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一人それは防衛反応の一種である

高校生活という名の淡い幻想を抱いて入学した学生どもが、

「何者か」になることを夢見て足掻く場所。それが学校だ。だが、実情はどうだ。


「――おーい、 椥辻なぎつじ


高校に入った時点で、俺らは大して尊敬もしていない他人に物事を教え込まれ、

存在もしない「社会」なるものを強制される。結果、3年間で身に付くのは学問ではなく、強者の機嫌を取るための、浅ましい処世術だけだ。


「......起きろ、椥辻」


結局のところ、学生とは無常の連鎖にすぎない。それ以上の何かを期待するだけ無駄なのである。


「おい、起きろって言ってるんだ!」


机を叩く衝撃とともにくだらない妄想から引き戻されると、不機嫌を絵に描いたような顔をした教師がこちらを

見下ろしていた。


「答えろ。問三番だ」


黒板には、俺の今後の人生において微塵も必要のない数式が並んでいる。

小さくため息をつき、言い訳をしようと口を開いた。


――キーンコーンカーンコーン――

その瞬間、世界で最も美しい救いの鐘が鳴り響いた。


「......チッ。今日はここまでだ。復習を忘れるなよ」


あからさまに舌打ちをし、教室から出ていく背中を眺めながら、眠りについた。


次に意識が戻ったとき、世界はすっかり茜色に染まっていた。

閑散とした教室。帰ることすら気怠いからだを無理やり起こしたとき、


「あ、起きた椥辻くんだっけ?」


まだ夢なのか、よしもう一度伏せよう。


「え、ちょっと、椥辻くんだよね」


少し慌てたような、

鈴の鳴るような声が鼓膜をゆらした。


ぼやけた視界をこすり、ようやく焦点を合わせると一人の女子生徒がこちらを覗き込んでいた。


御陵琴音みささぎことねである。

いや一度も話したことはないが、クラスでこの名前を知らないやつは、重度の記憶障害くらいであろう。


「無条件の光属性」といえばいいか、男女問わず人気な俗に言う「誰にでも優しい」を地でいく、

我々が最も警戒すべき女子生徒といえばわかるだろう。


それは防衛反応の一つである。

誰にでも優しいということは、裏を返せば、

誰のことも特別扱いしないということだ。

去年少なくとも三人は、その光に近づいて勘違いし、自滅したやつを見てきた。


いや、勘違いの末の自滅で済むなら、まだマシな方なのかもしれない。

「優しさ」という名の悪意に嵌められ、逃げ場を失って

消えていった奴を、俺は知っている。


こういう人種とは関わることすら避けていた。


それがなぜ俺の前にいるのだろうか、


「忘れ物を取りに来たんだけど、こんな時間まで寝てるの?」


律儀なことだ。その言葉の節々から、驚きを隠せていないことが伝わってくる。


「ああ、放課後は俺みたいなやつの保護区だからな」


「保護区?面白い表現するね」


彼女は戸惑いながらも身を焼き焦がすような笑顔で答えた。これが御陵琴音が男女問わずに人気な所以であることは自明である。


「椥辻くんって普段何してるの?」

この問いは彼女にとって義務なのか善意なのかわからないが、とりあえず答えた。


「寝る。あと、起きる。たまに授業を受ける」


「それ少し寂しいね」


「安心してくれ、これが俺の通常運転だ」


これ以上話すとほんとに日焼けしそうである。


「ところで忘れ物は見つけたのか?」


「あ、忘れてた」


彼女はにこりと微笑み、俺を照らして言った。

「ありがとね」


これ以上話すと、妙な気分になりそうだったので、

バッグを取って立ち上がった。


「じゃあな。戸締まり、ちゃんとしろよ」


それだけ言い残し、


御陵さんの返事も待たないまま早足で教室を抜け出した。


この雑談は、ただの雑談でしかないのである。

そう、俺にとっても彼女にとっても

いや買い被りすぎか、彼女にとっては挨拶のような生活習慣のようなものでしかないのであろう。





翌日。

「ねね、体育祭の競技何したい?」


「おい!おまえも一緒にリレー選ぼうぜ」


朝からリレーだの、体育祭だの、やけに騒がしい言葉が飛び交っていた。


「次の授業で競技決めるんだよね、どうしよう」


そう聞こえた。あいにく教師の話を聞かないもんで、

今日決めることを案の定知らなかった。


ただ、この際どうでもいい。

考えるべきことはどの競技が都合良く休めるかということだけである。


教室の扉が開き、意気揚々と軽快なリズムで担任が教室に入ってきた。


「待ちに待った体育祭! 今日はその前哨戦である競技決めだ。体育祭の勝敗は、誰がどの競技に出るかで8割決まると言っても過言ではないからな!」


ここで救護係、実行係を選ぶのは二流ぼっちである。

確かに目立たないし、楽である。


ただ、この二つの係は『救護』や『実行』という甘い響きとは裏腹に、教師の気分次第でいつでも、何時間でもコキ使われるトラップ枠なのだ。


一流のぼっちは、あえてリレーを選ぶ。

何せ俺の足の速さは平均よりちょい早目であり、同じ順位のまま、前と同じ間隔で次の人にバトンを渡せる程度の実力はある。


多少の息苦しさはあれど、走っているのはたったの10秒そこらだ。これほど拘束時間が短く、コスパの良いものはない。


都合の良いことに、このクラスは足の速いやつが多い。

俺が最下位でバトンを渡されるような絶望的な展開もないであろう。


気づけば、俺はリレーの枠に収まっていた。


「よし! 体育祭頑張るぞー」


クラスの連中の気持ちが高ぶり、「一致団結」というおぞましい旗のもとに進もうとする片隅で、俺は「これで俺の体育祭は通算10秒で終わる」と内心ガッツポーズをしていた。


ただ、この期待はすぐに裏切られることとなる。


全体練習である。


体育祭前の一週間、体育教師が調子に乗り始める。同じことを何度も学生に強いるその姿は、

期間限定でやたら元気になるあたり、夏の蝉みたいなものだ。


ただ、これはまだ受け入れられる。本当に問題なのは、


クラスの方の、


「バトンの渡し方は相手を信じることだ!」


「もっと練習しよう」


「放課後も集合な!」

という、

チームの士気が異常なほどに高すぎることである。


一体、何百回バトンを渡し、渡されたことだろうか。

学校の連中の「狂奔乱走の熱量」に当てられ、俺の体はすでにボロボロだった。


家に帰る体力すら残っておらず、俺はいつも行く、静かで閑散とした公園で休むことにした。


数分、いや、数十分が経った頃であろうか。

規則正しい足音のリズムが、静かな公園に響き始めたのは。


「ねね、椥辻くんだよね。今度はこんなところで寝てるの?」


とても息を荒くしている声。


だけど、どこかで聞いたことのある声だった。


重い目を開けると、きつい逆光で視界がにじむ。

けれど、そこに立っているのが御陵さんであることは、はっきりと分かった。


彼女はリレーの練習をしていたのだ。


俺は呆気にとられていた。彼女は確か、運動部ではないはずだ。 しかも午後は、クラスの連中によるあの狂気じみた猛練習があったのだ。

それなのに、彼女は信じられないほどの笑顔を浮かべている。


……おいおい、あの過酷な猛練習の後にその笑顔を作れるなんて、一体どうなってんだ。


「椥辻くんもリレー選んでいたよね。……少し、リレーのバトン練習、手伝ってくれない?」


御陵さんは、両手でバトンをぎゅっと握りしめ、俺を見つめてきた。


『ごめん、疲れたからもう一歩も動きたくない』


当然、その拒絶のセリフが喉元まで出かかった。出かかった、その時である。


俺の発する「拒絶の空気」を敏感に察したのだろう。


彼女の綺麗な瞳に、陰りを感じた。


――反則だろその瞳は


そこに親友の面影を重ねてしまった。


ああ、こういうのが一番苦手なんだ。


「……ああ、やろう」

気づいた時には、口が勝手にそう応えていた。

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