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異世界キャバクラ王 ~酒チートと氷魔法で、夜の社交界を支配する~  作者: 阿鼻恭介
第4章 育つ店、広がる縁

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第82話 二つの新しい蒸留酒

 金獅子亭で試作を完成させた翌日。


 昼営業を終えたClub Moon Dropには、いつもとは少し違う緊張が流れていた。


 客を見送ったロイが入口の鍵を閉め、会員帳を受付の奥へ片付ける。


 リリアたちは使い終えたグラスや皿を集め、ノアは卓上を拭きながら、厨房の方へ何度も視線を向けていた。


 普段であれば、夜営業へ向けた準備を始める時間だった。


 しかし今日は、その前に全員で確かめなければならないものがある。


 厨房からは、鶏肉の皮が焼ける音が聞こえていた。


 火にかけた鍋の音や、皿が触れ合う小さな音。


 その合間に、香草と焼けた肉の匂いが、店内へ僅かに流れてくる。


 強い匂いではない。


 厨房の近くへ立てば分かる程度で、店全体へ重く残るほどではなかった。


「いい匂いですね」


 ミーナが厨房の方を見ながら言う。


「見に行かない方がいいですよね?」


 リリアがレンへ尋ねた。


「ルークが呼ぶまでは、ここで待ちましょう」


「分かりました」


 答えながらも、リリアの視線は厨房へ向いたままだった。


 エルナはすでに空いた卓の前へ座り、両手を卓上へ置いて待っている。


「昨日からずっと楽しみにしてたんだから、早く食べたいな」


「まだ準備中ですよ」


 セレナが向かいの席へ座りながら答える。


「分かってるよ。でも、匂いがすると余計にお腹が空くでしょ?」


「先ほどまで昼営業で料理を運んでいたのにですか?」


「運ぶのと食べるのは別だよ」


 エルナの言葉に、ミーナが小さく笑った。


 ディーノは厨房へ注文を運ぶ時とは違い、少し落ち着かない様子で扉を見ている。


 ロイは受付を離れる前に入口の状態をもう一度確かめ、会員帳を閉じてから席へ加わった。


 ノアは卓の端へ紙と筆記具を用意している。


「感想を書き留めるのか?」


 ディーノが尋ねる。


「はい。味だけではなく、食べやすさや量についても記録した方が、後で確認しやすいと思います」


「そこまで必要か?」


「正式に出すか決めるための試食ですから」


「確かにそうだな」


 話しているうちに、厨房の扉が開いた。


 ルークが大きな皿を両手で持ち、店内へ出てくる。


 皿の上には、食べやすい大きさに切られた鶏もも肉が並んでいた。


 皮には香ばしい焼き色が付き、肉の表面には僅かに香草が見える。


 皿の底へ添えられたレモンバターソースは多すぎず、肉へ軽く絡む程度だった。


「待たせた」


 ルークは卓の中央へ皿を置いた。


 全員の視線が料理へ集まる。


「鶏もも肉の香草焼き、レモンバターソースだ」


「名前を聞くだけでも、おいしそうですね」


 リリアが微笑む。


「昨日、金獅子亭で完成させた味と同じになってるかは分からない。思ったことは、そのまま言ってほしい」


「悪いところもですか?」


 ミーナが尋ねる。


「ああ。お客様へ出す前なら、直せるからな」


 レンが小皿へ料理を取り分けていく。


 料理だけで味を見る者と、少量の酒を合わせる者に分かれることになった。


 エルナは自分の皿が置かれると、すぐに一切れを口へ運んだ。


 噛んだ瞬間、目を大きくする。


「おいしい!」


「エルナ、もう少し味わってから感想を言ってください」


 リリアが苦笑する。


「ちゃんと味わってるよ。皮が香ばしくて、肉も柔らかいし、レモンの味もする」


「バターは重くないですか?」


 ルークが尋ねた。


「全然。もっと食べたいくらい」


 エルナは続けて皿へ手を伸ばそうとしたが、ロイに止められた。


「まず全員の感想を聞きましょう」


「一切れくらいいいじゃない」


「皿の残りには限りがあります」


 エルナは不満そうに手を戻した。


 リリアは一口食べた後、急いで答えず、ゆっくりと味を確かめている。


「香草の香りはありますけど、強すぎませんね。飲み込んだ後には、ほとんど残りません」


「店内の匂いはどうだ?」


「厨房の近くでは分かりますけど、卓へ座っている間は気になりませんでした」


 ルークは小さく頷いた。


 ミーナも料理を食べ、続けて水を口へ含む。


「バターを使っているのに、あまり重くないです。レモンの酸味で後味が軽くなっています」


「酸っぱすぎないか?」


「はい。鶏肉の味もちゃんと分かります」


 セレナは肉を一切れ取り、形を確かめてから口へ運んだ。


「味はとてもよいと思います。大きさも、会話を続けながら食べやすいです」


 少し間を置いてから、皿の底へ目を向ける。


「ただ、ソースが多く付いた部分は、少し取りにくいかもしれません」


「盛り付ける時に、量を揃えた方がいいな」


「はい。ですが、ソース自体は多すぎないと思います」


 ディーノは料理を一口食べた後、何も言わずにもう一切れ取った。


「どうだ?」


 ルークが聞く。


「夜に出すなら、この量でいいと思う。ただ、昼に食事として出すなら、もう少し欲しい」


「昼は量を増やすつもりだ」


「なら問題ない」


 ノアは自分の分を食べながら、全員の意見を書き留めている。


「焼く時間は、金獅子亭と同じでしたか?」


「少し違った。こっちの火の方が強いから、皮を焼く時間を短くした」


「味には影響しましたか?」


「大きくは変わってないと思う。ただ、一度に何皿も作るなら、同じようにできるか確かめる必要がある」


「何皿までなら、同時に作れそうですか?」


「今の厨房なら、最初は三皿までだと思う。それ以上だと、焼き上がりに差が出るかもしれない」


 ノアはその言葉も紙へ書き加えた。


 ロイは料理を食べ終えると、レンが用意した少量のビールへ手を伸ばす。


 一口飲み、口の中で味を確かめた。


「料理を食べた後の方が、ビールの苦味がはっきりしますね」


「料理が酒の邪魔をしている感じはありますか?」


 レンが尋ねる。


「ありません。むしろ、料理の脂が残ったところへ苦味が入るので、もう一口飲みたくなります」


 ルークは、その言葉を聞いて僅かに息を吐いた。


 レンが最初に伝えた条件。


 食べた客が、もう一口酒を飲みたくなる料理であること。


 少なくとも、ロイの反応はその条件を満たしていた。


 レン自身も一切れ食べ、続けてビールを飲む。


 金獅子亭で食べた時より、僅かに皮の焼きが強い。


 しかし焦げてはいない。


 むしろ香ばしさが増し、ビールの苦味とよく合っている。


 レモンバターソースの量も、金獅子亭で完成させたものと大きく変わらない。


「昨日より、皮の香ばしさが少し強いですね」


「ここの火に合わせた」


「よいと思います。ビールと合わせるなら、こちらの方が合うかもしれません」


「果実酒はどうだ?」


 ルークが尋ねる。


 レンは別の杯へ少量だけ注いでいた果実酒を口へ含む。


 果実の甘い香りとレモンの酸味が重なり、鶏肉の脂が重く残らない。


「果実酒にも合います。ただ、甘みの強いものより、少し酸味のある方がよさそうです」


「酒によって案内を変えた方がいいな」


「そうですね」


 全員の皿が空く頃には、大皿にもほとんど料理が残っていなかった。


 エルナが最後の一切れへ手を伸ばす。


「これは私が食べてもいいよね?」


「どうぞ」


 レンが答えると、エルナは満足そうに口へ運んだ。


「絶対、お客様にも人気が出るよ」


「まだ出してみないと分からない」


 ルークはそう言いながらも、表情は少し緩んでいた。


「最初は数を限りましょう」


 レンが全員を見渡す。


「今夜の営業で、三皿だけ試験的に提供します」


「今夜からですか?」


 リリアが尋ねる。


「はい。厨房で同じ味を出せることは確認できました。次は、実際にお客様が酒と合わせてどう感じるかを見たいと思います」


「案内はどうしますか?」


「試作料理であることと、提供できる数が少ないことを伝えてください。無理に勧める必要はありません」


「分かりました」


「ルーク、三皿なら作れますか?」


「ああ。できる」


「では、今夜お願いします」


 ルークは卓上の空いた皿を見た。


 仲間たちが食べ、自分の料理について言葉を返してくれた。


 金獅子亭で作っていた時とは違う。


 ここは、自分がこれから立つ厨房だった。


「分かった。やってみる」


          ◇


 夜営業が始まると、試作料理の話はすぐに客たちへ伝わった。


 ただし、大きく宣伝したわけではない。


 リリアたちが注文を聞く際に、その日だけの試験提供として説明しただけだった。


「本日は、ルークが作った新しい料理を三皿だけご用意しています」


 リリアが窓側の卓へ案内する。


「鶏もも肉の香草焼きに、レモンバターソースを添えた料理です。まだ試験中ですので、ご意見を伺えればと思っています」


「三皿だけか」


 ガイルが興味を示す。


「はい。注文が重なった時に、同じ味で出せるかを確認するためです」


「なら、一皿頼もう」


 ガイルの答えは早かった。


 同じ卓にいたサラが、隣から口を挟む。


「一人で食べるつもり?」


「皆で分ければいいだろう」


「三人で一皿なら、味見程度ね」


 ボルドも頷いた。


「酒に合う料理なら、それで十分だ」


 一皿目の注文が厨房へ入る。


 ディーノから注文を受け取ったルークは、すぐに鶏肉を取り出した。


 昼の試食とは違う。


 今は営業中であり、ほかの料理の注文も入っている。


 金獅子亭から仕入れた料理を温めながら、同時に鶏肉を焼かなければならない。


 皮目を下にして鍋へ置く。


 強い音とともに脂が出始める。


 ルークは火の強さを確かめながら、別の鍋を温め、注文された料理を用意した。


 ディーノが次の注文を持ってくる。


「試作料理、もう一皿だ」


「どの卓だ?」


「リオネルさんとバルドさんの卓だ」


「分かった」


 二皿目の鶏肉を用意する。


 一度に二皿。


 昼に確認した範囲であれば、問題なく焼けるはずだった。


 最初の肉を裏返し、火の通りを確かめる。


 香草を加え、仕上げのソースを作る。


 焦る必要はない。


 だが、遅すぎればほかの注文へ影響する。


 ルークは自分の中で順番を組み立て、一つずつ進めた。


 一皿目が完成すると、ディーノへ渡す。


「ガイルさんたちの卓だ」


「分かった」


 料理が運ばれると、ルークは厨房の小窓から僅かに客席を見た。


 ガイルが最初に肉を取り、口へ入れる。


 すぐには酒へ手を伸ばさない。


 肉を噛み、飲み込んだ後、目の前のビールを持ち上げた。


 一口飲む。


 続けて、もう一切れ肉を取る。


 サラも料理を食べた後、果実酒を口へ含んでいる。


 ボルドは肉の大きさを確かめるように見た後、ゆっくりと食べた。


「ルーク、次が焼けてる」


 レンの声に、ルークはすぐ厨房へ意識を戻す。


 二皿目を仕上げ、リオネルとバルドの卓へ運んでもらう。


 リオネルは料理を口へ運び、続けて果実酒を飲んだ。


 一方、バルドはすぐには酒へ手を伸ばさず、香草の匂いやソースの量を確かめている。


 料理を飲み込んでから、僅かに水を加えた蒸留酒を口へ含んだ。


「もう一皿、注文が入った」


 ロイが厨房へ伝えに来る。


「レオナルド様の卓です」


「三皿目だな」


「ああ」


 これで試験提供分は終わる。


 ルークは最後の鶏肉を鍋へ置いた。


 一皿目、二皿目と作ったことで、火の状態も分かってきている。


 同じ焼き色。


 同じ柔らかさ。


 同じ量の香草とソース。


 最初の二皿と変わらないよう、慎重に仕上げる。


 三皿目がレオナルドの前へ運ばれる。


 レオナルドは料理を見て、リリアへ尋ねた。


「これがルークの最初の料理ですか」


「はい。まだ試験提供ですけど、今日の三皿目になります」


「最後の一皿ということか」


「そうですね」


「それなら、ありがたく味わうことにしよう」


 レオナルドは一切れを口へ運んだ。


 急いで飲み込むことなく、香草や肉の味を確かめている。


 その後、ビールを一口飲んだ。


「どうですか?」


 リリアが尋ねる。


「おいしい。鶏皮の香ばしさが残ったところへ、ビールの苦味がよく合う」


「ルークも安心すると思います」


「料理だけで終わらず、自然に酒へ戻りたくなる味だね」


 それは、レンがルークへ示した条件そのものだった。


 厨房でその言葉を聞いたルークは、手を止めることなく、僅かに口元を緩めた。


 ほかの注文はまだ続いている。


 試作料理を出したからといって、厨房の仕事が終わるわけではない。


 それでも、胸の中には確かな手応えがあった。


          ◇


 試験提供を終えた翌日。


 レンは営業前にスタッフを集めた。


 ノアが前夜に聞き取った感想を、紙へまとめている。


 三組の客から出た意見は、どれも大きく外れていなかった。


 鶏皮が香ばしい。


 肉が柔らかい。


 香草が強すぎない。


 レモンの酸味で後味が軽い。


 会話を続けながら食べやすい。


 ビールや果実酒と合わせると、もう一口飲みたくなる。


 その一方で、昼に食事として出すには量を増やした方がよいという意見もあった。


 これは最初から予定していた変更だった。


「昨日の三皿は、すべて同じ味で出せたと思います」


 レンがルークを見る。


「自分ではどうでしたか?」


「大きな差はなかったと思う。ほかの注文と重なっても、三皿なら問題なく作れた」


「四皿以上は?」


「一度に入ると、少し待ってもらうことになる。慣れれば増やせると思うが、最初は数を決めた方がいい」


「分かりました」


 レンは皆を見渡した。


「鶏もも肉の香草焼き、レモンバターソースを、Club Moon Dropの料理として正式に採用します」


 リリアとミーナが笑顔を見せる。


 エルナは小さく手を叩いた。


「やっぱり採用された!」


「まだ一品目だ」


 ルークは落ち着いた声で答える。


「でも、一品目だから大事なんでしょう?」


「ああ。そうだな」


 ルークは否定しなかった。


 金獅子亭から届いた料理を温め、盛り付けるだけだった厨房に、自分の料理が一つ加わる。


 それだけで、厨房の意味が少し変わったように感じられた。


「昼は食事として量を増やし、夜は今の小皿で提供します」


 レンが続ける。


「一日の提供数は、しばらく限定します。注文が重なった時は、時間がかかることを先に説明してください」


「分かりました」


 リリアたちが答える。


「ルーク、改めてお願いします」


「ああ。任せてくれ」


 その返事には、以前よりも僅かに自信があった。


          ◇


 ルークの最初の料理が正式に決まった日の夜。


 レンは営業前の卓へ、二本の瓶を置いた。


 一方には琥珀色の酒。


 もう一方には、無色透明に近い酒が入っている。


 まだ商品札は付けられていない。


 見慣れない二本の瓶に気づき、リリアが近づいてきた。


「新しいお酒ですか?」


「はい。今夜、少量だけお客様へ出してみようと思います」


「二種類もあるんですね」


 ほかのスタッフも集まってくる。


 ルークは厨房から瓶を見て、レンへ尋ねた。


「料理に合わせる酒か?」


「鶏もも肉にも合うと思います。ただ、まずは酒そのものを味わってもらうつもりです」


 レンは琥珀色の酒が入った瓶へ手を添えた。


「こちらはウイスキーです」


「ウイスキー?」


 エルナが聞き慣れない名前を繰り返す。


「穀物から作る、強い蒸留酒です。まずは氷を入れて飲むロックと、水を加える水割りで提供します」


 続いて、透明な酒が入った瓶へ手を移す。


「こちらは芋焼酎です」


「芋から酒を作ったんですか?」


 ミーナが驚く。


「はい。芋の穏やかな甘い香りがあります。こちらもロックと水割りで出します」


「どちらも強い酒なんですか?」


「ビールや果実酒よりは強いです。少量ずつ出します」


 ロイが瓶を見ながら尋ねる。


「提供数は決めますか?」


「はい。今夜はそれぞれ数杯だけにします。まだ、お客様の反応を確かめる段階です」


「記録は分けた方がよさそうですね」


 ノアが紙を用意する。


「ロックと水割りで、それぞれ何杯出たか書きます」


「お願いします」


 リリアは琥珀色の酒を瓶越しに眺めた。


「見た目がきれいですね」


「ウイスキーは、木の香りと穀物の甘さがあります。ロックでは力強さが分かりやすく、水割りにすると刺激が和らいで、別の香りが開きます」


「別の香りですか?」


「乾いた果実や、蜂蜜に似た香りです」


 次に芋焼酎を示す。


「芋焼酎は、既存の穀物蒸留酒とは違う丸みがあります。ロックでは香りが引き締まり、水割りでは柔らかな甘さが分かりやすくなります」


「説明を覚えられるかな」


 エルナが眉を寄せる。


「全部を一度に説明しなくても大丈夫です」


 リリアが言う。


「お客様の好みを聞いてから、合いそうな飲み方を案内すればいいと思います」


「そうだな」


 レンも頷いた。


「強い酒をそのまま楽しみたい方にはロック。刺激を和らげ、香りを楽しみたい方には水割りを勧めてください」


 今夜はまず、二種類の酒そのものを知ってもらう。


 そのための試験提供だった。


          ◇


 営業が始まり、二種類の新酒があると知ると、常連の会員たちはすぐに関心を示した。


「新しい酒が二つもあるのか」


 ガイルは卓へ置かれた説明札を見ながら言った。


「はい。ウイスキーと芋焼酎です」


 リリアが答える。


「どちらも少量だけのご用意になります」


「なら、俺はウイスキーをロックで頼む」


 ガイルは迷わなかった。


「強い酒なんだろう?」


「はい。まずは少しずつお飲みください」


「分かった」


 サラはガイルの隣から札をのぞき込む。


「私はウイスキーの水割りにするわ。同じ酒なら、飲み比べてみたいもの」


「では、二つをご用意しますね」


 ボルドは芋焼酎の説明を読みながら考える。


「芋の甘い香りか。俺は水割りで頼む」


「かしこまりました」


 三人の注文が厨房近くの酒を用意する場所へ届く。


 レンはウイスキーを杯へ注ぎ、ガイルの分には氷を入れた。


 サラの分には適量の水を加える。


 芋焼酎も同じように、水で割ってボルドへ出した。


 ガイルは琥珀色の酒を持ち上げ、光へ透かすように見る。


「ビールとも、今までの蒸留酒とも色が違うな」


 一口飲んだ瞬間、眉が僅かに動いた。


「強い」


「無理に一度で飲まないでくださいね」


 リリアが注意する。


「分かってる。だが、ただ強いだけじゃないな」


 もう一度、今度は少量だけ口へ含む。


「木みたいな香りがする。それに、後から少し甘い」


 サラも水割りを口へ運んだ。


「こちらは思ったより柔らかいわ」


「ロックとは違うか?」


「かなり違う。最初の刺激が弱くなって、その後に甘い香りが出てくる」


「同じ酒なのにか」


「飲んでみる?」


 サラから差し出された杯を、ガイルが一口だけ味わう。


「確かに違うな。水を入れた方が香りは分かりやすい」


「でも、あなたはロックの方が好きでしょう?」


「ああ。俺はこっちだ」


 ボルドは芋焼酎の水割りを静かに飲んでいた。


「どうだ?」


 ガイルが尋ねる。


「穀物の酒とは違う。匂いは柔らかいが、口に入れると芋の甘さが残る」


「甘い酒なの?」


 サラが聞く。


「砂糖の甘さではない。香りが甘いという方が近いな」


 ボルドはもう一口飲み、料理へ手を伸ばした。


「鶏肉にも合いそうだ」


 別の卓では、リオネルが芋焼酎のロックを頼んでいた。


 目の前には、正式に採用された鶏もも肉の香草焼きが置かれている。


 リオネルはまず芋焼酎だけを飲み、その後に鶏肉を食べた。


 もう一度、杯へ手を伸ばす。


「料理と合わせると、芋の甘い香りが少し穏やかになるね」


「合いませんか?」


 ミーナが尋ねる。


「いや、よく合う。鶏肉の脂が残った後に飲むと、酒の丸みが分かりやすい」


「ルークにもお伝えします」


「それから、水割りでも試してみたいな」


「かしこまりました」


 レオナルドはウイスキーのロックと水割りを、一杯ずつ少量で注文した。


 最初にロックを飲み、しばらく口の中へ残る香りを確かめる。


「力強い酒だ」


「お気に召しましたか?」


 リリアが尋ねる。


「まだ水割りを飲んでいないから、決めるのはその後にしよう」


 続いて水割りへ口を付ける。


 目を閉じるようにして、香りの違いを確かめた。


「面白い。同じ酒なのに、水を加えただけで印象が変わる」


「どちらがお好みですか?」


「今はロックだね。ただ、ゆっくり香りを楽しむなら水割りもよい」


 レオナルドは二つの杯を交互に味わった。


「この酒は、まだ残っていますか?」


「はい。ただ、今夜は提供数を決めています」


「そうか」


 リリアは一瞬、レオナルドが追加を望むのかと思った。


 しかし、レオナルドは残りの杯へ目を向けることなく言った。


「なら、私への追加は必要ない。ほかの会員にも、この酒を知る機会を残してほしい」


「よろしいのですか?」


「私だけが飲んでしまえば、この店でどのように受け入れられる酒なのか分からないだろう」


 レオナルドは穏やかに笑う。


「次に用意された時、また飲めればそれで十分だよ」


「ありがとうございます」


 リリアは頭を下げた。


 少し離れた場所でその様子を見ていたレンは、レオナルドの言葉を忘れないよう心へ留めた。


 希少な酒へ強い関心を示している。


 それでも、独占しようとはしない。


 ほかの会員が味わう機会を、自分から守ろうとしている。


 特別会員へ進める判断材料が、また一つ増えていた。


 バルドは、ウイスキーへ僅かに水を加えて飲んでいた。


 完全な水割りではない。


 香りが開く程度に、ほんの少しだけ水を足している。


 一口飲み、杯へ鼻を近づけた。


「水を加える前より、甘い香りが出たな」


「穀物と木の香りが分かりやすくなると思います」


 レンが答える。


「これは面白い酒だ」


 バルドはウイスキーを見つめる。


「強い酒を好む者にも売れる。水を加えれば、香りを楽しむ者にも受け入れられるだろう」


 続いて芋焼酎も少量だけ味わった。


「こちらは、今までの蒸留酒より柔らかいな」


「芋由来の香りがあります」


「食事と合わせるなら、こちらを好む者も多そうだ」


 バルドは二つの瓶へ交互に目を向けた。


 商人としての目になっている。


 ただ珍しい酒だから見ているのではない。


 誰が飲むのか。


 どのように売れるのか。


 どれほど長く価値を保つのか。


 そのすべてを考えているようだった。


          ◇


 営業が落ち着いた頃。


 バルドはレンへ、少し話したいと声をかけた。


 二人はほかの客から少し離れた卓へ移る。


 卓上には、ウイスキーと芋焼酎の小さな杯が置かれていた。


「この二つは、店だけで出すつもりなのか」


 バルドが尋ねる。


「まだ決めていません」


「作れる量が少ないのか?」


「今は、安定した品質で用意できるかを確かめている段階です」


 レンは慎重に答えた。


 全アルコール精製を使えば、同じ酒を作ることはできる。


 しかし、それをそのまま話すわけにはいかない。


 店で提供する分。


 今後、お客様の求め方が変わった場合に必要となる分。


 さらに酒商会へ卸す分。


 必要量が増えれば、製造だけではなく、瓶詰めや保管、輸送の方法も考えなければならない。


「品質を確かめているということは、将来は店の外へ出す可能性もあるんだな」


「はい。すぐにではありませんが」


 バルドはウイスキーをもう一口飲んだ。


「少量でもいい。酒商会で扱えるようになったら、俺に相談してほしい」


「まだ、瓶も決まっていません」


「瓶?」


「店で出すだけなら、今の容器でも問題ありません。ただ、外へ運ぶなら、保存と輸送に向いた瓶が必要です」


「確かにそうだな」


「ウイスキーと芋焼酎では見た目も香りも違います。お客様が間違えないようにする必要もあります」


 バルドは僅かに考える。


「取引のあるガラス工房がある。丈夫な瓶が必要なら紹介できるぞ」


「助かります」


「形や厚さまでは、実際に使い方を考えてから決めた方がいい。店で使うものと、外へ運ぶものでは条件も違うだろうからな」


「まずは、保存しても味や香りが変わらないことを確認します」


「それでいい」


 バルドは芋焼酎の杯を持ち上げる。


「これは、一時的な珍しさだけで終わる酒じゃない」


「そう思いますか?」


「ウイスキーは、飲み方を変えるだけで客の好みへ合わせられる。芋焼酎は、今まで強い蒸留酒を避けていた者にも勧めやすい」


 杯を卓へ戻す。


「それに、料理と合わせられる。酒だけで売るより強い」


 レンは厨房へ視線を向けた。


 ルークは新しく正式採用された料理を作りながら、ほかの注文にも対応している。


 鶏もも肉の香草焼きは、ビールにも果実酒にも合う。


 ウイスキーや芋焼酎とも合わせられる。


 ただ、飲み方によっては、鶏皮とレモンバターソースの脂へ酒の強さが重なることもある。


 それは欠点というほどではない。


 けれど、料理と酒を組み合わせる中で、わずかな違いとして残っていた。


 レンは、その感覚を今は記憶へ留めておくことにした。


「酒商会で扱える段階になったら、改めて相談します」


 レンが答える。


「その時は、瓶と保存方法も一緒に考えさせてほしい」


「お願いします」


「ただし、無理に数を増やせとは言わない」


 バルドは真剣な表情で続けた。


「安定して出せる数だけでいい。品質を落としてまで売る酒じゃない」


「ありがとうございます」


「礼は、契約が決まってからでいい」


 そう言って、バルドは僅かに笑った。


          ◇


 夜営業を終えた後。


 スタッフたちは二種類の新酒について、お客様の反応を確認していた。


 ノアが記録を読み上げる。


「ウイスキーは、ロックを選ぶ方が多く、水割りを選ぶ方もいました。両方を飲み比べた方もいます」


「芋焼酎は?」


「水割りを選ぶ方が、少し多かったです。料理と合わせた方からは、次は別の飲み方も試したいという声がありました」


「評判は悪くなかったですね」


 ミーナが言う。


「強い酒なので、もっと驚かれると思っていました」


「飲み方を選べるのがよかったんだと思います」


 リリアが答える。


「強さを楽しみたい方と、香りを楽しみたい方で案内を変えられましたから」


 ロイは残った酒の量を確認する。


「今後も提供するなら、一日の杯数を決めた方がよさそうです」


「そうですね」


 レンは二本の瓶を見る。


「しばらくは少量ずつ出します。ウイスキーも芋焼酎も、お客様がどの料理と合わせるか記録してください」


「分かりました」


 ルークが厨房から出てきた。


「鶏肉と合わせたお客様は、どうだった?」


「皆さん、料理の後に酒を飲んで、また料理へ戻っていましたよ」


 リリアが答える。


「特にレオナルド様は、ビールだけではなく、ウイスキーとも合わせてみたいとおっしゃっていました」


「そうか」


「芋焼酎を合わせたリオネルさんも、次は水割りで試したいそうです」


 ルークは僅かに考え込む。


「ロックだと、料理の脂と酒の強さが重なることもあるかもしれない」


「気になりましたか?」


 レンが尋ねる。


「少しだけな。酒に合ってないわけじゃない。ただ、飲み方で印象が変わる気がした」


「分かりました。今は記録しておきましょう」


「ああ」


 ルークは頷いた。


 正式に採用された最初の料理。


 新たに加わった二種類の蒸留酒。


 それぞれが店へ新しい選択肢を増やしていた。


 そして、その組み合わせを確かめることで、客ごとに合う味や飲み方も少しずつ見え始めている。


 店内の卓では、ガイルたちが使った杯が片付けられていた。


 ウイスキーの琥珀色も、芋焼酎の透明な輝きも、今はもう残っていない。


 それでも、その味を覚えた客たちは、次に店へ来た時も同じ酒を求めるだろう。


 厨房には、ルークが作った最初の料理が残った。


 酒は客へ新しい味を教え、料理はその酒を飲む理由を増やしていく。


 バルドは、その二つを店の外へ運ぶ可能性を見つけた。


 Club Moon Dropの中だけで始まった変化は、まだ小さい。


 けれど、ウイスキーと芋焼酎が入った二本の瓶は、店の外へ続く新しい道を、静かに作り始めていた。

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