第4話 あんパンと悠斗
窓辺から日差しがゆっくりと部屋へ這い込み、ベッドの一角を照らした。
「んー、今、何時だろう」
ベッドの上で体を起こして目をこすり、布団から出した足を、ベッドの端に差す光に当てた。
隣では、千晴ちゃんがまだ横向きに寝ていた。両手をきゅっと寄せていて、子猫みたい。えへへ、まだ起きてないみたいだ。
そっとベッドを下りて、布団を少し引き上げた。まだ寝ている千晴を見て、口元を押さえて笑ってから、洗面所へ向かった。
洗面を済ませると、部屋を出て悠斗の部屋のドアをノックした。
「悠斗、悠斗、起きてる?」
「うん――今、トイレ!」
悠斗のだらけた声が、ドアの向こうから聞こえてきた。悠斗ったら、自分だってまだ起きてないじゃない!
少ししてから、ようやく中から足音が聞こえてきた。
ガラッ――
「七奈、どうしてこんなに早く起きたんだ?」
「もう十分寝た気がしたから、起きたんだ」
首を傾けて部屋の中をのぞくと、ベッドの布団はまだぐちゃぐちゃで、カーテンも閉まったままだった。
「見ても何もないって」
悠斗は私の前をふさぐようにして、ドアを閉めた。
「そういえば、千晴は?」
「千晴ちゃんはまだ寝てるよ。悠斗と朝ご飯を食べに行ったら、千晴ちゃんの分も持って帰ろうと思って」
「へえ、ちょっと七奈らしくないな」
「私らしくないの!?」
拳を握って悠斗の肩を小突こうとしたけれど、悠斗は横へひょいと跳んでかわした。まったく、よけるのはずいぶん早いんだから。
「らしい、らしい、七奈らしいよ。先に朝ご飯を食べに行こう」
「ふん、今回は許してあげる。行こう」
◇
悠斗と宿のロビーへ下りると、辺りはもう焼きたてのパンの香りでいっぱいだった。
「悠斗、何が食べたい?」
「俺は……これでいいや」
悠斗はパンのケースを眺め、そこからこっそりあんパンをいくつか取った。その様子を見て、口元を押さえて笑っていたけれど、悠斗に見つかってしまった。
「もう、あんパンはおいしいだろ」
「ううん……た、ただ、最初にあんパンのせいで空から落ちてきた誰かさんを、急に思い出しちゃって。あはは」
私も笑いながら、カウンターからあんパンを一つと、食パンを一枚取った。
「あのときは、本当に事故だったんだって!」
「あはは、そんなの知らないもん」
近くのテーブルについた。手に持ったあんパンは柔らかくて、顔に近づけて匂いを嗅ぐと、ほんのり小麦の香りがした。
(おいしそう)
小さくかじってみると、あんこは甘くて、まだ熱々だった。目の前に持ってくると、中のあんこが日差しに照らされて、ジャムみたいに赤く見えた。
「どうだ? あんパン、おいしいだろ」
「うん……なかなかおいしいね。えへへ」
目の前の悠斗を見る。この人は、どうしたらあんなに早く一つ食べられるんだろう……。手元のあんパンに目を落とすと、あんこがパンの中にしっかり包まれていた。
「あの……悠斗」
「ん、んー」
(悠斗ったら、パンを飲み込んでから返事すればいいのに。あはは)
「どうした、七奈。食べきれないのか?」
「そうじゃなくて……佐藤さんの話、覚えてる?」
「松本さんと翔太さんのことか? 先に言っておくよ。手伝うのはいいけど、安全には気をつけないとな」
「えっ? どうして、私が二人を手伝いたいってわかったの……」
悠斗は水を飲んでパンを飲み込み、長いげっぷをした。
「考えなくてもわかるよ。七奈だからな」
「えっ?」
うつむいた。なんだか、顔が熱くなっていた。
「じゃあ、千晴が朝ご飯を食べ終わったら、見に行こうか」
「……うん」
食堂を出るとき、パンのケースからあんパンをもう一つ取った。もしかしたら、千晴ちゃんも好きかもしれない。えへへ。
◇
上の階へ戻り、部屋のドアをそっと押し開けた。つま先立ちで、ゆっくりとベッドへ近づいていく。
「千晴ちゃーん、おーきーてー!」
「んー……七奈?」
千晴は目をこすりながら起き上がり、伸びをして、頭を揺らした。
髪がふわりと揺れて、ほのかに桃の香りがした。
「今、何時?」
「もうすぐお昼かな。朝ご飯、持ってきたよ!」
鞄からあんパンを取り出して千晴の前へ差し出すと、千晴は笑ってそれをベッド脇の棚に置いた。それから私をそっと抱き寄せ、耳元で小さく言った。
「ありがとう、七奈ちゃん」
千晴の声で耳がくすぐったくなった。その腕の中で、昨夜のベッドのぬくもりをもう一度感じた。
「さ、千晴、先に洗面を済ませてきて」
「うんうん」
◇
窓辺へ行ってカーテンを開けると、太陽はもう空高くに昇っていた。ガラスに手で触れてみると、熱かった。
「七奈ちゃん、悠斗もいいって?」
洗面所から聞こえてくる千晴の声に、しゃかしゃかと歯を磨く音が混じっていた。
「うん、悠斗は千晴が朝ご飯を食べ終わったら出発するって」
「じゃあ、私も急がなくちゃ」
窓の下の通りを眺めた。部屋にはまた、千晴ちゃんが歯を磨く音だけが聞こえていた。
しばらくすると、千晴ちゃんが洗面所から出てきた。まだ、ときどき手で目をこすっている。
「ふわあ……どれどれ、七奈のあんパンはおいしいかな。あーーん……」
「ちょっと待って、千晴ちゃん」
千晴の前へ行き、顎に少し残っていた歯磨き粉をハンカチで拭いた。
「はい、いいよ」
「七奈ちゃん、面倒かけちゃったね。あむっ――おいしい!」
「もちろんだよ。わざわざ取ってきたんだもん」
◇
食べ終わると、私たちは宿を出た。まだ朝なのに、通りはとても暑くて、町の人たちはみんな傘を差して歩いていた。
「七奈、どこに行く?」
「うーん、昨日、佐藤さんが、松本さんと翔太さんのけんかは町の坑道が原因だって言ってたから、そこに行ってみない?」
「でも、坑道がどこにあるか、わからないんじゃないか?」
「えっ、ほんとだ……どうしよう」
「やっぱり七奈だな。やるって決めてから、どこから手をつければいいかわからないことに気づくんだから」
悠斗は両手を頭の後ろで組み、そこに頭を預けながら町の空を見上げた。
「ついてこいよ。昨日、一人で近くを見て回ったんだ。別に、あの二人を助けるためじゃないからな」
目の前の悠斗は、相変わらずのんびりした顔をしていた。
(悠斗ったら、気にしてないみたいなことを言いながら、もう下見までしてたんだ……)
「うん、出発しよう!」
◇
悠斗に案内してもらって、私たちはすぐに坑道の近くまでやってきた。辺りにはいろんな色の植物が生い茂り、私の背丈と同じくらいのものまであった。
「悠斗、ほら、前! 列車から見えた滝だよ!」
目の前の滝は、上のほうが見えないほど高かった。水が雲の上からざあざあと流れ落ち、ごうごうと音を立てている。
「これがアイスクリームの滝だよ!」
「何て言ったの?」
「アイスクリームの滝!」
水の音にかき消されて、悠斗の声が小さく聞こえた。悠斗は魔杖を呼び出すと、私たちに向けて、ちょんと杖先を動かした。
「今は?」
「聞こえる! どうやったの?」
「帰ったら、ちゃんと授業を聞いてればわかるよ」
「いじわる!」
「悠斗、七奈ちゃん」
悠斗と言い合っていると、千晴が私と悠斗を軽くたたき、滝の下を指さした。
「見て」
「えっ、どうしてあの人もここにいるの?」
千晴の指さすほうを見ると、滝の下では、一人の男の人が脇にある洞窟のそばに立っていた。その隣には、『工事現場につき、ご注意ください』と書かれた看板もあった。
男の人と目が合った。私は胸の前に手を上げて、小さく振った。
「おはようございます、松本さん」




