第14話:黒炎が市場を焼く夜
宿に戻ると、リアとエリスが入り口の前で待っていた。
俺の顔を見た瞬間、リアが「何かあった」と言った。
「なんでわかる」
「いつもより少し早く歩いてる」
俺は自分の足元を確認した。意識していなかった。
「……話がある。部屋で聞け」
-----
部屋に戻り、俺は今日見たことを順番に話した。
奴隷市場の構造。翼と爪の紋章を持つ奴隷商人。獣人族の女性。そして、その女性が俺の呪印を察知したこと。
リアが黙って聞いていた。
エリスは膝の上で手を握りしめながら聞いていた。
「……獣人族の人が、たくさん売られてたの」
「ああ」
「翼と爪が関係してた」
「商人が組織の協力者だ。確定ではないが、ほぼ間違いない」
エリスが唇を噛んだ。
「その女の人を、助けるの」
「検討中だ」
「検討って……」
「感情で動くのは危険だ。リスクを計算してから——」
「ケンジ」
リアが静かに言った。
「もう答え出てるんじゃないの」
「……何が」
「わざわざ私たちを呼びに来た。一人でできると思ったなら、そのまま戻らなかったはず」
俺は少し間を置いた。
否定できなかった。
「……行くぞ」
リアが頷いた。エリスが立ち上がった。
-----
三人で南区に向かった。
夕方が近づいていた。市場はまだ開いている。
俺は歩きながら頭の中で整理した。
翼と爪の紋章を持つ人間。それはすなわち、組織の資金源を動かしている人間だ。エリスを狙い、獣人族を売り買いし、俺たちを追跡してきた組織の一部。
そういう相手に、加減は要らない。
奴隷市場の前に着いたとき、入り口の警備が俺を見て顔をしかめた。
「また来たのか」
「ええ。もう一度見せてください」
「入場料は一人ずつだ」
俺は銀貨を三枚出した。
警備が金を確認して、三人を中に通した。
-----
中に入ると、奴隷商人の太った男がすぐに気づいた。目が細くなった。
「……また来ましたか。今度は子供連れで」
「奥の獣人族の女性を売ってもらいたい」
男が値踏みするように三人を見た。子供が三人。その目に、侮りの色が浮かぶ。
「金貨三枚です」
俺は男の外套の裏に目をやった。
翼と爪の紋章。昼間と同じ場所にある。確認できた。
「……高いですね。でも」
俺は男の目を見た。
「それより先に聞きます。あなたは翼と爪の構成員ですか」
男の顔が、固まった。
「……何を」
「外套の裏の紋章が見えました」
男の目が変わった。侮りが消えて、警戒と、次の瞬間——殺意が浮かんだ。
「衛兵っ——」
男が叫ぶより先に、俺は動いた。
呪印を足に全力で流す。一瞬で男の懐に入る。右手に黒炎を凝縮させて——男の胸に叩き込んだ。
ドォンッ。
くぐもった爆発音が建物内に響いた。男が吹き飛んで、後方の壁に激突する。黒炎が男の体を包んで、一瞬で燃え尽きた。
灰が、床に落ちた。
「なっ——」
警備が動いた。四人が一斉に剣を抜く。
「リア」
「うん」
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ——。
リアが連続で矢を放った。三本が警備三人の肩と腕を貫いて、剣が床に落ちる。三人がそのままへたり込んだ。
残り一人が呪文を唱えかけた。
「エリス」
「わかった」
エリスが手を前に伸ばした。紫の魔力が滲んで——次の瞬間、男の足元の石畳が盛り上がった。土の塊が男の足に巻きついて動きを封じる。制御が甘くて周囲の石畳も数枚余分に浮いたが、男は詠唱を完全に中断して体勢を崩した。
四人全員が無力化された。
俺は右手の黒炎を細く絞った。
全員、翼と爪の一部だ。組織の資金源を支える人間たちだ。
躊躇わなかった。
黒炎が走る。四筋。それぞれが一人ずつを包んで、燃え尽きる。
静寂が戻った。
床に灰が残った。周囲の壁が黒く焦げていた。
-----
檻に並ぶ奴隷たちが、俺たちを見ていた。
恐怖の目。驚きの目。でも——奥の檻の虎の耳の女性だけが、違う目をしていた。
昼間と同じ、怒りの目。
でも今は、それだけじゃなかった。
俺は鍵束を奴隷商人があった場所で見つけた。灰の近くに落ちていた。
まず奥の檻に向かった。
「また来た」
女性が言った。
「終わりにしに来ました」
鍵を差し込んで開ける。鎖も外した。
女性が立ち上がった。壁に手をついて、足の感覚を確かめながら。
「……他の奴隷も出してやれ」
女性が言った。
「そのつもりです」
俺はリアに鍵束を渡した。「全部開けてくれ」
「わかった」
リアが檻を順番に開け始めた。エリスが奴隷たちに「大丈夫です、逃げてください」と声をかけながら鎖を外していく。
俺は女性の前に立った。
「名前を聞かせてもらえますか」
「……ドラだ」
「俺はケンジ。さっき矢を放ってたのがリア。鎖を外して回ってるのがエリス」
ドラがリアを見た。エリスを見た。
「全員子供じゃないか」
「そうです」
「なぜ子供がこんなことを」
「それは長い話になります。先に聞いていいですか」
ドラが俺を見た。
「あなたが捕まった理由を教えてもらえますか。あなたほどの戦士が、なぜここに」
ドラの目が、一瞬だけ陰った。
「……村を急襲された。私がいない間に」
俺は黙って聞いた。
「戻ったとき、村人の半分が既に殺されていた。見せしめだと言われた。残りの村人と父親を人質に、大人しくしなければ全員殺すと」
ドラの手が、拳を作った。
「戦えば全員は救えないと言われた。数と状況が悪すぎた。だから——従った」
俺は頷いた。
「人質はどこにいますか」
「この街の外、北の廃砦だと聞いた。翼と爪の隠れ家の一つだ」
「何人の構成員が守っていますか」
「五人から十人の間だと思う。私が連れてこられるとき、担当が言っていた」
俺は頭の中で計算した。
今夜か、明朝か。急ぐ必要がある。市場での騒ぎが組織に伝わる前に動いた方がいい。
「今夜、人質を助けに行きます」
ドラが俺を見た。
「……今夜か」
「ここでの騒ぎが伝わる前に動く。時間がありません」
「お前たち子供だけで、廃砦の構成員を相手にするつもりか」
「あなたも一緒に来てもらいたい」
ドラが少し間を置いた。
「……なぜ俺を助けた。お前には関係ない話だろ」
俺は少し考えた。
「翼と爪は、俺の仲間も狙っています。同じ敵を持っている。それだけで十分な理由です」
「それだけか」
「……昼間、あなたの目を見た。諦めていない目だった。そういう人間を放っておくのは——合理的じゃないと判断しました」
ドラが俺を見た。長い沈黙があった。
虎の耳が、ゆっくりと前に向く。
「……一つ聞く。お前の体から、変な気配がする。魔力じゃない、怒りみたいな冷たいものだ。あれは何だ」
「……今は答えられません」
「なぜ」
「信用関係ができてから話します」
ドラがしばらく俺を見た。
「……借りを返す主義だ、俺は」
「それを聞いて安心しました」
「なぜ」
「そういう人間は約束を守るから」
ドラが短く笑った。
「……わかった。ついていく。ただし——」
ドラが俺を真っ直ぐ見た。
「父親と仲間を必ず助けてもらう。それだけは譲れない」
「約束します」
俺は迷わず答えた。
ドラが頷いた。
その頃にはリアとエリスが全ての檻を開け終わっていた。十数人の奴隷たちが、戸惑いながら出口に向かっている。獣人族、人間、老人も子供もいる。
「早く逃げてください。組織の人間が来る前に」
エリスが声をかけた。
奴隷たちが、次々と建物を出て行く。
最後の一人が出て行った。
建物の中には俺たちだけになった。
黒く焦げた壁。床に残った灰。
ドラがそれを見渡した。
「……お前がやったのか、この黒い焦げ跡は」
「そうです」
「魔力ゼロだと聞いたが」
俺は少し驚いた。「どこで」
「昼間、商人が誰かと話していた。この街の魔力ゼロの子供が探しているものがあると。お前のことだろ」
組織がすでに情報を持っていた。やはり急ぐ必要がある。
「魔力ゼロは本当です。でもこれは魔力じゃない」
「何だ」
「それも、信用関係ができてから話します」
ドラが俺を見た。それからリアを見た。エリスを見た。
「……変な連中だな」
「よく言われます」
リアが「私はリア、さっき矢を放ってたの私ね。よろしく」と手を差し出した。
ドラがその手を握った。「ドラだ」
エリスが「エリスです」と言った。フードの下から少し笑顔が見えた。
ドラがエリスを見た。フードの中の角に気づいたのかもしれない。でも何も言わなかった。
「……急ぐんだろ。行くぞ」
ドラが先に歩き出した。
俺たちはその後に続いた。
建物を出ると、夕暮れの空が広がっていた。
赤く染まった空の下、四人の足音が路地に響いた。
呪印が、静かに脈打っていた。
今夜、廃砦に向かう。
翼と爪の構成員がいる。
躊躇う理由は、何もない。




