ケンリッヒ男爵
5.ケンリッヒ男爵
「私たちも馬車で移動するのですか?ですが……御者の方にご迷惑をおかけするかもしれませんよ……白昼だって襲撃される可能性はありますし……野営時は特に危険です。」
馬車の旅はエミリアの希望だったが、御者や馬が危険に晒されるので宿の宿泊と共に早々にあきらめたのだ。
「ああ……もちろん御者は同行しない。俺たちが交代で馬車を操って旅をする。引退した冒険者を御者に依頼することも考えたが交代で御者をやれば十分と思いついた。勿論襲われたら馬はすぐに馬車から放して逃がすつもりだ。
多くの業者が道中での襲撃の際、逃がした馬が馬車のあった場所か元の宿場へ戻るよう訓練しているそうだ。御者だけは交代で行うしかないが……これだったら昼間でも交代で仮眠できるだろ?宿には泊まらない代わりに馬車代は王宮持ちだ。
ハルクには魔法結界の強化と、少しでも視認しづらくなるよう視覚結界も少し施してもらった。」
確かに……ハルクから引き渡された馬車は一頭だてで客車もハルクたちのものよりはるかにこじんまりとした二人用客車だが……立体感がなくて奥行きがほとんどつかめない……視覚結界の効果だろうか……。
「へえ……ハルクさんたちが乗っている客車は普通に見えますね……向こうは視覚結界は施していないのでしょうか?」
エミリアがアルル達を先に客車へ乗せると扉を閉じ巧の隣の御者席に乗り込み、二台の客車を見比べ首をかしげる。
「じゃあ出発するぞ……はいっ!」
巧が手綱を引いて馬車はゆっくりと進み始めた。
「ハルクたちが乗っている方の客車は魔法結界と物理結界を厳重に施した、魔道具の退避豪に匹敵するくらいの代物だそうだ。客車だけではなく御者席どころか馬車を引く馬まで含めて結界内だそうで……馬の足の裏と客車の車輪の地面と触れる面だけが結界対象外となっているようで、最大級の障壁だそうだ。
だが……魔道具と違い結界術だけで魔力を使わずに物理結界を具現化しているがため……物理結界というのは物を通さない……空気は通すが水や雨すら通さないから勿論人も通れなくなる。だから術者がいちいち入り口だけ解除しなければ客車へ出入りできず、襲撃されたときに急いで客車から飛び出ることも出来ないから俺たちには不向きだ。
物理結界は張ることが出来ないから代わりに視覚結界を弱く張って視認性を悪くして的になりづらくさせる。動き出すと客車が膨らんだり縮んだり前や後ろに移動したりするように見えるそうだ。おもしろいだろ?」
巧が手綱を操りながら後ろへと振り返る。
「はあ……そうですか……物理結界は張れないからせめて見つけにくくさせようというわけですね?成程……。」
「どうした?エミリアは客車で休んでいていいんだぞ。昼になったら御者交代だからな……。」
「ええ……はい、じゃあお先に休ませて頂きます。」
巧が一旦馬車を停め、エミリアは客車がありそうなところへ手を伸ばして客車を探し、ようやくノブを見つけて扉を開け客車へ乗り込んだ。
「エミリア……着いたぞ。もう起きろ!」
客車前方から声をかけられエミリアがようやく目覚める……気づくと相棒らは客車に居ない……すぐにドアを開けて外の様子を窺う……
「御者交代ですか?少々お待ちを……。」
エミリアが身支度を整えながら声をかける。
「いや……もう今日の行程は終了……茶屋の休憩所でハルクたちは泊まるから……ここで馬車は置いていく。馬車まで野宿ではさすがに襲撃時に守り切れないからな。ハルクが強力な物理結界に切り替えて守るだろう。
俺たちはここから四半里先の野営場所まで歩きだ……昼に起こしたのだがぐっすりと寝ていたから無理に起こさなかった。ぺリルたちは起きて退屈そうだったから途中で用を足させたり、御者席に乗せてやったりしていた。」
「ええっ……そっ……それは……大変申し訳ありませんでした。」
エミリアは顔を真っ赤に染め上げ、耳たぶまで真っ赤にして平謝りに頭を下げる。
「ああ……別にそんな謝る必要もないさ、二日間の貫徹は辛いからな……それまでだって一晩二刻しか寝ていないというのにな……俺は焚火の前でも仮眠は取れるから平気だ。だが明日からは……ちゃんと御者は交代してもらうからな。」
「はいっ、承知いたしました。」
エミリアは急いで馬車から飛び降りた。
「今日も襲ってきますかね。」
「どうだろうな……馬車に切り替えたから……夜襲の効果はほぼないと向こうも気が付いたはずだが……。」
「もし……旅のお方……失礼だが……お主たちは他の冒険者から冒険者の袋を奪い取った悪党か?」
野営を始めてから一刻ほど経過後、突然暗闇から声が響いてきた。だがぺリルもアルルも全く反応していないし、巧も気配を感じられない様子で周囲をきょろきょろと見まわす……
「言っても信じて貰えないかもしれないが……俺たちは人から物を奪ったりするようなことは絶対していない。冒険者の袋であろうが、武器や防具であろうが……奪ったことはない。
まあ一月半程前に隊商の護衛をしていた時にアーミンで襲ってきた賊が使用限界を超えたと思って捨てた魔道具……実は被覆が痛んでいて魔力が漏れていただけで修理すれば使えるようになったが……これは冒険者組合が拾得物として俺たちのものだと正式に認めてくれた……それ以外で他人から物を奪ったことも拾ったことも一切ない。」
巧がどの方向へ答えていいか分からず、ぐるりと回転しながら大きめの声で答えた。
「そうか……だが、かなり広い範囲で噂になっているぞ……人の冒険者の袋を奪い取った二人組がサントスから北を目指していると……奪い取られた方は新人冒険者でとても敵わないから取り返してくれた人に礼金を払うと触れ回っている。」
するとまた声が……正面からのようでもあるし後ろからのようでも……体を回転させるとどの方向からでも聞こえてくるように聞こえる……
「そいつは正式に冒険者組合に名乗って袋を取り返すよう依頼をしたのか?」
巧が回転しながら問いかける。
「いや……いくら新人冒険者とはいえ組合から支給された大切な装備品を奪われたとあっては末代までの恥だから……組合には絶対に知らせないでくれと……冒険者のたまり場の居酒屋やバーなどで礼金をちらつかせながら依頼して回っているようだ。どうにも胡散臭い話だが……だが本当のことだったら見逃せないと確かめに来た。」
「ああ……そうなんだろうな……俺たちはサントスを出てから……一昨日も昨日も……礼金目当ての冒険者試験に落ちた若者たちと食い詰めの元冒険者らに襲われた。そいつらは捕まえて宿場町の番屋へ引き渡した。」
巧はまたしても居場所の分からない声の主に向かって回転しながら答えた。
「ああ……そのようだな……二組の賊……命を狙って襲い掛かってきた相手を殺さず、大怪我も負わせずに捕縛した手際は素晴らしいものだ……だが魔族の眷属の疑いがあると言って番屋に引き渡したそうだが……その根拠は何だ?」
「詳細は明かせないが……俺たちは実は国王の命により王都からハリキルを目指して旅をしている。王都を出たばかりの頃は鳥系魔族の一団に付け回され……こいつは捕らえてサントスの冒険者組合に引き渡したが……サントスを過ぎてからは嘘の依頼に騙された賊に襲われている。俺たちを狙っているのは魔族だ。」
「成程そうか……名を名乗れるか?」
「ああ……俺は巧だ。なんだったら冒険者証をお見せしようか?」
「私はエミリア……エミリア・シュタインベックです。」
巧とともにエミリアも名乗った。
「おおっ……シュタインベック公爵のご息女か?ターメルの愛娘だな?私はハーシェル・ケンリッヒ、御父上はお元気かな?」
「ハーシェル……はっ……北の勇者と評される……ケンリッヒ男爵様……でしょうか?母が生前の折……何度もご一緒させて頂いたと自慢しておりました。」
居場所不明の声の声色が代わり高く明るめとなり……その名を聞いてエミリアが反応……
「はっはっは……男爵に様をつける必要性はないよ……エミリア……久しぶり……と言ってもまだよちよち歩きの頃に一度会っただけだから……君は覚えてはいないか……だが……そうだ……ターメルの面影がある……。」
左手前方から兜の面帯を上げ帯刀した銀白色の甲冑姿の男が一人……同時に右手前方から十尺ほどの長槍を持った大柄で真っ黒い甲冑姿の男に加え……振り返ると後方右手から弓を構えた革の鎧を着込んだ女性に、後方左手には大ハンマーを抱え鎖帷子を身に着けた背の低い青黒い肌の亜人が一人……ゆっくりと暗闇から姿を現した。
どうやら巧たちはいつの間にか囲まれていた様子だ。
「うー……。」「ぐるぐるぐるぐる……」
四人が姿を現すのと同時にアルルとぺリルがようやく立ち上がって身構え唸り始めた……どうやら全く気配に気が付いていなかったようだ。
「アルっ、ペルっ……安心して、味方だから。」
エミリアが近づいてくる人影に向かって今にも飛び掛かっていきそうな相棒たちを制する。
「悪かったな……試すようなことをして……こちらとしても情報がなく、何を信じていいのかわからなかった。だが……名も明かせないどこの馬の骨かも分からん奴の言葉より、十分信じるに値すると判断した。
そうか……王命で……分かった……早速明日にでも妙な依頼をしている奴を探し出して捕まえるよう手配しよう……眷属の疑いありとしてね……。」
ケンリッヒ男爵は巧とエミリアが提示する冒険者証をじっと眺めながら、賊を募っている正体不明の輩を探し出すと約束してくれた。
「お詫びに……今日の野営は俺たちが代わって警護しよう……エミリア達は寝てくれて構わないぞ。」
「いえ……私は本日昼間に十分睡眠をとりましたから……でしたら巧さん……。」
「ああ……俺も大丈夫だ。」
折角のご厚意だったが巧は小さく首を横に振った。
エミリアは男爵と母の話で一晩中盛り上がり、やがて夜が明けた。
「じゃあ俺たちは四半里ほど戻って茶屋の宿泊所から馬車を受け取らねばならんので……」
「ああっ……我らもこれからサントスへ戻る予定だから……ご一緒しよう……。」
冒険者四名と巧たちは、街道を早足で戻っていく。
「おおっ……どちら様かと思ったら……ケンリッヒ男爵……ご無沙汰しております、王都聖教会司祭ハルクです!」
茶屋へ戻るとハルクたちがすでに準備を整えて、巧たちの馬車も引いて待っていた。そうして思いもかけない珍客に目を丸くした。
「ハルク司祭ではないですか……こちらこそ……ご無沙汰しております……なかなかサントスまで巡回していただけず……皆首を長くして待ち焦がれておりましたぞ……それがつい先日突然魔族と共に現れたと……さすが稀代の天才結界術師様は現れ方も派手だと噂になっておりますぞ……巧殿とご一緒されておったのでしょうか?
同じく極秘の王命ですかな?」
男爵が最後の一言はハルクの耳元で囁くように話した。
「ははっ……詳細は安全上明かせないのですが……巧殿とエミリアさんと共に……ハリキルを目指しております。」
ハルクが姿勢を正し、直立して答えた。
「それでは……我々は先を急ぎますので。」
ハルクが馬車に乗り込む前に男爵に向かって深々とお辞儀をする。
「ああ……我々としても不遜な輩を探し出すことに努めよう……道中の安全を祈ります。それではまた。」
そうして男爵たちと別れ、巧たちは北へ進路をとった。
「昨晩はどうしてお休みになられなかったのですか?」
エミリアが御者席で隣に座る巧に問いかける。昨日同様アルルとぺリルは客車内で休んでいる。
「いきなりボーキサイ国男爵と名乗られても……面識のない人だから味方だとは信じられなかったのでね……だが四人共に相当な使い手だということはすぐに分かった……そもそも音響魔道具だとは思うが……あのようなというか本来の使い方をする使い手に初めて出会った。」
「ああ……あの……どこから声が聞こえてくるのか全く分からない……巧さんが以前仰っていた、魔族が使う音響魔法本来の使い方ですよね?あんな使い方が出来るのでしたら私も試してみたいという気になりました。
さすがに……男爵に直接やり方をお聞きするのは失礼と思いましたし、音響魔道具は母様の袋には入っていませんでしたから控えましたけど……そもそも冒険者は手の内を明かさないのが鉄則ですものね。
男爵はボーキサイ国内どころかこの大陸内でも名が知れた高名な剣士で……北方の山岳地帯に巣食う数百頭規模の魔族率いる魔物の巣窟を掃討したり……聖教会から依頼を受けてハリキル国内に巣食う大規模な魔物の巣窟を掃討したりと……ボーキサイ国内のみならず大陸中で活躍なさっていて、北方の勇者と評されている方です。
お仲間に巨漢で長槍の使い手のボーグル様、女性でただ一人特級冒険者となられた弓使いのパステル様、背丈を超える巨大な岩をも一撃で砕く怪力のブル様……どなたも一流の冒険者ですから巧さんが警戒するのも無理はないですが……でしたら私たちが見せたように冒険者証の提示を求めればよかったのではないですか?」
エミリアは折角の好意をどうして無駄にしたのか気にかかっている様子だ。
「冒険者証を見せてもらったところで……男爵と聞いて高位のお方としり身元証明など不快と感じられるだろうと控えた意味もあるが……冒険者証など偽造だって可能だろうし、仮に本人と判ったところでその人物が魔族の眷属ではないという保証にはならない。眷属はどこにでも潜んでいるといわれるからな……エラルミント伯爵の例もあるだろ?
本人は自分の意志で行動しているつもりでも、実は魔族に操られている……ということもありえるのだからな。
前にも話したが……俺は以前顔を晒して活動していたが……なじみの店で周りは顔見知りしかいなかったにも関わらず……食べ物に毒を仕込まれて危うく殺されかけたからな。俺だけが生で鶏卵を食し……白飯にかけて食べるとうまいのだが皆は焼くか茹でるか焼きめしなどに入れて一緒に炒めないと食べなかったから、間違いなく俺が狙われた。
店の主人に新鮮な鶏卵が入ったと言われたから注文し、念のために別の器に割って黄身が崩れていないか確認してからさあ白米にかけて・・・という時に、仲間が厠で他の冒険者に絡まれていると聞かされたので行ってもめ事を制してから戻ったら、別の組の獣使いの烏が俺たちの食卓で死んでいた。嘴に鶏卵の黄身を付けてな……烏は卵が大好きだそうだ。
烏は賢い鳥で仕込めば簡単な命令は理解してこなすし中には人真似をしてじゃべるのもいるそうで、河川敷掃討時の索敵に使うやつもいるようだ。上空から魔物を探して飼い主に教えるのだな。俺は仲間を食卓に二人残して席を立ったのだが、目線は厠方向を向いていてスキを突いてつまみ食いをされ……おかげで俺は死なずに済んだ。
色も普通で匂いも全く問題なかったが、仲間が外のどぶからネズミを捕まえて来て外で鶏卵を乗せた白米を食べさせたら口を付けた途端に死んだ。ネズミは臆病で味の違いにも敏感だから……恐らく無味無臭な毒を仕込まれた。
注文した品ではあったが店員が運んだものではなかったようで……俺が店のほかの場所へ視線を移した瞬間を突かれ、いつの間にか食卓の上に置かれていたもので犯人を探し出すことはできなかった。
相手の身元確認だけではなく普段の行動を長期間観察し、おかしな点はないかどうか精査したうえでなければ人を信じる気には到底なれない……。
たとえ信頼できる相手であったとしても……口に入れるものは未だに俺自身で調理したもの以外は受け付けない……エミリアはご両親の関係もあり広く知り合いがいるようだからぞんざいな態度を取れないことは理解するが……少しは人を疑ってかかったほうがいいとは思うぞ。」
巧はエミリアにも簡単に人を信頼しない様、忠告した。
「はあ……巧さんが仰ることは理解しました……。」
エミリアは機械的に抑揚なく返事をした。
「じゃあ今日は俺が先に休ませてもらってもいいか?」
「はいっ、勿論です。何でしたら夕刻まででも……。」
「いや……さすがにそんなに寝る必要性はないさ。きっちり正午に起こしてくれ。じゃあな……。」
巧は一旦馬車を停めぺリルたちを客車の外へ出すと自分は客車の中へ乗り込み、ぺリルたちはエミリアの隣の御者席へ……
「じゃあしゅっぱーつっ!」
エミリアが手綱を操り馬車は再び進み始めた。
「ふあーあ……今日は襲撃はあるでしょうか……ケンリッヒ男爵が手を回してくださっていたら……嘘情報に惑わされる人もいなくなるとは思うのですけど……。」
きっちり昼には御者を交代し昼間に睡眠をとることで野営時にテントも張らず、焚火の前で周囲に注意をはらう二人と二匹だが……エミリアは退屈そうに生あくびを繰り返しながら呟く。
「どうだろうな……昨日の今日ではな……金貨一枚の礼金と言えば一夜の仕事にしては大金だからな。更に冒険者の袋が高額で売れることも知っていたなら……情報の真偽を問わずやろうと考える輩が出てもおかしくはない。」
巧は前方だけではなく後方にも時折振り返りながら、周囲への警戒を怠らない。
「うー……」「ぎゅるぎゅる……」「来るぞっ!」
二匹の相棒が唸り始めるのと巧の声はほぼ同時だった……




