが立っていた。


 後ろにミナとゴッツ。《鋼牙》の三人だ。


「……なんで追ってくる」


「追ってない。俺たちも王都方面に用がある。たまたま同じ方向だ」


「そうか」


「そうだ」


 ガロが俺たちを見て、リアの腕の包帯に目を止めた。


「……昨夜、街で何かあったのか。倉庫の辺りから煙が上がってたが」


「関係ない」


「そうは見えないが」


「関係ないと言った」


 ガロが少し黙った。


 ミナが静かに口を開いた。


「無理に聞こうとは思いません。ただ——昨夜、ヴォルテクスの構成員が何人か慌てて街を出ていったのを見ました。北の方角に向かっていた」


 俺は少し考えた。


「情報として受け取る」


「それだけですか」


「今はそれだけでいい」


 ミナが俺を見た。何かを確かめるような目だった。


 やがて静かに頷いた。


 ガロが「まあいい」と言った。「同じ方向に行くだけだ。邪魔はしない」


「邪魔にならなければ構わない」


「相変わらず素直じゃないな」


「お前に素直になる理由がまだない」


 ガロが「まだ、ね」と言った。少し笑っていた。


 ゴッツがドラの隣を歩き始めた。


 ドラがそちらを見た。


 ゴッツが黙って前を向いた。


 ドラも黙って前を向いた。


 二人の間に、何か言葉にならないものが流れた。


「……昨日の山、お前たちの戦い方は悪くなかった」


 ゴッツが唐突に言った。


 声が低くて、短かった。


「ああ」とドラが言った。「お前たちもな」


 それだけだった。


 でも、それで十分だった。


-----


 昼を過ぎた頃、リアが俺の隣に来た。


「ねえ、ケンジ」


「何だ」


「昨日のこと——怒ってる?」


「何に対して」


「止めたこと」


 俺は少し考えた。


「怒ってない」


「本当に?」


「止めてくれなければ、もっと悪いことになってた。それはわかってる」


 リアが少し黙った。


「……腕、痛い?」


「少し。でも動く」


「当分、近接の練習は控えろ」


「わかってる」


「弓は?」


「引けると思う。ためしてみないとわからないけど」


「無理はするな」


「しない」


 しばらく二人で黙って歩いた。


 リアが前を見たまま、静かに言った。


「昨日、怖かった」


「……そうだろうな」


「ケンジが怖かったんじゃなくて——ケンジがどこかに行っちゃいそうで、怖かった」


 俺は何も言わなかった。


「呼んでもケンジじゃないみたいで——だから抱きついた。それで止まるかわからなかったけど」


「……止まった」


「うん」


 リアが俺を横目で見た。


「また出そうになったら、また止める」


「焼けるぞ」


「焼けてもいい」


 俺は少し黙ってから言った。


「……焼けてほしくない」


 リアが驚いたような顔をした。


 俺は前を向いた。


「次は自分で止める。だから——焼けるところまで来るな」


「……一緒に頑張ろ」


「頑張る」


 リアが小さく笑った気配がした。


 それ以上は何も言わなかった。


-----


 夕方、野営の準備をした。


 街道を外れた林の中に場所を取って、焚き火を起こした。


 《鋼牙》の三人も少し離れたところに陣を取った。同じ野営地だが、火は別々だ。距離感が丁度いい。


 食事の後、エリスが俺の隣に座った。


「王都まで、あと何日くらい?」


「九日から十日だ。途中で依頼を受けながら進む」


「ヴォルテクスは追ってくると思う?」


「来ると思って動く。来なければそれでいい」


 エリスが膝を抱えた。


「……私が普通の人間だったら、よかったのかな」


「どういう意味だ」


「みんなを危険な目に遭わせてるのは、私を追ってるヴォルテクスがいるからで——」


「違う」


 俺は短く言った。


「俺がヴォルテクスと戦うのは、エリスのためだけじゃない。個人的な理由がある」


「……一度目の転生のこと?」


「ああ。あいつらは今も同じことを続けている。それが許せない。それだけだ」


 エリスが少し黙った。


「……ケンジは、ちゃんと怒れるんだね」


「怒り続けてる。ずっと」


「それが呪印の燃料なんだね」


「そうだ」


 エリスが静かに言った。「私も怒っていいのかな。自分のことで——自分が追われてることで、ちゃんと怒っていいのかな」


 俺はエリスを見た。


「怒っていい」


「怖い、じゃなくて?」


「怖いのと怒りは両立する。俺も最初は怖かった」


 エリスが少し目を見開いた。


「ケンジが怖いって思うことあるの」


「ある。今も、たまにある」


「……そっか」


 エリスが焚き火を見た。


 炎が揺れていた。


「一緒に強くなろう」


 小さく言った。


 俺は頷き、何も言わなかった。


 焚き火の音だけが聞こえる。でも——悪くなかった。


-----


 夜が深くなった。


 ドラが見張りに立った。リアとエリスが眠っていた。


 俺は横になったまま、目を閉じていた。


 眠れなかった。


 カルタを出た。ヴォルテクスに情報が漏れた。リアが怪我をした。《鋼牙》と同行することになった。


 損失と収穫を並べると、損失の方が多い夜だった。


 でも。


 暗闇の中で——リアとエリスの寝息が聞こえた。


 隣でリアが包帯を巻いた腕を抱えながら眠っていた。


 それだけで、何かが少し落ち着いた。


 次は自分で止める。


 呪印に呑まれる前に。


 仲間を焼く前に。


 俺は目を閉じた。


 王都まで、九日。


 ヴォルテクスの影が、どこかで追ってくる。


 でも今夜は——眠れる気がした。

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