河畔の朝
弓の国と車輪の国が協議した結果、利の国は両国の軍の一部をしばらく置いて管理する事となり、弓の国からはエルスが向かった。
以降、利の国の事についてはタタールではなく彼女と車輪の国から派遣された人間が担当し、城の国からは相変わらず自分達が剣の国と戦っている間は手を出さないでくれとの連絡が来ているため、タタールには各国に偵察を派遣する事と国境の警備の報告を受けることくらいしかやる事がない。そのため、彼は七海を見送るために港町に来ていた。
町に入ると彼はまず船に行ってみたが、七海はまだ来ていないとのことだったので彼女が普段住んでいるという建物へと向かった。
七海は軟禁を解かれてからもずっと、港町の片隅にある大きめの建物にここに来た時連れていたという仲間と共に滞在しており、この日は自室で船の国へと渡る準備をしていた。
タタールが扉をノックすると、
「こんにちは王様。私に何かご用でしょうか」
と七海が出て来た。利の国に攻め入る前は少々いきり立っていた彼女だったが、今は魂が抜けたかのように落ち着いている。
「これを返しに来たんですよ、使いませんでしたからね」
そう言って彼は彼女から借りていたライターを渡す。
「ああ、それでしたら返して頂かなくても良かったのに。でも、そうですね。この世界には無い物ですので、私が持っていた方がいいのかも知れません。それに丁度燃やしたい物もありましたし」
そう言って彼女は荷物の中から残った一カートンの煙草を取り出すと、そのままそれに火をつけて炉に投げ入れた。
「それはなんですか?」
「私にはもう必要ない物ですよ。本当は剣と将軍様からの手紙以外は他の荷物も全部要らないんですけれどね」
タタールは、彼女は荷物が移動の邪魔になるので必要な物は船の国で揃えたいというニュアンスで言っているのかと思い、
「確かに、必要な物があれば向こうで揃えた方がいいかも知れません。こちらにある物は大抵向こうでも揃うと聞きますし」
と言った。
「そういう意味ではありませんよ。今後外に出るつもりはないので、これ以外衣類は必要ありませんし、飢えることがないので食料も不要です。住む所は将軍様が遺してくださったのでそこを使えば問題ありません。ですので、必要な物が何もないということですよ。そろそろ時間ですかね」
「…」
タタールは閉口した。彼女の目的はバクスケークを殺す事であり、それが達成された今、彼女はもう成すべき事がない。彼女の不死性がどの程度の物なのか彼には分からないが、今後何があっても死ぬ事がないとしたら、彼女はその間何もせずに生きるのだろうか。そう考えるとタタールは七海が気の毒になってしまい、
「答えたくなかったら答えなくて構いません。貴女はこれから何か目的の様なものはありますか?」
と、部屋を出ようとする彼女に尋ねてみた。
七海はタタールがどういう意図でその様な事を聞いて来たか察し、
「気に掛けてくれてありがとうございます。まぁ、不老不死というのもなかなか経験できない事なので、せいぜい油を売りますよ」
とだけ答えて建物を後にした。そうは言ったものの、彼女は迷惑をかけた港町に対して今後機会があれば何かしらの贖罪をしたいと少し考えていたが、結局その事について弓の国国王である彼には言わず、しとしとと雨が降る中、船の国へと渡って行った。
その後、七海は二百年程船の国に住んでいたが、国が滅びると何処かへ姿を消した。
タタールが港町に来たのは七海を見送るためだけではなく、復旧作業の進捗度合いを視察するためでもあった。彼女を見送って、一通り町を見終わると、細かい情報を得るためにグラスの屋敷へと向かった。
グラスは図を描きながら町の復旧の様子を説明した。
曰く、七海の魔法で吹き飛ばされた東側と西側の作業が今まで少々難航していたが、東側は徐々に順調に進み始めており、町の中央はほぼ完了したとのことだった。これは、タタールが見て来た町の様子とだいたい一致している。
グラスは一通り説明し終わると、
「そういえばお前に確認しておいてもらいたい物がある」
と言って部屋を出て行き別室から細長い箱を二つ持って来た。
「これに見覚えはねーか?」
そういうと、彼は箱を開けた。
片方の箱には根本から折れた剣が入っており、もう片方の箱には砕けた剣が入っていた。
タタールはこの二振りの剣に見覚えがあった。
「どこでこれを?」
「こっちの折れている方は町の西側で見つかったんだが、刃の部分は見つかっていない。もう一方の砕けている方は破壊された壁の近くで見つかった。こっちはかなりの業物だったんで残骸も一通り回収しておいたが修復は無理だろうな」
「近くに乾燥した薬草が入った箱とかなかった?」
「それらしきものはそこから少し離れた所で見つかっている。箱はバラバラになっていたが、使えそうな薬草が少し散らばって残っていたんで医者のおっさんが怪我人を治療するために少し使った」
「間違いない、知人の物だ」
「ダライや医者のおっさんの話では、お前がここにたまに来る薬師と知り合いだったということだったがやっぱりそうだったか。お前には言ってなかったんだが、実はその薬師は七海達が攻めて来た際に町の西側で怪我人の治療や侵入者の撃退を手伝ってくれていたんだ。見ていた奴によれば薬師は七海相手に善戦していたらしいんだが最終的に壁を吹っ飛ばした魔法に巻き込まれて行方不明となった。港町付近を探してはいるものの今のところ見つかってはいない」
グラスがばつが悪そうに説明した。彼はサヨが既に死亡したものと思っている。
「彼女は普段少し分かりにくい所に住んでいるから見つからないのも無理はないかもね。僕が治療に使った分の薬草代を彼女に渡しておくよ」
タタールは言葉に含みを持たせる事なくそう言った。根拠はなかったが、彼は彼女がまだあの河畔にいるという事を確信している。
(薬師が住んでいた所に手向けとして持っていくということかな?)
グラスは勘違いしたが、なんにせよ言う事は一つに収斂する。
「港町を守ってくれてありがとうと伝えてくれ」
それを承ると、タタールはグラスの屋敷を後にした。
外に出てみると昼頃だった。丁度今頃港町を出れば二日後の夕方辺りにはサヨがいる河畔に到着する事ができるはずである。
タタールは馬に荷物を積み込むと、城へと続く道を進んだ。
予想通り、タタールは二日後の夕方に到着した。
河畔の彼女が居住している空間を隠すように聳える丘の上から河畔の方を見下ろすと、小さくサヨが風呂に入っているのが見える。夕方と言っても既に空は既に赤紫から紺色に変わり、月も輝きを増す時間帯であったため、遠くからでも釜を焚いている炎が明るく見えた。
(タイミングが悪かったかな、また後で来よう)
タタールが馬を翻しその場を離れようとすると、近くでストッと音がした。
彼が音がした方向を見てみると、文が巻かれた棒手裏剣が地面に突き刺さっている。
馬を降りてそれを回収し、巻かれた文を読んでみると、
(そんなすぐに帰らなくてもいいじゃないですか。寄って行って下さいよ)
と書かれていた。風呂釜からタタールがいる丘まで六百メートルはあるが、文面から察するにあらかじめここに設置されていたものではなく、彼女が今投げたと思われる。
サヨが強いという事は察しがついていたが、実力の一端を実際に見たのは初めてだったタタールは、彼女の予想以上の強さに驚愕した。
(七海はサヨにどうやって勝ったんだろう)
そんな事を思いながら河畔に接近して行く。
近くまで行くと、
「こんばんは、こんな格好ですみませんねぇ」
と風呂に入りながらサヨはタタールに話しかけた。
「久しぶりだね」
「久しぶりに会って早々申し訳ないんですけど、幕舎の中から私の服を持って来てもらえませんか?」
「あらかじめ用意しておけば良かったんじゃないかな…」
そう言いつつもタタールは彼女の着替えを取りにゲルの中に入って行った。服は様々な国のものがあったが、以前タタールが贈った布を使った物が完成していたためそれを持って彼女の元へ戻った。
「ありがとうございます、すぐに着替えますね」
彼女は普段誰とも会わないせいで癖になっているのか、その場で人目も気にせず着替えようとしたので、タタールは急激にその場に居づらくなる。
「終わったら呼んでくれ、僕はゲルにいるよ」
そう言うとタタールは再びゲルに入った。
先程は服を取りに入っただけなので気にならなかったが、よく見るとゲルの中は薬草や包帯、木の板などが散乱しており以前来た時よりもかなり散らかっていた。
(前回来た時は片付いて居たし、片付けが苦手というわけでもないだろうけど…)
考えているうちにサヨに呼ばれたので彼は再び外に出た。
彼女は焚火の準備をしていた。
タタールがサヨを見ながら立ち尽くしていると、彼女は自分の格好が変なのかと思い、
「数ヶ月前に服を一着ビリビリにしちゃったんで、ライ君から貰った布で急遽作ってみたんですけど、どうですかね?」
と彼に尋ねた。彼は布を買った際、さほどデザインを意識していたわけではないが、それはこれ以上ない程彼女に似合っている様に思えた。
「似合っていると思うよ」
素直な感想を小さな声で言った。
その後すぐに陽が完全に落ち、辺りは急激に冷え込んできた。
二人は寒さを紛らわすため、食事を摂ることとした。食事と言ってもタタールが持っている食べ物は乾燥させた乳製品が少しであり、サヨもこの日は魚が不漁だったためほとんど何も作れない状況である。唯一、茶だけはタタールが大量に持っていたため、二人はそれと焚火で一晩寒さを凌ぐ事にした。
タタールはサヨと話す事が色々とあったが、聞こえてくる焚火や川の流れの音を二人して邪魔しないようにするかのごとく一言も発しないというこの状況が少々心地良かった。
それでも、流石にいつまでも黙っているというわけにもいかない。
「これ、港町から預かってきた薬草の代金。君が姿を消した後、残っていた物を向こうで使ったらしい」
タタールはサヨに代金を渡したが、
「いいですよ、お代は。結局手を貸しておきながら最後まであの町を守る事が出来ませんでしたし、途中から戦いを楽しんでしまいましたし」
と言われ返された。
「それでも、君があそこにいてくれたおかげで僕の仲間は何人も助かった」
「でしたら、町の修理費に充ててください。身を守るためとはいえ町を囲んでいる壁を一部壊してしまったので」
壁は七海の魔法を受けて壊れていると聞いている。しかし、それはグラスから聞いた話であり、実際に七海と戦っていたサヨは自分が壊したと言っている。その齟齬についてタタールは疑問に思った。
「壁は魔法使いの攻撃を受けて崩れたって聞いているけれど」
サヨは負けた時の話は少々恥ずかしいのであまりしたくなかったが、
「そうとも言えるかもしれませんね。軽く説明しますと、彼女と戦っていた私は物凄い風を受けて吹き飛ばされ、壁に叩きつけられそうになりました。私もその速度で壁に激突するのはまずいと思ったので、その前に壁を破壊するべく剣を壁に向かって投げつけたんです。結果、剣と風で壁は崩れて私は激突を免れました。まぁ、それでも飛ばされる勢いは消えなかったので地面に全身を強打して大怪我をしましたけどね」
と説明し、重ねて
「剣二本とその時着ていた服、集めた薬草をほとんど失い、僅かに残っていた薬草も自分で使う事になり、ここを去る予定もかなり遅らせる事になりはしましたが、珍しい相手と戦えたのはなかなかの収穫でしたね」
と言った。
それを聞いたタタールの頭の中からは先程の疑問は消えた。しかし代わりに、ここを去る予定、という一言が何よりも頭の中に残ることとなった。
「ここを去る予定というのは?」
「数ヶ月前の時点でこの周辺で取れる薬草が必要量に達したので移動しようと考えていたんですよ。結局、身体を安静にする必要が出てしまったため数ヶ月滞在期間が伸びた上に、薬草も無くなっちゃいましたけどね。ライ君がなかなか顔を見せないので、今まで話せていませんでしたけれど、伝える事が出来て良かったです」
「でも、薬草を失ったのならまた採取する必要があるんじゃない?」
「私が扱っていた薬草は、人が本来立ち入れない様な山に生えている物とか、二十年に数ヶ月だけ採取できる物とか、割と貴重な物ばかりだったので流石に廃業する以外ないですよ。剣は無手勝流で教えるのには向いてませんし、薬草ももうありませんが、他にも笛とか踊りとか算術とか割と色々できるので、まぁ今後もなんとかなりますよ」
タタールはさらに何か言ってサヨを引き留めようと思ったが止めた。なんとなくだが、引き留める事によって彼女の魅力が失われるように思えたからだ。以前まで彼は、彼女には夕暮れが似合うとぼんやりと思っていたが、より正確に言えば夜の暗闇と、光を増し始めた月、僅かな夕陽の光が作り出す濃い赤紫色の空が似合うような気がしていた。彼女の謎めいた雰囲気は様々な国の特色を融合させたものが作り出しており、彼女が弓の国に残る事を承諾した場合それが消滅してしまう気がしたのである。弓の国の遊牧民は牧草地を求めて移動を繰り返すが、あてもなく草原を彷徨う訳ではなくある程度ルートが決まっている。森林ステップの方には移動しない部族も存在する。行きたい場所へ自由に移動している彼女は自分達以上に自由なのかもしれない。
タタールがよく分からない考え事をしているうちにいつの間にか空が徐々に明るくなってきていた。空の色合い自体は夕暮れとそう変わらないがやはり何かが違っている。
「…もうすぐ夜明けですね」
サヨが呟いた。タタールはもう少し明けないでいて欲しいと思ったが、それとは逆に何故か時間の進行がいつもより早く感じる。
それから、すぐに朝日は昇った。
以前よりは時間に余裕があったが、タタールは二十日以内には戻るとサンサルに言ってから城を出てきており、それまであと三日しかないのですぐに出発の準備を始めた。
別れ際にサヨは
「今までライ君と話せて楽しかったです、ありがとう」
と言って来た。
「僕も君のような友を持てて良かった」
そう返すとタタールは馬首を城へと向けた。
(もう今後サヨと会うことはないのだろう)
そんな事を考えながら彼は馬を進めて行く。




