【第十話】触れてはいけないもの
壊れた扉は、応急処置だけされていた。
板を打ち付けただけの簡単なもの。
外からの視線は、完全には遮れない。
それでも、さっきよりはマシだった。
「……とりあえず座れ」
ドリューが言う。
低い声。
さっきの戦闘の熱が、まだ残っている。
ハルは言われるまま、椅子に腰を下ろした。
リーフィアも、少し離れた場所に座る。
ロッジーニは立ったまま、壁にもたれていた。
しばらく、誰も喋らない。
静かな時間。
さっきの出来事を、それぞれが整理しているようだった。
「……で」
最初に口を開いたのは、ハルだった。
「なんなんだよ、あいつ」
率直な疑問。
ドリューは少しだけ目を閉じてから。
「……名前は知らん」
短く答える。
「だが、ああいうのは一つだけだ」
「一つ?」
「……厄介な連中だ」
それだけだった。
「いや分かんねぇよ」
「分からなくていい」
即答だった。
「今はな」
言い切る。
ハルは眉をひそめる。
「今はってことは、いずれ分かるってことか」
「……関わり続ければな」
その言い方が、妙に引っかかった。
「……関わる前提かよ」
「もう関わってる」
ドリューの視線が、鍵に落ちる。
はっきりと。
「お前がそれを持ってる時点でな」
逃げ場はない、ということだった。
ハルは少しだけ黙って。
「……これ、なんなんだよ」
鍵を見る。
何度見ても、ただの鍵にしか見えない。
だが。
さっきの感覚は、嘘じゃない。
「……分からん」
ドリューは言う。
「完全にはな」
「完全じゃないなら、分かることはあんだろ」
「……ある」
短く頷く。
「それは、“触れてはいけないもの”だ」
空気が、少しだけ重くなる。
「……触ってるけどな、もう」
「だから問題だ」
ドリューは淡々と続ける。
「俺たちみたいなのは別としても、、
普通の人間は、触れた時点で壊れる」
「……壊れる?」
「精神か、体か、どっちかな」
軽く言う。
だが、軽い話じゃない。
「……でも、俺は」
「壊れてないな」
はっきりと言う。
「だから余計に厄介だ」
「なんでだよ」
「“適合してる”ってことだからだ」
その言葉。
どこかで聞いた気がした。
——適合。
あの時。
鍵に触れた時に。
「……なんだよそれ」
「分からん」
また、それだった。
「だがな」
ドリューが、少しだけ身を乗り出す。
「普通じゃねぇ力ってのはな」
低い声。
「“使える”んじゃねぇ」
視線が、ハルを捉える。
「“使われる”もんだ」
その言葉が、妙に重く響いた。
「……使われる?」
「お前が選んでるつもりでもな」
ゆっくりと言う。
「気づいたら、そっちに引っ張られてる」
ハルは、鍵を見る。
冷たい感触。
でも。
さっきの戦闘。
あれは確かに、自分の意思で動いたはずだ。
「……そんな感じしねぇけどな」
「今はな」
また、それだった。
「……これからだ」
ドリューは椅子に深く腰を下ろす。
「どうなるかは、お前次第だ」
投げるような言い方。
でも、それが一番正しかった。
ロッジーニが口を開く。
「まあ、脅すのはその辺にしとけ」
「事実だ」
「分かってる」
軽く笑う。
「だがなハル」
視線が向く。
さっきまでとは違う、少しだけ柔らかい目。
「全部一人で抱えるな」
短い言葉。
でも、はっきりしていた。
「俺もいるし、こいつもいる」
顎で、リーフィアを指す。
「……いる」
小さく、リーフィアが言う。
視線は下を向いたまま。
でも、その声は確かだった。
ハルは少しだけ息を吐いて。
「……分かってる」
本当は、分かっているのか分からない。
でも。
一人じゃないっていうのは、少しだけ楽だった。
そのとき。
「……さっきの」
リーフィアが口を開く。
珍しく、自分からだった。
「……ぶつかってた」
「……ああ」
ハルは頷く。
「止めるっていうより、なんか……押し合ってた感じだ」
「……うん」
リーフィアも頷く。
「……あれ、同じ」
「同じ?」
「……壊す側と、止める側」
静かな声。
でも、その言葉は鋭かった。
「……完全には、止められてない」
「……そうだな」
ハルも感じていた。
あれは“勝ち”じゃない。
ただの“押し返し”だ。
「……だから」
リーフィアが少しだけ顔を上げる。
「……気をつけて」
「何を」
「……その鍵」
ほんの少しだけ。
言葉を選ぶように。
「……優しくない」
その表現が、妙にしっくりきた。
ハルは少しだけ笑って。
「鍵に優しさ求めんなよ」
「……そうかも」
ほんの少しだけ。
リーフィアの口元が、緩んだ気がした。
気のせいかもしれない。
でも。
確かに、少しだけ。
距離は縮まっていた。
ハルは鍵を握る。
さっきまでとは、少しだけ違う感覚。
ただの道具じゃない。
でも。
それでも。
「……使うしかねぇか」
小さく呟く。
ドリューが聞いていたかは分からない。
ロッジーニは、ただ笑っていた。
王都の夜は、まだ長い。
そして。
“面倒な連中”は、確実に近づいている。




