07.
「そちらは?」
ちらりと夫人を見やりジグムントに尋ねると、頷いて猿轡を外させた。
「…ゴホッ…コムルト様…!どうか私を信じて…っ」
咳き込み涙ながらに訴え、無実だと縋る表情は真に迫っている。
「あなたは騙さているんですっ!あんな残忍な…私の言っていた通りでしょう!?」
悲痛さに満ちた可憐な声。穏やかで、しおらしい風貌によく似合う。
"昔から残虐で…" "本当はずっと怖ろしくて…" と涙ながらに訴える様は堂に入っていて、まさに熟練の技。
皆この姿を見てどうするかしら。
これまでも "お嬢様はご気性が激しくて…" と肩を落とす夫人を慰めていたのよね?
しばし待つ ―― が、無。
全員表情を動かさず、夫人を制止したり怒ったりもしない。誰も何も反応しない。
1人語りの夫人の視線を追うと、ほとんどはお父様へ。|トマスに少し。タマスは全然。アルルも少し見ている?
「人を陥れて得意気になって…悍ましい――!周りを傷つけてばかりのお前を、誰が守ってやっていたと思うの…ねぇ…私はあなたの味方だったのよ…?誰も近寄らないあなたのお部屋にいつも行って…」
誰も応えてくれないから話しかけてきた。
「返事なさいっ!そんなだからみんなから嫌われるのよ!…構ってほしくて嘘をついたのよね?お前のやりそうな事だもの。みんなそう思ってるわ。こんな事をして…今まで以上に、お前の周りには誰も行きたがらないわ。私しかいないでしょ?今なら赦してあげる。ね?」
涼やかな声音なのに粘っこい。
「少ぉしだけ体調が悪かったのよね?こけちゃって恥ずかしかった?私のせいにしたかったのよね?…そこの侍女はいつもっいつも…!嘘つきで、ずうずうしくて」
「…アルルはいつも私のために…」
小さな声で割って入るも、夫人は早口で続ける。
「そうよね?いつもお前のためね?お前のために嘘をつくの!身体の傷ですって?あの女に、自分でやらせて付けたのでしょう?あぁなんて恐ろしい…!」
「傷…?」
「お前がついた嘘でしょう!?」
「夫人は、傷が理由で拘束されたと思ってますの?」
「――っは?」
やっと止まった。
「今もそうですけれど…なぜそのような話し方で、わたくしに接してよいと?」
「は!?な、に…」
「当家は侯爵家、夫人は元男爵夫人ですから。あの…お分かりいただけてないのかしら…夫人は五爵の順を知ってらして?」
この国は公爵家がないので、侯爵がトップ。男爵は一番下。元がついたら、それはもう平民と同じ。
「夫人が分かるよう、簡単に申し上げますわね」
指先を軽く口元へ持っていき、思案するポーズで間を空ける。いつもの口撃で私を折れば巻き返せるつもりだった夫人は、流れを妨害されて苛立っている。でも、ヘタな事を言うと墓穴を掘るものね。焦れても待つしかないわよね。
「ご覧いただいたとおり、わたくしが夫人から学ばせていただく事は何もないのですが…いつの頃からか、まるで教師のように振る舞うようになられて」
ほんのちょっぴり苦笑を載せて言うと、夫人は口を引きつらせ、目元もひくついた。
「不躾に部屋へ訪れるのも "貴族の作法を知らないから仕方ない" と、目溢し していたのがいけなかったのかしら…。わたくしの不調を押してまで、意味もなく長時間拘束されるのも迷惑ですし…。倒れた後も、アルルが声を荒げて阻まないと休んでいる部屋に押し入ろうとなさったのでしょう?」
改めて口にすると、ずいぶんな態度だ。邸の者達は麻痺し過ぎている。夫人はいつものように怒鳴りつけたいのを我慢しているのだろう。ひくつきは鼻まで拡大した。
「なぜお父様はこれの無礼を許すのか。アルルの身が心配になったのもあり、思い切って理由を伺ったのです。そこで、わたくしが夫人を "格別慕っている" という、誤解がある事が判明したのですけれど…」
殴った、殴ってない、の言い合いなら勝ち目があると思った?自分の方が信頼されてると?
「驚きましたわ。わたくしが小さな頃は、夫人は恐怖の対象でしたし…。いつも大きなお声で。すぐ手を上げられますでしょう?」
「そんな事してないわ!嘘をつくのはやめなさいっ!!」
「そのようにわたくしを怒鳴る事こそが不敬なのですけれど、やっぱりご存知なかったのね。わたくしが口を挟むとこうされますし、なかなかお伝えできなくて…」
私の打擲する動作を見て、鼻息の荒い夫人は身体を揺すり "嘘だ嘘だ" と喚く。
「夫人の不遜な言動が許容されていたのは、 "わたくしがそれを許している" という誤解があったから ―― お父様はわたくしが許しているとお思いになり、わたくしはお父様が許していると思い込んでいたのです」
"私が夫人を慕った事はない" と私が言えば、夫人はそれを否定できないでしょう。私の気持ちは私しか発言できないから。
「行き違いの原因を確認すると――」
一瞬だけ視線をトマスへ。そして間を取る。何がいけないか、もう分かった?
「夫人が、ご自分で仰ったんですってね?わたくしに慕われている――と。嘘は、いけませんのよ。特に、目上の者についての嘘は」
命がけですよ。
「夫人は知らなかったんでしょう。平民が、妄言綺語で以て貴族を謀るのは重罪です。それに…わたくしの大事なアルルの事も…ずいぶん悪しざまに言われて…」
悲しいわ ―― ホロリと一筋。
「なぜそんな事をなさったのか、わたくし浅学の身ゆえ思いつかず…先ほどジグムントが教えてくれましたわ。お父様に…抱いていただきたかったのね…?」
はしたなくて 恥ずかしい。
身の程知らずで 恥ずかしい。
瑞々しい少女の シミ一つない頬が朱に染まる。
「そう理解して思い返してみれば、夫人はよく口にしてました。コムルト様はわたくしを恥じている とか、コムルト様が不出来さを嘆いている といったような…」
夫人は細切れに何かを呟きながらお父様を見ている。お父様、無表情だけど怒っているのが分かるってすごいわよね。
「それを聞いたわたくしが、お父様に叛意を抱くかもしれません。血が濃い程に一度拗れると修復が難しいものですし。長い年月をかけて、わたくしを排除する努力していたんでしょう。ただ、お可哀想なことに…想いは遂げられなかったようですが…」
そうまでしてもお情けはいただけなかったのね、と。
「お、まえぇ…!」
ひび割れるように顔が歪んだ。私には見慣れた顔だけど。
「まぁ夫人。そういう物言いがいけませんのよ。それに、許可なくお話してはいけませんの」
小さな子を諭すように。持てる者の憐憫を与えてあげる。
「そうだわ。礼儀のお話といえば、ずっとお聞きしたかったのです。お父様。これに愛称を許したのですか?」
お父様はコムルートヴィヒという。コムルト様などと呼ぶ人は、夫人を除けば今の邸内にはいないと思う。
「許していない。何度言っても覚えん。藁でも詰まっているんだろう」
「まぁ…。覚えられないのね…。わたくしも似たような事がよくありましてよ」
躾のなっていない犬で困る、それくらいの軽さで笑い合う。
「だっ…て、だって!!私が母親代わりで…!だから!」
自分には無反応だったお父様が、私の問いにはすぐ答えた。それがショックだったのか一瞬ひるんだものの、まだ望みがあると思っているのか、お父様ににじり寄ろうとして護衛に肩を押さえられた。
「あなた、トマスに何と言われたの?お父様にはあなたのような後添えが必要だと?わたくしが消えれば侯爵夫人になれるとでも言われたのかしら?そのために幼いわたくしをぶって、毎日泣かせていたの?飽きもせず、聞くに堪えない暴言をまくし立てて。わたくしの評判が下がるようにずっと嘘を…」
「伯父様 信じないで!!お母様に誓って!私は何もしていないのっ!!伯父様だってそんな事言ってない!!嘘ばっかりよっ」
「あら、トマスは言っていないの?ならばわたくしの勘違いだわ。ごめんなさいねトマス」
笑いかけると、老執事は美しく礼をした。
タマスは恋慕を知っていて放置しただけ、お父様は娘の恩人を無下にできず、といったところかしら。
夫人はまだトマスに向かって、私の欠点を挙げ連ねている。無表情になったのはあなたのせいだと思うんだけど。小柄なのも、ストレスで食が細かったからでしょ。あ、トマスの徹底完無視が発動したわ。
お父様から不穏な空気が出始め、ジグムントも怨敵発見モードに突入しそう。そろそろ終わりにしたい。
「あのね?あなたが後添いになれるわけないでしょう?お父様より3つも上の、修道院上がりの平民。若くも美しくもない。お父様が本当に疎んでいるのはどちらか、ここまでご覧になってもお分かりにならない?」
「――っ!お前!使用人になんて言われてるか知らないの!?誰も、だぁれもお前なんて好きじゃないわ!必要ないの!消えればいいの!!今までずっと放置されてたんだからいい加減自覚しなさいよ!みっともない出来損ないが――」
「失礼いたします」
言い終わるが早いか、トマスが夫人の顎を蹴り抜いた。トマスも瞬間移動ができるらしい。
「愚鈍な身内の無礼、平にお詫び申し上げます」
いえいえ。老練な執事らしい完璧なタイミングでした。終わりたいと思った私の心を読んだようかのよう。仕事ができる人って、自分ができるだけに主人に求める物も大きくなるものよね。ここで動いたということは――
「トマス。姪ではなく、わたくしを信じるの?」
草食動物みたいな目をしたトマスが、くしゃりと顔を歪めた。
「お嬢様…奥方様によく似ていらっしゃる」
ジグムントが頷きすぎてる。
「明快で剛毅な旦那様の為にお産まれになったかのような方でございました。権威と慈悲の見せ方も、使い方もお上手で…」
中空を眺め、思い出を絞り出すかのように話す。
「常に冷徹でありながら、旦那様の前ではいつまでも少女のようで…本当に」
"よく似ておられる" と再度言うと、夢から覚めたように最敬礼をとった。
「蒙昧な身で主家の血筋を懸念するなど、過ぎたる行いでございました。お詫びのしようもございません」
それはそう。内心でどう思おうが行動に移してはいけない。ただ、取った手段自体はよくある事だ。権力者の目に留まる位置に身内を配して寵愛を狙う。リスクは少ないのにリターンは大きい常道手段だからね。
「差し出せるのはこの皺首ひとつ。それを以て罪を贖わせていただきとう存じます」
死を覚悟した一礼。
それに水を指すように、 "ねぇ" ともう一度話しかけた。
「トマス。妹さんはどんな方だったの?」
不意を突かれたのか、トマスの肩が揺れた。
ゆっくりと身体を起こすと、追憶に潜るように瞳が艶を消す。
「妹は…面差しはそこのとよく似て…苦労を見せない、よく笑う子でした。人を悪く言う事が…ない子で…婚家で擦り減るように若死にしましたが、亡くなるまで生家には愚痴一つ…あぁ ―― そういう事なんでしょうね…」
よく出来た方だったんだろう。気立てのいい妹から産まれた、よく似た女の言う事だ。信じてしまったのも、信じたいのも無理はない。亡き妹を重ね盲目になった老人は、愚かで哀しくて、愛おしい。
護衛の端に立ったままのタマスを見ると、蒼白のまま張りつめた顔をしている。
「ねぇタマス。夫人がトマスの庇護下にある事くらいは気付いていたんでしょう?あの時あなたが嘘をつけば、こうはならなかったでしょうに」
どおりで決死の覚悟みたいな顔してたわけよね。文字通り命がけだった。
話しかけられたタマスは礼を取ったまま、目を伏せ何も言わない。返答を考えているのかと待つも、話す気がないようだ。
代わりにジグムントが "よろしいですかな" と話し出した。
「執事長職はそろそろ代替りをと話が出てましてな。数カ月前から、タマスに邸内全てを任せられるように整えていたところで。夫人の行動が目に余る事も幾度かあったようです。だがトマスは取り合わない。不審に思ったタマスはお嬢様の周囲に気を配るようにしましたが、そもそも空気がおかしい。使用人達が主人を下げ、ただの世話役を立てているわけですからな。どういう事かと侍女に話を聞こうとした所で、今回の事が」
父親が夫人に籠絡されたのかと疑っていたら、まさかの親族。おかしな空気を正そうとしていたタマスは僅差で間に合わず、完全なる とばっちりか。だが、だからこそ、"父親に代わって責任を取る" と言ったあの言葉は重かったのだろう。
床に伸びている夫人を見て、今度こそ本物のため息がこぼれた。身分制度があると命が軽くなる。身の処し方ひとつ間違えれば死ぬ。タイミングが悪ければ死ぬ。運が悪ければ死ぬ。そういうものだと知ってはしていも、自分が渦中にいると思うとやるせない。
「ジグムント。これがトマスの姪だと知っているのは?」
「この部屋にいる者だけでございます」
慇懃に答え、当主へ向けるよりは浅く、未成年に向けるにしては深く、頭を下げた。
「お父様?どうされるおつもりですか?」
「俺も加害者だ。ヴァネッサ、君が決めていい」
…そういうところが心配されて、離されたんじゃないかしら。
●妄言綺語【もうげんきご】
でたらめ、うそをつくこと
●蒙昧な【蒙昧・な】
物事の道理を知らず、正しい判断ができないこと




