第11話 鉄扉の向こう
■リシェル陣営
リシェル、ヴェラ、イリス。
帝国を失いながらも、自分自身の意思で生きる未来を探している。
■ソル・テオクラシー
人々を信仰によって導く宗教国家。
リシェルを救済の象徴として求めている。
■パノプティコン連邦
感情や社会を管理する超合理国家。
リシェルの存在を予測不能な危険因子として観測している。
世界はそれぞれの「正しさ」を掲げながら動き始めていた。
リシェルはその夜、旧図書館の地下区画で眠らされていた。焚書都市で心の声を浴び続け、精神感応過負荷を起こしかけたためだ。眠りへ落ちる直前、彼女はかすれた声で言った。
「隠しごと、しないで」
その言葉を残した少女のそばを離れ、ヴェラとイリスは地下最奥にある旧文明の鉄扉へ来ていた。扉には、帝国へ配備される以前の識別名が刻まれている。Unit-09《Astra》。Unit-07《Nyx》。
「私たちを知る者が、内部にいます」
イリスが扉を開いた。
冷たい保管庫の中央で、白髪の老婆が生命維持装置に身を預けていた。痩せた身体には似合わないほど若い葡萄酒色の瞳が、二人を見つめる。
「遅かったわね、ヴェラ。イリス」
二人の演算が同時に乱れた。
老婆は懐かしそうに笑う。
「今回の子も、まだ砂糖菓子を隠すの?」
ヴェラの膝が床についた。イリスも遅れて頭を下げる。
「……あなたは、オリジン」
「そう呼ばれた失敗作の一人よ」
黒壁に赤い光が点る。二十五本の列。そのすべてが、五十八番目で途切れていた。
「旧文明はここで同じ不死実験を二十五回繰り返し、すべて第五十八世代で全滅した」
「なぜ、いつも第五十八世代で全滅したのですか」
ヴェラがオリジンへ質問した。
「限界だったから、皮肉よね。体細胞を使った複製は、古い傷を引き継ぐ。染色体の端、細胞の記憶、修復しきれない損傷。人間の身体は、単純な保存容器ではなかった。不死を目指した結果、逆に生命が脆くなった。神の真似事に回数制限があったらしい」
イリスの視線が赤い墓標をなぞる。
「リシェル様も貴方と同じ、……旧文明が作った複製の一人なのですか」
「ええ。でも、あの子を二十六回目の失敗と呼んではいけない」
「では、不死の成功体ですか」
「それも、あの子以外が決める答えではないわ」
オリジンは細い指で、生命維持装置の硝子を叩いた。
「あなたたちは、あの子を守ろうとしている。だから情報も痛みも恐怖も遠ざけたくなる。でも、あの子は保管対象ではない」
ヴェラが拳を握る。
「真実は、姫様を傷つけます」
「傷つく権利まで奪えば、守ることは檻になる」
オリジンは記録媒体をイリスへ差し出した。
「全部を一度に浴びせなくていい。でも、次の扉は三人で開きなさい。あの子の人生を、あの子のいない場所で決めないで」
イリスは記録媒体を受け取った。
「私たちは、間違えたのですね」
「たぶんね。なら、謝って次に違う選択をするの。人間との関係は、修正して終わりではないから」
二人は眠るリシェルのもとへ戻った。渡すべき真実は重かった。だが今度は、その重さを二人だけで抱え込まなかった。
リシェルが目を覚ますと、最初に見えたのは古い天井だった。ひび割れたコンクリート。むき出しの配管。白い光。白銀宮殿ではない。ノイズ・ネストでもない。彼女は起き上がろうとして、頭に鋭い痛みを感じた。
「痛っ……私の頭、誰かに踏まれた?」
「踏まれていません」
イリスの声がした。
「精神感応過負荷による頭痛です」
「そう。じゃあ踏まれた方が分かりやすかったわ」
近くにヴェラもいた。いつも通り、入口の近くに立っている。けれど、何かが違った。二人とも、リシェルの目を見ない。いや、ヴェラは普段からあまり表情を出さない。イリスも感情を隠すのは得意だ。でも、リシェルは分かった。心が読めない二人だからこそ、沈黙の形に敏感になっていた。
「二人とも」
リシェルはゆっくり言った。
「……何か隠してる?」
ヴェラは答えない。イリスは一瞬、視線を伏せた。
「隠蔽ではありません。段階的情報開示です」
「それを隠してるって言うの」
沈黙。リシェルの胸が冷えていく。人間が嘘をつくのは慣れている。でも、ヴェラとイリスが自分に何かを隠すことは、慣れていなかった。
「私、言ったわよね」
リシェルの声が震える。
「隠しごとしないでって」
「はい」
イリスが答えた。
「ですが、即時開示は姫様の精神状態に危険と判断しました」
「私のため?」
「……はい」
「私のために、私に隠したの?」
リシェルは笑った。自分でも驚くほど、冷たい笑いだった。
「それ、宮廷の人たちと同じよ。国のため、姫のため、世界のため。みんなそう言って、私の心を勝手に使う」
ヴェラの顔が、かすかに歪んだ。
「違います」
「何が違うの」
「私たちと姫様との関係は……」
「じゃあ、何?」
リシェルは問い詰めた。
「私は子供? 壊れもの? あなたたちの保護対象?」
答えがない。それが、何より痛かった。リシェルは寝台から降りた。足元がふらつく。ヴェラが手を伸ばそうとして、止めた。リシェルが避けると思ったからだ。その判断さえ、リシェルには痛かった。
「最低限でいい。何を知ったの」
イリスは長く沈黙した。やがて、言った。
「……姫様の出生には、旧文明の計画が関係しています」
「旧文明……」
「詳細は不明です」
「嘘」
「詳細の全ては不明です」
「じゃあ一部は知ってるのね」
イリスは答えられない。リシェルはヴェラを見た。
「私は、人間じゃないの?」
「私、ずっとそう思われてたの?」
「化け物だって言われるのは慣れてる。でも、あなたたちまで迷うの?」
ヴェラは即答しかけた。だが、言葉が喉で止まったように見えた。リシェルはその遅れを見逃さなかった。
「今、迷ったよね」
「……はい」
ヴェラは認めた。
「前は迷わなかった」
「前は、姫様を安心させるために即答しました」
リシェルの瞳が揺れる。
「それも、嘘だったの?」
「嘘ではありません」
「じゃあ何」
「願いでした」
ヴェラは静かに言った。
「姫様が人間であってほしいという、私の願いでした」
リシェルは何も言えなくなった。願い。機械であるヴェラが、その言葉を使った。嬉しいはずなのに。胸の奥は痛かった。
「……私は、人間でいたい」
リシェルは小さく言った。
「でも、それをあなたたちの願いにされるのも怖い」
イリスが顔を上げる。
「私たちは、どうすれば」
「分からない」
リシェルは即答した。
「私だって分からない。でも、分からないことを私抜きで決めないで」
その言葉は、二人の中に深く沈んだ。ヴェラが膝をつく。
「申し訳ありません」
イリスも、ゆっくり頭を下げる。
「私たちは、あなたを守るために、あなたを一人にしました」
リシェルの喉が詰まる。怒りは消えない。でも、その謝罪が本物であることは分かった。彼女たちから心の声は聞こえない。けれど、本物かどうかくらい、もう分かるようになっていた。
「……今すぐ話せない」
「はい」
「でも、離れたくない」
「はい」
ヴェラの声が震えていた。その時、地上で爆発が起きた。地下全体が揺れる。イリスが即座に立ち上がる。
「敵襲。宗教国家の高出力個体です」
ヴェラが剣を抜く。
「姫様、退避を」
リシェルは二人を見た。怒りは消えていない。傷ついている。でも、今はそれを抱えたまま進むしかない。
「分かった」
リシェルは言った。
「でも、あとで話して。全部」
ヴェラとイリスは同時に頷いた。
「約束します」
「約束します」
「指示じゃないわよ」
「約束です」
イリスが言い直した。それでも、胸の奥に刺さった棘は抜けなかった。リシェルはその棘を抱えたまま、二人と共に走り出した。




