18.
「お嬢様。年頃の男性に不用意に微笑まないとお約束されていたのでは?」
「…微笑んだかしら?」
少し考えたが記憶にない。主教様は年頃ではないと思う。
「孤児院で。最後に少し微笑まれてましたよ」
「…そうね?少し緩んだかもしれないわ?」
でも年頃の人なんていた?
「…目の前に少年がいたかと」
「あんな子どももなの?」
年頃ってなんだ。
「むしろ一番いけません」
むしろ一番、の意味が分からない。分かってないから直らないのだろうけど、意味を聞いても "そういうものです" としか返ってこないから困っている。
どうも私は、『頑張ってるなぁ』とか『よかったなぁ』と思ったり、顔見知りと目が合うと表情が緩むらしい。男性にはみだりに微笑みかけてはいけないとは言われていたけど、子どももダメだったのか…。
"気を付けるわ" と真面目な顔をして頷いておく。気を付ける範囲がよく分からないが、年頃になれば自然と分かると言われたし。年頃ばっかだな。
「あの、アルル?あの子はご飯を食べたかしら?」
白い塊は元気になっただろうか。
昨日は世話を頼んですぐ休んだので、アルルに会えたら真っ先に確認しようと思っていたのだが、機先を制されてしまった。
心配を込めてそう聞くと、アルルは思案げな顔になった。しかし、口を開くと同時にノックの音が被さる。入ってきたのは執事だ。
「お嬢様。ランドルフ様がおみえですが…」
え、また?
又従兄弟は最近になって、よく邸を訪れるようになった。そして居室まで押し掛けてくる。
「約束はしていないのだけど…」
『今日は白い塊の様子を見に行くからできれば帰ってほしいなぁ』という、私の内心をきちんと汲み取った老執事は困った顔をした。
「それが…」
―― コンッココン
「ご機嫌伺いですよ、お姫様」
もう来てたのか。
小首を傾げたランドルフが、開いた扉を横手でノックしている。扉に寄りかかって立ち、親しげな様子でこちらを見られると、まるで約束を交わした恋人のようだ。
「………ごきげんよう」
「今日も姫は美しいですね。いかがですか、たまには息抜きに当家に遊びにいらしては。ベンゴッタの庭園が見頃なんですよ」
親戚のお兄さんっぽい提案のようで、口調や態度が女性に対するものだから気持ち悪いんだろうな。
今まで交流なんて無かったのに、旧知の仲みたいな距離感出されてるのもモヤモヤする。
「そろそろ外部の者とも交流されていく頃でしょう?まずは親族から始められてみては。それに、ベンゴッタの皆もお会いしたがっていますよ」
最後に大げさに礼を取って、"私がいるから誰もあなたを傷付けません" と締めくくる。騎士のような口ぶりだけど、ちょっと不自然。『あなたが傷物なのは知っている』と匂わせているのよね?
とうとう下働きにまで探りにいったのか。
ランドルフが出入りするようになってから、使用人の口が堅いかどうかの試金石みたいになっている。
お父様は、私がうっとおしいなら出入りを禁ずると言った。嗅ぎ回られて不快ではあるけれど、出入り禁止ってかなり重い処分だから。家の為に当人を追い出す家だってあると思う。軽々しく言うものじゃない。
「お気遣いは有難いですけれど、しばらくは予定があるので伺えませんわ」
気安いお兄さんのように振る舞っているが、いつも私の反応を窺っている目は笑っていない。今も私が動揺するか確認していた。
「おや、昨日は教会に行っていたんでしょう?半年ほど前から熱心に通われているとか。その帰りにお寄りになられては?お心を慰める者は近くにもきっとおりますよ」
―― なるほど
半年前に処刑された世話役。傷物の噂。
心身を痛めるような出来事があったから教会通いをしているのでは、と当たりを付けたわけか。
「聖堂の美しさに魅せられてしまって」
いきなり定期訪問するようになると、やはり目を引くらしい。この言い訳も長期間になると苦しいだろうな。
そういえば、原作で登場しないザッカリー夫人がいついなくなったのか、という疑問がずっとあったのだけど。
ジャスティンのと婚約前にはすでに、ランドルフが我が物顔で邸に出入りしていた。でも顔を出すようになったのは最近だ。まだ夫人がいたらランドルフとは親密にはなれない。
となると、ランドルフが夫人を排除したのかも?2人の望みは真反対だもの。時期も合う気がする。
原作のヴァネッサはアルルを失った後だ。さぞかし依存しただろう。
「幼い頃からいた方がいなくなって心細いのかな?大丈夫ですよ。きっと、どんなあなたでも愛する者は現れますから」
うーん…とにかくつついて情報を得たいんだな…。
とっかかりさえあれば、少女ひとり簡単に絡め取る自信があるのか。
「有難い事です。精進せねばなりませんね。あなたも今はお家のお手伝いをしてらっしゃるの?」
余談だが、この国では学園に通うのは嫡子以外である事が多い。まれに結婚相手を探したい地方の貴族ならいるかもしれないが、基本は就職先を探す為に学ぶ場だからだ。2年しか在学期間がないので顔繋ぎの側面も強い。ランドルフは17歳だから卒業したところだろう。どっかに就職しなかったの?と聞いてみる。
「…呼び戻されまして。おかげで可愛い又従兄弟に会えましたから」
"よかったです" と大きな笑みを作った。今までで一番嘘くさい。
籠絡してこいと家に縛られてるのか?衣食住に困る事はないのだから贅沢な話だが、貴族に生まれたら生まれたで不自由さはあるな…。
「そうですか。学園では何を?」
笑みの形に細められた瞳が濃さを増す。
「…キルタンの研究を」
「祝詞の研究ですか?」
キルタンは祝詞に節をつけて歌うのだか、大勢で一節を繰り返し歌う事で、集団トランス状態になる。賛美歌との違いは、古語なので意味をなさない音の羅列に聞こえるところだろう。
確か、祝詞 ―― つまり神への祈りではなく、真言ではないか?という研究があった気がする。
「いえ、言葉は度外視していて…節を付けて歌う事の影響を調べるものでしたね」
「まぁ…寡聞ながら初めてお聞きする観点ですわ。人数や、昼か夜かなどの外的要因も加味されてますの?」
「もちろんです。それによって音量や響きに変化が出ますし、昼夜でも周囲の音が違うでしょう?生活音が聞こえたり、夜なら火をくべている音がしたり。海の近くなら波音もしますし、場所も大きな要因かと」
「そういえば、地域によっては足拍子を取りながら舞われるそうですの。であれば踏み鳴らす足場も…」
ハタ、と気付く。盛り上がってどうする。
私が我に返った瞬間に、ランドルフも顔を硬く強張らせた。
「お耳汚しを…失礼しました。学生時分の酔狂ですよ」
"ご放念ください" と言って、また笑みを形作った。
いつもは断っても食い下がるのに、貼り付けたような笑顔のまま辞去していくランドルフをポカンと見送る。
「…学園では神学も学べたのね」
「聖イヴィアピラ王国は、祭礼や神事に詳しい文官も多いと聞きますので」
そうか、国王陛下は聖職者でもあるから。ランドルフはそちらへ進みたかったのかもしれない。
「…お嬢様。昨日の拾い物についてなんですが」
質問を覚えてくれていたアルルが切り出した。
衰弱していたのは良くなったかしら?よく考えてみると、動物を拾って帰るなんて迷惑をかけたわ。
「誰も触れられませんでしたので…」
みんな動物嫌いだったの?ごめんね…?
「そうではないのです。なぜか…触れようとしても弾かれるといいますか…」
申し訳なさそうな顔をした私に、慌てて否定するアルルが、言葉を続けながら困惑を滲ませた。
目をパチリと瞬く私が驚いたと思ったのだろう。危険はないようですが…と言い添える。
驚いたは驚いたけど…そんな設定の動物が原作にもいたなと思ったからびっくりしたのよ。




