第16話:虎と角、交わらない二つの怒り
夜明け前、ドラが戻ってきた。
父親と村人たちを、グレナ近郊の農家に預けてきたという。農家の主人はドラの父の古い知り合いで、事情を話したら快く受け入れてくれたらしい。
「世話になった」
ドラが俺たちの前に立った。
「急かして申し訳なかった」
「いや。お前たちがいなければ、あそこから出られなかった」
ドラがエリスに目を向けた。
エリスはフードを被ったまま、ドラを見ていた。
少し、間があった。
「……お前」
ドラが言った。
「昨日から気になってたが、フードの下に角がある」
エリスが体を固くした。
「魔族か」
静かな声だった。怒鳴ってはいない。でも、その一言に何かが込められていた。
「……はい」
エリスが小さく答えた。
「ヴォルテクスの構成員は魔族が多い。俺の村を壊滅させた連中も、ほとんどが魔族だった」
「……知ってます」
「知ってるのか」
「……ケンジから聞きました。ヴォルテクスは魔族主体の組織だって」
ドラが黙った。
俺は二人の間に入ることなく、様子を見ていた。
エリスが続けた。「私は——ヴォルテクスとは関係ない。でも、同じ魔族だから」
「関係ないなら問題ない」
「でも、あなたが嫌な気持ちになるのは——」
「エリス」
ドラが遮った。
「俺はお前に怒ってるわけじゃない」
エリスが顔を上げた。
「ただ——確認したかった。それだけだ」
しばらく沈黙が続いた。
エリスがゆっくりと頷いた。「……わかりました」
ドラが視線を外した。
これで終わりかと思った。
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問題が起きたのは、昼前だった。
グレナを出て街道を南に歩いていたとき、エリスが魔力制御の練習をしていた。歩きながら、小さく火の玉を出して消す練習だ。
うまくいっていた。
三回に一回は制御できている。
四回目。
火の玉が、少し大きくなりすぎた。
エリスが慌てて消そうとした。でも制御が乱れて——炎が右側に飛んだ。
ドラの腕に、かすった。
「っ——」
ドラが腕を押さえた。火傷というほどじゃない。でも、熱さで反射的に飛び退いた。
「ごめんなさい!」
エリスが駆け寄った。
「大丈夫、大したことない」
ドラが腕を確認しながら言った。赤くなっているが、皮膚が焼けるほどじゃない。
「本当にごめんなさい、制御がまだうまくできなくて——」
「わかった。気をつけろ」
「はい、ごめんなさい、私——」
「わかったと言った」
ドラの声が、少し硬くなった。
エリスが黙った。
俺はその場を見ていた。表面上は収まっている。でも空気が変わった。
ドラが歩き始めた。エリスが少し後ろを歩くようになった。二人の間の距離が、さっきより広がっていた。
リアが俺の隣に来た。
「……ケンジ、どうする」
「様子を見る」
「放っておくの」
「今は二人の問題だ」
「でも——」
「感情は、すぐに言葉で整理できない。時間が要ることがある」
リアが俺を見た。「それ、自分の話じゃないの」
「他人の話だ」
リアがため息をついた。
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昼の休憩で、街道沿いの木陰に四人で座った。
エリスはドラから少し離れた場所に座っていた。食事の間も、ほとんど喋らなかった。
俺はエリスを横目で見た。
うつむいている。手の中の干し肉を、食べていない。
「エリス、食え」
「……食べてる」
「手が止まってる」
「食べてる」
同じやり取りを、以前もした気がした。
ドラが立ち上がって、少し離れた場所に歩いていった。川の近くに行って、腕の赤みを水で冷やしている。
リアが俺を肘でつついた。「行ってきて」と目で言っている。
「どっちに」
「両方」
俺は先にドラのところに行くことにした。
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川の近くで、ドラは腕に水をかけていた。
俺が近づくと、ドラが振り返った。
「なんだ」
「怒ってますか」
「怒ってない」
「本当に」
「……怒ってない。ただ」
ドラが川を見た。
「魔族の火を受けると、反射的に身構える。どうしても」
「村のことがあるから」
「わかってる。エリスのせいじゃないのもわかってる。頭では」
俺は隣に立った。
「でも体が覚えてる、ということですか」
「……そういうことだ」
ドラが腕を見た。大したことない赤みだ。
「エリスが魔族だと知ったとき、最初から一緒にいると決めてついてきた。俺は自分で選んだ。だから文句を言う気はない」
「でも」
「でも、体が先に動く。それだけだ」
俺は少し考えた。
「ドラ、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「エリスと一緒にいることが嫌なら、言ってください。無理に縛るつもりはない」
ドラが俺を見た。
「嫌じゃない」
「理由は」
「昨日の戦いで見た。あいつは怯えながら魔法を使ってた。失敗したら仲間に迷惑をかけると思いながら、それでも動いてた」
ドラが川に視線を戻した。
「ヴォルテクスの連中は、怯えながら戦わない。楽しんでる。あいつらとエリスは、全然違う」
「わかってるんですね」
「わかってる。でも体は遅れる。それだけだ」
俺は頷いた。
「エリスに、今の話をしてもらえますか」
「俺が?」
「あいつは自分が魔族であることを責めてる。あなたの言葉が一番届くと思う」
ドラがしばらく黙っていた。
「……苦手だ、そういうのは」
「知ってます。でもお願いします」
ドラが俺を見た。
「お前、十歳のくせに人使いが荒い」
「よく言われます」
ドラが短く笑った。
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ドラがエリスの隣に歩いていった。
俺はリアの隣に座って、遠くから見ていた。
ドラがエリスの隣にしゃがんだ。エリスが驚いた顔で顔を上げた。
二人が何か話している。声は聞こえない。
エリスが俯いた。ドラが続けて何かを言った。エリスが顔を上げた。
それから——エリスが、小さく笑った。
「……どんな話したんだろ」
リアが言った。
「さあ」
「聞きたくない?」
「二人の話だ」
リアが俺を見た。「ケンジって、ちゃんと距離感わかってるよね」
「当たり前だ」
「当たり前じゃないよ。そういうの、下手な人多い」
俺は黙った。
前世のサラリーマン時代、チームのトラブルを処理し続けた十年間があった。人間関係の機微は、嫌というほど学んだ。
でも今は、そういう話をする必要はない。
ドラがエリスの頭にぽんと手を置いた。エリスがびっくりして固まった。ドラが立ち上がって戻ってくる。
「終わったか」
俺が言うと、ドラが「うるさい」と言った。でも顔は悪くなかった。
エリスが俺のところに来た。目が少し赤かった。でも笑っていた。
「……ケンジ、ドラに話してくれたの?」
「少し」
「ありがとう」
「礼はいらない」
「ケンジはいつも礼はいらないって言う」
「事実だ」
エリスが笑った。
ドラが干し肉を齧りながら「行くぞ、時間が惜しい」と言った。
俺が「わかりました」と返すと、ドラが立ち止まった。
「……一つ言っていいか」
「なんですか」
「その「ですます」、やめろ」
俺は少し間を置いた。「なぜ」
「年上だからって敬語を使われると、距離を感じる。俺たちはこれから長い付き合いになるんだろ」
「……そうですね」
「そこも直せ」
俺はドラを見た。
十九歳と十歳。九つ差がある。でもドラの目は「年上として敬われたい」わけじゃなく、「仲間として話したい」という目だった。
「……わかった」
「それでいい」
「慣れるまで時間がかかるかもしれない」
「構わん。少しずつでいい」
リアが「私はずっとタメ口だったけど」と言った。
「お前は最初から遠慮がなかった」とドラが言った。
「褒め言葉として受け取っておく」
エリスが「私も直す」と言った。
「お前はそのままでいい。なんか自然だから」
エリスが「なんか、って何」と言った。
ドラが答えずに歩き始めた。
四人が立ち上がった。
さっきより、距離が縮まっていた。
完全に解けたわけじゃない。でも——最初の一歩が踏み出された。
それで十分だ、と俺は思った。
呪印が、静かに脈打っていた。
四人分の足音が、街道に響いた。




