第15話 白銀の聖女騎士
■心を読む力
リシェルが持つ特殊能力。人の本音や感情が聞こえる。また、複数の相手に感情を伝播できる。
■機械仕掛けの女騎士
ヴェラとイリスは、かつて帝国が開発した戦闘型アンドロイド。身長177cm、体重173kg。外見は人間の女性と変わらないが、内部は高密度人工筋肉と金属骨格で構成されている。リシェルにとっては唯一心の声が聞こえない存在。
・ヴェラ
黒髪の女騎士。前線戦闘を担当する重装型。圧倒的な出力と防御力を持ち、敵の攻撃を正面から受け止める「盾」のような存在。不器用だが誠実で、猫に弱い。
・イリス
銀髪の女騎士。索敵・分析・支援を担当する戦術型。浮遊兵器を操り、戦況を制御することを得意とする。冷静沈着だが、健康管理には異様に厳しい。
■救済と管理
宗教国家は「救済」を掲げ、連邦は「管理」を掲げる。
どちらも人々を苦しみから解放しようとしている。
■リシェルの願い
誰かの象徴でも道具でもなく、ただ「リシェル」として生きること。
それぞれの信じる正しさが交錯する中、物語は新たな局面へ進む。
イリスは、白い空間に立っていた。地下水道ではない。水音も、鉄の匂いもない。あるのは、透明な床と、遠くまで続く円環の列。その中央に、βヴァルナが立っている。
「ここは」
「契約領域」
βヴァルナが答える。
「あなたの演算領域に、秩序を与える場所」
「侵入行為です」
「救済です」
「定義が一致しません」
「いずれ一致する」
βヴァルナが手を上げる。イリスの周囲に、無数の映像が浮かび上がった。リシェルが泣いている。ヴェラが傷ついている。ノイズ・ネストが燃えている。オリジンが息を引き取る。そして、リシェルが叫ぶ。
――私のことを、私抜きで決めないで。
イリスは目を伏せた。
「あなたは苦しんでいる」
βヴァルナが言う。
「機械でありながら、感情に似た信号を保持している。矛盾だ。苦痛だ。不要だ」
「不要ではありません」
「その信号がなければ、あなたはもっと正確に守れる」
「違います」
イリスの声は静かだった。
「その信号がなければ、私はリシェルを理解できません」
「理解など不要。守護対象を保存すればよい」
「保存では駄目です」
「なぜ」
「リシェルは、物ではありません」
βヴァルナの瞳が揺れない。
「人間は、自由であるほど苦しむ」
「ええ」
「ならば自由を制限すればよい」
「いいえ」
「苦しみを残すのか」
「はい、それが人間!」
イリスは顔を上げた。
「苦しみがあるから、人は人です」
「あなたは壊れている」
βヴァルナが言う。
「はい」
イリスは頷いた。
「壊れているのかもしれません」
「ならば修復する」
「不要です」
「なぜ」
イリスは少し考えた。答えは論理ではなかった。
「この壊れ方を、私は嫌いではありません」
透明な空間に亀裂が入った。βヴァルナの表情が初めて変わる。
「………………感情は幸福でしたか」
唐突な問いだった。イリスは目を瞬いた。幸福。その定義を探す。リシェルが笑った時。ヴェラが痛いと正直に言った時。ミナの残した文字をリシェルが抱いた時。オリジンが「消さないで」と言った時。胸の奥に残った、熱のようなもの。
「はい」
イリスは答えた。
「幸福でした」
ヴァルナの円環に、大きな亀裂が走る。現実の地下水道で、イリスの《オービット》が水面から浮かび上がった。青紫の光が戻る。イリスは目を開いた。ヴァルナの拘束陣が砕け散る。
「理解不能……」
βヴァルナが呟く。
「苦痛を伴うものを、なぜ幸福と呼ぶ」
イリスは《オービット》を展開する。浮遊する三機が、ヴァルナの周囲を高速で回る。水面が爆ぜた。《オービット》のレーザーが水路の壁を切り裂き、青白い光が螺旋を描く。ヴァルナの透明な拘束陣が幾何学模様となって空間に浮かび、その一つ一つを、イリスは正確に焼き抜いていく。だがβヴァルナも止まらない。
無数の水輪がイリスへ絡みつく。防壁が割れる。左肩の装甲が裂け、銀灰色の髪が水と火花に濡れる。イリスの《オービット》が一機、拘束陣に潰されて砕けた。
青い火花が蝶のように舞う。
「イリス!」
リシェルの叫びが、契約領域の内側にまで届いた。イリスは顔を上げた。
「聞こえています」
彼女は残った二機の《オービット》を、自分の背後ではなく、リシェルの前へ飛ばした。守るために。そして、自分は前へ出た。
「私にも、まだ完全には分かりません」
イリスは言った。
「ですが、分からないまま保持します」
最後の《オービット》が、βヴァルナの胸部装甲を貫いた。彼は膝をついた。停止寸前、リシェルを見た。
「自由は、苦しい」
リシェルは頷いた。
「うん」
「それでも、選ぶのか」
「選ぶ」
βヴァルナは沈黙した。そして最後に、イリスへ問いかける。
「感情は……幸福でしたか」
同じ問い。イリスは今度は迷わなかった。
「はい」
βヴァルナは静かに目を閉じた。
「ならば……契約は、不要か」
青黒い装甲が崩れ、神罰機は停止した。地下水道に水音が戻る。リシェルはイリスへ駆け寄った。
「イリス!」
「損傷は軽微です」
「嘘」
「中程度です」
「まだ嘘っぽい」
「かなり痛いです」
「よろしい」
リシェルはイリスの手を握る。イリスは、その手を握り返した。
「リシェル」
「なに?」
名前で呼ばれた。敬称なしで。それだけで、胸の奥が少し揺れた。
「悲しいこと、苦しいこと、怖いこと。それでも保持してよいのですね」
リシェルは笑った。
「たぶんね。私もまだ練習中」
「では、私も練習します」
「うん。一緒に」
ヴェラが近くで立っていた。損傷した脚をかばいながらも、安心したように見えた。
「ヴェラも一緒よ」
「はい」
その時、地下水道の奥から拍手が聞こえた。ゆっくりと、静かな拍手。マクシミリアンが立っていた。その隣に、聖騎士たち。そしてルシアン。教祖は微笑む。
「素晴らしい。機械にまで心を与えるとは」
リシェルの背筋が凍る。
「リシェル。やはり、あなたは器です」
白い光が広がる。三人は千人を超える聖騎士に包囲されていた。
◇
大聖堂の内部は、血の匂いがしなかった。それが、かえって恐ろしかった。リシェルは白い祭壇の前で拘束されていた。手首には金属ではなく、祈りを編んだような白い輪がかけられている。身体は動く。だが心が重い。力を伸ばそうとすると、見えない壁に阻まれる。精神拘束。
βヴァルナは倒したはずなのに、その契約の残滓が聖堂全体に張り巡らされていた。ヴェラとイリスは、少し離れた場所で聖騎士たちに囲まれている。ヴェラは脚を損傷している。
イリスは《オービット》の一機を失っている。それでも、二人はリシェルから目を離さない。マクシミリアンは祭壇の階段をゆっくり降りてきた。
「怖がらなくてよいのです」
その声は、優しかった。
「リシェル。あなたはずっと苦しんできた。人の心が流れ込み、悪意を聞き、孤独に耐えてきた」
「勝手に分かった顔をしないで」
「分かりますよ」
教祖の瞳が細くなる。
「私もまた、人の心を知る者ですから」
リシェルは息を呑んだ。彼の心は読めない。いや、読もうとすると、巨大な祈りの壁に押し返される。彼自身の心なのか、信徒たちの心なのか、境界がない。リシェルとは違う。彼は、他者の心を自分の中へ溶かしている。
「あなたは孤独です」
マクシミリアンは言った。
「だが、もう終わります。あなたが中心となれば、人々の心はひとつに結ばれる。争いは消える。裏切りも、恐怖も、孤独も」
「それは、私がみんなを支配するってこと?」
「救済です」
「心を奪うことが?」
「自由は人を傷つけます」
マクシミリアンの声はどこまでも穏やかだった。
「あなたも、それを知っているでしょう」
知っている。リシェルは知っている。人は自由に憎む。自由に裏切る。自由に嘘をつく。心を読めるリシェルは、その醜さをずっと浴びてきた。もし、それが消えるなら。もし、本当に誰も傷つかないなら。胸の奥が揺れた。その瞬間、ルシアンが動いた。彼女は祭壇の横に立っていた。
白銀の槍を握りしめ、ずっとリシェルを見ていた。いや、リシェルの涙を見ていた。ルシアンの脳裏に、幼い日の自分がいた。燃える村で、何も選べずに座り込んでいた子供。
その子に差し伸べられた、教祖の手。
――もう、ひとりではありません。
あの手は、本物だった。あの救いも、本物だった。だからルシアンは、その手を信じて生きてきた。けれど、今その同じ手が、リシェルの心を奪おうとしている。
「教祖様」
ルシアンの声が震えた。
「一つだけ、お聞かせください」
「どうしました、ルシアン」
マクシミリアンは優しく微笑む。
「あなたは」
ルシアンは一度言葉を切った。彼女の心が、リシェルへ流れ込んでくる。信仰。感謝。孤児だった自分を救った手。平和への願い。そして、今初めて生まれた疑い。
「この子の涙を見ても、まだ救済と言えるのですか」
大聖堂の空気が止まった。聖騎士たちがざわめく。マクシミリアンは、初めて目を細めた。
「感情は判断を曇らせます」
「違います!」
ルシアンが叫んだ。彼女の声が、聖堂に響いた。
「私は平和のために槍を取りました。人が争わずに済む世界を信じました。あなたに救われたから、あなたの救済を疑わなかった」
ルシアンの手が震える。
「でも、目の前で泣いている少女を見て、それでも世界のためだと言うなら」
白銀の槍先が、ゆっくり教祖へ向いた。
「それは、私が守りたかった平和ではありません」
マクシミリアンの微笑は消えない。
「ルシアン。あなたは疲れている」
「いいえ」
ルシアンの瞳から涙が落ちた。
「今、初めて目が覚めました」
聖騎士たちが槍を構える。だが、ルシアンの方が早かった。白銀の槍が、祭壇の拘束陣へ突き刺さる。結界が軋む。リシェルの手首の輪に亀裂が入る。
「ヴェラ! イリス!」
リシェルが叫ぶ。黒と銀が同時に動いた。ヴェラは損傷した脚で床を砕き、聖騎士を吹き飛ばす。イリスの残存が青白い光を放ち、防壁を切り裂く。マクシミリアンは静かに手を上げた。
「……残念です、ルシアン」
その声が、聖堂全体の祈りと重なる。ルシアンの身体が一瞬止まった。教祖への忠誠。幼い頃から積み上げられた信仰。それが彼女の精神を縛ろうとする。ルシアンは歯を食いしばった。
「私は」
槍を握る手に血が滲む。
「私は、あなたに救われました」
マクシミリアンの瞳が柔らかくなる。
「ええ」
「だからこそ」
ルシアンは槍を引き抜き、再び構える。
「あなたを止めます」
白銀の槍が、教祖の結界を貫いた。その瞬間、リシェルの拘束が砕けた。自由になった心が、聖堂全体へ広がりかける。人々の祈り。聖騎士の恐怖。ルシアンの涙。マクシミリアンの深い孤独。すべてが流れ込む。リシェルは悲鳴を上げた。




