第3話 友達なのに、どうして?
男の声が、がらんとした店内に響いていた。ドアに掛かった風鈴まで、かすかに揺らしてしまいそうなくらい大きかった。
「あの人たち、声が大きすぎるだろ」
悠斗は箸を置き、隣のテーブルに目を向けた。
「悠斗くん、面倒なことになるから、やめておこうよ」
千晴ちゃんは手を振って立ち上がりかけた悠斗を呼び止め、その手の甲を軽くぽんぽんとたたいた。
「ふん、ほんと気に入らない」
悠斗は肉をひと切れ箸でつまむと、丸ごと口に放り込み、力を込めて噛み始めた。カウンターの奥から佐藤さんが私たちのテーブルまで歩いてきて、お辞儀をした。
「お食事中にお騒がせして、申し訳ありません」
「あの、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ」
佐藤さんは私の言葉を聞くと、ようやく顔を上げ、ほっと息をついた。頭巾の下にのぞく目は大きくて、まるで漫画の登場人物の目みたいだった。
「ありがとう」
「でも、あの人たちは何の話をしてるの? 翔太や町に、何かよくないことでも起きるの?」
「ああ、その話ね」
佐藤さんはそばの仕切り板に寄りかかり、隣のテーブルを見た。私は、メニューを持つその手に目を留めた。
佐藤さんの手のしわはくっきりしていて、指先も少しざらついて見えた。
「そういえば、昔は翔太も、よく私たちと村の入口で遊んでたのよ」
佐藤さんは顎を少し上げ、大声で話していた男のほうを見た。
「さっき大声で話してたのは、松本さん。昔は三人で、よく午後いっぱい遊んでたの。二人とも、木の棒を探してきては、刀みたいに振り回すのが好きでね――」
佐藤さんは目を閉じ、少し顔を上げた。その顔を見ながら、何か言いかけた悠斗に、手で「しーっ」の合図をした。
(佐藤さんには……きっと、私たちよりも、このひとときが必要なんだろうな)
しばらくたってから、佐藤さんはようやく目を開け、息を吐いた。
「いけない……失礼しました。そのあと、松本のお父さんが病気になってね。それで松本ったら、何も言わずに魔法学院のほうへ行っちゃったの」
「魔法学院?」
「うん。あっちは村より、ずっとお給料がよかったの。それに――」
佐藤さんは、瓶を掲げている男をちらりと見た。瓶がシャンデリアの光をきらきらとはね返していた。
「あの人、魔法使いにもなりたがってたのよ。まあ、結局はなれなかったんだけどね」
「それからどうなったの?」
「それからねえ……そんなにたたないうちに、翔太も村を出ていったの。あの二人ったら、ずっと一緒に遊ぼうって約束したのに」
「えっ? じゃあ、今、翔太さんはどこにいるの? 町がどうなるかって、どういうこと?」
「それはね――」
佐藤さんは顎に手を当てて顔をこちらに向け、テーブルの上のアイスクリームジュースを見た。
「佐藤さん、お疲れさま。これ、飲んで」
グラスを差し出すと、佐藤さんは笑って受け取り、ジュースを飲んだ。手には、まだその冷たさがほんの少し残っていた。
(噂話をするのも、楽じゃないんだなあ)
「えへへ、ごちそうさま。そのあと、翔太が大勢の人を連れて村に戻ってきたの。そのときに、お金をたくさんかけて、町じゅうの道を整備したのよ」
「そういうことか。どうりで、前と違うわけだ」
悠斗は片手をテーブルにつき、体を横に向けて佐藤さんを見ていた。
「でも、あの駅は昔のままでしょう」
佐藤さんが付け加えた。
「翔太さんが帰ってきたんだから、松本さんもうれしいんじゃないの?」
私は目の前の男を見た。あの話し方だと、翔太さんのことをあまり好きじゃなさそうなんだけど。
「はあ……最近、暑いのに翔太が作業員たちを坑道へ行かせてるからかもしれないわね」
「坑道?」
佐藤さんは体を横に向け、さっきのグラスをまた手に取った。
「うん。アイスクリームジュースはね、坑道で採れるアイスクリーム鉱石を加工して作るのよ」
「えっ? それなら、坑道の中はすごく寒いんじゃないの?」
売店の冷凍ケースからアイスキャンディーを取り出すたびに、手がひんやりするのを思い出した。
「アイスクリームって名前でも、掘り出すときにはずいぶん汗をかくのよ。二人がけんかしてるのは、たぶんそのせいなんでしょうね。さあ、ゆっくり食べてね」
佐藤さんは背を向け、カウンターへ戻っていった。隣のテーブルは相変わらず騒がしかった。うつむいた佐藤さんのほうから、ひと言がふわりと漂ってきた。
「あの二人ったら、ほんとに――」
「七奈ちゃん、ほら、食べよう」
「うん」
千晴ちゃんが私の肩を軽くたたいた。私は下を向き、肉をひと口分つまんで口に入れた。冷たかった。
◇
食事のあと、私たちは宿へ戻った。部屋の前で、悠斗は手を振りながら、明日も遊びに行くんだから早く休むようにと言った。
もう、私が寝坊なんてするわけないのに!
部屋に入ると、靴を脱ぎ、またベッドに飛び込んだ。
「七奈ちゃん、まだお風呂に入ってないでしょ。ほら、起きて!」
千晴ちゃんは私の片手をつかみ、ベッドから引っ張り出そうとした。
「わーかーったーよー」
どうにかベッドから起き上がり、クローゼットから寝間着を取り出して浴室に入った。
(やっぱり、寝てるほうが好きだなあ)
椅子に座って脇のつまみをひねると、頭上のレンコンみたいなシャワーヘッドからお湯が出てきた。目を閉じ、お湯が体を伝っていくのを感じた。
眠るのも気持ちいいけど、温かいお湯を浴びるのは、もうちょっと気持ちいい。雨の日だったら、なおさら! えへへ。
目を開けると、浴室じゅうに湯気が立ちこめていた。
◇
お風呂から上がって髪を乾かすと、急いで布団にもぐり込んだ。部屋には、浴室から聞こえるざあざあという水の音が満ちていた。枕に頭をのせ、佐藤さんのあの言葉をまた思い出した。
仲のいい友達なら、けんかしても何日かたてば仲直りするんじゃないかな……松本さんと翔太さんの間に、何か誤解があるのかな。
寝返りを打ち、そばの枕を抱きしめた。浴室のざあざあという音がやみ、ドライヤーのぶおーっという音だけになった。
カチャリ――
浴室のドアが開き、千晴ちゃんが小花柄のネグリジェを着て出てきた。
「七奈ちゃーん」
「ん?」
「いくよー!」
千晴ちゃんは私の布団をばさっとめくると、そのまま私の上にうつ伏せになった。
「千……千晴ちゃん!」
千晴ちゃんの顔がすぐそばにあって、かすかな息が顔にかかった。
「えへへ、今夜はやっと一緒に寝られるね」
「えええっ!?」
千晴ちゃんは布団をつかみ、私ごとすっぽりくるまった。
「く、くすぐったいよ、千晴ちゃん! 降参!」
布団の中で、千晴ちゃんは私の腰や首をくすぐり続けた。私、くすぐられるのが大の苦手なのに!
◇
どれくらいたったのか、私たちは布団から顔を出し、はあはあと息をついた。
「す、すごすぎるよ……」
「せっかく一緒に寝るんだし、七奈ちゃんにちょっかいを出したくなっちゃって」
「うー……」
「はいはい、次はやらないから」
部屋はまた、しばらく静かだった。天井を見ながら、千晴ちゃんの手をそっと握った。
「千晴ちゃん」
「どうしたの? まだ怒ってる?」
「怒ってないよ。ただ、松本さんと翔太さんは、どうしてあんなに長くけんかしてるのかなって。二人の間に、何か誤解があるんじゃないかな……」
「うーん……私にもよくわからないな」
「じゃあ、千晴ちゃんは私とけんかしたりする?」
「七奈ちゃんが間違ったことをしなければ、もちろんしないよ。私たち、仲のいい友達だもん」
「千晴ちゃんがいちばん!」
体を横に向け、千晴ちゃんの胸元に顔を埋めた。千晴ちゃんは私の頭を、ぽんぽんと優しくたたいた。
「千晴ちゃん、あの二人の間には、きっと何か誤解があるんだよね。私たちで、二人の力
になってあげない?」
「うーん……七奈ちゃんが私より先に眠れたら、いいよ」
「うん!」
もう一度、千晴ちゃんに頭をすり寄せた。月明かりの中、部屋はだんだん静かになり、やがて穏やかな息づかいだけが残った。




