第7話 七奈ちゃん、待ってて!
「んー……七奈ちゃん……」
千晴は隣を手で探った。布団の中は空っぽで、何もなかった。
「んー……七奈ちゃん、トイレかな?」
千晴は寝返りを打って、目をこすった。洗面所は真っ暗で、明かりは少しもついていなかった。
(えっ、朝ご飯を食べに行ったのかな)
部屋の明かりをつけると、七奈の枕に小さな付箋が貼ってあった。
(これ、何だろう?)
(千晴ちゃん、悠斗と新しい発見をしたから、先に出かけるね。朝には戻るから、起きてこのメモを見ても心配しないでね。朝ご飯、持って帰るよ――七奈ちゃん)
千晴は頭を振り、手元の付箋をもう一度よく読んでから、ベッドを飛び下りた。カーテンを開けると、まぶしい日差しが部屋に差し込んだ。
「七奈ちゃんたち、どうしてまだ戻ってないの? まさか、何かあったの!?」
千晴は頭をかき、着替えると部屋を飛び出した。
タタタッ。
宿の廊下いっぱいに、千晴の足音が響いた。
フロントのカウンターに両手をつき、千晴は焦った声で係の人に尋ねた。
「すみません、お姉さん。私の友達を見かけませんでしたか?」
「落ち着いて、落ち着いて。ゆっくり話してね」
千晴は話しながら、落ち着かない様子で足踏みしていた。
「ああ、一昨日チェックインしたお客様ね。たしかに、昨夜は男の子が女の子を連れて出ていったわ」
「じゃ、じゃあ……二人は戻ってきましたか?」
「確認するわね……記録はないわね。お友達がいなくなってしまったの?」
「はい……今朝、戻るって言ってたのに……」
千晴は力なくうつむき、両手をぎゅっと握りしめた。
お姉さんは千晴の耳元に顔を寄せ、小さな声で言った。
「実は、保護者の方がこっそりついてきているのよ。あなたたちの隣のお部屋にいるわ」
保護者? 千晴の体がびくりと震えた。隣の部屋にいるのは……松本さんなのに。
千晴は急いで外へ駆け出した。通りには、客を呼び込む声が響いていた。空を見上げると、やけにまぶしく感じられた。
(そんな……あの人、偶然私たちに会ったんじゃない。きっと、前から私たちに目をつけてたんだ)
七奈ちゃんたちが翔太さんに会いに行ったのなら、きっと坑道にいるはず。でも、もし松本さんだったら!?
千晴は足を止め、振り返って宿へ走った。
「お姉さん、私たちの隣の部屋の男の人も、出かけたんですか?」
「ちょっと待ってね……あの方も出かけていて、まだ戻っていないわね」
「ありがとうございます!」
フロントのお姉さんが返事をする前に、千晴は慌ただしく宿を飛び出した。
「待って……あなたたちの保護者じゃないの?」
◇
千晴は昨日通った道をたどり、町の外れへ走った。
「すみません、通してください」
「お嬢ちゃん、そんなに慌ててどうしたんだい?」
「すみません、すみません。通してください」
(はあ……はあ……はあ――七奈ちゃん、二人とも、どうか無事でいて!)
千晴は膝に両手をつき、遠くの滝を見てから、また走り出した。
◇
坑道の前には、すでに作業着姿の作業員たちが大勢集まっていた。
入口の前では、何人かの警備員が規制線を張っていた。少し離れたところでは、メガホンを持った人たちが声を張り上げていた。
「作業の邪魔をしないでください。邪魔をしないで――」
(ここで……いったい何があったの?)
「お嬢ちゃん、ここは遊園地じゃないんだ。早く家に帰りなさい」
警備員のおじさんが一人、千晴の前に来た。
「昨日のおじさんですか?」
「ああ、君だったのか」
警備員のおじさんはほっと息をつき、少し体の力を抜いた。
「どうしてまた来たんだ。言ったばかりだろう」
「わ、私の友達がいなくなったんです。それで、ここに来てみたんです」
「あの男の子と女の子かい? 松本さんも、そのことで騒いでいるんだ」
「松本さん?」
「ああ。昨夜、子供が坑道に入るのを見たと言って、大勢の人を集めたんだ。はあ、翔太さんも厄介なことになったな……」
「昨夜? じゃあ、七奈と悠斗は本当に中に入ったんだ!」
千晴は警備員の服をつかみ、つま先立ちになって、目の前の男の人を見上げた。
「ああ、ちょっと、そんなに強くつかまないで。そんなことはないよ」
「夜になると、坑道の入口の検知器が作動するんだ。誰かが入ったのに気づかないなんてことはないよ」
警備員の言葉を聞いて、千晴は服をつかんでいた手を離した。
「じゃ、じゃあ……七奈ちゃんは、どこに……」
「翔太を出せ!」
「ちゃんと説明しろ!」
「集まらないでください! 邪魔をしないで!」
千晴はしゃがみ込んで耳をふさぎ、強く首を振った。
「前にも言いましたが、ここには安全面でも労働面でも重大な問題があるんです――」
この声、松本さんだ。絶対にあの人だ!
「松本さん! 松本さん!」
千晴は人混みを抜け、松本さんの前に出た。
「松本さん、七奈ちゃんと悠斗はどこですか?」
松本さんは目の前の少女を見た。目尻が思わずぴくりと動いた。
「昨夜、二人が中に入っていくのは見たけれど、そのあとはわからないんだ」
「信じない! どうしてフロントのお姉さんに、私たちの保護者だなんてうそをついたの? どうして七奈たちを見かけたの? 絶対、うそをついてる!」
松本さんは千晴の言葉を聞くと、目を閉じて頭に手を添えた。
「はあ……君たちはまだ小さいし、何か困ったことがあったらいけないと思って、そう言っただけだよ。昨夜のことなら、ほら」
松本さんはポケットからウサギの髪留めを取り出し、千晴の手に載せた。
「これ……七奈ちゃんの……」
「昨夜、坑道の外に来たときに見つけたんだ。これで信じてくれるかい?」
松本さんはふん、と息を漏らし、手を振った。
「大丈夫。翔太が出てくれば、二人も見つかるよ。それに、君たちにはまだ、ご飯をごちそうしないとね」
そう言って、松本さんは手を振り、二人の作業員に千晴を外へ連れていかせた。
「お嬢ちゃん、宿で私たちの知らせを待っていてね」
◇
作業員たちは千晴を町まで送り届けると、急いで走って戻っていった。
千晴はうなだれて、道を歩いた。そばの雑貨屋の中では、二人の子供がボールを蹴っていた。
千晴は段差のところにしゃがみ込み、膝に顔を埋めた。
わ、私、どうすればいいの……誰を信じたらいいの。落ち着いて、千晴。まだ、何か方法があるはず……。
「あら、お嬢ちゃん、どうしてこんなところに一人で座ってるの?」
聞き慣れた声が目の前から聞こえた。さっきまで日に照らされていた体が、影に覆われた。
「佐藤さん……ううっ……」
「あら、どうしたの。泣かないで、ね」
佐藤さんは手に籠を提げたまま、千晴を店へ連れて帰った。
◇
まだ食事の時間には早く、店内には明かりがぽつぽつとついているだけだった。
千晴は少し涙声で、七奈と悠斗がいなくなったことを佐藤さんに話した。
「そうだったのね。でも……翔太がそんなことをするとは思えないわね」
「えっ、どうして?」
「それはね」
佐藤さんはカウンターへ行き、その下から写真立てを取り出した。写真をそっとなでて、ため息をついた。
「翔太は、小さいころから私たちと一緒に遊んでたの。何があっても、あの人はそんなことをしないって、私は信じてる」
「七奈ちゃんがここにいたら……たぶん、佐藤さんと同じことを思うんだろうな……」
佐藤さんは千晴の前へ来て、肩に手を置いた。
「私たちには、まだ時間があるでしょう? お友達だって、あなたが見つけてくれるって、きっとずっと信じてるわ」
「私……うん!」
リリリリ――リリリリ。
「あ、ちょっと電話に出るわね」
(電話……そうだ!)
「ありがとうございます、佐藤さん。私、先に戻ります!」
「はい、こちら佐藤食堂です。ええ、今回は私たちが――あ、気をつけてね。私もあなたを信じてる!」
「うん!」
千晴は目尻の涙を拭い、店の外へ駆け出した。
七奈ちゃん、待ってて!




