第18話:黙らせた拳
ギルドの扉を開けた瞬間、喧騒が押し寄せてきた。
酒と汗と革の匂いが混じった空気。木製のテーブルに冒険者たちが屯して、飯を食ったり酒を飲んだりしている。壁一面に依頼書が貼られていた。奥にカウンターがあって、受付の職員が忙しそうに動いている。
俺たちが入ってきた瞬間、何人かが振り返った。
子供三人と、大人一人。
「おい、迷子か?」
誰かが笑った。俺は無視してカウンターに向かった。
受付にいたのは、三十代くらいの男だった。顎に無精ひげ。俺たちを見て、あからさまに眉をひそめた。
「冒険者登録をしたい」
「……ガキが?」
「そうだ。十二歳以上は単独登録できると規約に書いてある。俺たちはパーティ登録にする。代表はこの人だ」
俺はドラを示した。
「俺は十九歳だ」とドラが言った。
男が書類を取り出した。完全に不承不承という顔だったが、規約上は問題ない。
「魔力測定をする。この水晶に手を当てて、魔力を流せ。属性とタイプが記録される」
水晶の球が出てきた。受付の男の首には、銅色のタグが下がっていた。
この街で初めて見たが、どうやら冒険者の証明はタグ形式らしい。素材の色でランクを示している。
リアが水晶に手を当てると、緑色の光が広がった。「風属性だ」と男が記録した。
ドラが手を当てると、黄色い光が広がった。土属性特有の、重厚な輝きだ。「土属性。出力が強い」と男が記録した。ドラが無言で頷いた。
エリスが水晶に手を当てた瞬間——紫色の光が溢れ出した。
水晶が震えた。
光が部屋中に広がって、天井まで届いた。周囲の冒険者たちが「なんだ」「魔力が溢れてる」と騒ぎ始めた。エリスが慌てて手を離した。光がゆっくり収まった。
男が青ざめていた。「……今のは、何だ」
「測定結果に問題があるか」
「問題というか——これほどの出力は記録したことがない。複合属性で、しかもこの量は……」
男が書類を確認しながら手を震わせた。
「次の方、どうぞ」
エリスがほっとした顔をした。「驚かせてごめんなさい」
「……いや」男がなんとか平静を取り戻した。
俺の番になった。
水晶に手を当てた。
一瞬だけ白い光が滲んで——即座に黒く塗り潰されて消えた。
「……ゼロ」
男が呆れた顔をした。「さっきの子の後にゼロとは、随分な差だな」
そのとき、後ろから大きな声が飛んできた。
「ゼロだってぇ!?いやあ、珍しいもん見たな!」
振り返ると、テーブルで飯を食っていた男が立ち上がっていた。三十歳前後。体格は普通で、首から赤いタグを下げている。Dランクだ。
「よく聞けよガキども!俺様はDランク冒険者のバルドだ!三年かけてDランクまで上がった本物の冒険者ってもんだ!魔力ゼロが冒険者だと?笑わせるな、足手まといにしかならん!」
周囲から笑い声が上がった。
「Dランクが偉そうに」とドラが低く言った。
「ドラ、待て」
俺はバルドを見た。
「何か問題があるか」
「問題?大有りだろ!俺たちは命がけで仕事してるんだ。魔力ゼロの子供に冒険者ごっこされたら依頼主に迷惑がかかる!」
「俺たちの依頼結果が迷惑かどうかは依頼主が判断することだ。あなたには関係ない」
「生意気なガキだな!」
バルドが俺の胸倉を掴もうと手を伸ばしてきた。
俺は呪印を右腕に集中させた。
バルドの手が胸に触れた瞬間、俺はその手首を掴んで真下に引き落とした。体勢が崩れて前傾するバルドの鳩尾に、呪印を薄く込めた右の拳を叩き込んだ。
ごふっ、と空気が抜ける音。
バルドの体が折れ曲がって、そのまま床に崩れ落ちた。
数秒もがいて——動かなくなった。
気絶している。
周囲が、完全に静まり返った。
俺は床のバルドを見下ろした。
呪印はほんの一滴だ。普通の成人男性を一撃で落とす程度の上乗せ。やりすぎていない。
「……誰か、水をかけてやれ」
俺は静かに言った。
しばらく誰も動かなかった。
それから、近くにいた冒険者の一人がバルドに水を持ってきた。
受付の男が「……登録、続けます」と言った。
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登録を終えて、四人全員にFランクを示す緑色のタグが渡された。
ドラが「全員Fからか」と言った。
「当然だ」と受付の男が言った。「魔力量がどれだけあっても、実績がなければFスタートだ。ランクは魔力じゃなく、依頼の達成実績で決まる」
「……なるほど」
受付の男が書類を片付けながら、淡々と続けた。
「ギルドのランクはF・E・D・C・B・A・Sの七段階だ。タグの色で区別している。緑がF、青がE、赤がD、銅がC、銀がB、金がA、黒がSだ。ランクが上がるほど受けられる依頼の幅が広がる」
「ランクアップの条件は」
「依頼の達成実績と審査だ。Fは十件以上の達成実績でE昇格の審査を受けられる。Dからは特定の難度の依頼クリアが条件になる」
「依頼の失敗時は」
「失敗の内容による。魔物討伐なら未達成でも報告義務がある。報告なしに放棄した場合はペナルティとしてランクポイントが下がる。悪質な場合は登録抹消もある」
「報告義務の期限は」
「依頼書に記載された期限の翌日までだ」
俺は頷きながら全部頭に入れた。
「依頼書は今日持っていけるか」
「受けたい依頼があるなら今すぐでも構わない。ただしFランクが受けられるのは左の棚の依頼だけだ」
「わかった」
俺は依頼書の棚を確認してから、一枚取った。
周囲の冒険者たちの視線が、さっきとは変わっていた。笑いが消えて、値踏みするような目になっていた。
バルドはまだ床に転がっていた。
俺は振り返らずにギルドを出た。
「気持ちよかった」
リアが言った。
「何が」
「あのおじさんが黙った顔」
「ただの体捌きだ」
「でも気持ちよかった」
ドラが「Dランクがあの程度か」と言った。
「全員がそうじゃない。あいつが弱かっただけだ」
「……まあな」
エリスが「次は何するの?」と聞いた。
「買い物だ」
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武器屋に向かった。
店主は五十代の老人で、壁一面に様々な武器が並んでいる。剣、槍、弓、短刀、変わったものではフレイルや手裏剣もある。
ドラが剣の棚を見始めた。手に取って、重さとバランスを確認している。
「廃砦で拾ったのと同じバランスのやつを探してる」
「新品じゃなくていいのか」
「中古の方が手に馴染んでる場合もある」
店主の老人が「こっちに中古品がある」と奥の棚を示した。ドラが手に取って、何本か試した。三本目で止まった。
「これだ」
「いくらだ」
「銀貨二枚」と店主が言った。
新品より大幅に安い。刃に傷はあるが、バランスは申し分ないとドラが言った。
「どれがいい」
「これ」
リアが迷わず一本を取った。刃渡り二十センチほど、軽くてバランスのいい一本だ。
「構えてみろ」
リアが構えた。ドラに習った基本の構えを、一晩でしっかり体に入れている。
「合ってる。それにしろ」
「即断だね」
「迷う要素がない」
値段は銀貨二枚。
次にエリスが帽子の棚を指差した。
「あれ、欲しい」
深めのつばがついた、フード付きの帽子だ。今まで使っていたものより生地が厚くて、角を隠しやすい。
「いくらだ」
「銅貨五枚」と店主が言った。
「これにする」
エリスが嬉しそうに被ってみた。角が完全に隠れた。
「似合う」とリアが言った。
「本当に?」
「うん。前のより全然いい」
エリスが照れた顔で鏡を覗き込んだ。
俺は会計を済ませながら、残金を計算した。
短刀:銀貨二枚。中古の剣:銀貨二枚。エリスの帽子:銅貨五枚。
今日の出費:合計銀貨四枚と銅貨五枚ほど。
旅用品は今日は見送る。金がない。
手元に残るのは銀貨一枚半と銅貨九枚。
日本円で約一千九百円。宿代を払えばほぼ底をつく。
「今夜の宿を探す」
「お金大丈夫なの」
リアが心配そうに言った。
「ギリギリだ。四人で一部屋の一番安いところを探す」
「……野宿じゃないのね」
「街中での野宿は安全面で問題がある。宿に泊まる」
ドラが「格安の宿を知ってる。冒険者がよく使う安宿だ」と言った。
「いくらだ」
「四人で銀貨一枚。相部屋だが清潔だ」
「案内してくれ」
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安宿は、ギルドから路地を二本入った場所にあった。
看板もない、扉が傾いた建物だ。でも中は確かに清潔で、藁を詰めた寝床が並んでいた。先客の冒険者が三人いたが、俺たちを見て特に何も言わなかった。
銀貨一枚を払って、四人分のスペースを確保した。
残金:銅貨九枚。日本円で約九百円。
明日の依頼で稼がなければ、明後日の食事すら怪しい。
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夜、寝床に横になりながら俺は依頼書を広げた。
ルーデ南の森に出る《霧狼》の群れ。五頭。一頭につき銀貨三枚、全頭討伐で追加の銀貨十枚。
五頭全頭なら銀貨二十五枚。日本円で約二万五千円。しばらくは動ける。
「明日はこれを受ける」
三人に依頼書を見せた。
「《霧狼》か」とドラが言った。「群れで行動して霧を使う。視界が効かなくなる」
「群れの気配は嗅ぎ分けられるか」
ドラが少し間を置いた。「……ある程度は。獣人族の嗅覚は人間より鋭い。霧の中でも、風向き次第で位置がわかる」
「それは助かる」
「ただし、全頭の位置を把握するのは難しい。数が多いと混乱する」
「お前が察知して、俺が呪印で補完する。二重の索敵にすれば死角が減る」
ドラが頷いた。「悪くない」
リアが短刀を手の中で回しながら言った。「明日、近接の出番もある?」
「霧の中では弓の射程が下がる。接近戦になる可能性がある」
「わかった。ドラに教わった構えを試す」
「無理するな。まず弓を使え。詰められたら短刀だ」
「わかってる」
エリスが手を挙げた。「私は何をする?」
「霧の中の光源を作れるか。光魔法で小さな灯りを灯す」
「試したことはあるけど——暗いところでうまくできるかわからない」
「練習するか」
「今から?」
「宿の部屋を暗くして試す。本番前に確認した方がいい」
エリスが頷いた。
四人で夜の間に確認作業をした。
エリスが光属性の小さな灯りを灯す練習。最初は不安定だったが、三十分ほどで安定させられるようになった。ロウソクほどの明かりなら、霧の中でも十分だ。
「できた」
「合格だ」
エリスが「ケンジの合格って嬉しいんだよね、なんか」と言った。
「普通だ」
「普通じゃないから嬉しいんだよ」
ドラが「わかる」と言った。
「お前もか」
「お前の合格は基準が高い。だから値打ちがある」
俺は少し黙った。
二人に同時に言われると、返し方がわからなくなる。
「……寝ろ。明日は早い」
リアが「照れてる」と言った。
「照れてない」
「照れてる」
「寝ろ」
笑い声が部屋に広がった。
呪印が、静かに脈打っていた。
明日、《霧狼》の森に向かう。
金が必要だ。でも——今夜の笑い声は、金には換えられない何かがあった気がした。




