10.
「" どういう意味か" と、聞くとでも?」
まんまとどういう意味かなぁと考えていたら、お隣は笑顔のままキレていた。
お父様の怒気に併せるように、ジグムントが片手を軽く挙げる。護衛達が鍔に手をかけた。
「叡智で名を馳せる伯爵家だと聞いてたが…ラリューシュカ侯爵家の嫡流を貶める意味をご存知ないらしい」
ゆっくり唇を引き下げ、形だけの笑顔が消える。
「ご当主に聞かれてはいかがかな?急いで帰られるといい。一足遅いかもしれんぞ」
タチアナ様の返事は聞かずに立ち上がる。
話は終わりだと、張り詰めた気配をほぐしたお父様がゆっくりと屈んだ。
「ヴァネッサ。こんな所に呼んですまない。さぁ戻ろう」
事態を把握できていない私に、柔らかく微笑み手を差し出す。
これで解散?
なんの用だったんだろう??
「―― ヴァネッサ嬢」
お父様の手を取り、立ち上がる寸前。
タチアナ様が声をかけてきた。
湖面のような瞳がこちらを見ている。
「…主よ、讒言で以て慈母を弑す罪深き魂を赦し…」
――― キィ…ン ―――
「――― お嬢様の前ですよ、閣下」
瞬きをしたら、目の前に護衛が現れた。
今日もみんなが瞬間移動をしている。
目隠しのように立つ護衛の脇から、対面のソファを覗き見ると。
タチアナ様にサーベルを振り下ろしたお父様。
間に入って受け止めたらしい護衛。
どうやら、先ほどのセリフを言ったのは彼のようだ。
「ならば、これを運べ。即刻処分しろ」
お父様が処する気まんまん。
誰がどうやって諌めるんだろう、と周りを見る。
ジグムントは良い返事をして護衛に拘束を指示。
先ほど止めてくれた護衛もそれに従う。
タマスは "お部屋までお送りいたします" と、私を部屋から出そうとしている。
―― 誰も止めないんだ…
いやまぁ、伯爵令嬢といっても爵位持ちではなく、教会で女性は叙階されないから、タチアナ様はただの修道女でしかない。
公的な身分は何もないわけで。面と向かって侯爵にケンカ売ったらそりゃ怒られる。
タチアナ様もさすがに抜刀には驚いたのか、歯の根が合わない様子。不明瞭な言葉で抗議している。
そもそも、抜刀前にタチアナ様は何と言った?
"讒言で以て慈母を弑す罪深き魂を赦したまえ" かな?
慈母とやらに心当たりはないが、"嘘をついて人に殺させた" に当てはまりそうなのはザッカリー夫人くらい。
つまり慈母とは夫人の事なのだろう。
タチアナ様と夫人に繋がりあったのかしら。
その辺りは皆知っているから聞かないの?
タマスを見上げると、感情の読めない穏やかな表情でこちらを見ている。たった数日でトマスのようになって…
仕方がない。喋る芋虫を見てるみたいな顔をしたお父様に話しかけよう。
控えめに "お父様?" と声を掛けた。
「わたくし、お話してもかまいませんか?」
「ここでか?」
私を見やる時だけ目元を和らげたお父様は、"こんな虫がいる場所でか?" とでも言うように、タチアナ様を冷たく見下ろした。
「えぇ…お差し支えなければ、ですけれど。ずっとお忙しくしてらっしゃるでしょう?」
「そんな事は気にするな。君の身体が辛くないのなら、いつだって話していい」
とろけるような声音と表情にタチアナ様も目を見開いている。夫人と同じリアクションするのね。
ジグムント達はお父様の甘い言動に驚いた事がない。あと止めない。
とりあえず許可は出た、ということで。
タマスには一旦下がるよう目で伝えた。
まずはお父様に聞いてみるか。
「ザッカリー夫人の為にわざわざいらしたのですよね?お二人は親しい間柄でしたの?」
「親しいかは知らんが、貴族家の情報はどこも欲しがるもんだ。元修道女で頭も弱いあれは使いやすかろう」
情報源として利用されていただけなのか。
夫人が自ら助けを求めたということ?
あの状況で連絡できたという事は邸の中にシンパがいるのだろう。タチアナ様もそういった者から、邸に入ってから私が寝込んでいる情報を得た、と。
と、なると問題は。
彼女がいま誰の意思でここにいるのか。
教会が侯爵家の頭を押さえようと、蛮行を諌める機会を狙っていたのか。はたまた友誼に厚いだけか。
前者ならは処すのはマズい気がする。
そもそも教会ってそんなに強権なんだろうか?
「夫人を助けにいらしたわけではないのかしら…平民を処罰する時に、教会からの口出しが認められているのですか?」
鼻で嗤ったお父様が、"あり得ん" と吐き捨てた。
「俺の領地で俺が裁く。当たり前の事だ。内政に口を出すのなら、戦を覚悟してもらおう」
最後のセリフはタチアナ様に向けてだろう。
では教会からの指示ではないのか。
あくまでも個人的な義憤で?
タチアナ様が夫人の虚構を信じているならば。
"悪辣な子どもと悲劇の継母" として私達を認識しているはず。慈しみ深い継母は成さぬ仲の子を愛し、あまつさえ処刑されてしまったと。
釈明すべきか否か。
原作というものに登場していたタチアナ様。
ここで退場は…どうなんだろう…。
ダメでもともと、かな。
両名の気持ちが収まるかは未知数だが、誤解を解く努力だけはしておこう。
想定外の怒りに気圧されているタチアナ様へ話しかける。
「ザッカリー夫人…いえ、平民パメラ・ザッカリーは、度重なる不敬によって処刑されました。わたくしが告発し、処罰についても進言いたしました。ですがわたくしは、これが神に背く行為ではないと信じております」
「なんと…!」
驚愕よりも、侮蔑を多分に含んだ眼差しで私を睨んだ。
「…長く母と慕った者を…これだから虚籠はっ!!」
―― ダンッ!!!!!
重低音と揺れる床。
タチアナ様の肩が跳ねる。
護衛達が一斉に足を踏み鳴らした音だ。
彼らは会話に口を挟まない。
ゆえに不満は行動で表明する。
タチアナ様に、口を慎むよう威嚇したのだ。
タチアナ様が口走った 虚籠―ころう―とは。
捨て子。もしくは片親の子ども。
気にかける大人がいない子ども。
見捨てられた子ども。
それを教会言葉で上品に言ったわけだが。
文脈から察するに、虚籠は罪に近く、良心に欠けるとでも教えられているのだろう。
護衛に向かって微笑みかけてから、そのままタチアナ様を見つめる。
「信じていただく必要はありません。ですが、このままタチアナ様を見送れば心残りとなるでしょう。わたくしの自己満足です。聞いていただけますか」
私を見る目には嫌悪がある。
しかし死にたいわけではないらしく、しぶしぶ頷いた。
聞く意思を確認し、もう一度護衛の方を向く。
「タチアナ様とお父様、お2人を残して部屋を出ていただく事は可能ですか?」
お父様を止めた方がまとめ役かな、と当たりをつけて尋ねる。彼は姿勢を正し低頭した。
「申し訳ございません。護衛にございますれば、害意を持つ者がいる以上、退室はいたしかねます」
「そうよね…では、お父様以外少し離れて…できれば目を伏せてくださる?」
離れたかどうかは確認せず服を脱ぎ出した私にタチアナ様が目を剥いた。
「お目汚しをお許しください。これぐらいしか示せるものがないのです」
シュミーズ1枚まで脱ぎ、都度めくり上げながら傷痕を解説する。
「―― これは短鞭の痕。これは熱湯で出来た火傷の痕。これは火かき棒を押し付けた痕。これはペーパーナイフで切れるか試された痕。これは…なんだったかしら?後ろはなんだったか覚えている?」
腰にもにもミミズ腫れのような感触があったが、見えないのではっきりしない。アルルに聞いてみる。
「物差しで打擲か…もしくは踏みつけて…」
「物差しかしら。背中はあまり痕はない?」
「…上の方に鞭の痕が…」
「あぁ…。お尻もたぶんそうだけど…やっぱりお尻は恥ずかしいかもしれないわ…」
おおまかに紹介し終えてタチアナ様へ向き直ると、目を限界まで見張り、震える手を持ち上げた。護衛が警戒したが首を振ってそれを押しとどめる。
"タチアナ様" と呼べば、細い身体がビクリと震えた。
「―― どうかあの者を、慈母などとお呼びにならないで。あれは母ではなく、お父様の妻でもございません」
タチアナ様が座っているソファの端に、静かに腰掛ける。
ドレスで隠れる所は傷だらけだ。
古傷も多い事が、近くで見ればよく分かるだろう。
「こん、こんな……なんて事をっ!!」
"神よ…!" と息苦しそうに喘いだ。
あちこちに広がる傷痕から目を離せずに、ただ戦慄いている。
ショックを受けるという事は、分かってくれるかもしれない。よし。説得してみよう。
「わたくしの身体には消えない傷痕が残り、これを醜いと感じる人も大勢いるでしょう。しかしそれが問題なのではありません」
うち婿養子なので。
たぶん何とかなるでしょう。
「わたくしはこれまで、今日の寝床や明日の糧を心配する事なく生きてきました。この身に流れる血があるから、です」
私が優れているからではない。
貴族として生まれたから。
それだけ。
「この身は ―流れる血は― 民を守り導く者であるという証。ゆえに。この身を害す者は、ラリューシュカ侯爵家に仇なす者 ――」
お父様やジグムント、タマスやアルル、護衛の一人一人をゆっくりと見回していく。
「―― わたくしはこの地を守る者。次代の守護者ですから」
最後にタチアナ様へ視線を戻すと、これまで揺らめく事のなかった瞳の中に、光がさざめいていた。
「パメラ・ザッカリーは相応しい報いを受けました。この地の為に、あれを打ち倒すしかなかったと信じております」
詭弁かしら?
でも、不敬罪ってそういう事よね、たぶん。
「…恥ずかしながら、その勇気を出すのに6年かかってしまいましたが…」
あと下着なのも恥ずかしい。
着てから喋ればよかった。
「死に瀕する事のない生活は、恵まれた環境は。わたくしの持てる全てを、いつかこの領地の為に使い尽くすためです。わたくしはこの地で、全ての者の上に立たなければなりません」
だから、ちょっと元修道女を殺っちゃったけど見逃してね、と微笑みかける。
●讒言【ざんげん】
人を陥れる為、目上の人に嘘の告げ口をする事




