22. あれから1年半くらい
「まだ降るのかしら…」
太陽が隠れて3日経つ。
耳鳴りのような激しい雨音。気鬱からか不調を訴える者も出始めた。
雨季とはいえ、ここまでの長雨は珍しい。
ひんやりとした窓に触れる。
窓の外は灰色に染まっていて、日中とは思えない暗さだ。
堅牢な邸にいても心許なくなる。領民達はどれだけ不安だろうかと、焦りばかりが増していく。
*******
「ランドルフが来たの?」
この大雨の中を?という驚きを込めて聞き返す。
「何か急用かしら」
「ずぶ濡れでしたのでとにかくお召し替えをと。まだご用件は伺っておりません」
「まぁ。しっかり温まるように伝えてくださる?」
しばらく忙しくしていたようだったのに、わざわざこんな日に来るなんて。
不安がよぎる。でも、上に立つ者はいつだって泰然としていなければならない。
だから焦燥は見せていないつもりだった。それでも、賢いエルメルは擦り寄って抱き締めさせてくれる。
「ずっとエルメルが落ち着かないの。部屋を空けたくないのだけど…」
雨足が激しくなってから様子がおかしい。心配だから離れたくないが、こんな天気の時に来た人と会わない選択肢もない。
小一時間後。
人心地ついたらしいランドルフが、応接間で待っていると聞いてそちらへ向かう。
「お嬢…ペットですか」
「またそんな風に呼んで」
姫よりマシだけど、普通に名前で呼べばいいのに。
「外ではちゃんとしますよ。それで?」
エルメルを見ながら返事を催促するランドルフ。隠してたわけじゃないから連れてきてしまった。
「エルメルよ。1年前から邸にいるの」
「…1年?なぜこれまで言わなかったんです」
そういえば、エルメルが来たのとランドルフが出入りするようになったのは同じ時期だった。楽しく親戚付き合い出来るようになった今、なんだか懐かしい。
隔意が無くなったのも半年前に大叔父が亡くなったからだ、と言ってしまえば不謹慎だけど。
「弱っていたの。お見せできなかったのよ。今は元気になったけれど」
「…待ってください、それ ――」
「ランドルフったら。大雨の中、そんな話をしにいらしたの?」
「それはそうですが…失礼しました。昨日まで、フィールドワークで下流の方にいたんですよ」
ランドルフは今、主教様の後ろ盾を得て学生時代の研究を続けている。地方に行っている事も多い。帰ってくるといつも土産話を聞かせてくれる、義理堅い又従兄弟だ。
「ヒューブリィズ伯爵領はひどい有様ですよ」
「―― そんなに?」
「土砂で流されたり、倒壊した家屋があちこちに。特に河川周りがひどい。いくつ決壊したのか…」
国内随一の大河、シュルパック川。
ラリューシュカ侯爵領と王都を繋いでいる。そしていくつかある支流のうち、1つがヒューブリィズ伯爵領へも続いているのだ。
「こちらに近付くほど雨は弱まっていきました。この辺りだけなのか、下流付近も止み出したのかは分かりませんが」
「この辺りはずっとこれくらいの降りよ。あちらはもっとなの?」
「はい。もう目を開けていられないほどで」
「そんな中を移動するなんて…何かあったらどうするの」
「いえそれが…私が移動すると、その間は雨足が弱まりだして。なぜか帰ってこられたんですよ」
"逗まる方が危険でした" と息を吐くランドルフを見る限り、あちらの雨量はかなりのようだ。移動は命懸けに近かったろう。
―― ハンカチを持ってた?
アルルを横目で見ると頷いている。洗濯する衣類の中にあったのね。膝に乗るエルメルに視線を落としたが、私を見上げる白い子はひたすら可愛い。
―― 渡しておいてよかった 持っててくれてよかった
「お父様も外に出られて、同じ事を仰っていたわ」
決まって雨足は弱まる。だから大丈夫だと、頭では理解していてもお帰りになるまでは心配で堪らない。
大雨というのは、降り止めば終わり の災害ではないから。今のうちに手配できる事をなさっているんだと思うけれど ――
"あなたも、無事でよかった…" と呟くと、ランドルフはバツが悪そうに目を逸らした。
沈黙が訪れ、途端に雨音が響いてくる。
どちらからともなく窓に目をやると、未だ世界は灰色のまま、時間が止まったように景色を変えていなかった。
「…きっと、ご加護があったのね」
話し掛けたわけではない。独り言のような小さな声。ランドルフは "そうですね…" と同じくらい小さな声で応えた。
「こういう時、人は祈るしかできませんね」
しんみりとした空気が流れたが、私が『世界に2人だけみたいよね』と言うと、鼻白んだようだった。大雨ってみんなそんな気分になるのかと思ってたわ。
ひとまず、雨が止むまで逗留してもらう事にした。
『一度家に顔を出す』とランドルフは言ったが、ハンカチは汚れてしまって捨てるしかなくなった。刺繍するから待ってほしいと伝えたら諦めたようだ。
その後、雨は4日間降り続いた。
***蛇足***
●4章開始時点から半年前ほど前:大叔父の逝去
「いい葬儀だったわ」
「その節は、ご参列ありがとうございました」
「つい最近までお元気でしたのに、残念ね」
「寝付いてからはあっという間でしたけど、全く残念ではありませんよ」
もういないと思うからか、あけすけに言うものだ。返事は苦笑にとどめる。
「隠居の葬儀なのに、ずいぶんと張り切ってましたから。父も長兄も晴れ晴れしてます」
「悲しくないのならそれもいいわね。あなたも、もう邸に通わなくてよくなるわ」
「…あぁ、そうですね」
「今日で最後になさる?」
「…来るなと思うなら、いつでもそう言ってくださってよかったんですよ」
「あなたのために止めた方がいいのかしら、とも考えたのだけど」
「なら――」
「ごめんなさいね。言いそびれたの。あなたのお話はいつも面白いから」
「…祖父がいなければ会う理由もない、と? ――ご婚約でもなさるんですか」
「なぜそうなるの?主教様にね、あなたと話した事を伝えていたら、とてもご興味を持っていただけたのよ。研究を支援したいと仰ってくださったの」
「はっ?いや、研究と言えるほどのものは何も ――」
「我が国ではとても名誉な事だし、あなたのお父様なら喜んでくださるかと――」
「それで?」
「そうね、もし望むならいつか王城に出仕する事も――」
「違いますよ。私が邸に来なくなって、あなたはそれで、どうするんです」
「わたくし?」
「あの護衛とでも婚約なさるんですか」
「…あなた達、本当に馬が合わないのね。いつもそうやって…」
「答えになっていませんよ」
「わたくしは何も。ノウスは今大変なのだから、例えでも名前を挙げるなんて良くないわ」
「婚約者の商家が摘発された件ですか?これ幸いと見捨てたようにしか見えませんでしたが」
「自分の手で捕縛したいとまで言っているのだから、きっと余人には計り知れないものがあるのよ」
「…なぜ、あなたはあれにだけ敬語なんです」
「ノウスにだけという事はないでしょう?」
「それはそうですが」
「婚約者や恋人がいる方はね、馴れ馴れしくしないように気をつけているだけよ」
「…なるほど」
「あぁ、でも、あなたは親族だから大目に見てもらうつもり」
いたずらっぽく笑う。少し突き出した唇と、からかうように細めた目。
「…お嬢。いくつになったんでしたっけ?」
「10歳よ。先月も聞かなかった?」
「…はぁー…先が思いやられる…」
「それ時々言うけれど、いつも脈絡がないと思うの」
男女の機微がわかってない、みたいな意味なんでしょうけど。
「…お嬢が仲立ちしたのだから、定期的に報告に上がりますよ」
「いいの?それはうれしいわ」
「…………笑うなと言われてたでしょう」
「あなたまでそんな事言うようになったの?」




