【第十四話】共鳴
空気が、削れていく。
呼吸をするたびに、何かが減っていく感覚。
目の前の男は、ただ立っているだけだ。
それだけで、周囲が壊れていく。
「……来る」
リーフィアが小さく呟く。
次の瞬間。
男の姿が、消えた。
「っ!」
右。
反射で振り向く。
すぐ目の前。
手が伸びている。
掴まれる——
その直前。
——カチッ。
ハルが鍵を振る。
一瞬だけ。
空気が戻る。
男の動きが、止まる。
「……遅い」
だが。
すぐに再び圧がかかる。
押し込まれる。
「ぐっ……!」
体が軋む。
鍵を押し返す。
だが、完全には止めきれない。
「……やっぱり、同じ側か」
男が呟く。
興味を持ったような目。
「……でも、弱い」
「……うるせぇよ」
歯を食いしばる。
そのとき。
「……左」
リーフィアの声。
反射的に体を引く。
次の瞬間。
空気が裂けた。
さっきまでいた場所が、消える。
「……今の」
「……削り」
リーフィアが答える。
「……触れたら、終わり」
「分かりやすいな……!」
軽口を叩く余裕はない。
でも。
怖さは、少しだけ消えていた。
横に、リーフィアがいる。
「……見る」
彼女が呟く。
目が、変わる。
焦点が合わないようでいて。
すべてを捉えているような目。
「……流れ、見える」
「俺もだ」
「……合わせて」
短い言葉。
でも、それで十分だった。
ハルは鍵を構える。
深く息を吸う。
削られる感覚。
でも、その奥にある“流れ”だけを見る。
男が動く。
消える。
来る。
「……そこ!」
リーフィアの声。
同時に、ハルが踏み込む。
——カチッ。
音が鳴る。
一瞬。
男の動きが、止まる。
その隙。
リーフィアが手を伸ばす。
空間が、歪む。
見えない刃のような魔力が、走る。
直撃。
「……っ」
男の体が、わずかに揺れる。
初めてだった。
“効いた”反応。
「……いいな」
男が笑う。
初めての、明確な感情。
「……やっぱり、面白い」
その瞬間。
圧が、増す。
空気が、一気に削られる。
「っ……!」
膝が揺れる。
呼吸ができない。
「……ハル」
リーフィアの声。
少しだけ、焦りが混じる。
「……止めきれない」
「……なら」
ハルは鍵を握る。
力を込める。
「止めるだけじゃねぇ」
前に出る。
圧の中へ。
「ぶつける」
「……え」
「同じだろ」
歯を見せて笑う。
「壊す側と、止める側」
一歩、踏み込む。
体が軋む。
でも、止まらない。
男の目が、わずかに見開かれる。
「……ほう」
距離が、ゼロになる。
鍵を、突き出す。
——カチッ。
今までで一番大きい音。
空気が、ひび割れる。
削る力と、止める力が、ぶつかる。
均衡。
ほんの一瞬。
そして——
弾けた。
「……っ!」
衝撃が走る。
ハルの体が吹き飛ぶ。
地面を転がる。
「……ぐっ……!」
息が荒い。
体が重い。
だが。
男も、後ろに下がっていた。
「……今のは」
リーフィアが呟く。
驚いた声。
男が、ゆっくりと体勢を整える。
「……いい」
小さく言う。
「非常にいい」
満足そうだった。
「今日はここまでにしてやる」
「……は?」
ハルが顔を上げる。
男は軽く手を振る。
「壊すには、まだ早い」
意味の分からない言葉。
だが。
次の瞬間。
姿が消えた。
完全に。
静寂が戻る。
削られていた空気も、元に戻る。
「……はぁ……」
ハルはその場に座り込む。
「……なんだよあいつ」
答えはない。
ただ。
「……強い」
リーフィアが言う。
静かに。
「……でも」
少しだけ、こちらを見る。
「……通じた」
その言葉。
確かに、そうだった。
完全じゃない。
でも。
“届いた”。
「……ああ」
ハルは息を整えながら頷く。
「……一人じゃ無理だったな」
「……うん」
短く。
でも、確かに。
リーフィアは頷いた。
夕焼けの中。
二人はその場に立っていた。
まだ、何も終わっていない。
むしろ。
ここからが、始まりだった。




