【第二十二話】限界
空気が歪む。
削られていく感覚と、斬り裂かれる軌跡が正面からぶつかり合い、屋上は完全に戦場になっていた。
その中心で、リッパーが踏み込む。
「——遅ぇ」
一閃。
視界に残らないほどの速度で振り抜かれた刃が、確実に黒い男を捉える。肩口が裂け、血がわずかに散った。
それでも男は笑う。
「浅いな」
余裕は崩れない。
リッパーは舌打ちしながらも間合いを詰め続ける。踏み込み、斬り、距離を潰す。削る力を発動させる“間”を与えないための動きだった。
「いいな」
男は楽しそうに言い、軽く手を振る。
瞬間、削る力が圧縮される。広がるのではなく、一本の線のように凝縮されて一直線に放たれた。
「っ!」
リッパーは体をわずかにずらす。ほんの数センチの差。
その背後で、壁が消えた。
「……消えた?」
ハルの声が漏れる。砕けたわけでも、削れたわけでもない。ただ“存在がなくなった”。
「密度が上がってる」
リーフィアが静かに言う。
「さっきより、強い」
「めんどくせぇな」
リッパーは低く呟きながらも速度を上げる。
踏み込む。斬る。間合いを潰す。
さっきまで以上に速い。
だがそれでも、完全には押し切れない。
「やっと戦える」
男が笑う。
次の瞬間、空気が止まった。
違和感。
削られていない。なのに、何も感じない。
「……何も、ない」
リーフィアの声が小さく響く。
魔力が消えている。
完全な空白。
その直後——空間ごと消えた。
「っ!!」
リッパーが飛ぶ。
足元が消え、屋上がごっそり抉り取られる。
「……はは」
男は笑う。
完全に楽しんでいる。
「いいな、それ」
「ふざけんなよ」
リッパーの声が低くなる。
だが、その動きは止まらない。
むしろ踏み込みが鋭くなる。
「それ以上は壊れすぎる」
「気にすんな」
「気にする。まだ遊び足りない」
軽い言葉と裏腹に、圧がさらに増す。
ハルとリーフィアは完全に動けない。
呼吸が浅くなる。
意識が揺れる。
「……やばい……」
立っているのも限界だった。
そのとき——
カチッ。
鍵が鳴る。
勝手に。
空気が一瞬だけ戻る。
削られていた感覚が押し返される。
「またか」
男の視線がハルに向く。
興味がはっきりと宿っていた。
「邪魔だな」
その一言で、狙いが変わる。
「ハル!!」
リーフィアの声。
だが間に合わない。
距離が消える。
手が届く——
直前で、金属音が弾けた。
リッパーが割り込む。
剣で弾き、衝撃で地面が砕ける。
「そっちは後だ」
ハルをかばう位置で立つ。
「まずは俺だろ」
低く言い切る。
男はわずかに笑った。
「いい判断だ」
そのとき、遠くから複数の足音が響く。
速い。
「来たか」
リッパーが呟く。
次の瞬間、屋上に影が増えた。
シャマリ、バルザス、そして数名の隊員。
「遅ぇぞ」
「無茶言うな!」
シャマリが叫ぶが、目は完全に戦闘のそれだった。
男は周囲を見回す。
ほんの一瞬、考えるように間を置く。
「今日はここまでか」
「逃がすと思うか?」
リッパーが踏み込む。
だがその前に、男の姿が消えた。
完全に。
「……ちっ」
舌打ちが響く。
静寂が戻る。
だが屋上は半分以上崩れていた。
「なんだよ、あれ」
ハルはその場に座り込む。
呼吸が荒い。
体が重い。
「化け物だな」
シャマリが低く言う。
「……ああ」
リッパーも短く頷く。
そして、ハルを見る。
「今のが、お前の相手だ」
逃げ場はない。
「……無理だろ」
正直に言う。
リッパーはわずかに笑った。
「だろうな」
あっさり認める。
だが、そのまま続ける。
「だから強くなるんだろ」
シンプルで、重い言葉だった。
ハルは鍵を握る。
冷たい感触。
それでも、手は離さない。
「……やるしかねぇか」
小さく呟く。
夜は、まだ終わらない。




