21.
妖精であれ精霊であれ。尊重すべき超常の存在だと思うが、我々とは同じ地上に住まうモノ同士でもある。
しかし聖獣は、存在意義が根本から異なる。
―― 聖なる御使いは 神の眷属 ――
不浄な人間が近付くなど赦されるだろうか。
「わたっ、わたくし…!…手をふれてっ!!」
なんてことを――!!
衝動的に立ち上がり膝をついたつもりだったが、実際は腰が抜けてへたりこんだだけだったかもしれない。
「申し訳ございませんっ…!!」
籠に向かって、何度も頭を下げる。
ヒロインの猫ちゃんと似たような子ね、なんて――!少し知ってる気がするからって調子に乗ってたんだわ…!!
「泣くな泣くな。大丈夫だ ヴァネッサ」
しゃくり上げる私にそっと手を伸ばすと、膝に乗せた。私の頬に手を添えて苦笑している。
「俺はな、力を持つ生き物を人が聖獣だと言っただけだと思うよ」
背中を撫でたり、髪を耳にかけたり涙を拭ったり。手は忙しく私を慰めてくれているが、声は落ち着いていて優しい。
「教会で話を聞いてから色々調べたんだがな。古く神子と呼ばれた者達は、確かに神の子だったようだ」
寝かしつけるみたいな声音で語りかける。
そして、"どこまで史実か分からんが" と前置いてから話してくれた。『それは神話では?』と思うくらい隔世の感がある、神子と聖獣の物語を。
*******
「――いろいろ話したが、要は『神子のそばにいる聖獣は触れる事も叶わない』が共通した伝承だな」
すごく要約された。まぁ確かに今大事なのはそこなんだけど。神子が『それはもう、ほぼ神なんじゃ?』ってなってたし、さすがに盛られた言い伝えだと思う。
きっと私を落ち着かせるために、信憑性の薄い事まで話してくれたんだろう。
「ありがとうございます。お父様のおかげで落ち着きましたわ…。取り乱してごめんなさい」
「いや、俺が端的に言ったからだ。不信心で悪いな」
信心深い、というより、八百万の神々に対する畏怖だと思うけど…『敬して遠ざけるものだ』みたいな感覚ってこちらにはないのかしら。
「触れられるのは、これがそれを許しているからだろう。なら君の近くにいた方がいい。部屋に置いて構わないが、あまり人目には晒さんようにな」
"弱っているなら人の気配は毒だろう" と優しく笑う。
「でしたら、あの…護衛の件も…。申し出はとても有難いのですが…」
「あぁそれな。そっちはベンゴッタの倅のせいだろ?」
思い出したようにお父様が言う。そうか、元はランドルフ対策で提案されたんだった。
「あれが君を煩わせているのなら止めてやるが」
前も聞かれたが、困ってはいないのだ。私は選り好みできるような身体じゃないし。ランドルフが良いなら構わない、というか原作通りなら結婚相手だ。
都会的で整った容姿のランドルフは、気さくで会話も上手い。それゆえ熱を上げている使用人もいる。
そんな彼女たちからいろいろ聞き出し、なんとか私を動揺させようとあれこれ言うものだから、私の周りの人に警戒されてしまった。仕事熱心なのが裏目に出てるよ。
「わたくしは問題ありませんわ。ただ、彼が望まぬ行動を強いられているのでしたら、こちらから断った方が良いのかとも思いますけれど…」
「古狸か?今の当主はそう野心のある奴じゃないから、紐を付けているとしたらそうだろうがな」
大叔父は私を排斥して孫を当主にしたいのか、婿でいいのかどっちなんだろう。
「もう子どもじゃない。従いたくないなら家を出ればいいだけだ」
貴族の柵が嫌なら平民になればいい、と。継ぐ爵位がなければ、もとより将来は平民だ。なら一応本人の意思でもあるのかも。
「目的如何によっては排除しますわ。縁組であれば、有難い話ですもの」
様子見でいいよ、と伝える。
あ、忘れてた。
「そうですわ。お父様に差し上げたいものが…」
アルルに視線をやると、アイロンのかかったハンカチを出してくれた。さほど上等な布ではない。
教会へ通うようになった最初の頃、主教様が護符の書き損じを "内緒ですよ" とくださったのだ。本来は焼却処分すべきなのだが。
"売りつけたりしなければバレませんから" と、聖職者のお顔で言うから笑ってしまった。
でも、護符をそのまま使うのは良くない気がした。まかり間違って何かあったら、主教様に迷惑がかかるかもしれない。だから紋様を少しだけ真似させてもらって、籠目を刺繍したハンカチに祈りを籠めた。
「護符のような効果はありませんが、お父様をお守りくださるように祈りました。あの…刺繍は拙いのですけれど…」
ハンカチを持ったまま、お父様が顔を上げない。
まじまじ見られると粗が…。
「紋章を入れるべきだったでしょうか…?」
入れるか迷ったんだ。でも紋章は難しくて、どうやってもみっともなくて、練習してたらいつになるか…
「トマスも、もっと上等な布を準備すると言ってくれたんです。でも、帆を作ってくれている工房に布をお願いしたくて。いい風が吹くように、水のご加護がありますようにと…」
そう思ったのだけど…違和感がすごいな…。
あの生地感、上位貴族は持たない…そして、お父様には圧倒的に似合わない…!
「その…もう少し練習してから、またトマスに生地を頼みますわ?」
作る時はいいと思ってたのに、渡してみると的外れだった。今すごく恥ずかしい…!!
渡された粗品になんと言っていいのか分からないようで。動かなくなったお父様の、手に持たれたハンカチを見るほどになんともいたたまれない。
―― いったん…! いったん回収しよう…!!
そろりと体勢を崩して手を伸ばす。
パッと取っちゃって、これは練習のやつでしたって言えばいいわ ――
気配を消して伸ばしたつもりの私の手はあと一歩ハンカチには届かず、グイッと引っ張られて空を切った。お父様が、ふわりと握って抱き寄せたからだ。
気付いた時にはもう抱き締められている。
いつものように、優しく包み込むような抱っこではなく。私の頬に当たるお父様の髪が冷たい。腕もきつく背にまわされていて、ちょっと反ってしまう。
「…おとうさ…」
「―― ありがとうヴァネッサ…大事にするよ」
耳元に小さく聞こえた声は、震えているみたいだった。
「ヴァネッサ様。旦那様はお喜びですから」
ハンカチを抜き取ろうとしているのを目撃したジグムントが言う。そうは言っても、やっぱりお持ちいただくには粗末すぎた気がする。差し上げた物を取り返すのも良くないけど…
「あの、お父様。もっと上達しましたら、刺繍し直します。そちらをまたお渡ししてもよろしいですか…?」
やり直すから、それはぜひ隠しておいてほしいです。
「これは肌見放さず持ち歩こう。いや…それでは汚してしまうか…ならば額縁に…」
「お父様っ!ぜひお持ちいただきたいですわっ」
飾るのはちょっと…!!
なんとか壁に掛けられるのは阻止できたが、喜んでもらえるかしら、とウキウキしてたのが嘘みたいに疲れた ――
「あ…」
「どうしたヴァネッサ」
「先程お聞かせくださった聖獣の伝承に、歌を捧げるようなものはないでしょうか?」
"ふむ" と少し考えるように腕を組んだお父様が、ちらりと籠に目をやった。
「バラク祭で奉唱するキルタンがあるだろう。あれを聞くと聖獣がご機嫌だった、といった些末なものならあったが…」
バラク祭は実りの季節を迎える前に行われるもので、厳かというより庶民の宴がメインになっている。明け方と宵にキルタンを皆で唱い、日中は菜食で過ごすのだ。
「そうなのですか…ええと、こういう節で合ってますでしょうか」
バラク祭に参加した事がないので自信がない。だがキルタンは単調なので、メロディは何となく覚えていた。
十数秒、意味をなさない文字を口ずさんでいると、籠からカサリと音がして、白いオコジョみたいな聖獣と目が合った。
う、動いた…?
呆気に取られて見ていると、ピョンと飛び上がってお父様に向かっていく。バイデント子爵がそれを庇うが、聖獣はハンカチを咥えてヒラリと着地した。
「ハ、ハンカチが…」
誰かがそう言った。
皆が呆然と聖獣を見る。
ハンカチに刺繍された籠目が、かすかに光を放っていた。
刺繍ハンカチ→みてみん
https://52413.mitemin.net/i1234168/
キルタン→活動報告
https://syosetu.com/userblogmanage/view/blogkey/3692557/




