↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界キャバクラ王 ~酒チートと氷魔法で、夜の社交界を支配する~  作者: 阿鼻恭介
第五章 王家から届く視線

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

95/130

第92話 規則の中から店を探る者

 ファビオ・フォン・レンツィが再びClub Moon Dropを訪れたのは、王宮関係者五人が初めて店を利用してから六日後のことだった。


 夜営業が始まって間もない頃、店の扉が開く。


 先に入ってきたのは、レオナルド・フォン・バレンティだった。


 その一歩後ろには、前回と同じく隙のない服装をしたファビオが立っている。


 ほかの王宮関係者の姿はなかった。


「こんばんは」


 レオナルドが落ち着いた声で挨拶する。


「こんばんは、レオナルド様。ファビオ様も、再びお越しいただきありがとうございます」


 入口近くにいたロイが、二人へ一礼した。


 ファビオは受付台の前まで進む。


「私を覚えているのか?」


「はい。レオナルド様のご紹介で来店された、ファビオ様です」


「会員帳を見ずに?」


「お顔を覚えておりました」


 ロイはそう答えてから、受付台の内側に置かれた会員帳を開いた。


 ファビオから内容が見えない角度を保ち、前回の記録を確認する。


「本日も、レオナルド様のご紹介で間違いありませんか?」


「ああ」


 レオナルドが答えた。


「ありがとうございます。店内では、前回と同じくファビオ様とお呼びいたします」


「構わない」


 客席にいたリリアが受付へ目を向けた。


 担当している中年商人へ一言断り、席を立つ。


「こんばんは、ファビオ様。レオナルド様」


 丁寧に一礼したリリアを見て、ファビオが口を開く。


「今日は君と話したい」


「ありがとうございます」


 リリアは嬉しそうに微笑んだ後、先ほどまで座っていた卓へ視線を戻した。


「ただ、今は担当しているお客様がいらっしゃいます。少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか」


「どれくらい待つ?」


「すぐにお話を終えることはできませんので、はっきりした時間はお伝えできません」


 ファビオは中年商人の卓へ目を向けた。


「あの客が先だからか」


「はい。先にご予約をいただいておりますので」


「私が王宮文書官でも?」


「ご予約の順番は変わりません」


 リリアの口調は穏やかだったが、返答に迷いはなかった。


 レオナルドが横からファビオを見る。


「前回も同じ扱いだったはずだ」


「変わっていないかを確かめただけだ」


「なら、確かめられただろう」


 ファビオは反論せず、リリアへ頷いた。


「待つ」


「ありがとうございます。後ほど伺います」


 リリアは商人の卓へ戻った。


 席へ着くと、先ほどまでと同じ表情で会話を再開する。


 ファビオは、その様子をしばらく見ていた。


「お席へご案内します」


 今度はディーノが近づいてくる。


「レオナルド様とご一緒でよろしいでしょうか」


「ああ」


「こちらへどうぞ」


 案内されたのは、入口から見て奥側にある通常席だった。


 前回使った席ではない。


「前と違う席だな」


「前回のお席には、別のお客様のご予約が入っています」


「客ごとに決まった席はないのか?」


「基本的にはございません」


「基本的には?」


 ファビオが聞き返す。


「特別会員の方にご利用いただく席はございます」


 ディーノが答えた。


 ファビオは隣にいるレオナルドを見る。


「お前は特別会員だったな」


「ああ」


「なら、特別会員席へ座れるのか?」


「座れる」


「なぜ使わない?」


「今日は必要ない」


 レオナルドは、案内された通常席へ向かう。


「酒を飲んで話すだけなら、ここで十分だ」


「特別会員用の席が空いていても?」


「空いているから使う席ではない」


 ファビオは店の奥へ視線を向けた。


 ほかの客席から少し離れた場所に、落ち着いた卓が設けられている。


 現在、その席を利用できる特別会員はレオナルドだけだった。


「重要な話をする時に使うのか?」


「お席についての詳しい説明は控えさせていただきます」


 ディーノは穏やかに線を引いた。


 レオナルドは通常席の椅子を引く。


「必要になれば使う。今はここでいい」


 ファビオも向かいの椅子へ腰を下ろした。


 隣の卓では、エルナが商人二人と楽しそうに話している。


 少し離れた席には、ガイルとボルドが座っていた。


 ガイルはファビオに気づくと軽く頭を下げたが、すぐにボルドとの会話へ戻る。


「お飲み物はいかがなさいますか?」


 ディーノが尋ねる。


「前回と同じものを頼む」


「冷やした水で割った果実酒でよろしいでしょうか」


「ああ」


「レオナルド様は?」


「ビールを」


「かしこまりました」


 ディーノが離れると、ファビオは店内を見回した。


「前回より客が多い」


「曜日が違うからな」


 レオナルドが答える。


「あの冒険者は前回もいた」


「ガイルだ」


「隣の男は?」


「ボルド。ガイルの仲間だ」


「前回はいなかった」


「毎回、同じ顔が揃うわけではない」


 ファビオは二人を見る。


「名前を覚えているのか」


「何度も会っているからな」


「私は一度で覚えた」


「お前は文書官だ。顔と名前を覚えるのも仕事だろう」


「前回、その能力を客として使えと言ったな」


 レオナルドが僅かに眉を上げる。


「言葉まで覚えていたのか」


「忘れない」


「なら、意味も考えてみろ」


 ファビオは答えず、店内へ視線を戻した。


 間もなく、ロイが二人の飲み物を運んでくる。


 ファビオの前には、淡い色をした果実酒。


 レオナルドの前には、冷気をまとったビール。


 グラスを置き終えたロイが離れようとすると、ファビオが呼び止めた。


「一つ聞きたい」


「はい」


「二度目でも、私はまだ紹介客なのだな」


「はい」


「何回来れば仮会員として認められる?」


「回数では決まりません」


「何を見て決める?」


 ロイは少し考えた。


「お一人で来店されても、安心してお迎えできるかどうかです」


「安心とは曖昧だ」


「お客様によって違いますので」


「決まった条件はないのか?」


「ございますが、条件だけを満たせばよいというものではありません」


 ファビオはさらに尋ねようとした。


 だが、入口の扉が開き、一人の商人が姿を見せた。


「失礼します」


 ロイは一礼し、受付へ戻っていく。


 ファビオはその背中を目で追った。


「質問の途中だった」


「お前だけが客ではない」


 レオナルドがビールへ口をつけながら言う。


「まだ聞きたいことがある」


「ロイには、ほかの仕事もある」


 受付では、ロイが来店した商人から会員証を受け取っていた。


 本人であることを確認し、短い言葉を交わす。


 ディーノがその客を席へ案内すると、ロイは厨房から出てきた料理を受け取り、別の卓へ運んだ。


 戻る途中では、空いたグラスを一つ下げる。


 ファビオは果実酒へ口をつけながら、その一連の動きを追った。


「また仕事の顔をしているぞ」


 レオナルドが言う。


「質問することも、客の過ごし方だ」


「質問しかしないなら、調査と変わらない」


 ファビオは果実酒を口に含んだ。


 前回と同じ果実の香り。


 甘さは控えめで、冷やした水によって酒精も穏やかになっている。


 口へ含んだ時には果実の風味が広がるが、飲み込んだ後には強い甘さが残らない。


「前回は、味についてほとんど話さなかったな」


 レオナルドが言った。


「聞かれた」


「悪くないと答えただけだ」


「間違ってはいない」


「感想になっていない」


 ファビオはグラスを見る。


「果実の香りはあるが、甘さは長く残らない」


「それでいい」


「前回より飲みやすく感じる」


「同じ酒だぞ」


「味を知っているから、今日は確かめる余裕がある」


 レオナルドは小さく笑った。


「少しは客らしくなったらしい」


「酒を飲んだだけだ」


「客は酒も飲む」


 ファビオは何も言わず、もう一口飲んだ。


     ◇


 しばらくして、リリアが担当していた商人の卓から立ち上がった。


 商人へ丁寧に一礼し、代わりにミーナが席へつく。


 商人は不満を見せるどころか、ミーナへ笑顔で話しかけていた。


 リリアがファビオたちの卓へ近づく。


「お待たせいたしました」


「担当を代えたのか?」


「お客様へ確認して、ミーナにお願いしました」


「私が希望したから?」


「それもございます」


 リリアは空いている椅子へ腰を下ろした。


「ただ、あちらのお客様も、以前からミーナと話してみたいと仰っていましたので」


「断られたら?」


「もう少しお待ちいただきました」


 ファビオはミーナの卓を見る。


 商人は楽しそうに仕事の話をしている。


「希望が重なった場合は、先の予約を優先するのか」


「はい」


「身分や支払額は関係ない?」


「関係ございません」


 短い答えを聞き、ファビオは果実酒へ視線を落とした。


「仮会員になれば、一人で来店できるのだな」


「はい。仮会員証を受付で確認できれば、お一人でもご利用いただけます」


「正式会員との違いは?」


「仮会員の方から、新しいお客様をご紹介いただくことはできません。また、正式会員としてお迎えできるか、店側で引き続き確認いたします」


「紹介者の保証だけでは足りない?」


「はい」


「この店で過ごしたいと思っているかも見る?」


 前回、レンから聞いた言葉を思い出したのか、ファビオが尋ねる。


「大切だと思います」


「それをどう判断する?」


「お話ししていれば、少しずつ分かります」


「曖昧だな」


「人のお気持ちですから」


 ファビオは指先でグラスの縁に触れた。


「正しい答えを言えば、正式会員になれるのか?」


「正しい答えはありません」


「では、何をすればいい?」


「普通に過ごしていただければ」


 ファビオはしばらく黙った。


「それが分からない」


 前回のように、相手を試す響きはなかった。


 リリアは驚いたように瞬きをする。


「お休みの日は、何をなさっているんですか?」


「文書を読む」


「お仕事のものですか?」


「ああ」


「お仕事以外では?」


 ファビオは答えなかった。


 リリアも次の質問を急がない。


 卓の間に短い沈黙が落ちる。


 レオナルドは何も言わず、ビールを飲んでいた。


「特にない」


 やがてファビオが答える。


「休みでも、読むべきものはある」


「お仕事以外の時間を、あまり持っていないんですね」


「必要だと思ったことがない」


 答えた後、ファビオは僅かに眉を寄せた。


 自分の言葉に、本人が引っかかったようだった。


「今のお酒は、お好きですか?」


 リリアが尋ねる。


「嫌いではない」


「前回よりは?」


「前回より味が分かる」


「では、今日はそれでいいと思います」


「それだけで?」


「はい。好きか嫌いかを考えたことも、ファビオ様ご自身のことですから」


 ファビオはリリアを見る。


「君は、私と話していて楽しいのか?」


「はい」


「店を調べるために質問しているだけかもしれない」


「それは警戒しています」


 リリアは笑顔のまま答えた。


 ファビオの目が僅かに見開かれる。


「警戒しながら楽しいと言うのか」


「どちらか一つだけではありませんから」


「理解できないな」


「私も、ファビオ様のことを全部は分かりません」


 リリアは無理に理解させようとはしなかった。


「でも、今日は前よりお酒を飲んでくださっています。それに、ご自分から私を希望してくださいました」


「質問するためかもしれない」


「それでも、選んでいただけたことは嬉しいです」


 ファビオは返事をしなかった。


 果実酒へ口をつける。


 前回より、口の中に広がる果実の香りを長く感じた。


 隣の卓から、エルナの明るい声が聞こえる。


「それで、部下に任せたら全部違う色になってたの?」


「ああ。注文した布とは似ても似つかない」


「でも、その人は自信満々だったんでしょ?」


「今年の流行だと言い切った」


「すごいね。私なら笑っちゃうかも」


「取引先も笑っていた」


 商人たちの楽しそうな声が上がる。


 少し離れた卓では、ガイルとボルドが料理を挟んで言い合っていた。


「その野菜も食べろ」


「お前が食え」


「俺の皿にもある」


「なら、二倍食えるな」


 リリアが小さく笑う。


「何がおかしい?」


 ファビオが尋ねた。


「ボルド様は、いつも野菜を残そうとされるんです」


「記録しているのか?」


「いいえ。何度も同じことをされるので、覚えているだけです」


「忘れたら?」


「またお皿を見れば分かります」


 ファビオはボルドの皿を見る。


 肉はほとんどなくなっているが、野菜だけがきれいに残っていた。


「確かに分かりやすい」


「でしょう?」


 リリアが笑う。


 ファビオの口元も、僅かに緩んだ。


 レオナルドはそれに気づいたが、何も言わなかった。


     ◇


 やがて、ファビオは再び会員制度へ話を戻した。


「仮会員証でも、本人以外は使えないのだな」


「はい」


「紛失した場合は?」


「受付で確認いたします」


「確認方法は?」


「申し訳ございません。詳しい方法はお答えできません」


 リリアは落ち着いて答えた。


 ファビオは少しだけ目を細める。


「分かった」


「ありがとうございます」


「答えないと決めたのなら、それ以上は聞かない」


 ファビオは店内を見回した。


 ロイが料理を運んでいる。


 ディーノは受付で来店客の会員証を確認した後、そのまま別の卓へ飲み物を運んだ。


 二人とも一か所へ留まらず、店内の流れに合わせて動いている。


「また仕事の顔になっています」


 リリアが言う。


「分かるのか?」


「急に黙って、周りを見るので」


「考えていた」


「お店のことを?」


「ああ」


「やっぱりお仕事ですね」


 責める響きはなかった。


 ファビオは少し困ったようにグラスを見る。


「質問してはいけないのか?」


「いいえ。答えられることはお答えします」


 リリアもファビオのグラスへ目を向ける。


「でも、お酒のことも考えてくださっていたでしょう?」


「果実の香りは残っているのに、甘さは長く残らない」


「冷やした水で割っているからですね」


「水を入れれば、もっと味が崩れると思っていた」


「量を間違えると、そうなってしまいます」


 ファビオは残った果実酒を飲む。


「もう一杯頼む」


「同じ果実酒でよろしいですか?」


「ああ」


「かしこまりました」


 リリアが立ち上がり、ロイへ注文を伝えた。


 その姿を見送りながら、ファビオがレオナルドへ尋ねる。


「私は前回より客らしく見えるか?」


「私に聞くのか」


「お前も見ているだろう」


 レオナルドは少し考えた。


「前回より、酒を飲んでいる」


「それだけか」


「料理も食べている」


「ほかには?」


「リリアの話へ返事をしている」


「前回も返事はした」


「前回は答えを集めていただけだ。今日は自分のことも話した」


「ほとんど話していない」


「お前にしては十分だろう」


 ファビオは不満そうだったが、否定はしなかった。


 二杯目の果実酒を運んできたロイが、グラスを卓へ置く。


「ありがとうございます」


 ファビオが言った。


 ロイは一瞬だけ目を見開いた後、穏やかに頭を下げた。


「ごゆっくりお過ごしください」


 前回のファビオなら、グラスを置く手順や運ぶ順番へ目を向けていたかもしれない。


 今回は運ばれた酒へ視線を落とし、すぐに一口飲んだ。


     ◇


 営業終了時刻が近づく頃、リリアがもう一度卓へ戻ってきた。


「本日は、いかがでしたか?」


「前回より多く聞けた」


「お店のことですか?」


「ああ」


「お酒は?」


 ファビオは一瞬だけ考えた。


「美味しかった」


 リリアの表情が明るくなる。


「ありがとうございます」


「果実の香りは残っていた。それでいて、甘さは口に残りすぎない。料理の味も邪魔しなかった」


「お好みに合ってよかったです」


 ファビオは空になりかけたグラスを見る。


「次は違うものを頼んでみる」


「その時は、お好みを伺って一緒に選びますね」


「強い酒もあるのか?」


「ございます。蒸留酒やウイスキー、芋焼酎がございます」


「ウイスキーと芋焼酎は、この店でしか飲めない酒だったな」


「はい。レンが作っております」


「蒸留酒は?」


「バルド酒商会から仕入れています」


「同じ強い酒でも、味は違う?」


「香りも飲んだ時の感じも違います」


「次に決める」


「かしこまりました」


 ファビオは少し考えた後、リリアを見た。


「私は仮会員として認められると思うか?」


「私一人では決められません」


「君の考えを聞きたい」


 リリアは少し考える。


「またお話ししたいとは思っています」


「それは、仮会員にしてもよいという意味か?」


「同じではありません」


 リリアは困ったように笑った。


「でも、前回よりファビオ様ご自身のことを知ることができました」


「仕事以外の話は、ほとんどしていない」


「お休みの日にもお仕事の文書を読むことや、果実酒は甘さが控えめな方がお好きなことを知りました」


「それが私の話になるのか?」


「はい」


 ファビオは納得できない顔をした。


「次は何を話せばいい?」


「話したいことが見つかった時でよいと思います」


「見つからなければ?」


「今日のお酒の続きでも構いません」


「酒の話だけでも?」


「もちろんです」


 ファビオは空になったグラスを見る。


「分かった」


 少し離れた場所にいたレンは、そのやり取りを見ながら、受付へ戻ってきたロイへ目を向けた。


 ロイは短く頷く。


 ディーノも異論はないようだった。


 ファビオは、答えられないと言われれば追及をやめた。


 リリアの先約を無視して、自分を優先するよう求めることもなかった。


 会員帳へ勝手に近づかず、ほかの客から店の情報を聞き出そうともしなかった。


 質問は多い。


 それでも、店が示した線を越えてはいない。


 前回より酒と料理を味わい、自分の言葉で会話を返す時間も増えていた。


 レンはリリアを呼んだ。


「ファビオさんを、一人で迎えても大丈夫そう?」


「はい」


 リリアは迷わず答えた。


「まだ警戒はしています。でも、またお話ししたいです」


「分かった」


 レンは受付台の下に保管してある仮会員証を取り出した。


 正式会員証とは異なる印が入り、店内で使う呼び名だけが記された小さな木札だった。


 ノアが登録帳を開き、仮会員証の番号とファビオの名を記録する。


 その様子に気づいたファビオが席を立った。


「私を仮会員として認めるのか?」


「ああ」


 レンはファビオの前へ立ち、木札を差し出した。


「今日から仮会員として迎えます」


「正式会員ではなく?」


「まだ、仕事をしに来ている時間の方が長いからです」


 ファビオは反論しなかった。


 差し出された仮会員証へ視線を落とす。


「次から一人で来店できる?」


「できます。ただし、ほかの方を紹介することはできません」


「正式会員としての判断は、まだ先ということか」


「はい」


「分かった」


 ファビオは仮会員証を受け取った。


 木札を表と裏から確認する。


 正式会員証とは異なる印。


 記されているのは、店内で呼ばれている名前だけ。


 王宮文書官という役職も、レンツィ家の名もなかった。


「次も君を希望する」


 ファビオがリリアへ言う。


「ありがとうございます」


「先約があれば待つ」


 その言葉に、リリアは少し驚いた後、柔らかく笑った。


「かしこまりました」


「次は別の酒を選んでもらう」


「お好みを伺って、ご提案いたしますね」


 ファビオは頷き、仮会員証を上着の内側へしまった。


「本日はありがとうございました」


 リリアが丁寧に頭を下げる。


「こちらこそ世話になった」


 ファビオも、レンたちへ軽く頭を下げた。


 レオナルドと共に店を出る。


 扉が閉じた。


 店内には、まだ数人の客が残っていた。


 レンたちはすぐにファビオの話を始めず、営業へ戻る。


 酒を運び、空いた皿を下げ、残っている客へ声をかけた。


     ◇


 最後の客を見送った後、ノアが登録帳を持って一卓へ座った。


「ファビオ様は、仮会員として登録しました」


「ああ」


 レンが答える。


「一人で来店されても、大丈夫でしょうか」


「だからこそ、仮会員だ」


 レンは、ファビオたちが出ていった扉へ目を向けた。


「一人の時に、どう過ごすのかを見る」


「今まで以上に、店を調べるかもしれません」


 ロイが言う。


「答えないところは答えない。それでも線を越えないなら、客として迎えられる」


「お酒を飲みに来るかもしれませんね」


 リリアが言った。


「別のお酒を選ぶ約束をしました」


「それなら、次に来た時に分かるな」


 レンが答える。


 ノアは登録帳へ必要な記録だけを残し、それ以上の推測は書き加えなかった。


     ◇


 宿の自室へ戻ったファビオは、机の上へ一枚の紙を広げた。


 翌朝、王都へ向かう使者へ託す報告書だった。


 紹介客の中から、店側の判断によって仮会員が選ばれること。


 仮会員は一人で来店できるが、他者を紹介することはできないこと。


 本人確認の詳細については、回答を得られなかったこと。


 ファビオは確認できた事実だけを書き記した。


 仮会員として一人で来店できれば、これまで以上に店の動きを観察できる。


 受付や黒服、接客を担当する者たちが、紹介者のいない自分へどう対応するのかも確かめられる。


 報告すべき成果としては十分だった。


 それでも、筆を置いた後に頭へ浮かんだのは、店の仕組みではなかった。


 次に選ぶ酒。


 リリアと交わした会話。


 まだ、仕事をしに来ている時間の方が長い。


 レンの言葉は、腹立たしいほど正確だった。


 ファビオは上着の内側から仮会員証を取り出した。


 小さな木札。


 そこに記されているのは、店内で呼ばれる名前だけだった。


 王宮文書官でもない。


 レンツィ家の者でもない。


 Club Moon Dropへ来店する、ファビオという一人の客。


 ファビオは木札を机へ置いた。


 次からは、一人で店へ入ることができる。


 誰かに連れられた王宮文書官ではなく、一人の仮会員として。


 報告書へ戻ろうとしたが、筆はすぐには動かなかった。


 次は何を調べるべきか。


 そう考えるより先に、ウイスキーと芋焼酎ではどちらを選ぶべきかが、頭へ浮かんでいた。

お読みいただきありがとうございます。

ブックマークや評価をいただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。