第12話 宗教国家の神罰執行官
旧図書館の地上階は、雷の匂いに満ちていた。焼けた空気。焦げた石材。溶けた金属。中央広場に、巨大な男が立っている。人間型。だが、人間ではない。黒金の重装甲。背中には雷光を放つ円環。腕は太く、脚は石柱のようで、動くだけで地面が割れる。胸部装甲に刻まれた文字。αインドラ。宗教国家の神罰執行官。リグ・ヴェーダの雷霆神の名を与えられた、神の兵器。
「神敵護衛機を確認」
αインドラの声は低く、空気を震わせた。
「排除する」
ヴェラが前に出る。
「姫様に近づくな」
「護衛対象の引き渡しを要求する」
「拒否」
「では破壊する」
雷が落ちた。リシェルの視界が白く染まる。ヴェラが剣で受け止めた。衝撃で地面が砕け、彼女の足が石畳へめり込む。雷撃は剣を伝い、ヴェラの腕部装甲を焼き裂いた。黒い軍装が爆ぜ、人工皮膚が泡立ち、内部の金属骨格が白熱する。
「ヴェラ!」
「問題ありません」
だが、声に微かなノイズが混じっている。αインドラは、ヴェラと同じく正面制圧型だ。ただし、彼には迷いがない。救うべき民が近くにいようと、建物が崩れようと、敵を砕く。神の命令に従う。そこに表情はない。逃げ遅れた人々が、広場の端で震えていた。リシェルは彼らの心を聞く。
――助けて。
――聖母様。
――神敵でもいい、助けて。
まただ。また、祈りが自分へ向かってくる。リシェルは後ずさった。彼らを助けたい。でも、崇められたくない。この矛盾が、胸を裂く。αインドラの円環が光る。雷が、避難民ごと広場を焼こうとしていた。
「やめて!」
リシェルが叫ぶ。ヴェラが動いた。リシェルを守るのではなく、避難民の前へ。雷がヴェラの背に落ちる。広場に、黒い太陽が咲いた。衝撃波が石畳をめくり上げ、焼けた破片が雨のように降る。ヴェラの背部装甲が弾け飛び、金属の翼のように破片が宙を舞った。黒い軍装は半分燃え、露出した人工筋肉が赤熱している。
それでも、ヴェラは倒れない。彼女の後ろで、避難民の子供が泣いていた。その泣き声が、ヴェラの足を止めなかった。むしろ、もう一歩前へ出させた。
「非効率行動」
αインドラが告げる。
「護衛対象の生存を最優先すべきだ。なぜ民間人を庇う」
ヴェラの剣が、雷を弾く。
「姫様が悲しむので」
「感情による任務条件の改変。欠陥と判断」
「欠陥で構いません」
ヴェラは踏み込んだ。αインドラも踏み込む。重さと重さ。剣と雷。黒と黒金。広場の石畳が砕け、旧図書館の壁が崩れていく。イリスが避難民の経路を作る。残った《オービット》が低空を走り、崩れた壁を切断し、逃げ道を開いた。
「リシェル。誘導を」
敬称がない。リシェルは息を吸った。心を操らない。でも、声は届く。
「こっちへ! 走れる人は、走れない人の手を引いて! 私を見ないで、出口を見て!」
人々が動く。祈りではなく、自分の足で。リシェルはそれを見て、救われた。αインドラが雷の槌を振り下ろす。ヴェラの剣が折れた。
「ヴェラ!」
リシェルが叫ぶ。ヴェラは折れた剣を捨てた。拳を握る。強化された拳。人類なら骨も肉も残らない力。けれど相手は神罰機。ヴェラは正面から殴った。雷が腕を焼く。人工筋肉が裂ける。拳の表面装甲が一枚、二枚、三枚と剥がれ飛ぶ。指の関節から火花が噴き出し、拳の骨格が赤く輝く。それでも拳は止まらない。αインドラの胸部装甲に、亀裂が入った。
「守護行動、理解不能」
αインドラが低く言う。
「勝利より、なぜ守護を優先する」
ヴェラは答えた。
「勝利条件が、変わったからです」
「誰が変更した」
ヴェラは振り返らずに言う。
「私だ、私自身の意思だ!」
リシェルの胸が震えた。私が。命令ではなく。ヴェラ自身が。ヴェラはもう一度踏み込んだ。
「私は、姫様が姫様のまま生きる未来を守る」
拳が、αインドラの中枢を貫いた。雷光が暴れ、広場全体が白く染まる。円環が砕け、空に雷の花が咲く。黒金の装甲が内側から割れ、熱と光が噴き出した。ヴェラはその中心で片腕を突き立てたまま、焼けた髪を揺らし、微動だにしない。やがて、αインドラの巨体が膝をついた。
円環が消える。停止寸前、彼は空を見上げた。雲の切れ間から、夕焼けが差している。
「……美しい」
その一言を最後に、神罰機は動かなくなった。ヴェラは立っていた。ぼろぼろだった。リシェルは駆け寄った。
「ヴェラ!」
「姫様。避難民は」
「助かった。助かったから、今はあなた!」
リシェルはヴェラの手を握った。硬い。熱い。壊れかけている。
「どうして、そこまで」
リシェルの声が震える。ヴェラは困った顔をした。
「姫様が、泣くので」
「泣くわよ」
「はい」
「あなたが壊れたら、もっと泣くわよ、それだけは許さないから!」
「……困ります」
「困るなら、生きて」
ヴェラはしばらく黙った。そして、小さく頷いた。
「努力します」
リシェルは泣きながら笑った。
「それ、安心できないって前にも言った」
「では、修正します」
ヴェラはリシェルの手を握り返した。
「生きます」
その一言で、リシェルは泣いた。泣きながら、まだ怒っていた。隠されたことも、傷ついたことも、消えない。でも、ヴェラが自分の意思で生きると言った。それだけは、消したくなかった。
αインドラとの戦闘で、旧図書館の地下構造は半壊していた。生命維持装置の警報が鳴り続ける中、リシェルはヴェラとイリスに左右から支えられ、旧文明の地下保管庫へ入った。
白い部屋。二十五本の赤い墓標。中央の寝台には、白髪の老婆が横たわっている。皺だらけの手。だが、瞳だけは同じだった。葡萄酒色。自分と同じ色。心を読まなくても分かった。
この人は、ただの他人ではない。老婆はリシェルを見ると、かすかに笑った。
「はじめまして、最新の私」
リシェルは胸元の紙の星を握った。目の前の老婆が自分の未来に見えても、紙の折り目はミナとリオが生きた時間を伝えてくれる。
「二人から、隠していたことがあると聞いた」
ヴェラとイリスの身体が硬くなる。リシェルは二人を見ず、オリジンへ一歩近づいた。
「怒ってる。怖い。でも、私の話だから、私が聞く」
オリジンは満足そうに頷いた。
「旧文明は永遠の人間を作ろうとして、同じ失敗を繰り返した。この赤い光は、その墓標。あなたの身体も、その研究の先にある」
「私は、二十六回目なの?」
「いいえ。あなたは繰り返しではない」
「じゃあ、完成品?」
「完成品という言葉は、もう捨てなさい」
オリジンの声に、初めて強さが宿った。
「完成した人間などいない。あなたの身体は答えではなく、問いよ。大きすぎる力を持っても、他人の人生を奪わずにいられるか。その答えを選べるのは、あなたしかいない」
生命維持装置の警報が高くなる。イリスが端末へ駆け寄った。
「維持限界です」
リシェルはオリジンの冷たい手を握った。
「私は、人間でいていいの?」
オリジンの目が優しく細められる。
「それを誰かに許してもらおうとしないで。あなたが選ぶの」
細い指が、最後の力で握り返す。
「永遠にならなくていい。完成しなくていい。傷ついて、間違えて、いつか終わる。それでも――」
「それでも?」
「……それが、生命よ」
生命維持装置の音が止まった。心の声も消えた。そこには、自分の過去でも未来でもない、一人の老婆の終わりがあった。
リシェルはしばらく手を離せなかった。やがてヴェラとイリスへ向き直る。
「まだ、許してない」
「はい」
二人は言い訳をしなかった。
「でも次に私の真実を見つけたら、私を守る前に、三人の間へ置いて」
ヴェラが頷く。
「共に開きます」
イリスも記録媒体を胸元から出し、リシェルへ差し出した。
「これは、あなたが再生時期を決めてください」
リシェルは受け取り、二人の手を取った。怒りも痛みも残っている。それでも、残ったまま歩くことを選んだ。
「行こう。私が何になるのかは、歩きながら決める」
その時、遠くの聖都で、教祖マクシミリアンは報告を受け取っていた。神罰機αインドラ停止。オリジン死亡。リシェル・ヴァルハイト、旧文明施設より離脱。教祖は静かに微笑んだ。
「神敵ではない」
彼は呟いた。
「やはり、彼女は神の座を揺るがす器だ」
そして、遥か西の連邦中枢では、クレイドルが同じ記録を解析していた。
『リシェル・ヴァルハイト。予測不能性、上昇』
シオン・レイはその画面を見つめていた。彼女の手は、まだ微かに震えている。ミナを撃った時から、止まらない震え。シオンはそれを隠すように、白い手袋を握った。
「次の命令を」
『対象を隔離せよ』
クレイドルの声は冷たい。
『必要であれば、宗教国家との限定協力を許可する』
シオンは目を閉じた。合理的だ。最適だ。そう思うはずだった。けれど、なぜか胸が苦しかった。次の地獄が、動き始めていた。




