23.
「侯爵家も?」
大雨から2ヶ月あまり。
ヒューブリィズ伯爵領は壊滅的な状態だ。
液状化した土地は、雨が上がった後にも次々と土砂崩れを起こし、復興に向かった者がさらなる被害者となった。農作物の収穫は望むべくもない。
氾濫した河川付近は今も野ざらしの遺体だらけで、後手に回った伯爵領では疫病が猛威をふるっている。沈静化の兆しは未だ見えず、近接領地から領民の移動を制限しだした。最後の砦だった侯爵家も、遂に足並みを揃える事になったらしい。これでヒューブリィズ領民が避難できる地は無くなった。
原作通りなら、この頃にはもう伯爵家の窮地につけ込む形で私のと婚約が決まっていたはずで、禁足令が敷かれる事もなかっただろう。
「お父様は援助されると?」
「頭を下げるなら、との事です」
トマスが答えた。こちらに旨味の多い条件で契約するのなら、という意味だと思う。
平時に領地の独自裁量権がある以上、有事だって領主がなんとかするしかないのが基本だ。
では、なんとかできない時はどうするのか。
寄親、もしくは縁戚や姻戚に助けてもらうのが1手。伯爵家に寄親はおらず、縁戚や姻戚も軒並み被災中なので不可能。むしろ家格的には伯爵家が手を差し伸べる側だ。
次の1手は、付き合いのある他領から援助を受けるというもの。当然だが、将来的に相手が得をするような契約を結んだ上で、である。未来の利益を担保に借財するわけだ。規模によっては破滅への下り坂を踏み出しただけになる。
次のは、手段というより逃げね。領主がその地位を返上し、王家に助けを求めるのだ。
これも現状望み薄だと思う。
王都も混迷している。浸水被害で都市機能が麻痺し、犯罪者や闇市を抑制しきれていない。地方を助けるどころか侯爵家に救援を求めている。
残るは婚姻。結婚相手に助けてもらう。
これは相手が限られるという点で難しい。援助できる程の力がある家。利害関係が一致していて、婚姻でのメリットを提示できる相手。
そういう家と婚姻を結んで、援助を受けるというもの。持参金として採掘権や港を移譲したりする、これもなかなかに捨て身の戦略だが、ポイントは姻戚になるという所。力関係が変われば戻ってくる可能性が残る。
追い詰められる程、見返りを多く準備しなくてはならない。独力では復興の目処が立たないと見切りを付けるのも領主の役目だ。あまりに遅い。今更どこかと支援契約を望んだ場合、伯爵家はすっからかんになるまで絞られるだろう。
「息子が可愛いなら急いだ方がいいでしょうに…」
婚姻のメリットを提示でき、かつこの窮状から復興させる程の貴族、それが侯爵家なわけだが。格上への申込みだ。時間が経てば経つほど無礼だし、侮辱とみなされる。
アルルもトマスも、何も言わない。
「あちらは三兄弟だったわよね?」
長男と次男は妻帯しているが、年の離れた三男がいて、私とは年回りも合う。
「つまり…」
三男坊が婚約を嫌がっているのか。なんとも原作通りだ。助ける側の私がゴネるならまだしも、領地の窮状を見ても尚、そんな我儘を抜かせるとは ――
「平民がお似合いね…」
最後のひと言は誰にも届かなかった。私になんと返事をすればいいのか考えているんだろう。優しい侍女を困らせるだけだわ。
「領民に被害が少なくてよかったわ」
控え目に微笑み話題を変えたら、アルルも頷いてくれた。
「王都もかなりでしたから。お嬢様が信心深いおかげだという声も上がっておりました」
「エルメルのおかげね。ありがとう ――」
白い塊を抱き上げると、頬にすり寄ってから頭に登っていった。
******
午後になり、ジムがもう戻っていると聞いたので呼んでもらった。
「疲れているところにごめんなさいね。旅路は問題なく?」
静かな修道院を選んだので、邸からはかなりの距離がある。大雨の被害状況もすぐには掴めず、互いに心配した事だろう。
「はい。郊外へ向かってもさほどの被害は見受けられませんでした。むしろ、近辺で復興の為に動けるのはラリューシュカ侯爵領しかないようで、普段より活気があるとか」
「困っている人が少ないのなら良かったわ。お姉さんには会えた?」
「はい。雨漏りくらいしか被害らしい被害は無かったと笑っていました。とても良くしていただいているようで、少しずつ奉仕活動にも参加出来るようになったと」
「良い事ね。素晴らしいお姉さんだわ」
死の淵にいた人が、また笑えるようになった。そして他人の為に動き出そうとしている。どれほどの辛い夜を乗り越えただろうか。頭の下がる思いだ。
今日も籠杖の作成指示で呼んだので本題に入ろうと思ったのだが、さっきまでと違い、何かを言い淀むような様子だ。何かあったのかしら。
「ジム?」
名前を呼ぶと、思考がまとまったようでこちらをしっかりと見た。
「…修道院で妙な噂を耳にしました」
眉間に皺を寄せている。表情が変わらない子だから珍しい。あまり人に聞かれない方がいい話だろうか。
アルルとトマスを残し、他の使用人を一度下がらせて先を促す。
「ヒューブリィズ伯爵家に愛し子が匿われているそうです」
匿う?誰かに追われているのかしら。
「聖騎士も一緒なの?」
そう聞くと "自称ですから" と首を振った。教会に認知されている方ではないのか。匿うというからには追う人がいるのだろうに、噂になるとはどういう状況?
「侯爵家の被害が少なかったは、その愛し子が密かに贋護符を仕込んだおかげだと触れ回っているらしく」
おおっと?なんか怖い事言い出したな。
「侯爵家はその働きに報いる為に、伯爵家を無条件で援助すべきだとか」
え、お父様それ知ってるの?誰が言ってるの?大丈夫?まだ伯爵家残ってる?
「あなた、何も言わなかった?」
「それは、もちろんです。しかし…こんな事が許されるのですか」
…あの眉間の皺は怒りだったのね。それはそうか。ジムの成果でもあるんだもの。
「ごめんなさいね。秘密にさせてしまって。成人したら公表するから、あなたの功績もちゃんと――」
「そんな事はいいんです。貴方様が自らの足で、全て周ってくださったのに――!」
「ジムが籠杖を作ってくれたおかげよ。領民を代表して御礼を。本当にありがとう」
"よく頑張ってくれたわ" と微笑みかけると、ようやく眉間から皺が消えた。
「その方は、何故いま伯爵家に?」
そもそも、だ。
自領でも伯爵領でもなく、なぜ侯爵領に贋護符を持って来たんだろう。その後に伯爵領へ逃げ込む理由もよく分からないし。
「その娘の生家である男爵家が、摘発祭りに含まれていたみたいです」
祭りってなんだろう…あ、摘発ってあれ?
半年ほど前、ノウスの婚約者だった娘の商家が摘発された。困窮した男爵家を絡め取りながら商売を広げていたようで、下位貴族を巻き込む捕物となり収束に時間がかかっている。王家の了承を取らずに領地を明け渡したり、違法な生業に加担したりと、罪状が次から次へと出てくるのだ。
「あの騒動を摘発祭りと呼んでいるの…?」
誰がそんな事を…あ、ノウスか。
アルルが死んだ虫を見る顔をしてるからきっとそうだわ。
「ええと…その家の罪状は何かしら」
「横領と贋護符の密売のようです。他にもあるのかもしれませんが、詳しくは…」
横領か。なら奪爵は免れない。
「ではじきに元男爵令嬢ね。名はなんというの?」
「ソフィアと。ナハカス男爵家の一粒種だそうです」
…………ん?
「…… 様。お嬢様?」
――はっ
聞き覚えありすぎる名前でフリーズしちゃってた。
「…不思議な話ね」
だから考え込んでたんです、という事にして誤魔化す。
「ご気分を害してしまい申し訳ございません」
真面目で礼儀正しいジムが恐縮している。こちらこそごめん。
「害していないわ。話してくれてありがとう」
"ちょうど良かったの" と笑いかけながら続ける。
「籠杖に破損がないか確認しに周るつもりだったから。いくつか追加もしたくて。ついでに、どこに贋護符があるか見てみましょう」
"お願いできる?" とジムに聞くと、自信のある笑みを浮かべて応えてくれた。
―― あなたも 笑えるようになってよかったわ
とりあえず出来る事をするしかない。
ヒロインも気になるけど。
●籠杖→みてみん
https://52413.mitemin.net/i1236924/
***蛇足***
●4章開始時点から5ヶ月ほど前:ジムの話
「ジムが兄弟子を殴った?」
あんなに上手くいっていたのに?
「前の工房にいた者です。兄弟子というより、同時期に見習いをしていただけなのであまり接点は無かったようですが」
「領都の端と端にいたのに…どこでそんな」
わざわざ会いに来たの?
「ジムには姉がいて、失火の後に娼館に売られておりました。ジムは別の孤児院に行ったと聞いていたようですが…」
姉が娼館送りになっていたと知らず、性悪な兄弟子がわざわざ訪ねてきて教えてくれたらしい。なんという負のエネルギー。
「お姉さんの居所は分かっているの?」
「身体を壊して詰め込み部屋に」
客が取れなくなった娼婦を、死ぬまで押し込めておくだけの部屋だ。
「迎えを…いえ、動かせる状態か分からないわね」
めちゃくちゃ止められたがお姉さんを迎えに行った。ついでにジムも。治癒が効いてよかった。
「お姉さんは本当に修道院がいいと?」
「はい。男のいない所で過ごしたいと…」
「そう…あなたも近くに居を構える?」
ジムは数カ月しか経っていないとは思えないほど、見た目も中身も成長した。幼さの残る頃ならば一緒に暮らせたかもしれない。いや、考えても詮無いことだ。
「かなり郊外の修道院にしてしまったから、工房からは出ないといけないけれど。お姉さんが落ち着くまで待ってほしいとわたくしが言えば少しは ――」
「…なぜ俺を…私をそんなに助けるんですか」
「あなたはなぜ兄弟子を殴ったの」
「そ、れは…」
「殴りたいと思って、殴れる手があったからでしょう」
「同じよ。あなたという人間を知った。助けたいと思った。わたくしは助けられる腕があった」
ちょっと強弁だけど、人が何故そうするのかなんて大体そんなものだと思うわ。
「選びなさい。その腕で何をしたいのか。2本しかないのだから後悔のないように」
「お姉さんのそばにいたい?国を出たい?利用できるうちに、わたくしを上手に使うことね」
「俺に出来る事なんて…」
「わたくしはやりたい事を聞いたのよ」
「叶うなら…貴女様の為の細工師に…」
「あら、専任になる?願ってもない事だけど」
「―― は…?…よ、よろしいのですか…?」
「装飾品は決まった工房がいくつかあるから難しいのだけど、1つ、わたくしだけが必要としているものがあって」
透かしの得意な細工師が必要だったの、と笑う。




