皇帝の来訪
『父さん?』
改めてカラとレオンは陛下と呼ばれた壮年の男性を見る。
艶のない灰色の髪を短く刈り込み、晴天を想わせる碧眼がはまった顔は浅黒く日に焼けて整っているが、浮かべる表情が野卑た印象を与えて台無しにしている。その顔の台座である体は壮年の男性の中でも見たことがないほど引き締まっているのが服の上からでも分かった。
カラは実父であろう男性を初めて見て若干落胆し、レオンはヴァイオレットから聞いた皇帝をもっとも的確に表す言葉を思い出す。
戦狂いの女好き。
剣を振り回し軍を指揮して帰って来たならば、女の肌で戦の垢を落とし片手間に公務をこなすと次の戦の準備を始めている。王族でなければどこぞの傭兵か冒険者でもしていただろう男だと。
ただ、獣のように勘が鋭く稀代の用兵家。出た戦はほとんどが勝ち鬨を上げ公務での失敗もなく、そのためか国民からの人気は高く忠臣を多く抱え帝国内の地盤は固い、おそらく後世では賢王、善王と記されるだろうと苦々しく顔を歪め吐き捨てるように言うのだ。
それがヴァイオレットの評価だった。その性格を嫌ってはいても、なんだかんだで皇帝を認めているのだと思う。
そう評価された皇帝は、ヴァイオレット達の前まで来ると腰に下げていた装飾のない無骨な剣に手をかけると抜き放ち、ヴァイオレットの鼻先に突き付けた。
「俺が来た意味は分かるかヴァイオレット?」
「さぁ? 今更貴方の元から逃げたカリンを追って…… とは思いませんが、カリンを逃がした私への断罪ですか?」
ヴァイオレットの返答に笑みを深めると剣の切っ先を、馬車を降りてくる侍女のメイが抱くカラに向ける。
「ヒッ!?」
剣を向けられたメイは、腰を抜かしてヘナヘナと倒れこみ尻餅をついてしまう。
「それがカリンが産んだ俺の子か?」
「ええ、貴方の娘――― 」
『えっ?』
聞くが速いかクラウスはヴァイオレット達の横をすり抜け剣をメイの手に抱かれるカラへと突き込む。それはカラを貫いた後メイをも貫いて余りある勢いだったが、その前に躍り出た小さい影に気付いたクラウスが寸前で止める。
「なんのつもりだい坊主?」
「陛下こそ、何のつもりでしゅか?」
躍り出たのはレオン。剣先が止まった額からは一筋の血が流れ目に入るが、そんなものは関係ないとクラウスを睨みつけた。
「良い眼だ、成人したら俺のところに来い、使ってやる。だが――― 今は邪魔なんだよォ!!」
獰猛な笑みを浮かべ、レオンの小さい身体を鞠のように蹴り上げる。
「あぐッ!?」
『レオン!?』
「大人には大人の事情ってのがあるんだよ、口出しするなや坊主」
背中から芝の上に落ちたレオンを確認もせずに、クラウスはカラに向かって剣を振り上げ振り下ろす。
「では大人同士で話しましょう、陛下」
「そうねぇ、ちょと調子に乗りすぎよ、クラウス」
ヴァイオレットとエルダがクラウスの首に短剣と扇子を当て、カラの目の前まで迫っていた剣の動きを止めていた。カラは目の前の剣を見ていない、ただクラウスの瞳を凝視する瞳に涙を溜めて。
クラウスは両手を挙げて降参の態度をとるが、剣を放す気配は無い。
「おいおい、落ち着けよ二人共。説明しなくちゃ解んないのか?」
「察しはつきますが、とりあえず剣を置いてください」
「そうねぇ、平和的解決方法をさがそうじゃないの」
「…… そんなもんねぇよ、こうするのが一番手っ取り早いんだよっ!! と」
剣を持ち直し弧を描くように振って二人から距離をとるクラウス。しかし中腰のまま瞬速で距離を詰めてきたヴァイオレットの肘が胸に突き刺さり、流れるように裏拳へと変化するとクラウスの顔面を打ち据える。
怯んだクラウスの首筋を狙った扇子の一撃が円を描いてエルダから繰り出されるが、それをしゃがんでかわすと飛び込むように前転して二人から再度距離をとる。
「鉄扇かよ!? 殺す気か!?」
「殺す気はありませんよ、ただ動けないようにするだけです」
「どうせお忍びで来て護衛も振り切ってきたんでしょう? 馬鹿したわねぇ」
「ああ、糞ったれ、相変わらず面倒くせぇな。この二人は!!」
そんな場景の中でカラは考え続けていた。頭の中は滅茶苦茶に疑問が駆け巡っている。頭の冷静な所では、こういう理由でこうなっていると幾つかの解答が出ている。しかし頭の大半を占めているのは実父が自分を殺そうとする事実への深い落胆と泣きたくなるほどの悲しみだ。
なにも感動の対面を期待していたわけでは無い、もしかしたら一生会うこともないかもしれないとも覚悟していた。だけど――― これはないのではないかと思うのだ。
だから赤ん坊のように泣いても仕方ない、仕方ない。そう自分に言い訳をしてカラは理性を手放して大声で泣き叫んだ。
「ほら、カラちゃん泣いちゃったじゃないの」
「はぁ!? 俺のせいかよ!!」
「そうですよ。だいたいカリンが帰ってきて、自分がお腹痛めて産んだ子が突然死んでいたらどう思うかも分からないんですか? しかも結婚式当日に。馬鹿ですか? それともなんです? 逃げた愛妾など、もうどうでもよいと?」
「ぐっ!? ああぁぁぁぁ、クソ。俺だってやりたくてやってんじゃねぇんだぞ!」
「じゃあ、やめなさいよ」
「があっ!?」
動揺して動きが止まったクラウスの首筋に鉄扇を叩きこんで意識を刈り取ると、エルダはいつのまにか気絶しているメイの手からカラを拾い上げ泣き止むようにあやすが、カラは一向に泣き止む気配がない。
ヴァイオレットは家令のミハエルと執事のハスラーにクラウスを拘束して客間にでも放り込むように命じると、よろよろと立ち上がろうとするレオンに手を貸して立ち上がらせると、頭を優しく撫でる。
「良くやりましたレオン」
「…… いえ、カラは?」
「無事ですよ、貴方のおかげでね。怪我はありませんか?」
「大丈夫でしゅ」
本当は蹴られた脇腹がズキズキと痛む、あばら骨にヒビくらい入っているかもしれないが、今は放っておくことにする。
『カラ』
『―――――――』
よほど錯乱しているのか、念話に対してカラの反応が無い。無理も無いと思う。実父との初めての対面がこれなのだ、泣きたくもなるだろう。仕方ないので泣きつかれるまで泣かせてやることにするとヴァイオレットに向き直る。
「叔母上、このことはカリンしゃまには」
「伝えるかは陛下との話が終わってから決めます。母上もそれで良いですね」
「ええ、アーク達が帰ってくるまでには終わらせたいわねぇ。さっさと起こして話を進めましょうか」
それからの行動は速く。三人は泣き続けるカラを連れたままクラウスが寝かされた客間までいき、ブランデーを一瓶、気絶しているクラウスの口に突っ込むと逆さまに引っ繰り返して一気に喉へと流し込む。効果はすぐ現れ、クラウスは咳き込み悪態をつきながら気絶から覚めた。すぐ立ち上がろうとするが手足にはしっかりと縄がかけられ身動きがとれないようにされていた。
「クソ!? ひでえことしやがる」
「それで? 何故あんなことを?」
「どうでも良いけど、貴方言葉遣い直しなさいな。一応皇帝陛下でしょう?」
「一応は余計だ!? チッ、分かったよ。全部説明しよう。まずカリンが生きてることが一部の人間にばれた」
「それは…… いずればれると思っていましたが、随分と速いですね」
「余もおかしいと思って調べて見たら三人の重臣が動いていることが浮上してきた」
「ああ、なんとなく分かりました」
「ん? どういうことよ?」
苦い顔をするクラウスとヴァイオレットに首を傾げるエルダとレオン。
「その重臣達は余の妻達、もっと分かりやすく言えば余の子供達の母親の親だ。その者達がカリンの死に疑問を持ち、生きて辺境領に向かったという情報を得たと報告にあった。辺境伯アークとの結婚はまだ知られていないようだが時間の問題だろう」
「つまり、その三人が何かすると?」
「下手をすればそうなるな、やつら三人はあわよくば時期皇帝の祖父となろうと水面下では宮殿内の権力闘争の真っ最中だ。そこに新しい親勢力が出てくれば気が気ではおられんだろうさ」
「親勢力?」
「東方辺境伯が後ろ盾となった御子」
「アークにはそんな思惑は一切無いと思うけれど?」
「実際そうでも奴等はそう思わんさ、今のままなら、まず間違いなく言った通りになる」
「なった場合の被害の予想は?」
「最悪国がビスケットみたいに割れるな」
「なるほど。それで解決策があれになるわけね」
呆れた顔をしてエルダが溜息をつき泣き疲れて寝てしまったカラをクッションの上に寝かせ、ヴァイオレットは冷めた目で見つめ、レオンも若干の怒りを感じてクラウスを睨む。クラウスとしても何も好き好んで自分と血の繋がる赤子を殺そうと思ったわけではない、苦渋の決断だった。せめて自分の手で――― という思いで辺境領へ足を運んだのだ。
「そんなもの、貴方がこの子には継承権を与えないって言ってしまえば済む話でしょう? 国葬までしてるのだから、そのまま死んだことにしておけばいいじゃない」
「それも考えたが、絶対とは言い切れん。後々余が言を撤回するかもしれないという不安が残るだろう」
「だから元を断つために、この子を殺そうと? ならば何故カリンに手を出されましたか? 私が後宮を留守にしている間に…… 帰ったらカリンが愛妾になっていて仕える女官が減って私がどれだけ苦労したと思ってるんです」
「いや、それはな…… すまん」
クラウスの謝罪に女性二人は意味を察して溜息をつく。
「いや、だけどな自分が自由にできる女の中にカリンがいたら誰だって―――」
「死ねばいいのに」
「ちょん切っちゃいなさいよ」
最後まで言い訳を言いきらせずに切って捨てる辛辣な二人の言葉にクラウスはぐうの音も出ない。
「とにかく、その重臣達にはカリンちゃんとその子供は死んだ、今後出てきたとしても継承権は与えないと一筆書いて保管しときなさい。後は正妃の子に成人した王子がいたでしょう? その子を正統後継者にすると決めてしまいなさいな。それで収拾がつかなければ、その時はその時よ」
「しかし――」
「しかし、じゃありません、元々貴方の締まりのない下半身が起こしたことです。こちらはとばっちり受けてるようなものなんですから。言われた通りにしてください」
ぼろくそに言われたクラウスは諦めたのか、分かったと言うと黙ってしまう。そこに皇帝の威厳は既に無かった。
話が纏まったのを確認したレオンはクラウスを真っ直ぐに見る。それに気付いたのかクラウスはレオンに向き直る。
「どうかしたかな?」
「陛下にお願いがあるのでしゅ」
「何かな?」
「最後にカラを抱いてあげてくだしゃい」
クラウスは苦笑して頷くと、泣き疲れて眠ってしまったカラをエルダから渡され危なげ無く抱き上げた。その顔には多少の罪悪感と確かな愛情が見て取れる。
「良い男になるぜお前は、名前は?」
口調を崩してアークに笑いかけるクラウス。
「レオンでしゅ」
「そうか…… レオン。お前に俺の子供を任せる。守ってやってくれ」
「元よりそのつもりでしゅ」
「そうかい、なら安心だ」
人好きのする笑顔を浮かべてレオンの頭を撫でた後のクラウスの行動は速く、カリン達が戻る前に館を出ると帝都への帰路へとついた。
帝都へと帰るとクラウスは重臣達を集めカリンとその子供が生存しており、今後表舞台に出てきたとしても継承権は発生せず、それ以外の干渉も帝国は今後一切しない旨を告げ、皇帝の遺言として残すことも取り決めると、今回の件は一応の解決となった。
これによってカラには皇帝との関係は表面上一切無くなり、アークとカリンの娘という肩書きだけが新たに加わるだけとなったのである。
これにて幼児期は終了です。
次回からは今よりも、少し成長した二人が走り回ります。




