第3話 果実の家と空の学院
しばらくすると、藤蔓の速度は少しずつ緩やかになっていった。夜空へ向かってゆっくりと上昇していく。
足元の家々は次第に小さくなり、花々の街灯も夜の静寂の中で星のようにほのかに光っていた。
樹に近づくにつれて、私は大木の幹ほど太い藤蔓をぎゅっと握りしめた。隣に立つ悠斗くんを見つめながら、深く息を吐き出す。
……やっぱり私、少し高所恐怖症かもしれない。
途中、箒に乗った魔法使いたちが何人も私たちの脇を通り過ぎていった。
すれ違うたび、誰もがチラリとこちらを見ていく。まるで試験中に遅刻して教室へ入った時みたいだ。
「ねぇ、悠斗くん」
ローブの裾を引っ張ってみる。
「ん? 高いのおっかないか? 大丈夫、この藤蔓はすごく頑丈だから」
なるべく下を見ないようにして、夜空を見上げた。家から見るのと同じ満月が浮かんでいて、雲が月の前を緩やかに流れていく。
「なんでみんな、私たちのこと見てるの?」
「この藤蔓、もう長いこと使われてなかったからな……最後に使ったの、たしか俺が入学した時だったと思う」
悠斗くんがそっと藤蔓を撫でた。彼の横顔を覗き込むと、頬に泥が少しついていた。
さっき私が下敷きにしちゃった時の名残かな。ふふっ。
やがて藤蔓の速度が落ち、足元でとぐろを巻くように曲がり始めた。数枚の巨大な葉っぱが重なり合って階段の形を作り、広々としたプラットフォームへと私たちを無事に送り届けてくれた。
その場で軽く足踏みをしてみる。足首が少し痺れているけれど、ちゃんと安全そうだ。
周囲を見渡すと、一本の太い枝の先に、丸みを帯びた建物が建っていた。表面はつるつると光り輝いていて、まるで巨大なカボチャみたいだ。
「わぁ、悠斗くん! 見てあっち、すごく大きな建物がある!」
「いいだろ」
「ねぇ、近くまで見に行かない?」
「ダメ」
「えぇー、だってカボチャの馬車みたいで可愛いじゃん」
「まあ似たようなもんだよ。カボチャ列車だけどな」
「えっ?」
脳裏にシンデレラのカボチャの馬車が浮かぶ。主任のところへ急がなきゃいけないけれど……でも、カボチャ列車だよ!?
一目見るくらい……ダメかな?
駅の方へ歩き出そうとすると、
「ダメだって」
悠斗くんにグイッと腕をつかまれ、指が食い込んで少し痛かった。
「痛いってば!」
「ご、ごめん……」
「じゃあカボチャ列車見せてよ」
「ダメ、まずは主任のところに行くぞ」
「えぇー……」
彼は私の手を引いたまま、一番太い幹へと向かって歩き出した。枝の先には大きな正門が立っていた。
門には藤蔓がびっしりと絡みつき、まるでこの樹と一緒に生えてきたかのようだ。
悠斗くんが魔杖を取り出し、正門をコツコツと叩くと、澄んだ金属音、鍋を軽く叩いたような音が響いた。
『おかえり、悠斗』
……えっ?
重々しい音を立てて、門が左右にゆっくりと開いていく。
「よし、行くぞ」
悠斗くんは私の手を繋いだまま、まっすぐ中へ足を踏み入れた。彼の手のひらはポカポカと温かく、じんわりと汗が滲んでいた。悠斗くんも緊張してるんだな。
『そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ、お嬢ちゃん』
門を見上げていた私に、後ろから声が届いた。……門が、喋った!?
学院に一歩足を踏み入れると、時折二、三人の魔法使いが私たちの脇を通り過ぎていった。
ローブの裾が微かに揺れ、廊下には静かな足音だけが響いている。みんなの視線は、私……というより、腕の中の『うさぎさん』に向いている気がした。
私は思わず、うさぎさんをギュッと抱きしめた。
「悠斗くん」
「ん?」
「さっきの人たちって……?」
「ああ、学院の巡回隊だよ」
「そうなんだ……」
悠斗くんのローブをちょこんと摘んで、彼のすぐ後ろをついていく。
空を見上げると、黒い影が本館へ向かってまっすぐ飛んでいくのが見えた。
(幻覚かな……?)
「っていうかさ……入ってから、ずっと俺の後ろに隠れてないか?」
「だって……怖いんだもん」
「大丈夫だって」
悠斗くんが呆れたように笑った。その時、一冊の本が空中をふわふわと飛んで私たちの頭上を通り過ぎていった。
学院の本館に近づくと、本を迎えるようにドアがひとりでに開いた。さっきの黒い影って、あの本だったんだ!
しばらく歩くと、学院の本館の前に出た。目の前にはレンガ造りの巨大な城が聳え立っていた。
壁には藤蔓がびっしりと絡みつき、太い枝々が蛇のように壁を伝って伸びていて、まるで森の中で自然に生えてきたみたいだ。
想像していた魔法世界とは少し違うけれど……それでも、ちゃんとお城が存在する! よかったぁ。
重厚な大扉がゆっくりと開き、中へ踏み入れる。高い天井、巨大な石柱、色鮮やかなステンドグラス、奥には静かな受付カウンターが見えた。
「わぁ……大聖堂みたい」
立ち止まって天井を見上げる。絨毯を踏むたび、足裏に柔らかな感触が返ってきた。
大ホールは不気味なほど静かで、足音すら絨毯に吸収されて消えていく。
横を見ると、悠斗くんも天井を見上げながらゴクリと喉を鳴らした。
「行くぞ」
悠斗くんが小声で呟き、私の手を引いて大ホールの奥へと向かう。左右にはそれぞれ巨大な螺旋階段が設置されていた。
「えっ……これ自力で登るの?」
「大丈夫だって」
悠斗くんは笑うと、魔杖で一番下の段をコンと叩いた。
「十二階」
次の瞬間——カタッ。足元の階段がフワリと宙に浮き上がった。
「キャッ!?」
思わず悠斗くんの腕にしがみつく。絨毯の敷かれた階段がそのまま宙へ浮かび、上へ上へと登っていく。まるで魔法の絨毯に乗っているみたい!
あっという間に十二階に到着すると、軽やかな音を立てて、階段は廊下の反対側へと自動で滑っていった。
「あれ? 悠斗くん、階段どこ行ったの?」
「この学院の階段は動くんだ。人を目的地まで届けると、自分で元の場所に戻るんだよ」
足元を見つめながら、なんだか踏むのが申し訳なくなって、つま先立ちでおそるおそる歩いた。
その姿を見て、悠斗くんが耐えきれずに吹き出した。
「だから大丈夫だって! 踏まれたからって階段は痛がらないから!」
「……もうっ」
少し頬を膨らませる。
「——風祭くん」
廊下の奥から、低く落ち着いた声が響いてきた。
さっきまで大笑いしていた悠斗くんの笑みが一瞬で消え、ピタッと足を止めた。背筋までピンと伸びている。
「その子を連れて入って来なさい」
悠斗くんは私の手を引いて廊下の突き当たりまで歩き、ゴクリと唾を飲み込んでその扉を押し開けた。
——窓の外には、真っ黒な人影が宙に浮かんでいた。




