シンデレラになってみました 43話
悠人は花梨から貰った指輪に視線を落とした。
左手の薬指にあるそれを右手で触ってみる。
結婚指輪のことなどすっかり忘れていた。
「ごめん、指輪のこと忘れてしまって」
花梨は笑って首を振った。
「むしろ忘れてくれていて良かったんです。こうして一生の思い出に残る贈り物になったから」
花梨のその言葉に何のうそ偽りもないのは良く分かっている。
でも、悠人の心にはずっしりと重い錘が沈んだ。
「一生の思い出」
薬指をまた触る。
花梨のためにそれを自分が作りたかった。
花梨のために出来る事全てをしてあげたい。
花梨にいつも自分を意識していてもらいたい。
自分が感じるようでなくていい、でも誰よりも近い存在でありたい。
指輪を渡された時に浮かんだ思い、それは強い独占欲でしかなかった。
花梨を自分だけのものにしたい。
思い出すだけでも恐ろしく強い、あの欲求。
嫌われてしまう。
嫌われたくない。
この気持ちを知られると思うと恐怖で身体が固まってしまう。
悠人は大きく息を吐きだすと、呼吸を整えた。
クリスマス休暇を取っていた悠人は、花梨が学園に行ってしまったので、心を落ち着かせるためにジョギングに出ていた。
冷たい空気を吸い込みながら、自分の呼吸音だけを聞き走っていると多少気持ちが落ち着いた。
気を付けなければ、悠人は自分を強く戒めた。
ヤスミンが帰国して、明らかに自分は焦がれていた。
花梨の温もりに。
花梨を抱きしめたかった。
髪を撫でたかった。
唇に触れたかった。
花梨の細い身体をこの身に感じたかった。
悠人は走りながら、強く頭を振った。
苦しいぐらいに走り込むと悠人はやっと家路についた。
「おかえりなさい」
満面の笑顔を確認することなく、それは両手の中に飛び込んできた。
とっさに押しのける。
花梨の目がくるりと動く。
「汗だくだから」
悠人はその視線から逃れる様に、両手でさらに花梨の身体を押した。
「ごめんなさい」
花梨はその場でシュンと肩を落とした。
その姿に心が揺れる。胸がキュッと締め付けられる。
「ダメだ」
「えっ?」
「あ、いや、シャワーを浴びてくるよ。おじい様の所へ行く準備をしないとね」
心の声をかき消すように慌てて言葉を繋ぐ。
「私も準備しますね」
花梨が素直に同意したので、悠人は安心した。
「いらっしゃい」
艶やかな甘い声に迎えられて、悠人は固まった。
「マダムが何故ここに?」
声だけでなく全身から嫌悪の気持ちが溢れ出た。
「あら~、そんなあからさまに態度に出さなくてもいいじゃない。本当に十三にそっくりね」
愛華は気にした様子もなく、微笑んだ。
「なぜ、クリスマスにマダムがここに居るんです?」
更に愛華に突っかかる悠人を、驚いた花梨が袖を引いて止めた。
悠人は袖の負荷など気にせずに愛華の前に立ちはだかった。
愛華もひるまず、悠人の視線を受け止めると、その赤い唇を開いた。
「もちろんクリスマスを十三と過ごすためよ」
「違う」
愛華の最後の言葉をかき消すように十三は否定の悲鳴を上げた。
「十三は否定しても、関係ない。私は十三とクリスマスを過ごすためにここにいるの」
愛華は凄みのある笑みで全てをかき消した。
十三は肩を震わせ、壁際まで下がった。
二人の様子を観察した悠人は一つの結論に達した。
「マダム、あなたが私に興味を示したのはおじい様のせいですか?」
「違う」「そうよ」
二人は同時に真反対の答えを答えた。
悠人は今までの疑問が解けて身体全体が嘘のように軽くなった。
もう、二人には興味が無くなったとばかりに、花梨のもとに戻ると手を引いた。
「さあ、クリスマスを祝いましょう」
十三は苦虫を噛み潰したような顔で仕方なく頷いた。
「何か誤解したようだが、これと私には何の関係もないからな」
さらに念を押した声は花梨にしか届かず、花梨も返事に困ったのか曖昧な笑顔でコクコクと頷いた。
十三と愛華との食事は思いの外会話が弾んで楽しかった。
花梨は二人の話を目をキラキラさせて聞き入り、頷き、笑った。
気が付けば花梨の顔ばかり見ている。
これではいけないと反省するのだが、隣に座っている生き物があまりに可愛くて、すぐに自戒の念はどこかに行ってしまう。
悠人はさらに反省する。
そして、さらに強く自制を掛ける。
花梨の信頼に値する自分でいなくては・・・。
「すっかり仲良くなったな」
十三は満足そうに孫の横顔を眺めた。
悠人は軽く頷き、グラスを傾けた。
二人は部屋を移し飲み直していた。
「お前があっさり結婚をOKした時は驚いたが、もしかして一目惚れしていたのか?」
「ええ」
悠人はあっさり答えた。
悠人の困惑した顔が見たかった十三はすっかり裏切られた気分になった。
「でも、人を好きになるというのがこんなだとは思わなかった」
次の瞬間、確かに悠人は困惑していた。その言葉に、
「どんなだ?」
十三は身を乗り出した。
「嬉しいし、苦しい」
十三は目を瞠る。
「それは・・・」
十三は言葉に詰まった。そんな気持ちを十三は知らなかった。
「マダムはずっとおじい様のことが好きなのですか?」
突然の切り返しに十三は戸惑う。
「なんだ、急に」
「報われない恋をずっとしているのはどんなかと」
「そんなのは本人に聞け。しかも、あいつがずっと儂のことが好きだったとしても、他にも好きな奴はいっぱいいたからな。お前はこういう話を仕事の話のようにするから嫌じゃ」
十三は前から言いたかったことを付け足した。
悠人は顔をしかめる。
「おじい様が始めた会話でしょう?」
十三も顔をしかめてグラスの酒をなめた。
「こんなだとは思わなかったとは、どんなだ?」
「続けるんですか?」
十三は手振りで話を促す。
「人に恋したことなどなかったですから、知識がなかった。お見合いのレストランで会った時から花梨は印象的だった。でも、他の誰より特別な人であっても、それはそれだと思っていました。おじい様やお母様が特別なように、この世の女性の中で特別なのだと」
十三は心から驚いた。
「違ったのか?」
「ええ」
悠人はただ頷く。
「お前にとってどんな存在なんだ?」
黙った悠人に先を促す。
悠人は十三が何を聞きたいのか、分からなかった。
「存在と言われても・・・」
「儂とも美佳子とも違うんだろ?」
「ええ、まったく」
「ほぉー」
十三は感心する。十三にとっての一番は常に自分が興味のあることだった、それを仕事にしてきた。人がその対象になったことなどない。
悠人の言う通り、特別な人はいる、だがそれはそれ以上にはなり得なかった。
自分の愛情を求めてやまなかった息子。他のものは何もかも持っていたのに、自分の愛情だけを求めて病んでいった息子。
その気持ちが解らなかった。
だから、不安だった。
残された特別な孫に、同じ失敗を繰り返すのではないかと。
自分のような人間ならそれでいい、でも達行のようなら、美佳子のようなら、と。
「儂は・・・」
十三は悠人を見つめた。
「何ですか?」
不思議そうに悠人は十三を見つめ返した。
「儂は間違えなかった・・・」
十三の声は小さく悠人には届かなかった。
「悠人、来月は一緒に墓参りに行こう」
悠人はますます不思議そうに顔しかめたが、「ええ」と答えた。
「うん。そうしよう」
十三は空になっていた悠人のグラスに酒をたした。
その琥珀色をした酒は達行が好きだった酒だ。
十三が知っている唯一の息子の好きだったものだ。




