第11話 佐藤さん?!
男の人は事務所へ戻ると、どさりと椅子に腰を下ろした。灯りが一つだけ吊るされた天井を見上げる。手にした葉巻は、燃えてもうほんのわずかしか残っていなかった。
明かりに照らされた目の下には、濃いくまがあった。何日もよく眠れていないみたいだ。この人が……翔太さんなんだろうな。ずいぶん疲れて見える……松本さんと同じだ。
「まだ……まだ止められない……もう少し、頑張らないと」
翔太さんがつぶやき、手にしていた葉巻が床に落ちた。
「悠斗、あの人……?」
翔太さんの様子を見ようと近づきかけたところで、悠斗に引き戻された。
「聞いて」
悠斗は私の手をつかんだままだった。辺りでは相変わらずつるはしがガンガン鳴っていたけれど、事務所の中には、規則正しい呼吸の音が加わっていた。
「そっか、眠っちゃったのか」
私はほっとして、そっと息を吐き、また金庫のほうを見た。この町、思っていたほど単純じゃないみたい……。でも、翔太さんは、本当に今でもみんなを守りたいのかな……。それなのに、どうして……。
もう一度、窓ガラスの向こうの作業場を振り返った。悠斗が私の肩を軽くたたき、いったん戻ろうと合図をした。
「七奈ちゃん、行こう」
千晴は扉を少しだけ開け、その隙間から外へ抜け出した。辺りを確かめてから、私たちを手招きした。出ていくとき、私はつい、もう一度翔太さんを振り返った。
一瞬、部屋の明かりが少し暗くなった気がした……。でも、灯りの調子が悪いのか、自分の気のせいなのかはわからなかった。
◇
帰り道、私は頭の上の花の街灯を見上げた。その光に照らされると、いつも体がぽかぽかする。夜の中の小さなお日さまみたいだ。
「何を考えてるの? 七奈ちゃん」
「うーん、翔太さんは何をしてるんだろうって」
千晴に答えながら、あの買い物リストを思い出した。安全ゲートなんて、坑道で何に使うために買うんだろう。松本さんは、翔太さんは変わったって言ってたけど……うう、頭の中がごちゃごちゃだ。
私は頭を振って、隣の悠斗を見た。
「悠斗、安全ゲートとあの魔法陣って、何に使うの?」
「安全ゲート? 学院でもあまり使わないけど、俺の家のほうにある祭壇の下には、一つあるよ」
「祭壇? 悠斗の家って、祈祷師か何かの家なの?」
千晴は興味深そうに悠斗を眺めた。悠斗はふんっと声を漏らして手を振り、やれやれという顔をした。
「もちろん違うよ。家の人に聞いた話だと……あの祭壇の下には、大妖怪が封じられてるんだ」
「ええっ、怖い!」
私と千晴は声をそろえて言ってから、悠斗の前へ寄り、じっと見た。
「見えないね、千晴ちゃん」
「うん、うん」
「何に見えないんだよ?」
悠斗は足を止め、自分の服を見下ろして、襟を少し引っ張った。
「大妖怪を抑えられる人には見えない」
私は舌をぺろっと出して、笑いながら言った。悠斗ったら、こんなことを言われたら、また怒って跳び上がっちゃうんだろうな。えへへ。
「二人とも!」
「千晴ちゃん、早く逃げよう!」
通りの両側の家々の窓から、明かりが這い出してきて、道の上の影を長く伸ばしていた。ふざけ合いながら、私たちは宿のロビーへ戻った。
◇
洗面を済ませると、私と千晴はベッドに横になった。真っ暗な天井を見ながら、私は両手を伸ばして、宙を何度かつかんでみた。
「何を考えてるの、七奈ちゃん」
「なんだか、町のことがまだよくわからなくて」
空っぽの両手を見た。答えは目の前にあるのに、どうしてもつかめないみたいだった。
「じゃあ――明日、ずっとこの町に住んでる人に聞いてみればいいんじゃない?」
「そんな人、簡単に見つからないよ……」
私は寝返りを打って、体にかかった布団をつかんだ。千晴ちゃんが寄ってきて、後ろから私を抱きしめた。胸が私の背中にぴったりとくっついて熱くて、千晴ちゃんの鼓動まで聞こえてきそうだった。
「もうちょっと、よく考えてみて。七奈ちゃん」
「うーん……」
松本さん? 私と悠斗を閉じ込めたばっかりだよ。翔太さんも、ちょっと無理そう……。警備員のおじさんや作業員の人たちのことは……よく知らないもん。知ってる人……知ってる人……!
私はベッドの上で体を起こして、千晴ちゃんの目を見た。部屋は真っ暗なのに、お互いの目が見えているような気がした。
部屋に静けさが戻ると、私たちは声をそろえて、その名前を口にした。
「佐藤さん」
◇
翌朝、私たちは悠斗に計画を話した。悠斗は最初、帰ってきたばかりなんだから少し休ませてよ、とか何とか言っていたけれど、結局、私と千晴に両脇を抱えられて、宿の外へ連れ出された。
「ちょっと、女の子なんだから、もう少し優しくしてよ」
私と千晴は顔を見合わせ、口元を押さえて笑った。
「や! だ!」
「勘弁してよ! 旅行じゃなかったの!?」
悠斗は少しもがいたけれど、最後には魔杖で魔法使いのローブに着替え、うつむいて私たちのそばについてきた。
通りを進むと、すぐに佐藤さんのお店が見えてきた。店の前には、ティーカップみたいな車が停まっていた。
何人かの作業員が箱を抱えて店へ入っていく。そばでは佐藤さんがノートを手に、作業員たちに指示を出していた。
「それ、冷蔵庫に運んで。早く」
「はい!」
佐藤さんは初めて会ったときと同じように、頭に布を巻いて、いつもやる気いっぱいという感じだった。陽の光の中で、その顔には、まだ拭えていない汗の粒がいくつか残っていた。
「佐藤さん!」
私は手を振りながら佐藤さんのほうへ歩いた。佐藤さんは一瞬きょとんとしたけれど、私たちだとわかると、手を振り返してくれた。
「おはよう、みんな! 千晴、うまくいったのね」
佐藤さんは私たちの顔を見ると、千晴ちゃんのそばへ来て、肩をぽんぽんとたたいた。
「私一人の力じゃないですよ」
千晴ちゃんは困ったように笑い、手を振りながら答えた。でも、私の中では……いつだって千晴ちゃんのおかげなんだ!
もちろん……私は隣の悠斗を、こっそり見た。悠斗がいなかったら……千晴ちゃんが来るまで持ちこたえられずに、泣きすぎて気を失っていたかもしれない。
私はうつむいて、指を絡ませた。なんだか顔がかあっと熱くなってきた……みんなに気づかれてないよね。
「俺たちも手伝いますよ、佐藤さん」
悠斗はそう言うと、魔杖を手に取り、ティーカップの中の箱に浮遊魔法をかけた。佐藤さんは宙に浮かぶ箱を見て、ようやく顔の汗を拭いた。
「ありがとう、みんな。今日は少し楽ができそうね」
「七奈、ぼーっとしてないで、手伝ってよ」
「は……はい!」
悠斗の声を聞いて、私は魔杖を呼び出した。慌てすぎて、逆さまに持っていることにも気づかなかった。私の慌てっぷりを見て、悠斗が思わず吹き出した。
「あはは、七奈もまだ寝ぼけてるんだね」
「ゆ・う・と!」
私は魔杖で、悠斗の背中を軽くこつんとたたいた。千晴と佐藤さんも、私たちを見て思わず笑い出した。




