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俺はまた早足で帰路に着く

とは言ったものの、

俺の足はすでに限界を迎えていた。

御陵さんの気力に比べ、風にすらふらつく体がどれだけ追いつけるというのか。


そんなことを考える暇もなく、背後から足音が近づいてくるのがわかる。


振り向くと、彼女は今まで見たことがないくらい必死な顔をしていた。


「パス!」


その一声が、静かな公園にこだまする。


何が彼女をそこまで突き動かすのかはわからない。


だが、俺もまた懸命に足を動かした。


「少し休憩してもいいか?」


「いいよ。付き合わせてしまってごめんね」


――そこからの記憶は曖昧だ。気づけば俺は、公園の芝生へと泥のように倒れ込んでいた。


仰向けになると、思った以上に空が近かった。

朝にはお茶が満ちていたはずの水筒を傾けても、もう数滴しか落ちてこない。

ひどく疲れているはずなのに、肌を撫でる夜風が妙に清々しかった。


ふと気づけば、少し離れたところで彼女も隣に横たわっていた。


なあ、どうしてそこまで本気なんだ?


そう聞きたくなった。

ただそれはひどく無粋であるようにも、これまでの自分を否定する一言のようにも感じた。


「疲れたな。」


そうたわいのない一言しか絞り出せないのであった。


本当は、喉元まで出かかっていた。

『どうしてそこまで本気なんだ?』という、彼女の核心に触れるような問いが。

だが、俺はそれを全力で飲み込んだ。


そんなことを聞いてどうする。

理由を知って、

彼女の人間性を理解して、

それで俺たちはどうなるんだ。

まさか「友達」にでもなれるとでも思っているのか。

笑わせるな。


俺はもう、誰かと深く関わることも、ましてや親友と呼べるような存在を作ることも、とっくの昔に諦めている。


深入りは破滅を招く。


それは中学の時に、嫌というほど学んだはずだ。


彼女がどれほど純粋な光であろうと、あるいは底知れない悪意を隠していようと、俺には関係のないことだ。ただのクラスメイト。

それでいいし、それ以上になってはいけない。


「あはは、確かに!椥辻くん、ほんとにありがとね」


そよ風に揺られ、一時、沈黙が続いた。


「帰ろっか」


そう彼女は微笑んで言った。


「ああ、」


黄昏空の中、彼女の足元と妙に青白いコンクリートしか見なかった。


「体育祭楽しみだね!」


「ああ、そうだな」


俺は淡白にそう答えた。


気づけば閑静な住宅地の十字路についていた。


「じゃあ、私の家右だから、今日はありがとねバイバイ」


電灯がスポットライトの如く振り向いた彼女を照らしていた。


「体育祭、頑張れよ…」


どうしてだろう。直視できないほど眩しいはずなのに、不意にそんな言葉を応援として零してしまった。


「うん!」


弾んだ声が返ってくる。きっと、最高の笑顔だったのだろう。


「じゃあ、」


俺はそれを最後まで直視することができず、またも早足で帰路についた。





翌日も、もちろん全体練習は続く。


今日はリレーの練習と長縄を行うらしい。

無論、足はとても痛む。


やはり俺の読みは正しかった。

実行委員や救護係は、数人の先生に見守られながら、テントの設営や草むしりを黙々と行なっていた。


いや、草むしりは羨ましい。ただテント設営をする可能性があったとすると、バトン練習をダラダラする方が楽である。


この学校では青団、赤団、黄団に分かれ、

リレーは 1 クラス 2 チームに分けて、学年ごとに行なっている。


こここそ普段調子に乗っている部活動生どもを懲らしめられる絶好の場である。

「帰宅部生ども、意地を見せてみろ」

と、めちゃくちゃ足が早ければ、思っていたことだろう。


まあ、そんな理想は勿論なく。


リレーの順が回ってきた。


俺の隣で赤団を背負って走るやつは、嵐山満あらしやまみちるという男である。


嵐山よりも早くバトンを受け取り、俺は走り出した。


一秒ほど遅れてついて走ってきた嵐山だが、ラストスパートで思う以上の接戦を繰り広げた。


バトン渡す技術はこちらの方が上だろう。だが、走る速さにおいては完全に負けていた。


肺がゼーゼー鳴り、吐き気がする。

この苦痛をなんと言えばいいのだろうか。


「お前、結構速いんだな。なんか部活してたのか」


嵐山が背後から突然、話しかけてきた。


「元、いや、現在進行形で帰宅部だ。」


「帰宅部すげーな」


ヒエラルキーの頂点であるサッカー部からそんなことを言われても、


ただ俺はこいつのことは嫌いではない。


『ノリが良い』。これはいわゆる陽キャによく使われる単語である。


ただ実情は違う。


陽キャの中にもリーダー的な存在が何処にでもいる。そいつの顔を見て賛成する。


それは本当に『ノリが良い』そう呼ぶことのできる代物であろうか。


嵐山は本当にその人のことが気になっており、素で相手の聞いて欲しいところにドストライクな質問ができる。

本来の『ノリが良い』を顕現できる逸材である。


「お前結構、勉強もできるんだよな。体育祭後に中間テストあるだろ。今度教えてくれよ!」


グイグイくるな。


「……まあ、機会があればな」


こういう時は、気のない返事で適当に流しておくのが鉄則だ。相手もそのうち熱が冷めて、最後には約束なんて有耶無耶になるのだから。


――キーンコーンカーンコーン――


校庭中にチャイムが鳴り響いた。


「飯だな!教室に戻ろうぜ!」


彼も相当お腹が空いたのであろう。駆け足で靴箱に向かっていった。


高校生活で最も至福と言ってもいい時間、昼食である。

このために学校に行っていると言っても過言ではない。


外にあるベンチで、優雅に小鳥の囀りでも聞きながら食う昼食は格別である。


その至福は、すぐに崩された。


「ここも椥辻くんにとっての保護区なの?」


俺は物騒とした顔で振り向いてしまった。


そこにいたのは、体育祭で使う大量のボールや機材を抱えた御陵さんだった。


おいおい、こいつは学校の先生にまで『優しい』のかよ。


彼女の行動は、いわゆる学級委員的な義務感によるものとは明らかに一線を画していた。

義務で動く者は、少なからず相手の立場を窺うものだ。学校という閉鎖空間において、教師が上で生徒が下というのは意識されずとも機能している暗黙の了解である。


本来、人間に上下などない。そんなことは当たり前だ。なんなら人類は1000年以上の歴史を費やして、その平等を常識化しようと血を流してきた。だが、それを現実に、しかも無意識の領域でやってのける者がどれほどいるというのか。


彼女はそれを、息をするように平然と実践している。

その底知れなさの前に、

俺の身体はまたしても動いてしまった。


「.....手伝ってもいいか」


ここで俺が手を貸そうが貸すまいが、彼女はいつもの完璧な笑顔を浮かべるだけであろう。


「いいの?ありがと!」


ほら見ろ。やっぱり眩しいのだ、彼女の笑顔は。


「どこまで持っていけばいい?」


「体育館の倉庫までお願い」


薄暗い体育倉庫の重い扉を開ける。ひんやりとした空気の中に、埃と部活どう特有の匂いが混じっていた。


不意に、二人きり。

密室。

先ほどまでの校庭の喧騒が嘘のように遠のき、俺の心臓が不必要に普鐘を鳴らし始めたーーその瞬間だった。


「あ、椥辻じゃん。ナイスタイミング!」


倉庫の奥、サッカーボールのケージを漁っていた嵐山が、弾けた声でこちらを振り返った。

飯はどうした。


お前の胃袋はブラックホールか。つい数分前に教室へ猛ダッシュしていった男が、すでに昼食を終えてここにいるのである。


嵐山は俺の困惑などおいなしに、手にしたボールを軽く放り投げてきた。


「サッカーしようぜ」


「昼休みに汗をかく趣味はない」


我ながら抜群の回避である、だが俺の心のどこかが、彼の乱入によって救われていると安堵していることも事実だった。


これ以上、彼女と二人きりでいたら何を口走っていたか自分でもわからない。


その様子を、俺の後ろで機材を抱えたままの御陵さんが、少しだけ意外そうな目を丸くして見つめていた。


「じゃあね、荷物手伝ってくれてありがとう」


彼女は微笑みながらも少し安堵しているかのようにも見えた。


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