02.
目覚めて何かが変わる事もなく、私でもあるわたくしだった。
メイド達の手伝いで身支度を終え、顔を出したアルルといつもどおり朝の挨拶を交わす。
「昨日はありがとう」
「いえ。ご無礼の段、どうかお許しください。今朝のお加減いかがでしょうか?」
「無礼な事など何もなかったわ。もう動けます。執事を呼んでくださる?」
執事を呼びつけるのは初めてだ。
アルルは瞼をピクリとしただけで、質問することなく一礼して部屋を出た。
ノックが聞こえたのは、だいぶ時間が経ってから。入ってきたのはいちばん若年の執事だ。普段やり取りがないからね。アルルが声をかけられる限界だろう。
「お父様にお会いします。先触れを」
挨拶もせず突っ立っている執事に指示を出した。面倒だって分かる表情が浮かぶ。執事長の教育はどうなっているのかしら?
「畏れながら、閣下はご多忙でございます。ザッカリー夫人からもそのような申し出は断るようにと仰せつかっております」
主家の指示を、開口一番に断る使用人がいるとは…
「では貴方は不要です。執事長からの通達を待ちなさい。アルル、別の執事を」
アルルは一礼してまた去っていく。目の前の年若い執事は、はっ?とか、え?とか口走っている。
「下がれと言われないと分からないかしら?」
「い、いえ!あの、そのような権限、お嬢様がお持ちではないかと…!ザッカリー夫人からも聞いております。どうかお心静かに…かような有り様ですから、継承も危ぶまれているのですよ。今回は事は私の胸に秘めておきます。なに、ご心配には及びません。弁えておられれば、閣下もきっと悪いようにはなさらないはずです!」
主人の代弁までしちゃう執事を放置していたら、またノックが。
まぁ、副執事長だわ。よく連れてこられたわね?この早さで連れてこられるという事は、最初から2人に声がけしてくれていたに違いない。
「お呼びと伺い参りました。御用を承ります」
プロはこうよ。主家には最敬礼。無駄口どころか減らず口など、言語道断だわ。
「お父様にお会いします。先触れをお願いするわ」
「かしこまりました。ただちに」
これよ。普通こうなのよ。まだ突っ立ってる執事が何か言いたそうにしてるけど。
「あの…!ザッカリー夫人からこういった申し出は断るようにと…」
言っちゃうんだ。副執事長が私に礼を取ったまま無視してるから尻窄みになっていったけど。まだお口をもごもごしてる。そしてチラチラ私も見る。あ、副執事長もこちらを窺ってるわね。
「タマス副執事長。頭を上げなさい。発言を許します」
ここでようやく姿勢を正した。信任を得ていない使用人は、主人の顔を見て勝手に話す権利などない。
「ドゴール。許可を受けての挙頭、発言か?」
「は?え、いえ、お嬢様ですので…」
タマスは副執事長の名に相応しい判断力があったようで、それ以上の言葉を重ねなかった。私の前で問答を続けるなんて無礼だもの。無言のまま氷点下の威圧。ドゴールとやらは浅い呼吸を繰り返すしかできないわ。
「お嬢様。弁明の余地もございません。執事長に代わりまして、お詫び申し上げます。責任は全てこのタマスが」
こちらに向き直って深々と頭を下げるタマスを見ても、ドゴールは直立。ザッカリー夫人を上に置いて、この人は誰に仕えてるつもりなのかしら?
「執事長からの通達を待ちなさい。この者は下げてくださる?」
タマスに "下がれも察せない奴なんですよー" と目で訴えておく。しっかりした人のようだから連れてってもらおう。再教育するかは執事長の管轄だし。
部屋で待つ間に、ザッカリー夫人が乱入してきた。
昨日の失態を言い募り、いつもの繰り言をわめいている。大音量でうるさい。動きもうるさい。香水も臭い。マナー教師とは?わたくしの教育を担っている者はどういうつもりなのかしら。
ひび割れた甲高い声を聞き流しているうちにいい時間になったようで、タマスが呼びに来た。低頭したままザッカリー夫人を横目で見る。そういえば、タマスはどちら側かしら。
「タマス。この者の入室を許可していないわ」
私の試すような視線にタマスは頭を垂れ、ザッカリー夫人は目を剥いた。
「ザッカリー夫人。こちらへ」
言うが早いか、瞬きの間に夫人へと距離を詰めたタマス。若いからできるのか、執事の特技なのかどっちだろう。執事長と副執事長はね、使用人の中でも別格なのでほぼ世襲。だからタマスは執事長の嫡男で、まだ青年と言っていい年代なのだ。
「まぁっ!!こんな…!許されませんわ!!」
顔も声も騒々しい夫人を、礼を欠かずに連行していく。すごい技術ね…。あとタマスのお家は領地無しとはいえ子爵家。元男爵夫人と子爵家の嫡男だからタマスのが上。無礼な!とか言うと恥ずかしいですよ、夫人。
騒音が遠ざかってからしばらくして、タマス再び。あら、ちょっぴり顔色が良くないかしら?
「お待たせいたしました。旦那様が執務室でお待ちです」
タマス先導のもと、私とアルルだけが向かう。侍女はあと何人かいるのだけど、ドゴールと似たり寄ったりの状態だから。お察しで。
執務室の扉を開けて、タマスは下がった。家令と執事長が中にいるので、職務に戻ったのだろう。
歩いてくる間、わたくしの心臓は早鐘のようだった。震えそうな指先を、何度も握っては開いて。
―― 怖い…?そうだわ、わたくしは怖いのね。
ザッカリー夫人の毒が染み渡った、わたくしの心が縮こまっている。
"憎らしい娘"
"醜い不出来な娘"
"疎ましい母娘"
細く頼りない、まだ9歳のわたくし。
私が慰撫するように奮い立たせてなければ、この扉の中へ踏み入る事はできなかっただろう。
使用人と変わらない距離で礼を取り、声掛けを待つ。
「お嬢様。いかがなされましたかな?」
家令か執事長か。
どちらかが声をかけたようだ。まだ頭を下げているから区別つかないのよね。
彼らはお父様の腹心で、現時点で重要なのは娘よりこの2人だろう。であったとしても。彼らは仕える立場であり、私は主家の人間である。許可を得ずにした発言に応える必要などない。
前世の感覚で言えば傲慢極まりないと思う。でもね。上に立つ者が、威光を以て善政を敷く。それだけが階級社会というものを肯定するの。善政など圧倒的な権力がないと実現しない。低きに流れるのが人だ。
だからわたくしは阿らない。
いい年の男性陣は、無言のまま礼を取り続ける令嬢を持て余しているようだ。
―― お父様からお声掛けいただきたかったけど仕方ないわね
「畏れながら。侯爵閣下、発言の許可をいただけますでしょうか」
「……………なんだ。いや、まず頭を上げなさい」
すごい間があったな。でも言われたとおり姿勢を直す。顔を上げれば、クリスタルブルーの瞳と視線が交わった。私と同じ色の瞳は9歳では読み取れないだろう感情を映している。
「貴重なお時間を賜り、ありがとう存じます。昨晩の失態をお詫びに馳せ参じましてございます」
言い終えてから、先ほどよりも深く頭を下げる。
また沈黙。先ほど言葉を返さなかったので、家令と執事長も控えたままだ。
「……いい。直りなさい。それだけか?」
今度はお父様だけでなく、彼らにも視線を送る。
お父様の斜め後ろに立つ家令は、低めの身長にムキムキの身体。厳しい顔にお髭が似合っている。
執事長はスラリとした体躯にグレイヘア。穏やかな雰囲気を保ったまま壁際に立っていた。たぶん彼がいちばん年上だろう。
―― 家令か執事長か 尻尾を出すかしら
「閣下。お人払いは可能でしょうか?」
「……なに?」
眉間にギュギュっと皺が。ダメか。まぁポーズだからね。むしろ居てもらいたいからそれでいい。
「いえ、無理を申し上げました。どうかそのまま。本日はお伺いしたい事もあり、こうして罷り越した次第でございます」
質問があってー、と伝えるも応答無し。お父様が…あれ?固まってない?
9歳にしては慇懃すぎるかな。でもわたくしのままでもこれくらいしてたと思うわ。ザッカリー夫人だって対面ではヴァネッサをこき下ろしていたけれど、外では "優秀な教え子" の恩師面してたんだし。
「質問をよろしいでしょうか?」
重ねて尋ねると、"あぁ" と頷くお父様。動きがカクカクしてる。どんどんお顔も険しくなるわ。
「ご温情に感謝いたします。では。わたくしの教育に関しまして。雇用は誰に一任しておられますか?」
「……ジグムント」
お父様の斜め後ろから家令が礼をする。そのまま待っているあたり、愚かではないようだ。
「直答を許します。名乗りなさい」
名前なんてもちろん知ってるけど聞く。お父様の指示を伝えるのもジグムントだったし、直答とか本当にいまさら。声はうろ覚えだったけどね。
さっきのもこれも、"お前を信頼していない" というジェスチャーであり、階級社会の先制パンチ。"どっちが上だ?あぁん?" と凄んでいるに等しい。
「お嬢様にご挨拶申し上げます。家令のジグムントでございす」
「よろしい。挙頭し、職責を賭け答えなさい。ザッカリー夫人を雇用し続けている意義は?」
「お嬢様の礼儀作法指南の為でございます」
「元男爵夫人に4年以上教えを受ける程、わたくしが愚かしいという事でよろしくて?」
「とんでもございません!」
「ではお前は、かの夫人からこれ以上何を学べと言っているのです」
「それは…お嬢様がザッカリー夫人を慕っておられると…」
ジグムントが言い淀む。私の目つきが険しくなったからね。ほんのちょっとよ。鋭敏な使用人にだけ分かるくらいの険しさ。でもジグムントはちゃんと気付いた。やっぱり優秀ね。ザッカリー夫人の浅はかさを見抜けないとも思えない。
「閣下。ここではっきりさせたい事がございます。わたくしの侍女、アルルに発言の許可を」
微動だにしていなかったお父様が頷く。たぶん頷いてる。顎を引いただけの可能性もあるけど。
「アルル。わたくしの質問に答えてくださる?」
「もちろんでございます」
「ありがとう。ねぇ、わたくしはかの夫人に関して "親愛を感じている" などと口にした事はございません。もちろん、そう思われるような態度を取った事もないわ。だとしたら」
問いただす上位者の目でアルルを見据える。できてるか分からないけど。
「第三者が信ずるに値する報告を上げられるのは、そばに侍る使用人だけよね?―― 虚偽の報告をしたのは、あなた?」
「いえ。私ではございません」
知ってるの。アルル。本当に感謝しているわ。そう想いを込めて頷く。この気持ちが伝わっているといいのだけれど。
「わかったわ。ではジグムント。わたくしも信頼している侍女も、身に覚えがないのよ。虚偽を以て不要な雇用を続けていたのは、お前の独断なのかしら」
息を呑んだ家令が口を挟む前に、私が言葉を継ぐ。
「アルル。夫人の指導の様子をこの者に教えてさしあげて」
「かしこまりましたお嬢様。ですがその前に、副執事長殿をここへお呼びする事を、具申させていただきとう存じます」
タマスを?今から?時間かかっちゃわない?そんな私の疑問を感じ取ったアルルが続けた。
「僭越ながら、お嬢様のご指示として副執事長殿にはお待ちいただいておりますので、扉の外におみえになるかと。お叱りはあとで受ける所存でございます」
何も伝えてないアルルが、主人の威を借り動いている。これはどう受け止めたらいい?…でも、そもそも。アルルが信じられないなら、今回の事は失敗したっていいのよね。なら構わないわ。
「いいわ。あなたがそう言うのなら」
● 職責【しょくせき】
就いている役職に応じた、果たすべき役割




