14.
「久しいですね、ラリューシュカ卿」
さすが大人だ。何を話すのが全く想像つかないメンバーだったけど、挨拶と社交辞令は欠かさないらしい。
"壮健で喜ばしい" とか "お変わりなく" とか、あとは王都からの道中について尋ねたり。
そんな形式美をこなした陛下が、私をちらりと見た。私の挨拶の番かな、と気合を入れたが、陛下は私に言及する事なくまたお父様へ話しかけてしまった。
「卿の奥方がお亡くなりになって、もう何年かしら」
"6年ですね" と微笑みを絶やさず答えるお父様。端的に答えるあたり、話を広げる気がないと思える。いつもこんな感じなのか、お母様の話題だからかなのかは分からない。
「まぁ…さぞお寂しいでしょう?奥方を想って後添いを全てお断りになっていると聞いてますよ。それでも卿をお慰めしたい、と仰るお嬢さんが沢山いらっしゃるとか。人気は健在ですね」
ニコニコと邪気のない様子で話す姿は少女のようだが、お父様の親世代のはずである。評判通り親しみやすいお人柄なんだろう。
しかし、お嬢さん方に人気だとは知らなかったなぁ。自分の父親を斜め後ろから眺めてみるが、淡い笑顔のまま陛下を見返している雰囲気は確かに格好いいのかもしれない。
ちょっと返答しづらい話題だがどう返すんだろう、と思っていたら、しばしの沈黙の後、何も言葉を言わずに主教様の方を向いた。答えづらかったら無視していいんだ!?
「お初にお目にかかる。猊下は大神殿からあまりお出でにならないと聞いていたが」
主教様とは初対面だったらしい。大神殿は王都にあるが森の深い場所に建てられていて、あまり開かれた場所ではなかったはず。
「えぇ。ここでお会いできてよかった。実は、完成した運河で船に乗ったのは初めてでして」
道中で見た橋や、改修中の時計塔の話をして楽しそうだ。この教会の来られた事も本当に嬉しかったみたい。確かに素晴らしい聖堂だった。
「―― ご息女は、船に乗った事は?」
和やかなやり取りを眺めていたら、不意に主教様が私に話を振る。にっこりと笑ってとても自然な口調なので、思わず答えそうになってしまった。
まだ挨拶すら出来ていない。お父様が紹介するまで待っていたのだけど。このまま会話に入っていいのかしら?一度立って挨拶するべき?
迷いが出て、ついお父様に視線を送ってしまった。それを受けてなのか、お父様は尚も私を紹介する事なく、代わりに答える事にしたようだ。
「よく体調を崩すもんでな。まだ身体も小さい」
か弱い事になってる。"だから抱っこのままいきますよ" と婉曲に伝えてゴリ押しするつもりとみた。病弱でもソファに座れると思うけど、建前があれば道理は引っ込むという事かしら?
「それはいけませんね。卿がご息女とご一緒なのは珍しいと聞きましたが、そういった事情があるなら仕方ないです」
いらない文言が挟まってたなぁ…
いつもは疎遠なんでしょ、と強調してきた意図はなんだろう。誰からの情報なのかな。
和やかな空気は壊れていない。お父様の視線がタチアナ様へ流れ、女史の顔が強張りはしたが。
「おや、異な事を。そこの女史の言かな。当家でもずいぶん軽々な発言をしていたようだが」
笑顔のまま、細めた目でタチアナ様を蔑む。
大神殿にいらっしゃる主教様が当家の内情なんて知る由もないわけで、そこに立っていたらまぁ女史が言ったんだなと思われても仕方ない。夫人の手紙という線もあるけど、それを主教様に渡すとしたらやっぱり女史かな?と思うし。
主教様もニコニコしているが、先ほどより温度がないように見える。
「卿がこれまで、ご息女とは一切関わってこなかったのは事実でしょう?」
「猊下は確か、父御が漁師だったか。貴族とは家の在り方が違うゆえ理解し難かろう」
こちらは笑顔終了。残念ながら事実なので、否定ではなく個人攻撃でいくらしい。
「そうかもしれませんね。しかし、今はずいぶん大事そうに抱えてらっしゃる。不思議なものです」
「…先程から一体何が言いたいのか」
「癒し手かもしれない、と分かるまでは違ったのでしょう?ご息女 ―― ヴァネッサ嬢はこれまでどんな生活をしていましたか」
私を見る主教様の瞳は、慈しみと憐れみをたたえている。知っておられるのだ 、と思った。
ハァ―と息を吐く音がして、主教様から目を離す。
「そちらが話があるというから訪れてやったがな。また御心とやらを示したいだけだったか」
ため息の主は、問責に気分を害したと表明するように顎を上げた。
「要件を言え。俺は癒し手だろうが愛し子だろうが興味ないんだ」
そう言い放つお父様だが、主教様も興味なさそうにお父様を見ている。興味がないというより、歯牙にかけていないといった感じか。
ゆっくりと立ち上がり、私の前まで歩み寄られる。
「ヴァネッサ嬢 ―― 身体は、辛くないですか」
主教様は、ただただ小さく弱い者を労るように私を見た。
「…大丈夫ですわ、猊下。もう終わった事なのです」
「それはよかった――」
瞳を潤ませ、柔らかにそう呟く。
私に近付く主教様に気付き、追いかけるように立ち上がっていたお父様は、その後ろで拳を握って立ち尽くしていた。
「そうは言っても、このままというわけにいかないでしょう。ねぇ猊下」
軽やかな声音で割って入ったのは、2人のやり取りに沈黙を守っていた王太后陛下である。それなりに殺伐とした空気だったのだが、全く意に介していないようだ。
「…陛下。私は娘がなんだろうと、何かを変える気などございませんよ」
座られている陛下に向き直り、言葉を返しながらまた腰掛けた。
「卿は癒し手が ―わたくしの時代は愛し子と呼ばれていましたけれど― 教会に入るか、貴族に縁付くものだと知っているでしょう?」
癒し手の希少度合いは、優れた音楽家よりは少なく王様より多いと言われている。分かりにくい。恐らく、1人だけという事はないが沢山はいないという表現なんだろう。
男性であれば叙階されるので教会に入る事が多く、女性でもシスターとして生きる人はいる。だが良縁に恵まれるので嫁ぐ者の方が多いだろう。
「娘は後継者ですよ」
「女性の身で侯爵として立つと言うの?後継者など今からでも――」
「陛下。ヴァネッサは何の不足もありません」
「能力を言っているのではないの。癒し手として守られるべき立場になったのあれば、ふさわしい境遇で生きていけるのだもの。当主だなんて大変なお仕事をすべきではないわ」
" あなたもそうしたいわよね?" と初めて私に向かって声をかける。
「優秀なのですって?そんな才知優れた侯爵家の娘が愛し子なのですよ。王家と縁付いてもいいくらいです」
なんて幸せな事かしら、とでも言うように頬が上気している。
「王家に年頃の合う者などいないでしょう」
「他国にはいるかもしれなくてよ?」
「娘は望むなら考えますが、今は…」
陛下の勢いをいなすように言葉を返していたお父様だったが、陛下は言い切るのを待たず、 "あら" と言って手に持った扇子をパチンと鳴らした。
「ではご息女に聞きましょう」
音が聞こえそうなほどニッコリと笑った陛下が、抱っこされたままの私を覗き込むように見る。
「あなたは教会に入りたい?それとも素敵な殿方に守っていただきたいかしら?」
まさかの二択。直答を許すという事でいいのかしら…
「…陛下にご挨拶申し上げます。ご無礼をお許しください。畏れながら…彼の地に生を受けましたからには、わたくしはこの身を尽くし生まれ持った責務を果たす所存でございます」
『後継者なんでどっちもちょっと…』を丁寧に伝えてみる。なんか気まずい。
「まぁっ。そうねまだ幼いから分からないかもしれないわ。いい?女は弱いものなの。誰かを守るのではなく、強い方に選ばれる事が大事なのよ」
間違ってはいない。爵位を女性が継ぐ事はままあるが、性差というものが無くなるわけではない。殴り合いなら負ける。
「…憚りながら、愚考を申し上げます。わたくし個人の腕力が必要なのであれば引く事も考えましょうが、智と忍耐で以て事を為すのであれば、卑小な我が身なれど邁進していく所存でございます」
『当主って筋力勝負じゃないから大丈夫じゃないですか?』をオブラートでグルグル巻きにしておく。貴族にしてはニッコリし過ぎていた陛下だが、無くなってしまうと背筋が寒くなる。ご機嫌損ねちゃったかしら…
「女というのは受け身の存在なのです。その志は立派だけれど、それだけで身を守れるわけではないでしょう?」
受け身?暗殺とか謀略とかの話じゃなくて、汚されしまうでしょうって事?
そこは確かに、性差が大きいかもしれない。男の人に、その人が望まぬ子を迎えさせるのは不可能に近い。身に覚えがあっても否定すればいいだけだもの。
逆に托卵がないというメリットもあるのだけど、男性優位社会でそれは言わぬが花。要は、どんな立場でも懸念事項は無くならないってこと。それを理由に、挑戦する前から諦めるのは違うんじゃないかな。
「自身が一騎当千の武者であったとしても、わたくしはわたくしの騎士を信じてこの身を預けると決めております」
私の騎士なんていないけど、『護衛に任せてダメなら諦めます』をいい感じに言うとこうなる。
屈強な男であろうが、やられる時はやられる。側近に裏切られたり、使用人を買収されたり、脅される事だってあるだろう。家族も友だちも絶対ではない。天下無双であっても数の暴力には負ける。
陛下は鼻白んだように "あらそう" と言い、扇子を広げてしまった。お話は終わりだろうか。
失敗したかなぁと内心ちょっと反省していたら、抱っこしてくれている護衛の腕に力が入った。もう結構な時間抱えてくれている。きっと疲れてきて持ち直したいんだと思う。ごめんね、話してるから難しいよね。
『よかったら降ろしてもいいんですよ』と微笑みかけるが、ノウスは真剣な眼差しでこちらを見返すだけ。まだ頑張ると訴えているんだろう。せめて交代したらいいのに。
「私は娘の意思を尊重します。それに、陛下は愛し子だから王家に嫁いだわけではないでしょう?」
そうそう。愛し子だからといって嫁げるのは2爵位差くらいだろう。王家には基本、他国の王族を迎えるものだ。先王陛下がその慣習を破った理由は純然たる色恋沙汰であり、当時の婚約破棄騒動はかなりの醜聞になったと聞いている。
大人達で話し出したようなのでこっそり耳打ちしてみよう。さっきも、ダメ元で言えばよかったなって思ったし。
「ノウス、疲れる前に他の方に代わっていただきましょう?」
降ろしてとは言わない。皆で決めた事なら降りたいのは私のワガママだもの。幸い、護衛の人達は沢山来てくれている。お話が長くなるなら交代制にした方がいいと思う。
そう耳元に囁いてから姿勢を戻すと、目の前にびっくり顔のノウスがいた。え、そんなに驚く事言った?
瞠目したまま固まってしまったので、しばし見つめ合う。今話しかけたらダメだったのかしら。周りから見えないように近付いてから、とても小さな声で言ったつもりだったんだけど――
何か悪かったのかと考えていたら、ノウスはにっこりと笑った。まぁ良い笑顔。つられてなんとなく微笑み返す。
でも何も言わない。交代する素振りもない。
そこでピンときた。私が話し終わっても、お父様達が話の途中では交代しにくいのかもしれない。
「ノウスが動くのは難しいのね…では、一度降ろしてくださる?わたくしが他の騎士様の所へ移動すれば ――」
一番近くの人なら、見苦しくなくササッと交代できるだろう。誰が近いかな。
囲んでくれているのは、もういつものメンバーと言っていい護衛達だ。顔は覚えているので問題ない。
「…あちらへ移動して、すぐ抱き上げていただくわ」
目星を付けて、どう動くつもりか説明しておく。距離にして4歩。1歳児でも行ける。
先程の笑顔の名残りで、微笑みながら視線を戻す。
ノウスはものすごく真顔だった。
さっき笑ってなかったっけ?まぼろし?
「お気遣いだけ有難く」
ハッキリと断られた。ちょっと顔が怖い。
「ごめんなさい。あなたを侮辱するつもりはなかったのですが…」
騎士のプライド的な何かに触れてしまったに違いない。失礼な事をしてしまった。
…でも、腕が痺れたら護衛としてダメなんじゃないだろうか。痺れないわ舐めんなって事なの?
「分かっております。どうかこのままで」
難しい。私なりの覚悟があるように、皆がそれぞれ矜持を持って職務に臨んでいるのだと気付けなかった。間違っちゃったなぁ、と内心でため息を吐いていると、見回した時に目が合った一番近くの護衛が苦笑を向けているのに気付いた。私の失態をみていたんだろう。
情けないわよね、と弱々しく微笑み返したが、それもすぐやめた。プライドを傷付けられたらしいノウスの腕が、またしても力を込めたので。




