第12話:街の腐った匂い
グレナの街が見えてきたのは、二日目の昼過ぎだった。
丘の上から見下ろすと、城壁に囲まれた街が広がっていた。思ったより大きい。ランテ村の十倍以上の規模だろう。城壁の内側に家々が密集していて、中央に広場と思しき開けた場所がある。街道が城門に向かって伸びていて、荷馬車や旅人が行き交っている。
「大きい……」
エリスが呟いた。
「村しか知らなければそう感じるだろうな」
「ケンジは驚かないの」
「前に似たような場所を見たことがある」
「どこで」
「……昔の話だ」
エリスが首を傾けた。俺の「昔の話」が指す年代が、どう考えても十歳の子供のそれじゃないことに、いつか気づくだろう。今はまだいい。
リアが城門の方を指差した。「衛兵がいる。通行証みたいなものは要らないのかな」
「基本的に街道を使う旅人は自由に入れる。ただし怪しいと思われれば止められる」
「怪しいって、たとえば」
「三人の子供が武器を持って旅しているとか」
リアが自分の弓を見た。「……普通に怪しいね」
「ああ。俺が前に出る。お前たちは少し後ろで黙ってついてこい」
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城門の衛兵は、二人いた。
槍を持った三十代の男たちで、往来する人々を流れ作業で確認している。俺たちの番になると、一人が俺を見下ろして眉をひそめた。
「ガキだけか?」
「はい。グレナに親戚がいます。三人で訪ねてきました」
嘘だ。でも詰問されたときのために用意してあった話だ。
「親戚の名前は」
「ミラという女性です。布屋をやっています」
適当に作った名前だが、街に布屋の一つや二つはあるはずだ。衛兵が確認しに行くとは思えない。
衛兵が俺をもう一度見た。それから、後ろのリアとエリスを見た。エリスはフードを深く被って俯いている。
「……まあいい。入れ」
衛兵が手を振った。
俺は「ありがとうございます」と頭を下げて、城門をくぐった。
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街の中は、活気があった。
石畳の道に、両側から商店が並んでいる。肉屋、パン屋、武器屋、薬草店。客の声と売り子の声が交差している。馬車が石畳を叩く音。どこかから香辛料の匂いがする。
賑やかだった。
でも。
俺は周囲を観察しながら歩いた。
表通りは活気があるが、路地に目を向けると違う景色がある。痩せた子供が壁際にうずくまっている。物乞いの老人が通行人に無視されている。衛兵が通ると、路地の人間が一斉に奥へ消える。
前世のサラリーマン時代に出張で訪れた、某国の観光地を思い出した。表通りは綺麗で豊かで、一本裏に入ると別の世界がある。あの感覚とよく似ていた。
「すごい人だね」
エリスが小声で言った。フードの中から、きょろきょろと周囲を見ている。
「騒ぐな。目立つ」
「わかってる。でも——なんか、臭い」
「何が」
「甘い匂いと、腐った匂いが混ざってる感じ」
俺は少し考えた。
「……正確な表現だ」
リアが「宿を先に探した方がいい?」と聞いた。
「ああ。荷物を置いてから動く。安くて目立たない宿がいい。大通りは避ける」
三人で路地に入った。
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宿は、大通りから二本外れた場所に見つけた。
看板に「旅人の宿・白鹿亭」と書いてある。扉を開けると、タバコと酒の匂いが混じった空気が出てきた。
カウンターにいた中年の女性が、俺たちを見て少し目を細めた。
「子供だけかい」
「はい。二泊お願いします。三人で」
「親は?」
「別行動です」
女性がじろじろと俺たちを見た。エリスのフードが少し気になっているようだが、何も言わなかった。
「先払いで銀貨三枚。食事付きで」
俺は頭の中で換算した。
この世界の銀貨一枚は、前世の日本円で千円程度の価値がある。つまり三枚で三千円。子供三人が一泊して食事もつくならそれほど高くはないが——子供だから足元を見て上乗せしている、とも取れる。
村の宿相場は銀貨一枚半が標準だという知識があった。街なら多少高くなるとして、食事なしなら二枚が妥当だ。
「銀貨二枚。食事なしで」
女性が目を細めた。「子供のくせに値切るのかい」
「相場を知っているだけです」
沈黙が数秒あった。
女性が「……銀貨二枚半。食事はパンだけつける」と言った。
「それで」
俺は財布から銀貨を出した。二枚と、銅貨五枚。銀貨一枚は銅貨十枚と等価だ。
女性が鍵を渡してきた。渋い顔をしていたが、どこか面白そうな目もしていた。
「二階の突き当たりだよ。静かにしておくれ」
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部屋は狭かったが、清潔だった。
ベッドが二つと、床に毛布。三人には少し手狭だが、問題ない。
荷物を置いて、俺は三人に向かった。
「情報収集を始める。今日は街の様子を把握することを優先する。目的は三つ。翼と爪の組織の痕跡。安全に長期滞在できる環境。そして——」
「ご飯が美味しいとこ」
リアが言った。
「それは優先事項じゃない」
「でも大事」
エリスが「私も気になる」と言った。
俺は二人を見た。
「……昼食の後、動く。それでいいか」
リアが「はい」と即答した。
前世の職場でも、腹が減った部下は使い物にならないという法則があった。根本的なことは変わらない。
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昼食は屋台で買った。
串焼きの肉と、野菜のスープ。街角の屋台で出してくれたそれは、シンプルだが悪くない味だった。
エリスが串焼きを一口食べて、目を丸くした。
「美味しい」
「そうか」
「村のご飯も好きだけど、こういう味付けは初めて。香辛料が入ってる」
「南の街は香辛料の流通が多い。味付けが変わる」
「ケンジって、どこで覚えてくるの、そういう知識」
「本だ」
「どんな本でも書いてあるの、そういうこと」
「探せば書いてある」
エリスが串焼きの続きを食べながら、感心したような顔をした。
リアが「ケンジの本好きは病気だよ」と言った。
「病気じゃない。必要だから読む」
「量が普通じゃない。雑貨屋のおじいさんが言ってた。ケンジが読まない本は村に一冊もないって」
それは多少大げさだが、否定もできない。
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午後、俺は一人で街を歩いた。
リアとエリスには宿で待つよう言った。二人が一緒だと目立つ。俺一人の方が動きやすい。
まず情報屋を探した。
どんな街にも、表向きは別の商売をしながら情報を売り買いする人間がいる。前世での経験と、この世界で読んだ本の知識を合わせれば、見つけ方はわかる。
繁華街から外れた路地。扉に特定の印がある店。客の出入りが多いのに商品が少ない場所。
三十分ほどかけて、それらしい場所を見つけた。
古道具屋を装っているが、奥に人の気配が多い。
扉を開けると、埃っぽい店内に古い道具が並んでいた。カウンターにいた細い男が俺を見て、一瞬表情を変えた。
「子供かい」
「情報を買いたい」
男の目が細くなった。「何の情報だ」
「この街に最近、翼と爪の紋章を持つ組織の人間が来ているかどうか」
男が動かなかった。
五秒の沈黙。
「……金は」
「銀貨一枚」
「三枚」
「二枚。それ以上は出さない」
男がしばらく俺を見た。子供が値段交渉をしていることへの驚きが、顔に滲んでいた。
「……二枚でいい。ただし、ここで聞いたことは外では言うな」
「当然だ」
男が声を潜めた。
「翼と爪の紋章か。三日前から、その組織の構成員らしい人間が二人、この街に入ってる。宿は大通りの「金の鍵亭」。動きは今のところ穏やかだが、誰かを探しているようだ」
やはり追ってきている。
ヴァルトが情報を持ち帰ってから、三日。速い。
「もう一つ聞く。翼と爪の資金源はどこだ」
男が少し間を置いた。「……それは毛色が違う質問だな」
「知っているなら話せ。銀貨をもう一枚出す」
男の目が動いた。
「……噂程度だが。奴隷売買に噛んでいる。獣人族を中心に、この辺りの街で売買される奴隷の一部があの組織に流れているらしい。資金源の一つだと見られている」
獣人族。
頭の中に刻んだ。
「この街の奴隷市場はどこだ」
男が眉をひそめた。「なんで子供がそんなものを」
「やつらの資金源を直接確認したい。場所を教えてくれれば、それで終わりだ」
「……南区の外れ。でも子供が近づくような場所じゃない」
「わかった」
俺は銀貨を三枚、カウンターに置いた。
男がそれを素早く懐に入れた。
「気をつけな。連中は、邪魔者を消すことに躊躇いがない」
「知っている」
俺は店を出た。
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宿に戻ると、リアとエリスが窓から外を眺めていた。
「どうだった」
リアが聞いた。
「翼と爪の人間が、この街にすでに二人いる。宿の場所も把握した」
「……早いね」
「ああ。滞在できる時間は長くない。必要なことを済ませたら、次の街に移動する」
エリスが静かに聞いた。「必要なことって」
「二つある。一つは翼と爪の資金源の調査だ。情報屋から『奴隷売買が組織の資金源の一つ』という話を聞いた。明日、南区の奴隷市場を直接確認しに行く」
「奴隷市場……」
エリスの顔が曇った。リアも黙って俺を見ていた。
「もう一つは?」
リアが聞いた。
「次の街への移動ルートと、組織の手が届いていない安全な経路の確認だ」
「……奴隷市場って、危ない場所だよね」
エリスが言った。
「そうだ。だから二人は宿で待て」
「え、一人で行くの」
「三人で動けば目立つ。俺一人の方が動きやすい」
エリスが不満そうな顔をした。「また一人で抱え込む」
「抱え込んでない。合理的な判断だ」
「同じことだよ」
リアが「エリスの言う通り」と静かに言った。
俺は二人を見た。
「……状況次第で判断する。危険度が高ければ呼びに来る」
それ以上は言わなかった。
エリスが小さくため息をついた。「……わかった」
窓の外では、グレナの街が夕暮れに染まっていた。
大通りの賑わいが、遠くから聞こえてくる。
でもその賑わいの裏側に、俺が今日見た腐った匂いが漂っていた。
甘い匂いと、腐った匂いが混ざってる。
エリスの言葉通りだった。
呪印が、静かに脈打った。
明日、南区に行けば——またこの炎が必要になるかもしれない。
俺はそれを、静かに待っていた。




