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異世界キャバクラ王 ~酒チートと氷魔法で、夜の社交界を支配する~  作者: 阿鼻恭介
第6章 光が崩れ、月明かりが生まれる

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第115話 華やかさの外にあるもの

 西通りにルミエールが開店してから、Club Moon Dropの夜営業には、これまでになかった空席が見られるようになっていた。


 四人掛けの卓が、すべて埋まらない夜。


 予約を入れていた客から、急な都合で取りやめたいと連絡が届く日。


 普段なら営業開始から間もなく姿を見せる常連客が、いつもの時間を過ぎても現れないこともあった。


 それでも、店内が静まり返っているわけではない。


 暖色の照明が卓を柔らかく照らし、厨房からはルークが料理を仕上げる音が聞こえてくる。


 ロイとディーノは受付と客席の間を行き来し、料理や酒を運びながら、店内全体へ目を配っていた。


 リリアたちも、来店した客との会話を普段どおり大切にしている。


 客が減ったからといって、接客を急いだり、酒を多く注文させようとしたりはしていない。


 だが、店で働く全員が、空いている椅子へ一度は目を向けていた。


 その夜も、入口に近い一卓が使われないまま残っていた。


 エルナは担当している客へ果実酒を注いだ後、空席へ僅かに視線を向けた。


「どうした?」


 卓に座るガイルが尋ねる。


「何でもないよ」


 エルナはすぐに笑顔を戻した。


「今、何か見てただろ」


「ちょっとだけ、入口の方を」


「誰か待ってるのか?」


「そういうわけじゃないけど」


 エルナは曖昧に答えた。


 ガイルの向かいには、サラとボルドも座っている。


 普段なら三人の卓では、エルナが次々と話題を出し、ボルドが料理を食べる速さへ軽口を言い、サラがそれを止める流れになる。


 しかし今夜のエルナは、いつもより僅かに会話へ戻るのが遅かった。


「ルミエールのことが気になるのでしょう」


 サラが静かに言った。


 エルナの笑顔が少し固まる。


「分かる?」


「何度も通り側を見ているもの」


「そんなに見てた?」


「三度目」


 サラは指を三本立てた。


 エルナは気まずそうに肩をすくめる。


「だって、前までこの時間なら、もう一卓くらい埋まってたから」


「今夜は俺たちがいる」


 ボルドが肉料理を口へ運びながら言う。


「それでは足りないということか」


「そういう意味じゃないよ」


「なら問題ない」


「ボルドは簡単に言うよね」


「難しく考えても、肉は増えない」


「何の話?」


 エルナが思わず笑う。


 ボルドは真剣な顔で皿を見る。


「今日は昨日より肉が少ない」


「同じ量です」


 料理を運んできたディーノが、落ち着いた声で答えた。


「本当か?」


「ルークが量を変えるとは思えません」


「では、皿が大きいのか」


「食べるのが早くて、少なく見えるだけじゃない?」


 エルナが言うと、ガイルが声を上げて笑った。


 卓の空気が明るくなる。


 ディーノは料理を置いた後、空席を気にするエルナへ一度だけ視線を向けた。


「入口は、ロイが見ています」


「うん」


「来店があれば、すぐに分かります」


「分かってるよ」


 エルナは少しだけ口を尖らせた。


「別に、誰か来ないかなって入口を見てたわけじゃないから」


「そうですか」


「何、その言い方」


「何も言っていません」


「絶対、信じてないでしょう」


「仕事へ戻ります」


 ディーノは表情をほとんど変えずに離れていく。


 エルナは、その背中へ小さく舌を出した。


「仲がいいな」


 ガイルが言う。


「今のどこが?」


「見てりゃ分かる」


「仕事中だから、変なこと言わないでよ」


 エルナはすぐにガイルへ注意した。


 それでも先ほどより、声には普段の調子が戻っている。


 サラは果実酒へ口をつけながら、空いている卓へ視線を向けた。


「客が新しい店へ行くのは、仕方がないと思うわ」


「やっぱり、みんなルミエールへ行ってるのかな」


「少なくとも、一度は見てみたいと思う人は多いでしょうね」


 サラは冷静に答える。


「歌や踊りがある。王都から運ばれた酒も飲める。紹介者も必要ない。それだけ話題になっていれば、興味を持つのは自然よ」


「サラも行ってみたい?」


「少しはね」


 エルナの顔が曇る。


 サラはすぐに続けた。


「興味があることと、ここへ来なくなることは別でしょう」


「でも、向こうの方が楽しかったら?」


「楽しいにも、いろいろあるわ」


「いろいろ?」


「大勢で騒ぎたい日もあれば、静かに過ごしたい日もある。歌を聞きたい時もあれば、誰かと話したい時もある」


 サラは店内を見渡した。


「私は今日、ゆっくり飲みたかったから、ここへ来たの」


 エルナはその言葉を聞き、僅かに表情を緩めた。


「ありがとう」


「礼を言われるようなことではないわ」


「でも、ちょっと安心した」


「安心するのはまだ早いぞ」


 ガイルが口を挟む。


「え?」


「俺たちは明日、ルミエールへ行く」


 エルナの顔が固まった。


「三人で?」


「ああ」


「本当に?」


「前から話は聞いていた。新しい店ができたなら、一度は見ておきたい」


「ガイルまで行くの?」


「俺が行ったら駄目なのか?」


「駄目とは言わないけど」


 エルナは言葉に詰まった。


 客がどの店を利用するかは自由だ。


 Club Moon Dropの会員だからといって、ほかの店へ行ってはいけない決まりはない。


 むしろ、レンなら客を縛ろうとすることを嫌うだろう。


 頭では分かっている。


 それでも、自分たちの店を最初から支えてくれた三人が、対抗店として作られたルミエールへ行くと聞くと、胸が落ち着かなかった。


「エルナ」


 ガイルが呼ぶ。


「何?」


「明日の帰り、ここへ寄る」


「営業後だよ?」


「マルクに頼まれた空瓶を返すことになっている。レンへ渡しておけば、金獅子亭へ持っていくだろう」


 ガイルは卓の脇へ置いていた布袋を指した。


 中には、Club Moon Dropで以前使った酒瓶が何本か入っている。


「その時に、向こうがどうだったか話せばいい」


「わざわざ感想を言うためじゃないんだ」


「それも話す」


「どっちなの?」


「両方だ」


 ガイルは単純に答えた。


「行く前から、俺たちが戻らないと勝手に決めるな」


 エルナは少しだけ黙った後、頷いた。


「分かった」


「ボルドの目的は聞かなくても分かるわね」


 サラが言う。


「肉だ」


 ボルドは迷わず答えた。


「それなら、ルークの料理と比べてきて」


 厨房から聞こえる位置を意識しながら、エルナは少し声を大きくした。


「負けていたら?」


「ルークがもっと美味しい料理を作る」


「勝っていたら?」


「それでも、もっと美味しい料理を作る」


 厨房の方から、包丁の音が一瞬止まった。


 エルナは小さく笑った。


「聞こえてたみたい」


「余計な仕事を増やさないでください」


 料理を受け取りに来たディーノが言った。


「でも、ルークなら気にするでしょう?」


「気にはすると思います」


「ほら」


「ただし、競う相手は他店ではなく、昨日までの自分だと言うでしょう」


 エルナは目を瞬いた。


「ディーノ、ルークのこと分かってるね」


「厨房前で何度も聞いていますから」


「私のことも、そのくらい分かってる?」


 口にした後、エルナは客の前だったことを思い出した。


 ガイルが笑いを堪える。


 サラは杯へ視線を落とした。


 ボルドだけが料理を食べ続けている。


 ディーノは一瞬だけ黙った。


「今は仕事中です」


「分かってるよ!」


 エルナの声が少し大きくなる。


 近くの卓にいた客がこちらを見て笑った。


 エルナは頬を赤くしながら、自分の担当へ意識を戻した。


 翌日の夜。


 ガイル、サラ、ボルドは予定どおりルミエールを訪れた。


 西通りには、遠くからでも分かるほど明るい光が広がっている。


 建物の壁は照明を受けて乳白色に輝き、金色の装飾が通行人の目を引いていた。


 入口の前には、開店したばかりの頃ほどではないものの、十人を超える客が並んでいる。


「相変わらず派手だな」


 ガイルが建物を見上げる。


「中から音が聞こえるわ」


 サラが耳を澄ませた。


 扉が開くたびに、楽器の音と歓声が外へ流れてくる。


「肉の匂いもする」


 ボルドが言った。


「それだけは、よく分かるのね」


 三人は列の最後尾へ並んだ。


 Club Moon Dropのような紹介者の確認はない。


 順番が来ると入場料を支払い、黒服から空いている席を案内される。


 黒服は揃いの服を着ていた。


 見た目は整っている。


 言葉遣いも丁寧だった。


 ただし入口へ立つ者は、次々と来る客の支払いと案内に追われている。


 一人ひとりの状態を細かく確認している様子はない。


 三人の前に並んでいた客は、すでに酒の匂いを強く漂わせていた。


 足取りも僅かに不安定だったが、そのまま店内へ案内されている。


 ガイルは一度、サラと視線を交わした。


 何も言わず、客席へ進む。


 中へ入ると、外から想像していた以上の明るさと賑わいがあった。


 天井から吊るされた照明。


 壁へ飾られた布。


 舞台を照らす複数の灯り。


 卓の間を行き交う華やかな衣装の接客係。


 中央の舞台では、歌手が演奏に合わせて声を響かせている。


 客席からは拍手が起きていた。


「これはすごいな」


 ガイルは素直に感心した。


「Club Moon Dropとは、まるで違う」


 サラも周囲を観察する。


「客席の数も多いわね」


「肉はどこだ」


「まず座って」


 三人は舞台から少し離れた卓へ案内された。


 接客係がすぐに近づいてくる。


「ようこそ、ルミエールへ。私はヴィオラと申します」


 金糸の飾りが多い衣装を着た女性だった。


 笑顔が明るく、話し方にも迷いがない。


「お飲み物はいかがなさいますか?」


「エールを三つ」


 ガイルが答える。


「せっかくのご来店ですので、王都から届いた蒸留酒はいかがでしょうか。こちらは香りが深く、舞台を見ながらお楽しみいただくのに最適です」


「まずはエールでいい」


「承知しました」


 断られても表情を変えない。


 ヴィオラはすぐに料理の説明へ移った。


「お肉料理でしたら、香草を使った牛肉の焼き物がございます。高級酒と一緒にご注文いただくと、今夜の人気踊り手がご挨拶へ伺う場合もございます」


「肉を頼む」


 ボルドが即座に答える。


「酒は?」


「エールだ」


「かしこまりました」


 ヴィオラは注文を黒服へ伝え、再び三人へ向き直った。


「舞台をご覧になるのは初めてですか?」


「この店は初めてだ」


「それでしたら、もうすぐ始まる踊りをぜひご覧ください。猫系獣人の人気踊り子、ラナが出演いたします」


「獣人だから人気なのか?」


 サラが尋ねる。


 ヴィオラは一瞬だけ間を置いた。


「非常に優れた踊り手です。それに、猫系獣人の方がこのような大きな舞台へ立つことは珍しいですから」


「どちらを見てほしいと思っているのかしら」


「どちらもお楽しみいただけます」


 ヴィオラは上手く答えをまとめた。


 客を不快にさせず、店の宣伝も否定しない。


 接客係としての能力は高い。


 サラもそれ以上は追及しなかった。


 エールが運ばれてくる。


 黒服は手際よく三つの杯を置いた。


 だが、別の卓から呼ばれると、返事をしながらすぐに離れていく。


 店内では常に誰かが黒服を呼んでいた。


 追加の酒。


 料理。


 空いた皿。


 舞台が見えないという訴え。


 接客係を呼んでほしいという要望。


 一人の黒服が複数の卓へ対応し、途中で別の黒服へ指示を渡している。


 働いている者の動きは速い。


 それでも客の数が多すぎるため、すべてには追いついていなかった。


「賑やかだな」


 ガイルがエールを飲む。


「悪くない」


「そうね」


 サラも杯へ口をつけた。


「こういう店が好きな人がいるのは分かるわ」


 舞台の歌が終わる。


 大きな拍手が起きた。


 歌手が客席へ頭を下げ、次の演目を知らせる声が響く。


「続いて、ルミエールが誇る人気踊り子――猫系獣人のラナ!」


 名前より先に種族が強く意識される紹介だった。


 客席から歓声が上がる。


 ラナが舞台へ現れる。


 照明の中で身体を静かに沈めた後、一気に回転する。


 その動きが始まった瞬間、サラの目が変わった。


「上手い」


「ああ」


 ガイルも舞台へ視線を向ける。


 ラナの踊りには、珍しさだけでは説明できない技術があった。


 周囲の踊り手との距離を見ながら位置を変える。


 身体を大きく見せる動きと、静かに止まる動きを使い分ける。


 音が強くなる前に踏み込み、客が次の動きを予想した瞬間に方向を変える。


 観客の視線をつかむ方法を知っている。


「獣人だからじゃないな」


 ガイルが言った。


「この踊りなら、普通に名前を出せばいいのに」


「店は、分かりやすい呼び方を選んでいるのでしょう」


 サラは舞台を見つめたまま答える。


「客を呼べる言葉を」


 周囲では、ラナの耳や尾について話している客も多かった。


 踊りの技術を褒める者。


 近くで見たいと話す者。


 高級酒を頼めば席へ来るのかと接客係へ尋ねる者。


 様々だった。


 演目が終わると、ヴィオラが再び卓へ来た。


「いかがでしたか?」


「素晴らしい踊りだった」


 ガイルが答える。


「ありがとうございます。高級酒をご注文いただければ、舞台後のラナがご挨拶へ伺うことがあります」


「今の踊りを見た代金は、入場料に入っているんだろ?」


「もちろんです」


「なら、挨拶のために酒は頼まない」


 ガイルはあっさり断った。


 ヴィオラは少しも表情を崩さない。


「かしこまりました。ほかのお飲み物はいかがでしょうか?」


「エールを追加してくれ」


「すぐにお持ちします」


 ヴィオラが離れる。


「強いな」


 ガイルが感心したように言う。


「何度断っても、次の注文へつなげる」


「仕事としては優秀ね」


 サラが答える。


「ただ、落ち着いて話すのは難しいわ」


 舞台では次の歌が始まっていた。


 楽器の音が大きくなると、卓を挟んだ会話でも声を少し張る必要がある。


「何だって?」


 ガイルが聞き返す。


「落ち着いて話すのは難しいと言ったの」


「確かにな」


 ボルドは運ばれてきた肉料理を食べていた。


「どう?」


 サラが尋ねる。


「美味い」


「ルークの料理と比べて?」


 ボルドはもう一口食べる。


 すぐには答えなかった。


「肉はこっちの方が厚い」


「味は?」


「ルークの方が酒に合う」


「それは、こちらが劣っているということ?」


「違う」


 ボルドは真剣に皿を見た。


「これは肉を食べる料理だ。ルークのは酒を飲みながら食べる料理だ」


 ガイルとサラが顔を見合わせる。


「意外に分かっているのね」


「肉のことなら分かる」


 ボルドは胸を張った。


 その後も三人は舞台を楽しんだ。


 華やかな歌。


 複数人の踊り。


 楽器奏者による演奏。


 Club Moon Dropにはない魅力だった。


 ガイルは拍手を送り、ボルドは料理を追加した。


 サラも演奏には素直に感心した。


 だが、時間が経つにつれ、別の面も見えてくる。


 演目が変わるたび、接客係が酒を勧めに来る。


 会話が始まっても、舞台の音で中断される。


 担当していた接客係が別の高額客へ呼ばれ、そのまま戻ってこない。


 代わりに来た者へ、同じ話を最初から説明することになる。


 客席の通路では、舞台を見ようと立ち上がった客と、酒を運ぶ黒服がぶつかりそうになっていた。


 後方では、酔った客が大声を上げている。


 近くの客が迷惑そうに見ても、黒服は本人へ注意せず、周囲の客へ席を移るよう頼んでいた。


「客を止めるより、周りを動かすのか」


 ガイルが小さく呟く。


「支払っている額が大きいのかもしれないわね」


 サラは、酔った客の卓に並ぶ高級酒の瓶を見た。


 やがて、三人の卓へ新しい接客係が案内された。


「フィオナと申します」


 栗色の髪をまとめた女性だった。


 華やかな衣装を着ているが、ヴィオラほど強く前へ出る雰囲気ではない。


「先ほどの方は?」


 ガイルが尋ねる。


「別のお客様からご指名が入りましたので、私が代わりに担当いたします」


「指名されたなら仕方ないな」


「申し訳ありません」


「謝ることじゃない」


 ガイルは杯を置いた。


「座るのか?」


「はい。失礼いたします」


 フィオナは空いている椅子へ腰を下ろした。


「皆様は、冒険者でいらっしゃいますか?」


「分かるか?」


「装備を外していても、靴や手袋に手入れの跡がございますので」


「よく見ているわね」


 サラが言う。


「どのようなお仕事をされるのですか?」


「討伐も護衛もする。こいつは剣、サラは弓、ボルドは盾だ」


「盾ではない。重戦士だ」


「大体同じだろ」


「違う」


 ボルドが真剣に否定する。


 フィオナは小さく笑った。


「大切な違いなのですね」


「分かるか」


「はい。ご自身が何を担っているのかは、大切だと思います」


 ボルドは満足そうに頷く。


「この人、話を聞くのが上手ね」


 サラが言った。


 フィオナは少し驚いたように目を瞬いた。


「ありがとうございます」


「舞台には出ないの?」


「先ほどまで、少しだけ出演しておりました」


「気づかなかった」


 ガイルが正直に言う。


 フィオナの笑顔が僅かに固まる。


「申し訳ありません」


「なぜ謝る?」


「いえ」


「踊り手なのか?」


「いいえ。普段は、お客様との会話を担当しております」


「なら、会話をしていればいいだろ」


 ガイルは単純に言った。


 フィオナは一瞬、答えを失った。


「店から、舞台へ出るように言われておりますので」


「得意ではないのか?」


「はい」


「得意ではない者まで出す理由は何だ?」


 フィオナは返答に迷った。


 店の方針へ不満を言うわけにはいかない。


 客へ、順位を上げるためだと正直に話すこともためらわれる。


「多くの者が出演した方が、華やかに見えるからだと思います」


「君は出たいの?」


 サラが尋ねた。


 フィオナの口元に、すぐ笑顔が作られる。


「必要であれば、出演いたします」


「出たいかを聞いたのだけれど」


 フィオナの笑顔が止まった。


 同じ問いを、ラナからも受けていた。


「……得意ではありません」


「そう」


 サラはそれ以上、答えを求めなかった。


 フィオナの前に残った沈黙を、無理に埋めようともしなかった。


 やがてフィオナは話題を変えるように尋ねた。


「皆様は、普段から三人でお仕事をされているのですか?」


「ああ。もう長い」


「意見がぶつかることもありますか?」


「しょっちゅうだ」


「ガイルとボルドは、考える前に動くから」


 サラが言う。


「俺は考えている」


 ガイルが反論する。


「考えた結果、突っ込むのでしょう」


「迷って遅れるよりいい」


「それで何度、私が後ろから止めたと思っているの?」


 フィオナは三人のやり取りを静かに聞いた。


 どちらが正しいと決めない。


 話している本人たちの表情を見る。


「それでも、今も三人でお仕事を続けていらっしゃるのですね」


「まあな」


 ガイルが答える。


「サラが止める。ボルドが支える。俺が前へ出る」


「俺も前へ出る」


「お前は横から押す」


「違う」


 三人の会話が続く。


 フィオナは時折、短く問いかける。


 どの依頼が一番危なかったのか。


 誰が一番無茶をするのか。


 仕事を終えた後、最初に何をするのか。


 ガイルたちは、いつの間にか酒の注文よりも、昔の依頼について話していた。


 その時、舞台で大きな音が鳴る。


 次の演目が始まった。


 フィオナは言葉を止める。


 客席の多くが舞台へ向いた。


 三人も反射的に視線を移す。


 舞台には、多くの接客係と演奏者が並んでいた。


 全員が同じ動きをしようとしている。


 だが、踊り慣れていない者も多い。


 一人の動きが遅れ、隣とぶつかりそうになる。


 客席から笑いが起きた。


「昨日も、こういう演目があったらしいな」


 近くの卓から声が聞こえる。


「失敗するところも面白いって評判だ」


 舞台上の女性は笑顔を崩さない。


 フィオナの身体が僅かに固くなる。


「君も出るのか?」


 ガイルが尋ねる。


「はい」


「今から?」


「この後です」


「顔色が良くないぞ」


「大丈夫です」


 フィオナはすぐに笑った。


 サラはその表情をじっと見る。


「本当に?」


「はい」


 サラは無理に追及しなかった。


 ただ、フィオナが舞台へ向かうため席を立った時、その背中を見送った。


 フィオナがいなくなると、別の接客係がすぐに卓へ来た。


「次のお飲み物はいかがでしょうか?」


 高級酒の瓶を勧められる。


「さっきの娘は戻るのか?」


 ガイルが尋ねた。


「舞台後は別の卓へご挨拶する予定です」


「なら、俺たちはこれで帰る」


「まだ演目が続きますが」


「十分楽しんだ」


 ガイルは立ち上がった。


 サラとボルドも続く。


 会計を済ませ、入口へ向かう。


 帰り際、舞台から拍手が起きた。


 三人は一度振り返る。


 多くの出演者の中に、フィオナの姿があった。


 動きは小さい。


 周囲より遅れないよう、慎重に足を運んでいる。


 笑顔を作っている。


 しかし、先ほど卓で見せた自然な笑い方とは違った。


 ガイルは何も言わず、店を出た。


 外へ出ると、舞台の音が壁を隔てて少し遠くなる。


 西通りの夜風が、熱を持った顔へ触れた。


「どうだった?」


 ガイルが二人へ尋ねる。


「華やかだった」


 ボルドが答える。


「肉も美味かった」


「それだけか?」


「酒は普通だ」


「サラは?」


 サラはルミエールの看板を見上げた。


「楽しかったわ」


 その答えに、ガイルが少し驚く。


「素直だな」


「悪いところしかない店ではないもの」


 サラは静かに続けた。


「舞台は見応えがあった。ラナの踊りは、もう一度見たいと思った。大勢で祝い事をするなら、あの賑やかさは魅力でしょうね」


「俺もそう思う」


 ガイルは頷いた。


「ただ、ゆっくり話す店じゃないな」


「ええ。話している途中で舞台が始まる。担当も何度も代わる。酒を勧められる回数も多い」


「断れば、それ以上は強く言われなかったぞ」


「接客係によるのでしょう」


 サラは先ほどのフィオナを思い出す。


「フィオナという女性は、話を聞くのが上手だった」


「ああ」


「あの人を目当てに来る客もいると思うわ」


「でも舞台へ出されていた」


「店が、彼女の得意なことより、全員を同じように見せることを選んでいるのでしょう」


 ボルドが首を傾げる。


「話すのが得意なら、話せばいい」


「簡単に見えて、店を作る側には難しいのかもしれないわね」


 サラはClub Moon Dropのある方向へ視線を向けた。


「誰に何を任せるかを決めることは」


 三人はそのまま西通りを歩いた。


 Club Moon Dropは、ルミエールより早く営業を終えている。


 正面扉の前では、営業を終えたロイとディーノが、店外に置いていた小さな案内板を中へ運んでいた。


 エルナも入口付近で、最後の客を見送ったところだった。


 三人の姿に気づく。


「あっ」


 エルナは思わず声を上げた。


「お帰り」


 言ってから、自分の店へ帰ってきたわけではないことに気づく。


「じゃなくて。こんばんは」


「空瓶を持ってきた」


 ガイルは布袋を持ち上げた。


「それと、ルミエールの帰りだ」


 エルナの表情が僅かに緊張する。


「どうだった?」


 声が少し早い。


「ここで話すと通行の邪魔になります」


 ロイが周囲を確認した。


 レンも店内から出てくる。


「酒は出せないけど、少しだけ中で話す?」


「構わない」


 三人は店内へ招かれた。


 客のいないClub Moon Dropは、営業中よりさらに静かだった。


 使用していない卓はすでに整えられ、厨房からは片付けの音だけが聞こえる。


 三人が普段利用している卓へ座ると、レンは全員が周囲へ立ったまま集まろうとするのを止めた。


「仕事は終わってるんだから、座っていいよ」


 空いている椅子が近くへ寄せられる。


 レンはガイルたちへ水を出した。


「それで、率直にどうだった?」


「最初に言っておくが、面白かった」


 ガイルが答える。


 エルナの肩が僅かに動く。


「舞台は、ここにはない魅力だ。歌も踊りも、金を払って見る価値がある。特にラナという踊り手はすごかった」


「料理も美味かった」


 ボルドが加える。


 ルークは真剣に聞いている。


「ただ、ゆっくり話すには向いていない」


 ガイルが続けた。


「音が大きい。舞台が始まれば全員そっちを見る。担当の娘も何度か代わった」


「酒を何度も勧められたわ」


 サラが言う。


「無理に買わせるほどではなかったけれど、演目が変わるたびに別の酒を提案された」


「嫌だった?」


 レンが尋ねる。


「私は少し疲れた。でも、あれを楽しいと思う人もいるでしょうね」


「それは、そうだと思う」


 レンはすぐに認めた。


 エルナがレンを見る。


「もっと、向こうの悪いところを聞かないの?」


「悪いところだけ聞いても、向こうへ客が集まる理由は分からないよ」


「でも、客を取られてるかもしれないんだよ」


「だからこそ、魅力も知る必要がある」


 レンは落ち着いて答えた。


「舞台を見たい人や、大勢で盛り上がりたい人にとっては、ルミエールの方が合っている夜もあると思う」


「なら、うちも舞台を作る?」


 エルナが尋ねる。


 ミーナが僅かに顔を上げる。


 セレナも黙ってレンを見た。


「客を取り戻すためだけには作らない」


 レンは答えた。


「歌や演奏そのものを否定するつもりもないよ。ただ、良いものを全部一つの店へ入れれば、もっと良い店になるとは限らない」


「料理も同じかもしれません」


 ルークが言った。


「肉料理も魚料理も菓子も、種類を増やせば選べる物は増えます。ただ、作る者の人数や火口、保管場所を越えれば、どれも良い状態で出せなくなります」


「舞台も、人が増えるほど場所と準備が必要になるわ」


 サラが続けた。


「何か気になったことがあった?」


 レンが尋ねる。


「踊り慣れていない接客係まで舞台へ出ていたの」


 サラはフィオナについて説明した。


 話を聞くのが上手だったこと。


 舞台は得意ではないと答えたこと。


 必要であれば出演すると笑っていたこと。


「それは、本人が選んでいるのでしょうか」


 リリアが静かに尋ねた。


「選ばなければ、評価が下がるのかもしれない」


 ガイルが答える。


「客席には人気上位者の名前が出ていた。接客係も、自分の名を何度も伝えていた」


 レンは黙って聞いた。


 ラナの踊りも、歌手の歌も本物だった。


 客も実際に楽しんでいる。


 それでも、フィオナのような者が得意ではない役割へ追いやられているなら、同じ方法を真似るつもりはなかった。


「レンは、悔しくないの?」


 エルナが尋ねた。


「向こうが満席で、こっちに空席があること」


 レンはすぐには答えなかった。


「悔しくないと言えば、嘘になる」


 正直に答える。


 エルナは少し驚いた顔をした。


「客が減っても平気なのかと思ってた」


「平気ではないよ。家賃も給金も仕入れもある。空席が増え続ければ、続けられなくなる」


「なら、何かしないと」


「するよ」


 レンは頷いた。


「ただし、うちの良さを捨てる方法ではなく、今の店に本当に足りないものを探す」


 エルナは空席へ目を向ける。


「派手にはしないけど、何も変えないわけでもない?」


「そういうこと」


 レンは客席を見渡した。


「料理を待つ時間。話したい時に話せているか。静かにしたい時に、こちらから話しかけすぎていないか。予約の取り方。担当の偏り。ルミエールとは関係なく、うちにも改善できることはあるはずだから」


「受付は?」


 ロイが尋ねる。


「紹介者なしの客が向こうへ流れているとしても、確認を緩くしますか」


「緩くしない」


「泥酔している客が、高額な酒を頼むと言った場合も?」


「入れない」


 レンの答えに迷いはなかった。


「そこで変えたら、今まで守ってきた客や仲間へ説明できない」


 エルナは小さく息を吐いた。


「私、ちょっと勘違いしてたかも」


「何を?」


 リリアが尋ねる。


「向こうに負けたくないって思ってた。でも、同じことをして勝つだけなら、ここじゃなくてもいいんだよね」


「同じことをしても、規模では勝てないかもしれないよ」


 レンが現実的に答える。


「建物も資金も、向こうの方が大きいから」


「そこは、もう少し格好よく言ってよ」


 エルナが不満そうに言う。


 周囲から小さな笑いが起きた。


「でも」


 エルナは続ける。


「私たちが大切にしてきたものまで変えなくていいってことは分かった」


「うん」


「私も、自分の接客をもう一度考える」


「リリアと同じにしなくていいからね」


「分かってるよ」


 エルナは少し笑った。


「私を指名する人は、私と話したいんでしょう?」


 ディーノが以前伝えた言葉だった。


 本人の近くで言ったため、ディーノが片付けの手を僅かに止める。


 エルナはそれに気づいたが、今度は何も言わなかった。


「明日は、ここへ来る」


 ガイルが言った。


 エルナがすぐに顔を上げる。


「本当に?」


「ああ。向こうで賑やかな夜を過ごしたから、次は静かに飲みたい」


「今日はそんなに騒いでないでしょう」


 サラが言う。


「周りが騒いでいた」


「自分が騒いだように言わないで」


「ボルドは?」


 エルナが尋ねる。


「ルークの肉を食べる」


「よし」


 エルナは拳を軽く握った。


「明日は、もっと美味しいものを作ります」


 ルークが真面目に答える。


「肉を増やせ」


「量は変えません」


「では皿を小さくしろ」


「見た目だけ増やしても意味がありません」


 いつものやり取りが始まる。


 店内の空気が柔らかくなる。


 ガイルたちは空瓶をレンへ渡し、今度こそ帰っていった。


 入口で三人を見送る。


「また明日」


 エルナが言う。


「ああ」


 ガイルが手を上げた。


 三人の姿が西通りの暗がりへ遠ざかる。


 扉を閉めた後、エルナは小さく息を吐いた。


「戻ってきてくれるって」


「まだ来店していません」


 ディーノが言う。


「またそういうこと言う」


「来ると言ってくれたことは嬉しいです。ただ、実際に来られるかは明日まで分かりません」


「でも、嬉しいものは嬉しいでしょう?」


「それは否定していません」


 エルナは満足そうに笑った。


 スタッフたちは片付けへ戻る。


 ロイとディーノは卓と椅子の位置を確認し、ノアは営業記録へ空席の数を書き込む。


 ルークは明日の仕込み量を考え、厨房へ戻った。


 レンは誰も座らなかった卓へ手を触れた。


 空いているからといって、すぐに埋めるための何かを詰め込む必要はない。


 だが、空いている理由から目を逸らしてもいけない。


 守ることと、変えないことは同じではない。


 理念を残しながら、客と仲間の声を聞いて改善する。


 その判断を続けなければ、安心という言葉も、いつか形だけになる。


 その頃。


 営業を終えたルミエールでは、会計係がその日の売上を集計していた。


 カイルは帳面へ並ぶ数字を確認する。


 入場者数。


 酒の販売本数。


 高級酒の売上。


 舞台ごとの客数。


 いずれも、開店前に想定した数字を上回っている。


「Club Moon Dropの会員も来ていたそうだな」


 カイルが尋ねる。


「はい。冒険者三名です」


 ドミニクが答えた。


「高級酒は?」


「注文していません。エールと料理が中心です」


「担当は?」


「最初はヴィオラ。その後、フィオナです」


「フィオナ?」


 カイルは順位表の下位にある名を思い出した。


「会話が長くなり、追加注文は伸びませんでした」


「Club Moon Dropへ通う客なら、もう少し使うと思っていたが」


「高額な酒を好まない客なのかもしれません」


 カイルは帳面へ視線を戻した。


「次に来た時は、何を飲むか、どの程度の金額まで注文するかを確認しろ」


「他店での利用額も聞きますか?」


「自然に聞けるならな。無理に店名や会話内容まで探る必要はない」


 ドミニクは頷いた。


「まず知るべきなのは、どの客が何へ金を払うかだ」


 カイルにとって客の違いは、静かな夜を求めるか、華やかな舞台を求めるかではなかった。


 酒へ使う金額。


 料理の注文量。


 指名へつながる可能性。


 その数字で分類できるかどうかだった。


 そして、ガイルたちが帰った後。


 フィオナは控室の隅で、一人の客について考えていた。


 自分の話を聞く姿勢を評価してくれた女性。


 得意ではない舞台へ出たいのかと、答えを急がずに尋ねてくれた人。


 次に来た時も、自分が担当できるだろうか。


 順位が低いままなら、より酒を売れる接客係へ回されるかもしれない。


 ハインツも同じだった。


 自分を指名してくれても、注文額が低ければ、長く話すことを許されない可能性がある。


 フィオナは、控室の壁に貼られた順位表を見る。


 自分が大切にしたい客の隣へ座り続けるためには、店が求める数字を上げなければならない。


 会話を喜んでくれるだけでは足りない。


 また来たいと思ってもらうだけでも足りない。


 高い酒を頼ませなければ、客との時間そのものを取り上げられる。


 フィオナは笑顔を作った。


 鏡の中では、いつもと変わらない接客係に見える。


 けれど翌日の開店前。


 ドミニクから渡された担当表には、ハインツの名が書かれていた。


 その横には、これまでにはなかった指示が加えられている。


 ――高級酒の注文がない場合、長時間の接客は避け、別の卓へ移ること。


 フィオナは紙を持ったまま、しばらく動くことができなかった。

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