第15話:廃砦の夜、四人の炎が走る
夜が来るのを待った。
宿に戻って荷物をまとめ、日が完全に沈んでから四人で街を出た。
グレナの北門を抜けると、街道が続いている。ドラが言っていた廃砦は、そこから獣道を外れて小一時間の場所にあるらしい。
「本当に今夜やるのか」
ドラが歩きながら言った。
「急ぐ必要があると言いました」
「俺も早い方がいいとは思う。だが——お前たちは子供だろ。昼間の戦いで疲れてるんじゃないか」
「問題ない」
リアが「私はわりと元気」と言った。エリスが「私も」と言った。
ドラが四人を順番に見た。
「……変な連中だ」
「三回目です、それ」
「毎回思う」
俺は前を向いたまま言った。「廃砦の構造を教えてください。入り口は一つですか」
「連れてこられるときに見た。正面の鉄扉が一つ。裏手に小さな搬入口がある。人一人がやっと通れる幅だ」
「守備の配置は」
「正面に二人、中に残りがいた。人質は地下の牢に入れられている。階段は一箇所だけ」
俺は頭の中に廃砦の構造を描いた。
正面二人を先に排除して、内部に入る。地下への階段を確保したら、残りの守備を倒す。人質を確認してから脱出。
「一つ確認します。人質が殺されるとしたら、どのタイミングですか」
ドラが少し間を置いた。「……侵入に気づいた瞬間だと思う。組織の連中は、最後まで俺を抑制するための道具として使うつもりだろうが、追い詰められたら切り捨てることも考えられる」
「つまり、気づかれる前に動くのが理想だ」
「そうなる」
俺はリアを見た。「正面の二人を音なしで仕留められるか」
リアが少し考えた。「距離と光量次第。暗くて遠すぎると難しい」
「風魔法を使えば矢の速度と精度が上がるんじゃないか」
リアが目を丸くした。「……やったことない」
「試したことは」
「ない。でも——風で矢を押せばいけると思う。理論上は」
「今夜、試してもらう」
「ぶっつけ本番で?」
「失敗したら俺が動く」
リアがため息をついた。「ケンジって、割と無茶ぶりするよね」
「能力を信用してるから任せる」
「……それ、褒めてる?」
「事実だ」
リアが前を向いた。少し背筋が伸びたように見えた。
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廃砦が見えてきたのは、夜の闇が完全に深くなってからだった。
丘の斜面に建てられた石造りの砦。かつて国境の見張り台だったらしく、崩れかけた壁が月明かりに浮かんでいる。正面の鉄扉の前に、松明が二本灯っていた。
その松明の光の中に、二人の男が立っていた。
俺たちは砦から百メートルほど離れた茂みに身を潜めた。
「リア、見えるか」
「見える。松明があるから思ったより明るい」
「風魔法と合わせて、同時に二人を——」
「二本同時は無理。時間差がいる」
「どのくらい」
「三秒あれば。一本目を射た後、二本目を——」
「三秒で相手が動く」
「動く前に射る。私が引いてる間、ケンジが注意を引いて」
俺は少し考えた。
「わかった。エリス、俺が動いたらお前は砦の壁に向けて火魔法を撃て。囮だ。壁に当てるだけでいい」
エリスが頷いた。「……火、まだうまく制御できないけど」
「壁に当てるだけでいい。大きさは問わない。やれるか」
「やる」
「ドラは俺の後ろについてきてくれ。正面突破の準備を」
「わかった」
俺は呪印を静かに解放した。氷の下で、炎を燃やす。
「行くぞ」
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俺は茂みを出て、砦に向かって走った。
正面の守備の一人が気づいた。「誰だっ——」
その瞬間。
ヒュッ——パァンッ。
乾いた音が夜の空気を切った。
一人目の男が崩れ落ちた。首に矢が刺さっていた。普通の矢より速い。風魔法で加速した矢は、夜の暗闇の中でも寸分違わず飛んでいた。
もう一人が剣を抜きかけた。
その横の壁に——
ボォンッ。
紫混じりの橙色の炎が炸裂した。石の壁が黒く焦げて、欠片が飛び散る。制御が甘くて周囲も少し燃えているが、十分な囮だ。
男の意識が炎に引っ張られた一瞬。
二本目の矢が走った。
ヒュッ——パァンッ。
男が倒れた。
俺は振り返らずに走った。正面の鉄扉に辿り着く。呪印を手に込めて、扉の鍵部分を黒炎で焼き切った。
ジジッ、という音がして、鍵が溶けた。扉を蹴り開ける。
「入るぞ」
四人で砦内に突入した。
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内部は松明が点々と灯っていた。
石造りの廊下が奥に続いている。すぐに足音が響いてきた。正面の騒ぎに気づいた守備が向かってくる。
三人、走ってくる気配。
「ドラ」
「わかってる」
ドラが前に出た。
廊下に入ってきた三人のうち、先頭の男が剣を振り上げた瞬間——ドラが素手でその剣を受け止めた。
ガキィッ、という金属音が響く。
「素手で——」
男が驚く間もなく、ドラが男の腕を掴んで床に叩きつけた。どすっ、という重い音。
ドラが叩きつけた男の剣を奪い取った。体が動く。鎖の跡が残る手で、流れるように剣を握る。
「借りるぞ」
残り二人が同時に向かってきた。
ドラが剣を横薙ぎに払う。一人が吹き飛ぶ。もう一人に蹴りを入れる。壁に叩きつけられた男が崩れ落ちる。
三人、一瞬で制圧した。
ドラの強さが、初めてはっきりと見えた。
体格と戦闘経験が、俺たちとは全然違う。
「……全員仕留める」
ドラが倒れた三人を一瞥した。俺は黒炎を三筋走らせた。
静寂。灰。
「地下への階段はどこだ」
「奥だ。右に曲がった先」
俺たちは廊下を進んだ。
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右に曲がったところで、また気配があった。
二人。剣と、一人は魔法使いのようだ。魔力が滲んでいる。
「エリス、魔法使いを頼む。私が剣の方をやる」
リアが言った。
「私が?」
「うん。ケンジとドラは先に行って。地下への道を確保して」
俺はリアを見た。
「任せられるか」
「任せて」
リアが弓をつがえた。その目が、さっきより落ち着いていた。廃砦に入ってから、リアの動きが少し変わった。覚悟が決まった顔をしている。
「行くぞ、ドラ」
「ああ」
俺とドラが前に出た。
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背後で、リアの声が聞こえた。
「《ウィンドアロー》——」
短い詠唱。風魔法と弓を組み合わせた術式。練習したことがないと言っていたはずだが、今夜初めて試した感触を掴んだのかもしれない。
ヒュッ——という音の後に、男の叫び声が一つ。
それからエリスの声。
「土よ、束ねろ——っ」
ドスッ、という音。詠唱が止まった。
二人でやっている。
俺は前を向いた。
階段の前に、最後の二人がいた。剣を持ったまま、こちらを睨んでいる。
「お前たちが子供か——聞いていたぞ。ガキが生意気に」
男が剣を構えながら笑った。
「俺たちに手を出して、無事で済むと思うなよ」
「思ってない」
俺は右手に黒炎を凝縮させた。
「無事で済ませるつもりもない」
黒炎が走った。二筋。
男たちが吹き飛んで、壁に叩きつけられた。黒炎が体を包む。
灰が舞った。
ドラが俺を見た。
「……お前、本当に十歳か」
「そうです」
「信じられん」
「よく言われます」
俺は階段に向かった。
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地下に降りると、鉄格子の牢が二つあった。
一つ目の牢に、五人ほどの獣人族がいた。全員、鎖で繋がれている。痩せていた。怯えた目で俺たちを見ている。
二つ目の牢に——一人だけ、老いた獣人族の男がいた。
虎の耳。白髪混じりの毛並み。でも目だけが、まだ力を持っていた。
ドラが一歩踏み出した。
「父さん」
老人が顔を上げた。
ドラを見た瞬間、目が大きく開いた。
「……ドラ」
「生きてた」
「お前こそ——無事か、怪我は——」
「ない。今から出す」
俺は牢の鍵穴に黒炎を細く絞って流し込んだ。
ジジッ、という音がして鍵が溶ける。扉を引くと、軋んだ音を立てて開いた。二つとも同じようにした。
ドラが父親の鎖に手をかけた。俺は黒炎を糸ほどに絞って鎖の金具を焼き切った。ぱきん、と音がして鎖が落ちる。
老人が立ち上がろうとして、足がふらついた。ドラが肩を支えた。
リアとエリスが他の村人の鎖を俺に向けて差し出してくる。俺が順番に焼き切っていく。
全員の鎖が外れた。
ドラの父が俺を見た。
「……お前が助けてくれたのか」
「四人でやりました」
「礼を言う」
「急いで脱出します。砦の外で」
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砦を出たとき、夜の空気が冷たかった。
解放された村人たちが、外の空気を吸って目を細めた。
ドラの父が息を吐いた。
「……空だ」
その一言だけだった。でもその声に、全部が込められていた気がした。
ドラが父親の横に立った。二人とも黙っていた。
俺は砦を振り返った。
窓から、炎が少し漏れていた。エリスの火魔法の跡が内部で燃えている。それほど広がらないが、やがて消えるか燃え広がるかどちらかだ。
どちらでもいい。
リアが俺の隣に来た。
「……うまくいったね」
「ああ」
「《ウィンドアロー》、使えた」
「見てた」
「練習したことないのに」
「向いてるんだろ、お前は」
リアが少しの間を置いた。
「……ありがとう」
「礼はいらない。事実だ」
エリスが俺のもう一方の隣に来た。
「私の火魔法、派手すぎた?」
「壁に当てるだけでいいと言った」
「当てたけど、ちょっと大きかった」
「ちょっと?」
「……だいぶ大きかった」
「次は加減しろ」
「する」
エリスが少し笑った。
ドラが俺のところに来た。
「……終わったな」
「ここは終わりです。組織はまだいます」
「ああ」
ドラが少し間を置いた。
「……一つ教えておく。あの組織の正式名称はヴォルテクスという。奴隷売買と裏稼業で各地に根を張ってる。俺たちの集落を壊滅させた連中もあいつらだ」
俺は頭の中にその名前を刻んだ。ヴォルテクス。
「ありがとうございます」
「借りの返し方の一つだ」
ドラが俺を見た。
「借りができた。返すと言った」
「覚えてます」
「俺はついていく。父と仲間を安全な場所に送り届ける手配だけさせてくれ。夜明けまでには済む」
俺は頷いた。
「ここで待ちます」
ドラがしばらく俺を見ていた。それから、ぽつりと言った。
「……お前、強いな」
「まだまだです」
「今の戦い方を見た。十歳であれだけ動ける人間は見たことがない」
「あなたの方が圧倒的に強い」
「俺は十九だ。比べるな」ドラが腕を組んだ。「俺は強い奴が好きだ。男でも女でも子供でも関係ない。強い奴についていく主義だ」
「それは——俺を褒めてるんですか」
「事実を言ってるだけだ」
俺は少し黙った。
「……それは俺の台詞です」
ドラが一瞬きょとんとして、それから短く笑った。
「似た者同士だな」
「そうかもしれません」
リアが横から「二人ともそっくり」と言った。
「似てない」と俺が言った。
「似てない」とドラが言った。
二人同時だった。
エリスが「似てる」と笑った。
リアも笑ったが、すぐに俺の耳元に口を近づけてきた。
「ねえ、ケンジ」
「なんだ」
「ドラって綺麗な人だよね」
「……そうか」
「そうかって。もう少し反応ない?」
「綺麗かどうかは関係ない」
「また増えたね」
「何が」
リアがにっこりと笑った。「ケンジのそばにいる綺麗な女の人」
「気になってない。強い奴についていくと言っただけだ」
「同じことだよ」
「全然違う」
「そう?」リアが肩をすくめた。「まあいいけど」
俺はリアから視線を外した。
ドラがこちらを見ていた。「何の話だ」
「なんでもない」
「なんでもなくない顔してるが」
「なんでもない」
ドラが眉を寄せた。エリスがくすくす笑っていた。
夜の空に、星が出ていた。
四人分の影が、砦の前に並んだ。
呪印が、静かに脈打っていた。
少しだけ——今夜の炎は、いつもより温かかった気がした。




