ボーキ海へ
1.ボーキ海へ
「勇者様がこの世の安寧を願い魔王を討ち果たした後にボーキ海の小島へその遺体を隠し、水位を上げることでその存在を永久的に隠そうとなさったというのに……堅実で飢餓にどれだけ苦しんでも頑なに先祖の教えをひたすら守ってきていたボーキサイ国の人々に対し……私ったら本当になんということをしてしまったのでしょう。
まさに万死に値することをしてしまいました……。」
ボーキ海へ向かう商船の一等客室の中でエミリアはテーブルに何度も額をぶつけながら突っ伏し、ひたすら反省し続けた。
「まあまあ……あの時は誰も何もわかっていなかったのだし……俺もエミリアが言ったように飢えて死ぬよりは川の水を使うべきと感じた。今でも勇者が生きていたとしたなら……死ぬまで我慢する必要はないといったはずだ。
勇者だってその時は分かっていなかっただろう……ボーキ海の水位を保つためにボーキサイ国民が飢餓に苦しむということを……エミリアが強硬手段に出たことで川の水を使わないという事の重要性が広く認識され、メンドー、スーバキ国もボーキ海からの恵みを得る為ならばと河川の流域変更工事を容認した。
おかげでボーキサイ国だけだった負担が軽減されることになり、今後はボーキサイ国も潤うはずだ。エミリアの提案は理屈に合わないおかしなことでもなければ、過ちと評されることでもさらさらない……正しい事だったと俺は思っている。
もしかするとヘルムとかいう魔王直属配下の魔族は魔王の体を隠したのが今はボーキ海の海底と知った上で……怪しいと目を付けていただけかもしれないが……エラルミント伯爵を操りサメの魚卵養殖を他国に提案させ大々的に行うことで財政を圧迫し、ボーキサイ国を飢餓に陥れようとしたということだって考えられる。
魔族側から見たら……それでも先祖からの言い伝えを頑なに守り続け、餓死者を出してまでも尚も川の水を使わないボーキサイ国民は奇異に映っていただろうな……そのうちにエラルミント伯爵に指示をしたのではないだろうかな……川の水を使わせるように……そうなったならエラルミント伯爵は民を飢餓から救った英雄となったはずだ。
メンドー、スーバキは怒っただろうが繋がりはあるから何とか抑え……水位低下のままゆっくりと干上がったボーキ海で島を順に探し回ったかもしれない……水位が下がれば島はそれこそ何十何百とあるだろうから魔王の羊皮紙を手に入れてからだとは思うけれど……その後二国に攻め込ませてボーキサイ国の崩壊を早めれば乗っ取りやすくなるから一石二鳥だ。
ボーキ海を干上がらせるという、簡単には元に戻せない愚行を行ったボーキサイ国だけが悪者となり、ターメリア国もメンドースーバキが正式に攻め込むことを止めようとはしないはずだ。
たまたまエミリアが先んじて行っただけで……やがて同じことは起こっていたはずさ。いや……もっと最悪の事態となっていたはずだ。」
巧がエミリアが提案しなくてもいずれ魔族の指示でエラルミント伯爵がそうさせていたはずと、エミリアを慰める。
「成程そうか……今回の騒動は……十年ほど……いや……今では十一年前か……の、聖教会に窃盗団が入った時から始まっていたわけだ。
魔族らには知れぬよう厳重に隠されていた魔王の羊皮紙が世に出て……魔族がそれに気づいてエラルミント伯爵を操りボーキ海水位を何とかしようとサメの養殖を始めさせたのか……いずれ羊皮紙が手に入ったら探せるように……そうだ……巧殿の言うとおりに、エミリアのせいではない。すべては魔族らの謀略だ。
だがそうなると……魔族らはボーキ海沿岸で、羊皮紙の封印が解けるのを今か今かと待っているはずだ。確かにな……これは急がねばならない……船でもボーキ海までは五日……いや……今は下りだから四日もあれば着くか……。
そうとなれば……巧殿、エミリア……ゼーンの修行は進んでいるか?」
ケンリッヒ侯爵が二人へ視線を向け、テーブルに突っ伏していたエミリアも顔を上げる。
「ああ……はい……まあ順調と言えば順調なのですが……先日魔物の巣窟を掃討した際にボス戦で魔道具を使用しようと考えていたのですが……幅が二間もない狭い洞窟の上に天井ぎりぎりまで背丈がある十尺の熊相手で……エミリアが機転を利かせて閃光弾を用いたことは用いたのですが……火弾や水弾などを曲げて使用する暇もありませんでした。
なので……まだ修行の成果は試せておりません。」
巧が前回の失敗を正直に打ち明ける。
「私も……ゼーンの修行を生かせる魔道具の使い方はできておりません。」
エミリアも同様、うな垂れ気味に打ち明けた。
「ああそうか……魔道具の使い方もろくに説明していなかったから仕方がないな……。
火炎や水流を曲げて使おうと念じてはいけないんだ。」
『はあっ?』
侯爵の言葉に二人ともが高音の疑問符を返す。
「魔道具を使う際に右へ曲がれとか左へ曲がれとか考えてはいけないという意味で……正面に目標とする魔物とか魔族とかがいるとするだろ?そいつに魔道具を向けて発射すると火弾が真っすぐ飛んで行って相手に当たる……そうだな?」
「はいっ……勿論ですっ!」
エミリアが元気よく返事する。
「まずは精神統一をして……心を無にした上で……標的に火炎や水流が向かって行って当たる軌跡を頭の中に描くんだ……魔族に向けて右側から……魔族にとっては左から火炎を発射して……当然魔族は右へと避けるわな?それを追いかけるつもりで火炎は魔族に追従するように曲がっていくことを想像するわけだ。
その上で発射を念じると魔道具の操作など一切しなくても念じた瞬間に勝手に発射してくれる。しかも理論上は火炎魔道具で水流だって発射可能だ……魔道具というのは魔力の入れ物だと説明しただろ?中に炎や水が詰まっているわけじゃあない、詰まっているのは魔力だけだ。
火炎魔道具だの水魔道具だの箱書きは修行していない一般人が使うためのもので、その通りに念じる必要性はないのだが……訓練時には何度か試して成功はしているが……刹那の瞬間に思考を切り替えねばならない戦闘時には……一抹の不安があってまだそのような使い方には至っていないのだがね……。」
侯爵が真の魔道具の使い方をエミリア達に説明する。
「なっ……なんと……俺はそんなことも知らずに……五年間も魔道具を使用していたというのか……はあ……。」
巧がふうっと深いため息をついた。
「まあまあ仕方がないのよ……普通の魔道具使いはそんなものよ。巧さんはまだいいわよ……実際は剣士だからね。
魔道具だけを使う冒険者だっていっぱいいるけど……私が知っている限りは皆箱についた操作をしているだけよ。だからこそ……私なんかでも特級冒険者になれたってことなんだろうけれどね……。」
パステルが落ち込む巧を慰める。
「そんなことはないさ……パステルは魔道具を使わなくても射撃の腕前だけだって一級品だからね。パステルは……弓使いだから両手が塞がっているだろ?戦闘中魔道具は紐をつけて首からぶら下げているんだ……そうして火炎を操りたい場合は軌跡を頭の中で描いてから発射を念じる……そうすると勝手に標的に向かって行くわけさ。
エミリアだって同じことが出来るはずだよ。」
侯爵がパステルと同様なことがエミリアにだって可能だと説明した。
「ぜっ……ぜひ試してみます。」
「そうだね……さすがに船の上じゃあできないから……着いた先の港ででも……一発だけ試せばいいのだから……的相手にやってみるか……。」
経済観念がしっかりしている巧だが、教えて頂いたことを実践するつもりのようだ。
「じゃあ……まずは俺からやってみます。」
風向きがよく船は高速で進み四日でイーストリバー河口ぎりぎりまでやって来て船着き場で下船。ここから馬車で一里先の港まで向かうのだが、馬車が来るまで巧とエミリアはゼーンの修行の成果を確認することとした。
「いいか……的の動きに合わせて発射するのではなく、火炎が的に当たる様を頭の中に描き発射を念じる。あとは魔道具が勝手にやってくれるというわけさ……ある意味便利だろ?」
ケンリッヒ侯爵が巧に再度念を押す。
「行きますっ!」
巧の視線の先には風になびきながら不規則に動く手拭い……ブルが趣味で持ち歩いている釣り竿を借り、釣り糸の先に手拭いを結び付けて川岸にいるエミリアが竿を持ち手拭いを巧の目線の高さに調整しているのだ。港から吹き込む風は右に左へと安定せず切り替わり、更に時折吹く強い風で竿ごと持って行かれそうになるほど動きが複雑だ。
「はっ!」
巧が掛け声を発すると巧の持つ魔道具からスイッチに触れてもいないのに勝手に火弾が飛び出し、不規則に動き回る手拭いの動きに合わせるかの如く上下左右に曲がりながら目標へ達し、手拭いを燃やした。
「や……やった……。」「やったぁー……すごいですぅ」
「おおっ……やはり何でも呑み込みが早いな……俺なんかの時はここまで……………………」
「じゃあ次はエミリアちゃんね……大丈夫よ……必ずできるわ。」
自分の苦労話を延々と語る侯爵を無視し、エミリアのところへ向かったパステルが彼女を激励する。
「今度は俺が竿を持とう……。」
巧が釣り糸の先の手拭いを付け替え、川岸に立った。
「いい……首から魔道具を下げて弓を持つときは……常に自分が持つ弓がどこにあるか意識して発射を念じないと、魔道具が大切な弓を焼いてしまうわ。無理して左手をいっぱいに伸ばして避ける必要は全くないし、戦闘中にそんな事したら危険よ。弓は常にいつでもつがえて発射できるように構えていて……でも……矢を射る時に魔法は不要でしょ?
逆に言うと魔道具を発射する時も矢を射る必要はないのよ……どちらも飛び道具だからね。どちらかというと遠距離の標的の場合は弓を用いて、自分に向かってくる標的に対しては魔道具が有効よ。連射もきくし威力は抜群だから。まああくまでも……前衛の剣士が不在で単騎で戦う場合の話だけれどね……前衛がいれば弓だけで十分戦えるわ。
その棲み分けがきちんと出来ればおのずと戦闘中の身構え方が変わってくるわ。まあでも……今は弓は左手に持つだけで構えずに魔道具の使用だけに集中したほうが無難ね……何事も徐々に成長していかなければいけないわね。」
パステルがエミリアに弓と魔道具の併用時の心得と構えを解説する。
「はいっ……ご高説……しっかりと胸に刻ませて頂きますっ。」
エミリアは直立不動の態勢で武闘系の挨拶……
「じゃあ……行きますっ。」
巧の時同様に不規則に動く手拭い……その動きに応じるかの如くエミリアの胸元から発射された火炎は……忠実な軌跡を描き目標に達した……
「やりましたっ!」「おおっ……すごいっ」
「やったわね!やっぱりあなたたちはすごいわ……侯爵が見込んだだけはあるわね……。」
短期間での二人の成長は……目を見張るものがあるようだ。
「とんでもありません……教えて頂く方が本当に素晴らしくて……分かりやすい手ほどきのおかげですっ!」
エミリアが深々とパステルに対して頭を下げた。
「そうそう……侯爵たちが修行したときと違って、俺たちには実績があるお二人がいたから……あんなすごい手本を見せられたから、必ず自分にもできると確信が出来た。そのおかげですよ。」
巧も侯爵に対し深々と頭を下げ、
「まあなんにしても次代を担う若者が成長していってくれるのは有り難い……折角復興させた正規の魔道具使用に関しても……これまで何度も魔道具を持ち歩いている冒険者に声をかけ指導を続けていたのだが……誰もが途中で投げ出す始末で……まあ厳しい修行などせんでもそれなりに使えるからな……このままでは俺たちだけで廃れてしまうところだった。
それが……後を継いでもらえるのだからこちらこそ礼を言いたいぐらいだよ。」
侯爵はとんでもないと笑顔を見せた。
「そうね……とりあえず……ちょっと安心したわ……。」
パステルも笑顔を見せる。
「御屋形様……馬車の用意が整いました。馬は速そうな駿馬を選りすぐっております。」
姿を見せなかったボーグルがやって来て、馬車の手配が済んだと告げる。
「おおっ……じゃあすぐに港に向けて出発だ。」
すぐに竿を片付け全員が馬車へ乗り込み出発した。
「私たちが見たときと同じような川らしき線や文字らしきものが浮かび上がった後、先ほど見たときには島の隣にもっと小さな突起のような小島が浮かび上がり……それが対角の形で北東と南西方向に一つずつ……この地形的特徴をもとに島を探すのがよいでしょう。
羊皮紙の地図は恐らく最終段階ではないかと……案外早々に最終まで表記されるのが……私たちが見たときは五年間もの長い間母様の冒険者の袋の中にあり、魔王の念から隔絶されていたがために表記が消失して行ったのでしょう。」
馬車の中で魔王を隠した小島の特異的地形が明確になったとエミリア……
「そうか……ボーキ海の地図というか海図は持ってきたはずだな?」
「持っては来ましたが……恐らく使えません。」
侯爵の問いかけにエミリア……
「ああそうか……ボーキ海水位が高い時は島は水没していたわけだな……最新版の海図は期待できんか……そうなると……どうする?小舟を何艘も仕立てて手分けして探し回るか?」
「それも一つの方法ですが……戦力が分断されると魔族と出会った時に困ります。向こうは一人だけでも大きな戦力ですが……こちらは全員でかかっても対抗できるかどうか……今回は本気で向かってくると思われますからね。」
侯爵の提案に対し賛成はしかねる様子のエミリア。
「そうだな……前回北部山脈でやりあった時は手加減とまではいかないが、この場でやられたとしても次があるさと言った感じだったのだろうが……今度は後がない……倒されたら今度こそ首と胴体バラバラにされて埋められると思っているだろうからな。だが全員で舟に乗って広いボーキ海をさまようんじゃあ……先を越されてしまうぞ。」
巧も加わるが妙案はなさそうだ……
「勿論今だって間に合っているかどうかすら分かりませんが……それでも万一魔王の体を隠した場所を探り当てられていたとしても……恐らくは体の一部だけのはずですし、私たちが持っている羊皮紙の地図が切り替わらないということは……まだ魔族の手に渡っていない証拠だと私は考えております。
まだ間に合います……直接その場へ行けば……私たちが持っている地図が体の最期の部位だったとしても……体全部を探し当てられていたとしても……くっついて復活するまでは時間があるはずで……掘り出した体を持ってどこかへ隠れてしまう前に見つけ出し……取り返せばいいわけです。
まず港へ着いたら地元の漁師さんたちに聞いて回るのです……ボーキ海で舟の事故に繋がるような岩礁がなかったかと……五十尺の高さでは水位が高い時期は恐らく海面に顔を出すことはないでしょうが……それでも海面までは十尺あるかないかと考えます。つまり……少し大きめの船なら底を擦ってしまうような岩礁であろうと想定されるのです。
漁師の方々に航行できず止まってしまったり、船の底に穴が開いて転覆したりするような難所がボーキ海内にないか聞いて回るのです。
幸いなことにこれは……魔物や魔族にはできません。まあでも……人間である眷属なら可能でしょうが……スムープを襲撃したときには眷属も十名ほどいたという事でしたが目立つので全員を連れてきてはいないでしょう……数人で当たっているかもしれません。
港で聞きまわる際には、同じような質問をされたかも一緒に聞いて回ると良いでしょうね……。」
エミリアがまずは聞き込みが重要と説明する。
「そうか……じゃああまり俺の好みではないのだが……貴族の称号を使うとするか……。」
「貴族の……称号……ですか?」
巧にはケンリッヒ侯爵が言っていることが呑み込めないでいる様子。
「魔王の羊皮紙をハリキルの聖教会へ無事届けた功績に対し、俺は男爵から侯爵へ上がったし、俺のチーム全員と巧殿とエミリアも男爵となっただろ?貴族となれば軍の幹部と同じく威光があり捜査権も与えられる。
俺は貴族だなんて威光をひけらかすのは好みじゃあないが……立場を使って漁民らから詳細情報を引き出し、更に他に嗅ぎまわっている奴らがいないかと、俺たちが先んじていたならこの後同じことを聞いて回って来ても知らないと答えるよう言っておけばいい。そうすれば魔族らを出し抜く可能性が高くなる。
誰だって……全く知らないやつが来て……ボーキ海で岩礁がありますか?と聞いたところで詳細を話してくれるとは限らない。漁師だって網の手入れとか次の漁の支度とかで忙しいわけだからな。仕事するために港へ来ているのだから……見も知らぬ奴に何か聞かれたところで、ぞんざいに扱われるのが普通だ。
貴族の称号を見せた上で詳細は明かせないが国の重大任務を帯びてきていると言えば……協力してくれるはずだ。」
侯爵が貴族の称号の使い方を伝授……
「成程……ハルクだって聖教会の司祭から司教へ格上げされたし……その威光を使えばいいな。」
「はっ……はあ……まっ……まあ私は人の警戒心を解くことが得意ですから、普通に話しかければ大丈夫ですよ。」
ハルクはにっこりと微笑んだ。




