第13話:奴隷市場で虎の目が見たもの
南区は、街の雰囲気が変わる場所だった。
大通りから路地を二本入ると、石畳が粗くなる。建物の壁が黒ずんでくる。行き交う人間の目つきが、表通りとは別物になる。値踏みする目、怯えた目、すべてを諦めた目。
俺は気配を殺しながら歩いた。
呪印を薄く解放して、感覚を広げる。周囲の人間の気配を把握しながら、情報屋が言った「南区の外れ」を目指す。
十分ほど歩いたところで、匂いが変わった。
獣の匂い。藁の匂い。鉄の匂い。
それと——人間の、恐怖の匂い。
前世では匂いで感情を感じ取るなんてことはなかった。でも呪印が感覚を鋭くしているのか、この世界に来てから、気配や空気の質感が色濃く感じられるようになっていた。
石造りの建物が見えてきた。
窓がない。扉は鉄製で、鍵がかかっている。建物の横に、人が並んでいた。買い手だろう。外套を着た男たちが、退屈そうに扉の前で待っている。
これが、奴隷市場か。
俺は建物の向かいの路地から観察した。
入り口の前に、体格のいい男が二人立っていた。警備だ。腰に剣を下げている。客らしき人間が近づくと、金を確認してから中に通している。入場料か、あるいは保証金か。
どうやって入る。
俺は路地に立ったまま考えた。
子供が一人で来ても追い払われるだけだ。金を持っていることを示せば入れるかもしれないが、それだと「奴隷を買いに来た客」として扱われる。
いや——客として入ればいい。
目的は観察と情報収集だ。翼と爪の資金源を確認する。奴隷売買の規模と、組織との関係を把握する。そのためには、中を見る必要がある。
俺は路地から出た。
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入り口の警備の男が、俺を見下ろした。
「ガキか。親は」
「いません」
「保護者なしじゃ入れない」
「金ならあります」
俺は財布を出して、銀貨を三枚見せた。日本円で三千円程度だが、この世界では一般庶民の数日分の稼ぎに相当する。
男の目が、金に向いた。
「……見るだけか」
「そうです」
「買う気がないなら——」
「買うかもしれない。見てから決めます」
男が俺をじろじろと見た。子供が一人で来て、しかも銀貨を持っている。訳ありか金持ちの子供か。どちらにしても金を払えば問題ない、という判断が顔に出た。
「銀貨一枚。入場料だ」
俺は銀貨を一枚渡した。
男が道を空けた。
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中は、思ったより広かった。
天井が高い倉庫のような空間に、鉄格子の檻が並んでいた。十数個の檻。それぞれに人間が入っている。いや——人間だけじゃない。
獣人族だ。
虎の耳を持つ者、兎の耳を持つ者、狼の尾を持つ者。様々な獣人族が、檻の中に押し込められていた。
全員、鎖で手首を繋がれている。
俺は無表情を保ちながら、内側では感情を押さえ込んでいた。
前世でも、途上国の劣悪な労働環境を調査したことがある。現場を見て慣れた顔をするのは、プロとしての最低限の礼儀だと言われた。でも内側では、いつも何かが煮えていた。
今も、同じだ。
俺は観察しながら歩いた。
買い手らしき男たちが檻の前を歩き、中の奴隷を値踏みしている。奴隷商人らしい太った男が後ろからついて回り、説明をしている。
「こちらは獣人族の成人女性。力仕事に最適です。農作業や荷物運びなら金貨二枚で——」
俺は足を止めた。
一番奥の檻。
そこにいた。
虎の耳と尻尾を持つ女性が、鎖を両手に巻きつけたまま、膝を立てて座っていた。他の奴隷たちが怯えた目で買い手を見ているのに対して、その女性だけが違う目をしていた。
怒りの目だ。
諦めていない。何かを狙っている、獣の目。
体格はいい。身長は俺より遥かに高い。筋肉の付き方が戦士のそれだ。腕の太さ、肩幅、重心の低さ——これは訓練された戦士だ。
奴隷にしておくには、惜しい。
俺は自分の思考に少し驚いた。「惜しい」という感想が先に来た。前世のサラリーマン感覚で言えば「優秀な人材が不当な扱いを受けている」という感覚に近い。
奴隷商人が俺に気づいた。
「おや、お子さんですか。珍しい。何かお探しで?」
「見ているだけです」
「そうですか。でもせっかくですから——あちらの獣人族などはいかがです?力が強くて、使い勝手が——」
「あの女性は、どこから来ましたか」
俺は奥の檻の女性を指差した。
奴隷商人が少し表情を変えた。「……ああ、あれは少々扱いが難しくて。抵抗が激しいもので」
「どこから来たか聞いています」
「北の山岳地帯から。獣人族の集落ごと——まあ、色々ありまして」
集落ごと。
この街に翼と爪の構成員が来ていて、奴隷売買が組織の資金源だという情報と合わせると——
「その女性を売ったのは、どういう人間ですか」
奴隷商人の目が細くなった。「……そういう質問をするということは、お子さん、ただの買い物客じゃないですね」
「答えてもらえますか」
「そういう情報は教えられません。商売の秘密というものがありまして」
俺は奴隷商人を見た。
この男の腰のあたりに、かすかに何かの紋章が見えた。外套の裏地。翼と、爪を模した意匠。
翼と爪の構成員か、あるいは協力者だ。
俺は頭の中で計算した。
今ここで騒ぎを起こすのは得策じゃない。一人だし、建物の中だ。警備が複数いる。翼と爪の関係者なら、組織に通報される可能性もある。
引くべきだ。
そう判断した。
その瞬間。
「——おい」
低い声がした。
奥の檻の女性が、俺を見ていた。
「何を見てる」
怒りの目が、俺に向いていた。値踏みする客を睨むのとは違う目だ。俺の質問を聞いていた、という目だ。
「……観察してました」
「何のために」
「情報収集です」
女性が少し目を細めた。「……子供のくせに、妙なことを言う」
「よく言われます」
女性が俺をじっと見た。
「翼と爪について調べてるのか」
奴隷商人が「こら、黙れ」と怒鳴った。
俺は奴隷商人を無視して女性を見た。
「なぜそう思うんですか」
「さっきからそういう質問しかしてないだろ。それと——」
女性が俺の胸のあたりに視線を向けた。
「お前の体から、変な気配がする。魔力じゃない、もっと別の——」
男が「こら、黙れ」と怒鳴った。俺はその前に一言だけ聞いた。
「どんな気配ですか」
女性が少し驚いた顔をした。「……怒りに似てる。でも冷たい。普通の気配じゃない」
「お客さん!」
奴隷商人が俺の肩に手をかけた。「この奴隷は問題がありまして。他の商品をご覧になりますか?」
俺は奴隷商人の手を見た。
肩に置いた手が、少し強い。脅しの意味もある。
「……今日は帰ります」
「そうですか。またのお越しを——」
「ただし」
俺は振り返らずに言った。
「この市場と翼と爪の関係は、確認しました。それだけ伝えておきます」
奴隷商人が固まった気配がした。
俺は入り口に向かって歩き出した。
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建物を出て、路地に入ったところで、俺は足を止めた。
考えた。
奥の檻の女性。戦士の体格。翼と爪の名前を知っている。俺の「変な気配」——呪印に気づいた。
あの女性は、ただの奴隷じゃない。
翼と爪と何らかの関係がある。被害者として?それとも別の何かで知っているのか。
そして——俺が今日ここで見たことは、引き上げるだけで終わっていいのか。
俺は路地に立ったまま、しばらく動かなかった。
合理的に考えれば、今日は引く。情報を持ち帰る。それが正解だ。
でも。
あの目が、頭から離れなかった。
諦めていない目。怒りで燃えている目。
前世でも、一度目の転生でも——そういう目をした人間を、何もせずに放置した記憶は、あまり気持ちのいいものじゃなかった。
「……面倒なことになった」
俺は小声で呟いた。
そして、宿に向かって歩き出した。
リアとエリスを呼びに行くために。
今日は、もう少し、この街でやることが増えそうだった。
呪印が、胸の奥でどくんと脈打った。




