第9話 限定十杯の奇跡
初めての執筆で読みにくいところもあると思いますが楽しんで読んで頂けましたらうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
本日3話投稿のうち3話目です。
明日より1話ずつの投稿となります。
翌朝、俺は金獅子亭のカウンター席で紙に何かを書いていた。
前世の大学ノート代わりに、マルクから貰った羊皮紙を使っている。内容は単純だ。
販売戦略。
異世界に来てまだ数日だが、この世界の酒事情はある程度見えてきた。酒は人気商品だ。しかし品質は低い。種類も少ない。客は不満を持っていないが、それは比較対象を知らないだけだ。
つまり、市場は成熟していない。
そして未成熟な市場ほど、一歩先の知識を持つ者が圧倒的に有利になる。
「そんな難しい顔してどうした?」
カウンターを拭いていたマルクが声を掛けてきた。
「考え事です」
「また酒のことか?」
「酒のことです」
「本当に酒しか考えてねえな」
呆れたように笑われるが、否定はできない。
むしろ酒のことしか考えていない。
酒はこの世界で俺が持つ最大の武器だ。そして将来キャバクラを開くなら、その土台になるのも酒だ。
俺は羊皮紙を畳みながら言った。
「昨日のビール、今日から売りましょう」
マルクの動きが止まった。
「本気か?」
「本気です」
昨日の試飲だけで終わらせるつもりはない。
あれは市場調査だ。
今日は実験の第二段階。
実際に金を払わせる。
そして客がどこまで価値を感じるかを見る。
「ただし条件があります」
「条件?」
「一日十杯限定です」
マルクは怪訝そうな顔をした。
「もっと売れるだろ」
「だから売らないんです」
「なんでだ?」
俺は少し笑った。
前世で黒服をしていた頃、何度も見てきた光景がある。
限定シャンパン。
限定イベント。
限定特典。
人間は数が少ないものに価値を感じる。
実際の価値ではない。
希少性だ。
「誰でも飲める酒になった瞬間、ただの酒になります」
「ふむ」
「でも十杯しか飲めないなら?」
マルクは腕を組んだ。
そして数秒後、ニヤリと笑う。
「飲みたくなるな」
「そういうことです」
商売人同士の会話だった。
◇◇◇
昼過ぎ。
金獅子亭の入口には小さな木札が置かれた。
【本日限定 特別な酒 十杯限り】
それだけだ。
商品名も書かない。
説明もしない。
値段も書かない。
普通の商人なら商品の魅力を書きたがる。
だが俺は逆だった。
説明しない方が客は勝手に想像する。
そして想像は時に広告より強い。
「本当にこれだけでいいのか?」
マルクはまだ半信半疑だった。
「十分です」
俺は断言した。
◇◇◇
夕方になると、いつもの常連たちが集まり始めた。
冒険者。
商人。
職人。
護衛帰りの傭兵。
そして当然のようにガイルたちも現れる。
「なんだあれ?」
入口の木札を見たガイルが眉をひそめる。
「特別な酒?」
サラも看板を見て首を傾げた。
リリアは興味津々だ。
「ねえねえ、何だろう?」
「知らん」
ガイルはそう言ったが、その視線は明らかに気になっている。
人間は気になる生き物だ。
そして気になるものほど知りたくなる。
◇◇◇
店内が徐々に埋まっていく。
木札の話題はあっという間に広がった。
「特別な酒って何だ?」
「貴族用か?」
「王都の酒か?」
「魔法の酒だったりしてな」
好き勝手な憶測が飛び交う。
俺はカウンターの裏からその様子を眺めていた。
面白い。
まだ商品を見せてもいないのに、客同士で勝手に盛り上がっている。
これが口コミの力だ。
広告費ゼロ。
だが効果は抜群。
◇◇◇
最初の客は予想通りガイルだった。
「レン」
「はい」
「これ、お前だろ」
「何がです?」
「特別な酒」
「どうでしょう」
「絶対お前だ」
見抜かれていた。
まあ当然だろう。
昨日、マルクと俺が何か企んでいたのを見られている。
「飲みますか?」
「飲む」
即答だった。
その迷いのなさは少し羨ましい。
◇◇◇
マルクが特製ジョッキを取り出す。
俺はカウンターの下でビールを精製した。
氷魔法で適温まで冷やす。
そして静かに注ぐ。
黄金色の液体が流れ込む。
きめ細かな泡が表面を覆う。
その瞬間だった。
近くの客たちが静かになる。
視線が集まる。
皆が見たことのない酒だった。
「なんだあれ……」
誰かが呟いた。
「エールじゃないぞ」
「泡が違う」
「色も綺麗だ」
予想以上の反応だった。
見た目だけで既に興味を引いている。
◇◇◇
ガイルはジョッキを手に取った。
まず香りを確かめる。
その瞬間、表情が変わった。
「いい匂いだな」
そして一口。
ゴクリと飲む。
数秒。
沈黙。
店内全員が見ていた。
そして次の瞬間。
「うまい!!」
ガイルが叫んだ。
店内がざわめく。
彼は構わずもう一口飲んだ。
さらに飲む。
止まらない。
「冷たいぞ!?」
「冷えてますから」
「なんで冷えてるんだ!?」
「秘密です」
「ずるいだろそれ!」
店内から笑いが起こった。
だが笑っている連中も気になって仕方ない顔をしている。
◇◇◇
「俺も飲む!」
「こっちにもくれ!」
「いくらだ!」
案の定だった。
客たちが次々と注文する。
マルクはニヤニヤしている。
俺も少し笑った。
前世で何度も見た光景だ。
人気嬢の席に客が群がるように、美味い酒にも人は群がる。
世界が変わっても本質は変わらない。
◇◇◇
販売開始から三十分。
十杯はあっという間に消えた。
飲んだ客たちの反応はほぼ同じだった。
最初は驚く。
次に感動する。
そして最後に言う。
「また飲みたい」
それだった。
誰一人として不味いと言わなかった。
むしろ全員が明日も来ると言った。
これ以上の市場調査結果はない。
◇◇◇
「本日の販売は終了です」
マルクが宣言した瞬間、店内から不満の声が上がる。
「早すぎる!」
「まだ飲んでねえぞ!」
「金なら払う!」
「倍でもいい!」
だが俺は首を振った。
「今日は終わりです」
「なんでだ!」
「限定だからです」
客たちは悔しそうな顔をした。
だが俺は確信する。
この顔が大事なのだ。
欲しいのに手に入らない。
だから明日も来る。
商売で最も強い感情の一つは、満足ではなく渇望だった。
◇◇◇
閉店後。
金獅子亭の中には俺とマルクだけが残っていた。
テーブルの上には今日の売上金が積まれている。
マルクは銀貨を眺めながら呟いた。
「信じられねえな」
「そんなにですか?」
「一杯で普通のエールの五倍だぞ」
それでも完売した。
しかも客は高いと言わなかった。
価値を感じたからだ。
「利益率はどうなってる?」
マルクが聞く。
俺は苦笑した。
原価はゼロ。
正確には神様の善意である。
「かなり高いですね」
嘘ではない。
マルクは深く息を吐いた。
そして真顔になった。
「レン」
「はい」
「お前、本当に何者なんだ?」
当然の疑問だった。
十六歳の少年。
記憶喪失。
謎の酒。
異常な商売知識。
怪しいにも程がある。
だが俺は少し考えた後、本音を答えた。
「商売人になりたい人間です」
それは嘘ではない。
俺は酒を売りたい。
店を作りたい。
人が笑顔になれる場所を作りたい。
そしていつか。
異世界初のキャバクラを作る。
その夢だけは本物だった。
◇◇◇
マルクはしばらく俺を見つめていたが、やがて豪快に笑った。
「いいじゃねえか」
「え?」
「商売人なら歓迎だ」
そう言って肩を叩く。
「この街は剣を振る奴ばっかりだからな。商売を面白がる奴は嫌いじゃねえ」
その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。
異世界に来てまだ数日。
だが少しずつ居場所ができ始めている。
そしてその夜。
俺は知らなかった。
金獅子亭で起きた小さな騒ぎが、既に街の商人たちの間で話題になっていることを。
特に。
ルミナス最大の酒商会――バルド酒商会の耳に。
後に俺の最大のライバルとなる男が、この日初めて「レン」という名前を知ることになるのだった。
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